ある種の手慰み

四時過ぎに起きて、寝床でぼんやり。よく寝た。
昼前に出かける。スタバで一服。一人になるとホッとする。パブリック・ベータのβ2はまだインストールできない。こんな他愛もないことが大仕事に思える。
昼前に病院へ。
母と話し込んだ。僕の小さい頃のことが、どうしても思い出せないのだという。気がついたら、大きく育っていたと言う。それを聞いて、笑った。記憶にないのだと言われて、さもありなんと思う。僕も、母の思い出が数えるほどしかない。不思議な関係だ。
一方で、父の頭の霧がすこしばかり晴れる。家のことや庭のこと、姉のことをあれこれと訊かれた。今日だけのことだが、それでも救われる。もっとも、母に昨日会ったことはすっかり忘れている。
姉が怒りを爆発させて、僕は黙って聞いた。
夕方、十キロをジョグ。
黙々と走る。後半、脚が軽くなる。
本を二冊買う。池波正太郎「剣客商売二 辻斬り」(新潮文庫)、「剣客商売三 陽炎の男」(同)。
病院備え付けの書棚は、歴代患者の申し送り状だと思う。そして、なぜか「剣客商売」が高い確率で置かれている。「真田太平記」と双璧だというのが見立てである。池波正太郎の安定感が妙に似合うのだ。病に寄り添って、理屈っぽいことを言わず、かといって、無闇と情にすがらない。なんにつけ、すごいなと思う。
患者でない僕は、新刊として買う。父の寝息がするまで読むつもりだ。ただ側に居る、という時間の使い方は今しかできまい。
漫画本にもそういう定番はあるだろうか。そちらに不明なことが残念だが、「ガラスの仮面」ではないだろうと察している。
僕が生まれたばかりの頃、父は会社から帰っては寝顔をのぞき込んでいたと聞いた。どこかテレビ・ドラマのようだが、母のなかでそういう凡百の景色が虚実ない交ぜとなっていても、僕は驚かない。