おととい日本に到着し、2004年から2008年まで5年間住んだ六本木スウェーデン大使館(夫は在京スウェーデン大使館公使であった)のゲストアパートに荷をほどき、今日から早速軽井沢に来ている。私は時差ぼけというものをほとんどしないが、夫と娘2人はほうっておくとボケボケになってしまうので、時差ぼけ対策もかねて早速活動する。本当は新潟にスキーに行く予定だったのだが、雪がないので急遽軽井沢に変更。プリンスのスキー場には人口造雪機があるのでいつでも滑れる。これから3日間、子供たちはスキースクール、私は読書と温泉三昧。夫はというと、やはり時差ぼけで夜中じゅう本を読んで昼間は眠そうにしている。

朝子供をスキースクールに送り、ブラックベリーで数本のEメールに返事をし、NYで終わらなかったいくつかの仕事をした後、お茶を飲みながら読書。東京の本屋で、「日本はスウェーデンになるべきか」(PHP新書、高岡望 著)という本を見つけたので早速読んでみた。

この本の著者は、在スウェーデン日本大使館の現役公使である。いろいろなことを良く調べてあるだけでなく、実際にスウェーデンに住みスウェーデン社会とスウェーデン人と接する中での印象や経験がうまく織り込まれていて、近頃増えてきた「スウェーデン本」のなかでも良作であると思う。著者はスウェーデンの本質を「自立した強い個人」「規則に基づく組織力」「透明性」「連帯」の4つのキーワードに整理し、どのように「世界一の男女平等」「手厚い社会保障」「経済競争力」「中立外交」が可能となるのかを分析している。スウェーデン人の夫と数多くの知人・友人を持ち彼の地に5年暮らしたこともある私から見ても、この4つのキーワードは実に的確な描写だと思う。そして手厚い社会保障経済競争力の間に実はポジティブな相関関係があることを大変わかりやすく分析している。つまり失業保険など公的な社会保障が存在するゆえに、解雇倒産など市場原理に基づいて競争力と生産性を維持していくうえでの「必要悪」が国民を過度に圧迫することなく機能し、経済全体が競争力を保つことで成長を可能にしていく。失業した労働者は公的援助で再訓練され、流動的な労働市場の中で再就職していく。

私はおそらくこの本の著者よりも多くの国を住み比べてきたと思うが、いろいろな国に住んでみての私なりの結論は、やはりスウェーデンは人類社会が現時点で到達しうる理想的な社会のひとつなのだと思う。確かに税金はものすごく高いけれども(所得税ではないが私も納税者だ)、教育・福祉・医療は等しく保障されなおかつ政府の財政収支も基本的に黒字、そして経済競争力も成長率も日本を大きく上回る。国民が1ヵ月半の夏休みや1年の有給育児休暇を取るのに、働きずめの日本より経済がうまく行き、母子家庭であっても教育は大学まですべて無料だから子供たちが貧困を再生産して行くことはない。わが夫も父親を事故で早くに亡くし母子家庭で育ったのだが、将来への不安というものは感じたことがなかったそうだ。スウェーデン社会がここに到達するまでには国民が多くの努力をしてきたのだと思う。スウェーデン人は政治参加意識が非常に高い。選挙投票率も当然高いし、政党の青年組織なども活発で、国民一人一人が自分で社会を変革していくのだ!と思っている。以前、日本で見たニュースで大学生がインタビューで「・・・というような社会を作って欲しいと思います。」と答えていたのを聞いてがっかりしたことがあるが、スウェーデンの若者なら間違いなく「私たちはこういう社会を作ります。」と答えるであろう。ちなみにそういう「自力本願」の気質だからだろうか、わが夫も認めることだが概してスウェーデン人は「世界中がスウェーデンのような社会になるべきだ」とややもすると独善的に思っている。

もちろん私はスウェーデンを無条件で賛美するわけではない。この本では触れられていなくてすこしおどろいたのだが、スウェーデン社会のネガティブな特性のひとつとして非常によく知られているものに「ヤンテの法則」というものがある。これは要するに過剰な横並びの意識の強さのことで、平均よりも優れているものへの徹底的な嫉妬や反発心、「出る杭はたたく」というスウェーデン社会のあり方だ。このヤンテの法則は社会の様々なところに大きな影響を及ぼす。たとえば、スウェーデンの学校ではいわゆる通信簿というものが7年生か8年生(つまり中学校)になるまで存在しないという。ほかの子供たちより遅れていたり秀でていたり、というような比較をすることそのものが良くないという考え方らしい。(もっとも夫に言わせれば、「労働者」たる教員に負担をかけないようにするためという理由もあるのではないか、ということ。)以前ある国際機関で私の部下だった非常に有能な若いスウェーデン人は、名門のロンドン・スクール・オブ・エコノミクスとアメリカのSAISを卒業していることを履歴書に書いてしまったために、その後希望したスウェーデン政府の開発援助機関の採用面接でものすごいいやみを言われ、結局合格しなかった。面接官に「スウェーデンにも大学はあるのに、なぜ好んで外国の大学にいったのか。みんなと同じではだめだと思うのかね?」といわれたという。わが夫もフランスアメリカの一流大学院を出ているのだが、スウェーデンではかたくなに「ストックホルム大学卒業」のみでとおす。高学歴のエリート主義と思われると出世に響くのだそうだ。

要するに、スウェーデンは最大多数の平均的な市民にとっては最も住みやすい、やさしい社会なのだと思う。そしてスウェーデンがそういう社会であることを、「ヤンテ」でたたかれる人たちも含めて皆が誇りに思っている。前述の私の元部下のスウェーデン人は国連で数年海外赴任をした後、強く慰留されたにもかかわらず辞職して母国に戻った。今は2人の子供の父親になった彼は、スウェーデンで子供たちに人間として本当に豊かな生活をさせてやりたいと言う。

日本はスウェーデンになるべきか?私の個人的な答えは、イエススウェーデン的な社会に移行するべきだと考える。大きく分けてアメリカ型とヨーロッパ型の社会があるとすれば、最大公約数の人間が幸せになれるのはヨーロッパ的もっと言えばスウェーデン型の社会であろう。問題はそこに移行するまでのプロセスをいかに設計するかだ。今の民主党政治家たちにもう少し知恵があれば、本当の「政治主導」とは何でも自分たちでやることではなく、大きなヴィジョンを提示し日本一シンクタンク霞が関官僚たちに、そのヴィジョンへの移行プロセスの詳細を設計させることだと理解するべきなのだが。

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