宴のあと

いよいよ今年も大晦日となった。激動の2012年と言いたいところだけれど、世界ではプーチンオバマが再選され、日本では自民党が政権与党に返り咲くなど、揺り戻しの起こった一年だったとの感慨を持っている。大きな変化は数年前に起こったのだが、大きな振り子は戻ってきて元の木阿弥のような状況に落ち着いたようだ。

変化にはこうした揺り戻しは不可欠である。今年起こった数々の元の木阿弥状態も、大きな変化の中の小さな流れであると見ると将来が見渡せるのかもしれない。

このブログを始めたきっかけは、2009年の政権交代前夜ともいえる3月に、東京地検特捜部が当時最大野党党首で破竹の勢いだった小沢一郎の秘書を逮捕拘束し、民主的な政権交代の目を潰そうと目論んだことに憤りを覚えたからだった。特にほぼ全てのマスメディアが秘密警察めいた特捜の動きを支持し、連日のように反小沢キャンペーンを張ったことには大いに失望し怒りを覚えたのである。

今年はその小沢事件も小沢一郎側の完全勝利という結果となって終結し一件落着となった訳である。しかし、この事件で責任をとった者は誰もおらず、小沢一郎という賛否両論はあるけれど一人の傑出した指導者の人格破壊だけは徹底して行われた結果、日本の政治は嘗てなく混沌化し、米国や中国からの介入が頻繁に行われ、国力が大いに削がれてしまったのである。

その小沢一郎民主党を離党し『国民の生活が第一』という新党を作りはしたが、先日の総選挙直前に『日本未来の党』として滋賀県知事の嘉田由紀子や反原発運動家である飯田哲也らと合流した。結果的にこれは裏目に出て、小沢一郎の政治家人生の中でも最悪ともいえる大敗を喫した。

これでもはや政治力もほとんどない状態の小沢一郎なのだが、それでもマスメディアは執拗に小沢叩きを続けている。こうしたマスメディアの小沢バッシングを見ると、本当はマスメディアも小沢信者なのではなかろうかと錯覚を覚えるほどである。そうでなければどうして共産党規模の勢力しかない小沢をここまで攻撃する意味があるのだろう。不思議なことである。

小沢一郎は1993年に改革フォーラム21を立ち上げて以降、日本の政局の要としてあり続けた。多くの同志たちがやがてはその冷遇に耐えきれず自民党に戻る中で、ひたすら反自民の立場を貫き通した。しかし、今年の『日本未来の党』の衆議院選挙大惨敗によって、小沢一郎による政局の時代は一つの節目を迎えたのではないかと僕は思っている。

小沢一郎も70歳である。今から新党を立ち上げ政権を担えるまで育て上げるにはもはや残された時間がなさ過ぎる。右を見ても左を見ても反小沢一色の政界で、少人数の政党を率いて主義主張を貫き通すことはほとんど不可能に近いことである。

また『日本未来の党』での嘉田由紀子飯田哲也らと小沢側近議員らとの対立を見るに付け、分党した『生活の党』に風が吹くとも考えづらい。幾ら主義や主張が正しくとも、現在の小選挙区制度の下では多数派となるための工作が優先されるのである。対立や排斥などを行っている限り追い風は吹かない。主義や主張の正当性はあまり関係ないのである。

最近の小沢一郎の少々達観したような顔つきなどを見るにつけ、とうとうその時期が来たかと思うようになった。根拠はまるでないけれど、あとは若い者に任せようという表情である。多分来年の夏に行われる参議院選挙の結果から趨勢をみて、いよいよ水沢に帰ることになるのではないかと思っている。僕の予想では、来年はそんな小沢抜きの政局が始まる年である。

安倍新首相は来年の参議院選挙まではタカ派の牙を隠し安全運転で政権運営を行うだろうと思う。しかし早々に新規原発設置などと国民の神経を逆なでするようなことを口走っているようなので、よほど頭が悪いのだろうとも思う。この頭の悪さが安倍首相の一番のウィークポイントとなる。一方で民主党の凋落傾向は止まらず、新代表となった海江田万里がこの政党を再び浮上させるとも思わない。存在感の薄い軽量級の代表であり、それは野党時代の自民党に於ける谷垣総裁にすら及ばないだろう。

多分来年の参議院選挙後、民主党は分裂し、生活の党や維新の会やみんなの党との合流、そして自民党との合流という幾つかの流れが起こるはずである。小沢抜きの政局という、ここ20年間、日本人が体験したことのない政局がスタートするのはその時点からだろう。仕方ないとはいえ、何とも頼りない時代がこれから始まるのである。

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有権者の後ろ向きな投票行動が日本の未来を狭めてしまったこと

16日に投開票が行われた衆議院選挙の結果は何とも不思議なものだった。

小選挙区制の特徴が現れたといったらそれまでだが、選挙区において43%の得票率でしかなく、比例区では27.6%の得票率に過ぎない自民党が294議席(約61.3%)を獲得するという結果である。今更小選挙区制の弊害を議論したって始まらない。これが現実である。

公明党も前回21議席から31議席へと増やすことに成功した。これで自公併せて衆議院の約68%を占有することになり、今後参議院で否決された法案であっても衆議院に差し戻されれば三分の二以上の賛成可決でその法案は通ることになる。つまり、少なくても来夏の参議院選挙までは自公のやりたい放題が出来る訳である。

一方の民主党は57議席を何とか守ったといった程度で、今回大躍進した日本維新の会の54議席にあと少しで逆転される可能性まであったほどの大惨敗である。なにせ前回は308議席だったのである。投票直後の議席数ではなんと251議席の減少だ。これはちょっと聞いたことがない数字である。

その大躍進を果たした日本維新の会の得票数の内訳を見ると、選挙区では14議席に過ぎない一方で、比例区では圧倒的に強く40議席をとっている。この比例区での強さが躍進の原動力であり、多分マスコミを使った空中戦の賜物だろうと思われる。

さて、ここで日本未来の党である。このブログでも公言していたように、僕自身はこの党に期待をしていた。今回の選挙の本当の争点である『消費増税』『原発政策』『TPP参加』などに対して厳しい態度で挑んだ政党である。嘉田滋賀県知事を党首に飯田哲也という反原発運動の第一人者を副党首に据えて話題性も十分だと思っていたし、小沢一郎支持者も併せて30議席は堅いだろうと思っていたのだが、結果は9議席に過ぎず大惨敗となった。小沢一郎は選挙の神様のように言われているけれど、こんな大惨敗は嘗てなかったと思う。いくら小沢が仕切った選挙でないとはいってもあんまりな負けっぷりである。

自民党が第一党に返り咲くことは既定の事実であったし、民主党の凋落も誰もが予測していた。しかしその一方で、未来の党の不人気ぶりが不思議でならなかったのである。何せ、未来の党が掲げた先の三つの政策は、多くの有権者民主党に裏切られたと感じたマニュフェストをもう一度やり遂げようとするものであったからである。

結論を先に述べてしまうと、今回の選挙ではマニュフェストだの公約だの政策だの日本の将来だのについて有権者は判断しようとしなかったことだろうと思う。多くの有権者は『民主党には投票しない』ことを争点にしたのだろう。約束を守らなかった民主党政治家にお灸を据えるために投票したのである。

前回民主党に投票した有権者の票は自民党にもいっていない。今回自民党が獲得した票は小選挙区比例区共に前回と比べて微減となっているほどである。つまり前回民主党に入った票は今回は日本維新の会に行くか棄権となって投票率を下げることになった。日本未来の党へは向かわなかったのである。

その原因は新党の準備期間がほとんどなかったことでぶっつけ本番となってしまったことがあるだろうし、飯田哲也小沢一郎という組み合わせに、小沢支持者さえもが馴染むことが出来なかったこともあるだろう。しかし僕の印象では、小沢一郎はインターネットメディアに積極的に登場し好感触を得ていたのだが、逆にそれが変な自信をもつことに繋がったように思っている。

インターネットの世界では小沢一郎への支持は多いし日本未来の党も人気なのだが、現実の世界はそうではないのである。インターネットの中の世界を世論と勘違いすると痛い目を見る。今回の小沢一郎の動きの基礎部分にインターネットメディアで得た好感触があったとするのならば大いなる見込み違いだったろう。

近く国会では首班指名が行われ、安倍自民党総裁が総理大臣に就任し、再び安倍内閣が組閣されるだろう。前回就任直後はそこそこの支持率ではあった安倍内閣だが、半年もすると支持率は低下の一途で、やがては参議院選挙に惨敗し、結局は総理大臣を投げ出して終わってしまったあの安倍内閣である。極めてタカ派色の強い、憲法改正に熱心な、自衛隊国防軍化すると堂々と公言する安倍内閣である。消費増税に賛成し、原発の再稼働はおろか新規増設にも積極的で、TPPにも参加してアメリカの言いなりになることを好む安倍内閣である。そのような内閣に有権者衆議院の三分の二以上の数の力を与えてしまったのである。

安倍政権がタカ派としての本領を発揮し始めた時、国民はそれを止めさせる術をもたない。もう後で言っても遅いのである。残念なだけれどこれが現実だ。

日本という国家や、自分たちの社会の未来をどのようにするべきか真剣に考えず、政権与党にお灸を据えるために投票するなどといったバカな行為の行きつく果てがもうすぐ現実として見ることが出来るだろう。ヒトラーは革命を起こしてドイツ総統に就任したのではなく、ドイツ国民の投票によって民主的に選ばれたのである。今から100年近く前にドイツ人が起こした過ちを、今日本人が再び犯してしまったように思う。

社会のあり方を真剣に考えることなく、芸能人の人気投票のようなノリで投票した国民の未成熟度が、今後大きな不幸を呼ぶような気がしてならないのである。

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投票前にチェックするべきこと

明後日の衆議院選挙は争点が隠されているので、一体どの党に投票したらよいのか分かり辛いという話をよく聞く。今回の衆議院選挙が今ひとつ盛り上がらないのはそうした分かり辛さがあるからだろう。実際に、自分の周りでは選挙に対する関心は決して低くはない。

上の表は週刊誌にあったものを書き写したものである。どうかこれを参考にして考えて欲しいと思う。自分が行政に何を望んでいるのか、一つ一つ当てはめて考えると自ずと答えは出るだろう。

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期日前投票に行って考えたこと

市役所周辺に用があったので、そのついでにと期日前投票を済ませてきた。自分の住むローカル都市では市役所内の一室が期日前投票所となる。

期日前投票所に着くと思っていたより多くの人出で賑わっていた。随分以前にも期日前投票をしたことがあるが、その時はもっとがらんとしていたように記憶している。今度の衆議院選挙は争点が隠されていてどの党に投票すればよいのか分かり辛いと言われているけれど、やはり使命感を感じて期日前投票を済ます人が多いのだろうと思う。

僕の住むローカル都市は、選挙区では民主党の現職、自民党新人、維新の会新人、共産党の新人、計四人の候補者がいる。前回は民主党の現職議員に投票したのだが、この三年間の政治の迷走に心底ウンザリとし、もはやこの人に自分の一票を入れようという気にはならず、かといって自民党に入れることは以前の新自由主義に戻ることを意味するのでこれも除外、維新の会はその新自由主義を更に進めようとするタカ派色の強い主張にとてもついていけなくてこれもやはり除外する。すると何と共産党の候補しかいなくなってしまった。ここには日本未来の党の候補者なんかいないのである。

マスコミ各社の世論調査というものでは自民党が圧勝するかのような調査結果がこれでもかと目障りなほど大きく載っているのだけれど、僕の肌感覚は少し違って、自民党公明党を足して漸く過半数に届く程度で、民主党は半減するも100議席はキープするだろうと思っている。民・自・公の集票力とは組織力の賜物である。いわゆる『風』が吹いていない状態だと組織の大きさがそのまま得票数に出る。マスコミがお気に入りの維新の会は世論調査では50〜60議席などと言われているけれど多分10議席前後ではなかろうかと思う。維新の会はマスコミが騒げば騒ぐほど反発も大きい。逆にマスコミの世論調査において20議席前後と言われている日本未来の党は40議席位はいきそうな勢いを持っていると思うし今後の伸びしろの余地を多く残している。

維新の会への評価が低すぎると言われるかもしれないけれど、1993年の衆議院選挙時に一世風靡し政局の中心的役割を果たした日本新党だって当選者は35名に過ぎない。あの時の風の強さを記憶しているのであれば、維新の会の50〜60議席という予測は楽観的過ぎるだろうと同意されると思う。

日本未来の党に関してはマスコミ各社が一斉に無視を決め込んだせいもあって選挙戦序盤は目立たない存在だったのが、徐々にその主張がじわりじわりと浸透しているように思う。何せ消費増税原発政策、TPPなどに真っ向から反対している政党の中では最大手なのである。もちろん大きな風となるほどの浸透力は時間的にないのだけれど、とりあえず今後の核となるべき礎を築くことは出来るだろうと思っている。

日本未来の党にとって大事なことは、一人でも多くの議員を国会に送り来夏の参議院選挙への布石を打っておくことである。僕はそのためには30名ほどの当選者がいれば何とかなるのではないかと思っている。今回の選挙により安倍自民党総裁が総理大臣に復職する可能性が高いようだが、安倍氏の主義主張にはナショナリズム剥き出しの極めて危なっかしいものが多く、それを前面にたてればたてるほど政権運営も危なっかしいことになる。また幾ら今回の選挙によって総理大臣に復職したといっても、国民が安倍政権を望んだ結果ではなく、あくまで消去法で仕方なく選ばれたに過ぎないのである。つまり安倍復活政権とは国民からの支持の少ない極めて脆弱な基盤しか持たない政権であり、早晩崩壊する可能性が高いと思っている。

そして来夏には参議院選挙が待ち構えている。衆議院選挙が同時に行われるかどうかはわからないし可能性としては低いだろうけれど、これこそ2009年に始まった政権交代劇のひとつの大きな山となるだろう。参議院を制するものこそ国会を制することが出来るのである。この参議院選挙をどの政党が制するかで今後の大きな命運が決まる。今回の衆議院選挙とは、実は来夏の参議院選挙への前哨戦としての意味合いが強いのである。そのための布石を打つことの重要性を小沢一郎は誰よりもよく知っているだろう。

期日前投票所となった市役所の部屋から出てふと振り向くと、いかにも農家のお爺さんお婆さんと思われる人々の姿が多く目に入った。新自由主義の社会からは切り捨てられようとしている職種の人々である。彼らが一体どの候補者や政党に投票しているのかは定かではないが、その投票用紙に書いた名前がその首を絞めにこなければいいんだけれど、と思わずにはいられなかったのである。

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戦前という今

16日の衆議院選挙までもうすぐだ。なのに自分の周りでは無関心が多数を占めている。よくよく聞くと無関心ではなく、『どうしたら良いのかわからない』という声が多い。つまり、選挙に行ってもどこに投票したら良いのかわからない、という意味である。

マスコミ報道によると自民・公明が優勢で民主は劣勢であるという。この三年間の政権運営マニフェストを勝手に反故にしたばかりか、当初の期待とは正反対の方向へと舵を切り続けた民主党が凋落するのはよくわかるのだが、一方で国民からNOを突きつけられたはずの自民・公明が優勢と言われるのはどういうことなのか。

そしてここに維新の会が絡んで問題を余計に複雑にしている。維新は第三極と言われながらも、党首に石原慎太郎を担ぎ、やれ徴兵制だの核武装だの、もはや正気を失っているとしか思えない言葉がこの党の中心部から響いてくる。その党がどうして第三極なのか、考えれば考えるほどわからなくなるだろう。

よくみると日本未来の党みんなの党などに関する報道は極端に少ない。たいていの人は報道された内容から政治を理解しようとする。だから情報がないと考えることが出来なくなる。今はまさにそんな状態な訳だ。

既に多くの人が指摘しているように、自民・公明に対して維新はその補完勢力である。自民と公明の獲得議席数が少ない時に、その数合わせをするのが補完勢力である。だから内容自体が自民や公明と違わない。橋下大阪市長は次から次へとコロコロと論点を変えながら、そして石原慎太郎タカ派としての本音を剥き出しにして、自民や公明の政策を更に過激なデコレーションを施して並べてみせる。

結局のところ、自民・公明・維新は消費税の増税を肯定し、原発を再稼働・推進し、TPPという従米隷属経済外交にも積極的であり、そして自衛隊国防軍化、徴兵制、憲法九条の改正にまで踏み込もうとしている。そうした主張に反対の立場を取る政党に関してはまるで報道がなく、言論が封殺されているのである。

こうした流れの行き着く先は『いつか来た道』である。極端な右傾化社会と対抗勢力の封殺という構図はもはや現代のものではなく、戦前の空気の再現としか思えない。太平洋戦争の敗北から、日本人は何も学ばなかった。そのツケを今払わされようとしている。

今のところ、自民・公明優位ということであるが、これは投票率が極めて悪いと予想される事が理由でもある。無党派と呼ばれる支持政党を持たない人々が『第三極』という嘘っぱちに混乱し、その結果投票行動が抑制されてしまっている。無党派層が投票に行かないと組織票を持つ自民・公明が優位である。

今回の選挙は争点が分かり辛いと言われるけれど、実は好戦的なタカ派が実権を握るかどうかという瀬戸際の選挙でもある。今までのどの選挙とも違って、特に若年層はその命が掛かっているといってもいいだろう。今自分の頭で考えることをしなければ、戦前という時代がもう一度やって来ることになる。そのような時代に生きる人々は不幸である。

とりあえず投票率を上げることが全ての抑止効果を持つ。周りの人々にとりあえず選挙に行くように声を掛けよう。

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最大の敵は消費増税に反対しながら民・自・公に投票しようとする家畜化された愚民である

政治評論家の田中良紹氏がネット媒体であるThe Journalに極めて真っ当な記事を連載し続けている。昨日も更新されたのだが、政局だけではなく、今回の選挙の最も重要な視点についても述べておられたので紹介する。

大政局一歩手前の総選挙 (THE JOURNAL)
(一部抜粋)
何のために国民が投票に行かなければならないかと言えば、民自公3党が協力して消費増税法案を可決させたからである。協力の条件が「国民に信を問う」であった。だから国民に問われているのは消費増税の是非と3党合意に対する信任である。本筋はそういう話である。

本筋から導き出される選挙の構図は、民主党国民新党自民党公明党という消費増税賛成勢力vs反対した政党との戦いである。前者が選挙で過半数を獲得すれば国民は消費増税を認め、3党合意を支持した事になる。後者が過半数を得れば消費増税は廃止される。それが本筋である。

ところがそうした構図にしたくないのが民自公3党である。自公は自分たちを権力の座から引きずりおろした民主党を攻撃して自公政権を復活させたい。そのための手段として3党合意に踏み切っただけで、民主党と同じ側になりたくない。民主党政権の未熟さを並べ立てて民主党政権の実績を問う選挙にしたい。

一方の民主党も国民の目を消費増税からそらせたい。だからTPPを持ち出したり世襲禁止をアピールしている。民も自公も消費税以外に争点を作れば愚かな国民を目くらましにできると思っている。しかし民自公は選挙で違いを見せつけても、選挙が終われば3党協力の枠組みに戻らざるを得ない。参議院の「ねじれ」が決定的にそうさせるのである。

これを読めば現状の何がおかしいのかお解りになるだろう。

今回の衆議院選挙は、野田内閣が消費税を増税させる法案の可決と引き替えに選挙を行うと、谷垣自民党総裁(当時)と密約を交わしたことが発端となっている。つまり、この選挙は消費税増税を巡る選挙であることが本筋であり、そこに原発問題やTPP参加の可否などが絡んでくるのである。キャッチフレーズを作って大きな見出しに利用するマスコミなら、本当は『消費増税選挙』と大文字で打たなければならない。

ところがマスコミはそのような見出しを掲げることがない。どちらかというと原発問題を前面に取り上げてこの選挙の一丁目一番地のテーマである消費増税など出来るだけ口にしようとはしない。田中良紹氏も指摘されているように、出来るなら国民の目を消費増税から逸らせて民・自・公の何れかに投票させたいとの意思が働いている。或いは維新も同じようなものだから構わない。

勿論原発問題もTPP問題も選挙の争点として重要である。同じく福島県の除染と復興や沖縄県の米軍基地問題も重要である。しかし、今回の総選挙のトリガーを引いた問題が消費税増税であることは常にアタマの中に入れておいた方がいいのである。それを前提にして目の前で起こっていることを見ると民・自・公とマスコミの魂胆がよくわかる。いわゆる霞が晴れた状態でこの選挙戦を見ることが出来る。

今回の選挙を裏で仕切っているのは財務省である。財務省は消費増税を悲願とし、今やそれを成し遂げるまで後一歩というところにまできている。この選挙は消費増税に至る長い道程における最後の仕上げなのだ。消費税増税法案賛成派の政治家は財務省の筋書きに乗ることにより今後の国会運営に便宜を図ってもらえ地元への予算という貢献にも寄与できるだろうし、マスコミは消費税を免税してもらえ再販制度を維持でき政府広報で広告枠を買ってももらえるのである。また今後も特ダネをもらえるというケースもあるだろう。

どちらにせよ馬鹿をみているのは国民である。政府にべったりなマスコミでさえ国民の半数以上は消費増税に反対していると言っているので、現実にはほとんどの国民は反対しているのだろう。それにも関わらず、消費税増税を成し遂げようとしている民・自・公・維新を投票の第一選択肢に考えている。マスコミが消費税増税を話題にせず、反対している政党や政治家の主張をパージしているからそうした声が国民に届かないのである。

国民も目の前で消費税法案が可決され、野田首相はそれと引き替えに解散を約束したことを知っているはずなのである。なのに現在の体たらくである。この選挙で民・自・公・維新らに多数の票が集まったら消費税法案は一層強化されたものに変わり、実施時期も早められるかもしれない。そうなってからでは遅いのだが、全てはこの選挙での国民の投票結果が原因となる。

だから後の祭りとなる前にひと言書いておこう。消費税増税に反対しながら民・自・公・維新に投票する国民こそ、政府とマスコミに飼い慣らされた家畜であり愚民の象徴である。そういう無知で従順な家畜化された愚民が官僚制を助長させこの国を駄目にした。子供たちから未来を奪ったのは実はこういう人々である。これからはその自覚を持って生きていってもらいたい。

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結局二大政党制は目の前にある

近所のおばさんと挨拶する。いよいよ選挙ポスターの掲示板などが町内に建てられましたね、といった会話をする。するとおばさんは言うのである。
「今度の選挙には行くけれど、白紙で投票するわ。だって入れたいと思う政党なんてないんだもの」

12月16日に投開票が行われる衆議院選挙では、民主党と自民・公明党との垣根が崩れ、日本維新の会のような政党が第三極として脚光を浴びている。また日本未来の党など小政党が乱立した状態で混乱ばかりが伝えられているようだ。

今、巷間よく言われるのが『二大政党制は日本に根付かない』とした俗説である。民主党と自民・公明党との第一極・第二極、そして日本維新の会の第三極、さらに日本未来の党みんなの党など少数政党が入り乱れている状況が二大政党制からはほど遠い姿に見え、その結果先の『二大政党制は日本に根付かない』という俗説の根拠となっている。

しかしここでよく見ると、民主党自民党公明党などによる政策の大きな違いは存在せず、日本維新の会に至ってはそれら三党に分け入り一気にイニシアティブをとろうとする政局的な動きばかりが目に付いてしまう。つまり、民主党自民党公明党日本維新の会までが実は同じような政党であり、自民党の最盛期のように、同じ政党の別派閥が争っているような様相を呈しているのである。

今回の選挙の主たる争点は、『消費増税』『TPP』『原発』の三点セットであって、民主党自民党公明党日本維新の会らはこれらの政策では実に似通った立ち位置をとっている。『消費増税』は何れも増税派、『TPP』は参加派、『原発』は部分稼働を含めた再稼働容認派である。主要な争点がこれだけ一致する政党を分けて考える方が不自然だろう。

一方で『日本未来の党』は上記主要三争点に関しては全て反対の立場をとっている。『消費増税』は反対、『TPP』は不参加、『原発』は停止撤廃である。みんなの党は『TPP』は参加とするなど中間派っぽい。

つまり、今回の選挙は実は二大政党制において争われようとしている、と認識するのが正しい。二大政党制による選挙というとどうしてもイデオロギーの違いによる二極化した対立を思ってしまうのだけれど、左や右というイデオロギーは既に死に、また大きな政府と小さな政府という分類も決着がついてしまっている。こうした分け方はもはや想像の中の産物でしかないのが現実なのである。

折角の選挙なのだから、こうした対立を鮮明にさせ、一体何を目的に選挙が行われ、投票した結果どのような社会が構築されようとしているのか有権者は知ることが大事である。しかしながらマスコミがこうした争点を全くといっていいほど報道しようとしない。さも民主党対自民・公明党、そして両者への対抗として日本維新の会があるかのような絵空事を報道しているのが現実である。つまり対立軸が報道されていない。だから一般有権者はどうしていいのか分からないでいる。

小泉時代の有名な郵政選挙の例を挙げるまでもなく、この国の報道は真実を伝えることよりも自分たちに都合の良い世界を勝手に創造し、その想像の世界の中の出来事を報道と称して伝えてきた。今回の衆議院選挙も同じく、大きな枠組みではほとんど同じといえる政党間の些末な争いを、さもイデオロギー的な対立が行われているかのように報じている。特に第三極などといった存在すらしていない対立まで演出するという念の入りようである。

今回の選挙にはれっきとした争点があり、それは『消費増税』『TPP』『原発』の三点セットなのである。その争点を巡って争う二つのグループが存在する。この点がクリアーになれば冒頭で紹介した近所のおばさんだって白票を投票しないはずである。第三極などというのはこうした争点を隠すための言葉遊びでしかない。

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