とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ディア・ライフ

 村上春樹「恋しくて」アリス・マンローの作品が掲載されていた。どんな内容だったか覚えていないが、その直後、本書が発行されていることを知って予約した。ノーベル賞作家の作品は順番が回ってくるのにけっこう時間がかかった。
 短編集である。「短編小説の女王」と呼ばれているそうだから、当然そうなる。全部で短編小説が10編。それに自伝的短編が4編加えられている。これが意外に読みにくい。さまざまな年齢、性別、背景、階層の人々の人生を描く。例えば女性詩人の不倫、サナトリウムに赴任した女性教師の医師との婚約の顛末、障害を持つ女性との不倫と人生、記憶力が衰え始めた高齢者が病院を探す旅など。
 14編の中で最も心に残ったのは「列車」。列車を飛び降りた土地で出会った女性との生活と長い一生。女性の最期を看取る前に病院から立ち去り、また別の土地をさまよう。そこで読者は列車を飛び降りた訳を知る。故郷には結婚を約束した女性がいた。その女性との偶然の邂逅に心惹かれつつ、また男は旅に出る。人生を受け止められない男の話だ。
 そう、どの小説もけっしてハッピーエンドでは終わらない。悲惨な結末があるわけでもない。すべて、さまざまな人生を切り取って、そして終わる。どこかでありそうな人生。自分と別のもの。本当にそうだろうか。
 淡々として、時空を超えて読みにくい語句を一つひとつ拾った末に構築される世界は、実に多彩であらゆる感情が詰まっている。凝縮された人生。マリス・マンローが「短編小説の女王」と呼ばれるのはそういう意味だ。女王というよりは「短編小説の魔法使い」と言った方がふさわしい。

ディア・ライフ (新潮クレスト・ブックス)

ディア・ライフ (新潮クレスト・ブックス)

●彼への手紙をなおも書き終わらないまま、彼女はベッドに入る。/そして早くに目覚める。空は明るくなってきているが、太陽はまだ上っていない。/鳥が皆いなくなってしまっていることに気がつく朝というのが必ずあるものだ。/彼女は何かを知っている。眠っているあいだに気づいたのだ。/彼に知らせるべき情報などない。情報はなし、なぜならそんなものひとつもなかったからだ。(P210)
●誰もが入れる健康保険が導入されてからというもの、皆医者のところへ駆けつけては、人生を病院と手術の長いドラマにしてしまうけれど、そんなの人生の終わりに厄介者になってしまう期間を長引かせるだけのことだ、と彼女は言った。(P231)
●フランクリンにしろどの詩人にしろ、作家たちに、つまり彼等の忘れられかけている、というかすっかり忘れられてしまってさえいる状況に自分が寄せていたような同情に彼らが値するとは、わたしはけっして思わなかったことだろう。なぜかはよくわからない。たぶん、詩というのはむしろ書くこと自体が目的だからではないだろうか。(P285)
●それから父は、心配はいらないと言った。「人間ってのはときどきそんなことを考えるものなんだ」と父は言ったのだ。・・・父は、そんなことを考えていたといってわたしを責めたりはしなかった。わたしのことを変だとは思わないと父は言ったのだ。・・・じつのところ、父のやり方も同様にうまくいったのだった。それはわたしを、嘲りも警告もなしに、わたしたちの暮らしていた世界に落ち着かせてくれた。/人間というのは抱かないほうがいい考えを抱く。生きていくうえではそういうことが起こるものなのだ。(P341)