刺すか刺されるか、やるかやられるか

鈴木宗男議員の最高裁への上告が棄却され実刑が確定した。

鈴木宗男議員 上告棄却で実刑確定へ (J-CAST ニュース)
2010/9/ 8 19:24
受託収賄など4つの罪に問われた鈴木宗男衆院議員(62)の上告審で、最高裁判所は2010年9月7日付で鈴木議員の上告を棄却する決定をし、懲役2年の実刑が確定することとなった。鈴木議員は確定後に議員資格を失い、収監される。
鈴木議員は8日夕方、東京都内で記者会見を開き、「私自身、賄賂をもらったという認識はありません」と改めて無罪を主張。「いかなる環境にあっても検察権力と闘っていく」と述べた。

2002年に所謂鈴木宗男事件というものがあって、これをウイキペディアから引用してみる。

2002年1月、田中真紀子外務大臣は野上義二外務事務次官からの報告としてアフガン会議においてNGO代表が参加拒否された問題に鈴木宗男衆議院議院運営委員長が関与した疑惑が浮上。鈴木はこの問題に対して全否定をし、鈴木と田中の争いに発展。田中外相、野上次官は小泉純一郎内閣総理大臣の裁定で更迭され、鈴木は衆議院議院運営委員長を辞任して自民党を離党した。

しかし、その後、鈴木宗男は国会で2月に参考人招致され、3月に証人喚問をされた。6月19日にあっせん収賄罪の逮捕状が出されて衆議院で逮捕許諾決議が可決されて逮捕され、6月21日には衆議院鈴木宗男への議員辞職勧告決議が議事録上では全会一致[1][2]で可決された(鈴木は議員辞職を拒否)。その後、鈴木宗男は受託収賄罪や政治資金規正法違反も容疑となり、9月には証人喚問において3件の偽証をしたとして告発され、議院証言法でも訴追された。

この事件は北方領土問題に絡む事件が注目されたが、その際にバルト3国を除く独立国家共同体(CIS)加盟12ヶ国を支援することを目的とした国際機関の「支援委員会」が舞台となった。「支援委員会」は1993年1月に作られた国際機関であったが、「支援委員会」に資金を供与するのが日本政府一国のみで日本以外の国の代表は空席状態であったため、日本政府一国が決定した事業を支援委員会が執行するという変則的な国際機関であった。「支援委員会」は 2003年に廃止となった。

こうした事情は佐藤優著「国家の罠」や鈴木宗男著「闇権力の執行人」などで詳しく解説されている。後年「国策捜査」という言葉が定着したほどこれらの捜査には捏造の臭いが充満し、ある国家的な目的のために障害となる人物を情け容赦なく抹殺しようとする魂胆が隠れ見える事件なのである。

鈴木宗男佐藤優拘置所に入れられ長期間に渡って自白を迫られたのだが、そもそも特捜検察の押しつけてきた自白というものが検察の編み出した勝手なストーリーに沿うだけのものであり、彼らは一貫して否定を貫いたのである。それ故特捜検察の握る最も重要な証拠は賄賂を贈った側の証言などという信憑性の低いものでしかないのに関わらず、今日最高裁鈴木宗男の上告を棄却し実刑を確定したのである。

この実刑確定にはおまけがあって、佐藤優の告発によるとこの2002年当時の外務省事務次官鈴木宗男とやり合った当事者である竹内行夫が現在なんと最高裁判所裁判官を務めているというのだから驚いてしまう。

最高裁判所は最高政治裁判所でもある。それは、2002年に鈴木宗男追放キャンペーンの中心に立った竹内行夫外務事務次官(当時)が現在、最高裁判所裁判官をつとめている事実からも明白だ。所属する小法廷が異なるなどということは、本質的問題でない。司法試験にも合格していないので、法曹資格ももたず、かつ極めて政治的動きをする人物を行政機関である外務省から受けいれている最高裁判所という組織自体が、「司法権の独立」という名目からかけ離れた組織だということを筆者は指摘しているのだ。

戦いの相手側が自分を裁く側に潜んでいるのである。それも過去勤めていた省庁のバックアップと期待を全部背負って。これでまともな裁判が行われると考える人はファンタジーの世界の住民だけだろう。

佐藤優は以下のように結んでいる。

この結果にいちばん喜んでいるのは外務官僚だ。鈴木氏が収監されることにより外交機密費(報償費)の不正使用や、外交秘密文書の破棄に対する責任を追及する政治家がいなくなると外務官僚はほっとしている。しかし安心するのはまだ早い。鈴木氏は小沢氏に外務官僚に関するヤバイ情報をすべて引き継いでいるはずだからだ。
いずれにせよ、今回、最高裁判所が鈴木氏の上告を棄却したことは、普通の国民の目には見えにくいが、「誰が日本国家を支配するか」を巡って、資格試験に合格したエリート官僚と国民によって選ばれた国会議員の間で展開されている熾烈な権力闘争を反映したものだ。

全くその通りだと思う。そして「誰が日本国家を支配するか」という言葉を頭の中で反芻しよう。佐藤優はそれを「官僚」と「国会議員」の間の権力闘争としているが、その奥にはまだ次のレイヤーがあって、「官僚」は「従米隷属」というフレーズが包み込んでいる。一方の「国会議員」は「従米隷属」と「自主独立」の二つに分かれたレイヤーがある。つまり「官僚」は「従米隷属」一色だが、「国会議員」には辛うじて「従米隷属」から離れた「自主独立」派が生き残っているのである。その「自主独立」派が財務官僚の言いなりになって突然消費税増税を言い出すような輩でないことは確かである。そして鈴木宗男は明らかに「自主独立」の側にいた。

さて鈴木宗男に戻る。鈴木宗男といえばロシアからユーラシアに渡っての外交が得意分野であり、特にユーラシアの資源外交とロシアとの北方領土問題の解決に尽力したことが記憶に残る仕事である。北方領土問題では森元首相時代には少なくとも2島の返還が目の前にまできたという。しかしそれは従米隷属派の小泉政権の出現によって銀河系の彼方へと追いやられてしまった。そしてその頃ちょうど鈴木宗男事件が始まったのである。

この事件の裏には北方領土問題を日露が解決して友好関係が出来ることを恐れたアメリカの思惑があるとされる。日本にはアメリカのポチとしての配役を割り振ったままにしておきたかったということだろう。また外務官僚もロシアスクールとチャイナスクールを窓際に押しやりアメリカスクールを省内で際立たせるチャンスだった。アメリカの思惑と官僚の思惑が一致すると凶暴な暴力装置が出現するのである。まさしく鈴木宗男はその犠牲者となりパージされた。そして今度は小沢一郎がパージされようとしている。これら両者に起こった検察がらみの事件は元は同じようなものなのだ。

いやに鈴木宗男に対して感傷的な書き方だろうと思う。しかし、ウイキペディアの鈴木宗男のページから以下の文章を引用してみるので読んでほしい。もう鈴木宗男には二度と国会議員として外交の檜舞台に立つ希望がないことがわかるだろう。そして北海道の地域政党である新党大地も自動的に消滅することになるだろう。

2010年9月7日、最高裁判所が上告棄却を決定、「懲役2年の実刑、追徴金1100万円」の第一、二審判決が確定する見込みとなった。これにより、衆議院議員の失職、刑期満了から5年間の公民権停止、被選挙権の10年間喪失が確定する(公職選挙法第11条、第11条の2 国会法第109条)。なお、第二審で「未決勾留日数220日を算入する」とされたため、服役はそれを差し引いた期間となる。

鈴木宗男の「被選挙権の10年間喪失」が明けるとき、彼は既に70歳を超えていることになる。元気そうに見えるけれどこの数年間には胃癌の摘出手術をしたり健常者とは言い辛い状態である。

僕たちはこうした剥き出しの国家権力のおかげでとても重要な政治家を一人失ってしまったことをはっきりと覚えておく必要がある。そしてこれでユーラシアの資源外交も北方領土の返還もまた遠のいたことを覚えておこう。そして一人の人間の人権も尊厳も踏みにじるような国家で暮らしていることも覚えておこう。

自民党河野一郎代議士は今日の鈴木宗男実刑確定を聞いて以下のようなツイートをしている。

現職の外務委員長が失職というのは前外務委員長として、極めて遺憾。こういう事態が予測されたにもかかわらずの人事だったのでは。RT @47news 鈴木宗男議員失職、収監へ 最高裁が上告棄却 http://bit.ly/aXGyAH

弱者への慈しみという政治家の最も重要な資質が見事なまでに抜け落ちた発言で、こういうことを平気で言う人物を僕は絶対に信用しない。

一方で今日のムネオ日記にある鈴木宗男心友と言える歌手の松山千春の言葉は立派である。少々長くはなるけれど、今日のムネオ日記をこのエントリーの最後に全文引用する。松山千春の文章は一番最後に出てくる。

2010年9月8日(水)
最高裁第一小法廷から11時半、「上告を棄却する」という特別送達が自宅に届いたと家内から連絡が入る。
昨夜から今朝にかけて、マスコミ関係者から最高裁が特別送達を出したという話があったので、心の準備はできていた。最高裁の理由は、職務権限にだけ触れて、政治資金規正法違反、議院証言法違反については何も触れていない。
検察が善良な市民を密室で誘導し、でっち上げの調書を作り、その調書を持って判決を下す裁判所が、真に公正公平で、真実を明らかにする司法としての責任を果たしているのかどうか、疑問である。いや、果たしていないと言った方が正しいだろう。公判で「賄賂はもらっていません」と言うと、判決文では「反省の情皆無」と一方的に断じる裁判所も、官僚化しているのである。
読者の皆さんに、やまりん事件の山田哲社長が東京高等裁判所に出した陳述書の一部を紹介したい。
「私を取り調べた吉田正喜検事(以下、吉田検事といいます)から「業者が政治家にお金を渡すのは『お礼』か『お願い』しかない」とこまごまと説明され、「どちらなのだ」と言われて、この件は「お礼」という趣旨では通らないと思い、「お願い」としてしまったのです。
やまりん関係者一同の気持ちは、官房副長官就任のお祝いであり、だからこそ、官房副長官室で堂々と祝儀袋を机の上に並べたのであり、賄賂だと思っていたとすれば、人の出入りのあった官房副長官室でそのようなことをすることにはならないと思います。
(中略)
平成15年に裁判所で証言する前に、証人尋問の4日前から毎日東京地検に出向いて尋問のリハーサルを行いましたが、その際、吉田検事から不正な行為の働きかけをお願いした旨の答えが予め書き込まれた尋問事項書を渡され、答えに間違いはないか何度も念を押されたからです。
なお、用意された尋問事項書は、リハーサルの終了時に、返すように言われ、私の手元には存在しません。」
また、島田建設事件では、島田社長が検察のプレッシャーから、公判に証人として出た翌日、脳梗塞で倒れられ、話もできない状態になった。その島田社長が奥さんに話していたことについて、奥さんは陳述書を作ってくれた。一部紹介したい。
「夫の話では、検察官はあらかじめ文章を作っていて、その表現内容が夫の認識と違うと言っても受付けてくれず、どのように対応をしたらよいか困っているということでした。
(中略)
夫は、納得のいく形での調書を作ってもらえず、そのあげく、鈴木宗男代議士は逮捕され、また島田建設も賄賂行為をした企業とされて9ヶ月の指名停止の処分を受けてしまいました。
(中略)
俺が検事の言うままにサインしたのが悪かったのかな、申し訳ないことをしたな、などため息混じりに愚痴っていました。」
検察、裁判所が、私が賄賂をもらったと判決しようが、届けた側が明確に否定していることこそが真実ではないか。官僚化し、小さな出世欲にとらわれ、自分のことしか考えない一部青年将校化した検察官、また自分の出世しか頭にない心ない裁判官がいることに、「本当に日本は民主主義国家なのか」と、自問自答するものである。
弁護士は異議申し立てを10日にするというので、今後のことは弁護士に任せたい。
私は淡々と、与えられた立場で最後の最後まで仕事をしていく。有難いことに、事務所には非難や批判の電話、FAXはなく、激励の電話、FAXがいっぱいくる。
8年前と風向きは間違いなく変わっていると実感しながら、声なき声に耳を傾け、絶えず後ろを見ながら、弱い人のために政治があることをいかなる立場でも訴えていきたい。
心友松山千春さんは、報道機関に次の様なコメントを出してくれる。
「報道各位様
今回の鈴木宗男さんに対する最高裁の判決に関しては、大変残念に思います。
「真実」というのは、なかなか裁判では明らかにならないんだなぁと感じました。
宗男さんは収監ということになりますが、ガンの再発など無いように健康に気をつけて頂きたいと思います。
また家族や事務所のスタッフなど周りにいる人たちも心配です。自分にとって宗男さんという人は、自分がどんなに傷ついたとしても守りたいと思う人ですので、出来る限りのことをさせて頂こうと思っています。
自分はこれからも鈴木宗男さんを信頼し、支持していきます。
国政選挙ではありませんが、次の総理大臣が決まる選挙をやっているこの時期に判決が出るのが不可解であると同時に、あらためて、この判決には権力側からのメッセージ性を感じましたし、怖いなぁと感じました。
次の総理大臣はどのかたになるのか判りませんが、権力を持つことがどういうことかを正しく理解して頂けるかたに総理大臣になって頂きたいと思います。
権力は本来国民の正義の中にあるはず。だからこそ裁判員制度もでき、国民も参加しているのですから。国民の方も関心をもってどこに正義があるのか、また「真実」を見抜く、何事にも左右されない、正しい力を持って頂きたいなと感じました。
これからも変わらず音楽活動などを淡々とこなしていきますが、フォークシンガーとして、もっともっといいものを作って、皆さんに訴えていきたいと思います。
ますます燃えてきました。     松山千春
「困った時の友人こそ真の友人」。千春は別格だと手を合わせるのみである。

無料アクセス解析