ブッ高い授業料

おおむね晴れ。8度。
8時に起きる。
朝餉は、バナナとリンゴ、キャベツとハム、ゆで卵のサラダ、みそ汁(大根、人参、玉ねぎ、豆腐)、トースト、コーヒー、プリン。
iPhoneを買い換える。4年前の6から8へ。割れた画面がすっきりしたものの、イヤホン・ジャックが消えているのが苦々しい。いっそXRにとも思ったが。物入りの季節だというのに。
昼餉は、女房の作ったラーメン。
街をクルマで流す。見慣れた景色と、くすんでいるような人々。それでも歩いている姿がそこにある。
夕餉は、リンゴ、みそ汁(大根、人参、玉ねぎ、揚げ、豆腐)、ポークカレーの残り、赤ワイン、コーヒーとクッキー。
何がトリガーになったのかLINEが人集めをしてしまい、夜半を過ぎてメッセージが来る。
生きていましたか、と。
買い替えたiPhoneのせいにして詫びを送る。鼻持ちならない年寄りには、LINEのようなもので生存確認されるとは世も末だ、実にくだらない、と返事。それでも食い下がってくるのは、下品なアプリを触っている弊害かもしれぬ。
冷水を浴びせているうちに、いつかこちらが浴びることになる。それも一興だと思うが、そういうことから距離を置こうと思ったらiPhoneの契約を打ち切るしかない。
便利だが、同時に不便でもある。そのおかげで時間が生まれ、そのせいで時間を奪われる。均衡しているならまだしもだが、どうやらそうではない。暮らしに深く根を張っているようで、そうではない。電気が止まれば、途端に困窮するようなものがもたらす日常は、見方によっては人生のあやふやさの象徴かもしれないが、頼みもしないのにそんな脆弱を教えてもらうことはないのだ。