とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

サッカーと人種差別

 浦和レッズのスタジアム入口に「JYAPANIES ONLY」の横断幕が張られ、結果的に無観客試合が開催されたことは大きくTV等でも取り上げられた。ダニエウ・アウベスが投げ入れられたバナナを拾って食べたニュースは、多くの選手たちがバナナを食べるパフォーマンスをして、世界中に広まった。でもそれで人種差別が根絶されたわけでゃない。いや却って多くのスタジアムでバナナが投げ込まれる事態さえ見られると言う。先日もマリノスのゲームでバナナが投げ入れられる事件があったばかりだ。
 W杯決勝戦で勝利を喜ぶドイツの選手たちが人種差別的なパフォーマンスをしたこと(「ワールドカップ・サッカー優勝のドイツチームの罪 」)も日本ではほとんど取り上げられることはない。そして何も変わらない。ネットを見れば右翼的な言説で溢れている。隣国を蔑む書籍のタイトルが新聞の広告欄に大きく掲載される。過剰な朝日新聞叩きもこうした差別的マインドの蔓延を示す現象の一つだろう。
 こうした人種差別、中でもサッカー界における人種差別の実態と対策について、どんなことが書かれているだろうかと興味を持って本書を読み始めた。フランスでの生活が長い筆者からは、フランスを中心にサッカー界における人種差別の実態が数多く紹介される。まさにこれでもかとばかり。第1章は「人種差別、その事件簿」。そして第2章は「個人史のなかの差別」。ジョン・バーンズ、アネルカ、カランブーの3人がいかに人種差別を蒙り、戦ってきたが紹介される。
 気になるのは、これらの多くが他の書籍等からの引用である点だ。筆者の意見や取材はどうなっているのだろうと思いながら読み進めるが、結局最後まで多くの引用と、それへのコメントという形で進む。しかし考えてみればそれもしょうがないのかもしれない。人種差別はその原因や対策を論じていてもそれで終わることはない。何より多くの実態を紹介すること。被差別者の真の思いを知ること。それが根絶への第一歩かもしれない。
 リリアム・トゥラムはそれを教育が大事だと言う。ジョン・バーンズも同様だ。人はレイシストとして生まれるのではなく、レイシストになるのだ。
 第4章「コスモポリタンのレッズン」では、人種差別主義者にならないための方法、コスモポリタンになることについて書いていく。私も見たオシムのドキュメンタリー「オシム73歳の闘い」が取り上げられている。このドキュメントの中でコスモポリタンを表明するオシムは、だからと言ってナショナリスティックな感情がないわけではなく、自らをサラエボっ子と言い、ボスニア・ヘルツェゴビナのW杯出場には涙を流した。
 一方で、自分の属する共同体に執着することを笑い飛ばすバンドもいる。自分のアイデンティティは自分自身にこそある。そこに自信がないとき、人は人種差別主義者になるのかもしれない。特定のサッカーチームを応援することと、コスモポリタンであること。その両立はもちろん可能だが、アギーレジャパンの始動とメディアの取り上げ方を見ると、最近の日本の右傾化と関わりがあるのだろうと思ってしまう。
 結局、人種差別根絶は、一人ひとりの心の中からアイデンティティへの不安を洗い流し、コスモポリタンの価値観に染め直していかなければ達成できないのだろう。サッカーを見ていると社会が見えてくる。改めてそれを実感する一冊だ。

サッカーと人種差別 (文春新書)

サッカーと人種差別 (文春新書)

●サハは、世界中がアウベスの行為に反応することはいいことだと認めつつも、「笑い飛ばすべきことではない」と釘を刺している。・・・サハの言うこともわかる。ユーモアはわかるが、笑いだけに還元してしまうのは間違いだ、ということだろう。・・・人種差別の根絶などできるはずもないのだから、笑ってさえいればいいという輪が世界中に拡散していった結果、何ら解決を見ることもなく、有名になったバナナだけが投げ込まれ続けている、という転倒した事態になっているのではないか。(P75)
●人種差別を根絶しようとするキャンペーンは、単なるポリティカル・コレクトネスの実践でしかなかった。・・・人種差別主義者は90分間黙っていなくちゃならないかもしれないが、人種差別主義者のままだ。・・・サッカーやラグビークリケットで人種差別問題が取り組まれるようになる以前に、それは社会の問題として取り扱われるべきなのだ。(P87)
●黒人は「私は黒人であることを誇りに思う」と私に言う。いいだろう、私は自分自身を誇りに思っている。黒人なのはたまたまだ。単に母親の子宮から黒人として出てきたことに対して、どんなプライドがそこにあり得るというのだろうか? 私は、私の成し遂げたことと、黒人の人びとの成功から、自分のプライドを形作る。(P98)
●人は人種差別主義者に生まれるのではない。人はレイシストになるのだ。この真実は、人種差別に対抗するための教育基金の礎である。レイシズムは、何よりも知的な構築物だから。・・・偏見を壊すためには、偏見がどのように成立したかを理解することが重要だ。肌の色や人種、宗教、セクシュアリティ、その人が話している言語、身体能力、国籍、好き嫌いは、なんらその人の知性を規定するものではないという単純な思想を、私たちの社会に広めていかなければならない。(P178)
●自分の属する人種や民族や国籍の同一性を信じ込み、他人が見えなくなったとき、人は醜くなる。「俺は地上のどこにも登録されていない」とは、何にもアイデンティティを持てない状態を指している。そんなときに、国には何の意味もない。・・・自分の属する共同体に執着することの愚かさは、コスモポリタンの対蹠地にある。(P210)