目の前でゆっくりと死んでいくあなたが、トーストにマーガリンを塗る朝の食卓で


鈴木が首を吊ったという知らせをうけて
テーブルの上を見てみれば
なるほど
胡椒入れの横で
鈴木が首を吊っているから
いたたまれない気持ちになって
伸びきった首を掴んでロープを外してやると
鈴木嬉しそうにキャンキャン吠えて
テーブルの上を走り回って
季節はいつのまにか冬になって
鈴木真っ白な雪の上に
小さな足跡をつけながら走っていく
鈴木の後ろを追って
まだ新しい雪に足をとられながら
走っていくわたしのことなんか
振り返りもしない鈴木の背中が
大きくなって
小さくなって
また大きくなって
追う者と追われる者の関係は
もうすっかり消え果てて
それでも
走って走って走りつづけて
いつかの春の河原を越えて
饐えた臭いのする体育館を駆け抜けて
色とりどりの店が並ぶ商店街を突っ切って
走って走って走り続けたい
と願うわたしの足は
ゆっくりと固まってゆき
それでも鈴木は走りつづけて
みるみる小さくなっていく鈴木の
首には太いロープが巻かれていて
救う者と救われる者の関係は
正しく意味を失ってゆき
もう追いつくことのできない鈴木の姿が
テーブルの何処にもないことに気が付いて
目の前で不思議そうな顔をしているあなたの
首のあたりを眺めている

考察


〈海辺にて〉
水平線に帽子を被せている人を見た
世界と対等に向き合うということは
それほど
難しいことではないのかもしれない
子供たちに蹴飛ばされた波が
海の向こうで
砂浜に描かれた絵を消している
(あるいは誰かを暗い海の底へと)
傷つけることでしか
繋がれない時もある
じっと見つめられると
やはり
僕らは無口になってしまう


〈学校にて〉
先生をビーカーに入れて
塩酸で溶かすと
同じだけの虚しさが
胸の中に生まれた
誰かが質量保存の法則だ、と叫び
それはたぶん正しいことだった
その日
トスカーナ州の子供たちは
ピサの斜塔を蹴り倒し
てんで間違っている、と叫んだ
それもまた正しいことなのだろう
誰も間違わなかった日
世界は少し
間違っているように見える


〈野原にて〉
遠い山の向こうへと繋がる
七色の虹を
その人は背負っていた
重くないですか
と尋ねると
その人はすこし微笑んでから
紺色を手渡し
故郷の虹は六色でした
と寂しそうに呟いた
空っぽでいっぱいの野原の上を
風が吹き抜けていく
有ることも、無いことも
大して変わらないのかもしれない


〈会社にて〉
同期の桜が散ったから、夏
些細な変化は時計によく似ている
受付の女の子は朝からずっと
体温計を口に咥えたまま
お客さまの顔を忘れ続けている
(ところで、その娘の名前が思い出せない)
会社の七不思議はすべて
産業スパイに盗まれてしまったので
この会社は今日も
どこか遠い南の島に似ているような気がする
定時になり
受付の女の子がタイムカードを押す
36度2分の安心と絶望


〈駐車場にて〉
霊安室には
色とりどりの車が安置されている
存在とは形ではなく
温度で定義されるものらしい
すでに
どんな夏の思い出も
語ることのない麦わら帽子の穴に
誰かがキーを差し込む
ギアをバックに入れたまま
一人またひとりと
この場所から去っていく
住むべき世界はいつだって
世界のすぐ隣にあるのかもしれない
けれど
どれだけ速度を上げたとしても
僕らはもうその場所へ
たどり着くことはできない


〈再び海辺にて〉
砂の上に描かれた
いくつもの設計図は
飛び立つこともなく消えていった
海の向こうで
誰かが蹴飛ばした波に
取り留めもないもない言葉たちが
呑み込まれていく
もはや
どんな神もいない三次元の水平線で
始まりと終わりが明滅している
少しずつ薄れていきながら
僕たちは、祈るかわりに思考する

HENRY


「ヘンリーってのは
 どこの国のサッカー選手だい?」



ねえ、母さん
ヘンリーはアイルランドの選手だ
ヘンリーはアイルランドのカレッジのチームで
今日もベンチを温めている
ヘンリーの親父さんはスコットランド人で
それはそれは酷いサッカー狂いだけど
ヘンリーはそれほどサッカー狂いってわけでもないんだ
どちらかといえば6:4ぐらいで女の子に狂ってる


けど、母さん
ヘンリーは今日も死ぬほど必死で練習しているんだ
ヘンリーは監督とそりが合わなくてさ
今日はとうとうベンチにすら入れなかったよ
けれどヘンリーはそれほど下手なわけじゃない
ただちょっとアイツはドリブルが好きで周りが見えてないんだな
それに大好きだった女の子にふられたばかりで
落ち込んでもいたんだ


そうだ、母さん
ヘンリーはフォワードの選手なんだ
ヘンリーはとにかくセルフィッシュなプレイヤーでね
ボールを持っている奴が王様だなんて
アイルランド人のくせにブラジル人みたいなことを言うんだ
スコットランド人の親父は相変わらずのサッカー狂いだよ
そのせいでヘンリーが七歳のとき
母親は家を出ていってしまったんだけどさ



「ヘンリーのユニフォームは
 ずいぶんと日本代表のユニフォームに似ているねぇ」



ああ、母さん
それはヘンリーのユニフォームじゃないんだ
それはアンリのユニフォームなんだ
HENRYって書いて“アンリ”って読むんだ
アンリはフランス代表のスーパースターだ
本当だよ
ヘンリーはアイルランド人だし
特別な人間じゃないから
レ・ブルーのメンバーには選ばれないんだ
けれどヘンリーはサッカーを心から愛している
これも本当だよ
アンリがフランス国民の期待を一身に背負って
華麗なゴールを決めるとき
ヘンリーはサッカー狂の親父の期待を背負って
泥臭いゴールを決めるんだ


でも、母さん
アンリだってヘンリーだって一緒だろ
だれだってひとつの情熱の裏に
いくつもの人生を抱えているじゃないか
きっとアンリだってかつて
女の子にこっぴどくふられたこともあるさ
きっとヘンリーのゴールもいつか
親父以外の誰かの心に深く突き刺さる日がくるさ


だって、母さん
誰だって自分の才能のなかで
幸せになる権利ぐらい持っているだろ
なあ、そうだろ、そうじゃないか