できる、できないの差

晴れときどき雪。
六時に起きる。
朝餉は、キャベツと葱、ほうれん草、カボチャ、ハム、竹輪の卵とじ、ブロッコリーのマヨネーズ和え、味噌汁(大根、人参、ジャガイモ、油揚げ、豆腐、エノキ)、トースト、ヨーグルト、杜仲茶
女房の出勤日だが、日曜で弁当はナシ。なんとカレーだったそうで。
一足先に出社。雪もだいぶ解けて、今日からいつもどおりの営業。とはいっても、住宅街の雪はまだ深い。
ずっと雪掻きをしている。筋トレをしているようなもので躰にとってはかっこうのトレーニングだが。調子に乗ってやっていると腰に来そうだ。
昼餉は、卵とじ、カレーの残り、杜仲茶
気管支炎を罹っていると思う。咳が止まらない。咳き込んで痰を切る。目の前の雪に黄色い痰を飛ばしながら、スコップを止めてしばし休む。
ホースが凍って洗濯機が使えない。これまでになかったことで、女房が寒いと言い募るだけのことはある。
夕餉は、ポテトコロッケ、ブロッコリー、味噌汁の残り、ポークカレー、杜仲茶、林檎。
仮想通貨に兌換できる人とできない人。それは株式投資できる人とできない人のようなものだろうか。底無しという点では同じかもしれないが、ちょっと違う気がする。
仮想通貨が流失するというが、その具体的なイメージがわかない。通貨データにはヘッダーとしてなにがしかのマーキングが施されているはずだし、兌換スイッチのオンオフが実装されていて当たり前という気もする。
デジタルデータの信頼性はそれくらい施して当然だと思っていたが、どうやら違うらしい。セーフティの技術的優位性のない仮想通貨を百万円単位で兌換するのは単なる無知ではなかろうかと思う。ネットワークはなんの保証もない無法地帯だという認識さえないないらしい。