「負け。」(日記)

 
 名古屋駅から職場までの道程はただでさえ寒いってのにもぅすんごいビル風が
吹きまくりでただでさえ無い勤労意欲が更に無くなっていくような朝、風に吹かれ
て何処からか来たビニール紐の輪っかのゴミに足をとられてズッこけるものの、
そんな私を見てせせら笑ってた嬢ちゃんが杜撰な舗装の歩道のタイルの継ぎ目
に引っ掛かって顔からダイブするかのようにブッ転んで鞄の中身を全部ブチ撒け
て。あまりにあんまりなブッ転び方に思わず
「大丈夫ですか?」
 と声をかけたら物凄い形相で睨まれてスゴスゴと助ける事もせず去る私は負け。
 

 『ナチョ・リブレ 覆面の神様 (NACHO LIBRE (2006))』

 
 育った孤児院の料理役のイグナシオ(ジャック・ブラック)は子供の頃からのルチャ・リブレ好き。町のトップスター・ラムセスの人気と豪華ないでたちや振る舞いに憧れを感じるのだが教会では暴力と己の名声欲にまみれているとされているルチャ・リブレを観る事も善くないとされているくらいで憧れだけでいるつもりだったのだが、ある日町でルチャ・リブレの会場での新人募集を知り、孤児院の子供達にもっと美味しい物を食べてもらいたい、ついでに赴任してきたシスター・エンカルナシオン(アナ・デ・ラ・レゲラ)にも… という目的の為に未洗礼で科学信奉者のスティーブン(エクトル・ヒメネス)と自己流のトレーニングを積み試合に臨むのだが…
 
Napoleon Dynamite (2003)』での色彩感覚と妙ぅな間合いや空気管、雰囲気が好きな私には楽しめた作品なんですが、これまた出来がいい映画だとは思えないんだけど困った事に嫌いじゃぁないんですよな… 「役者に頼り過ぎじゃね?」「エピソードの積み重ねが足りなくね?」「ルチャのデティールが酷くね?」「と言うかラムセスったらテクニコでしょがルードじゃないでしょ〜」「NWAルールじゃ両者リングアウトは王座移動無しだろ〜」とか、まぁ言いたい事は多いんですが、多分この監督と脚本は知ってはいるもののあえてそうしたって感じがするんですよな、ベッタベタなお話の部分と妙にリアリティ溢れるカットから察するに。で、それについてツッコミを入れるのはまぁ野暮で、後はもぅ好き嫌いの話になりますがな。で、それを見越しての匙加減を厭らしいと嫌うかプロとして好ましく思うのかも… っとなるんではないかと。
 
 ええ私、個人的には好きですよ。
自分がどう見えるのかを完璧に解っているであろうジャック・ブラックの動きは何もかも反則(笑)。その演技が細かく繊細な分だけ奇天烈になるんですよね。脇を支える出演者らも落ち着いていて安心して観られましたしなぁ… って事で、緩く呆けるにはいい映画でありますよ、っと。
 

 『青い沼の女+中・短篇集』

 レンタルで視聴。レンタルで良かったですわ。
 
収録作品はTVドラマの「青い沼の女 (1986)」、初映画監督作品で大島渚脚本の「宵闇せまれば (1969)」、ハイビジョンのプレゼンテーション用のイメージビデオ「春への憧れ」「東京幻夢」と、AVの「いじめて、ください。アリエッタ arietta (1989)」の撮影に使った舞台を実相寺監督が訪ねて思い出話をダラダラと語る「都電荒川線」、という構成になっていますが… ぶっちゃけ映画としての体裁になっているのは「宵闇せまれば」だけですが、これにしても【いつの時代も若者は閉塞感に倦んでいる】という要素以外は特に映画である必然性を感じない、芝居の舞台での方が合っているものですしねぇ… 「春への憧れ」「東京幻夢」は元々ハイビジョンソフトだからDVD化へのダウングレードで狙った意図や実際の画面のディティールが無くなっているんで散漫なイメージビデオにしかなってないんですよな。
 
 で、
 
思うんですけど実相寺監督ってあまり予算や製作日数やスタッフを揃えて贅沢にすると駄目な人なんじゃぁないかなぁ? 予算が無いからこそ光と影のコントラストの強調で埋めたりアングルに凝る事が出来たんではないかと。でも、それが実相寺だという世評っか評価の枠に自縄自縛になってしまってたんじゃぁないかと。また、確かに脚本も小説も遺していますが、あくまでも「映画を創る人」ではなく「映像を造る人」だったんじゃぁないのかなぁ… でも、引き出しはあんまり無かったんじゃぁないのかなぁ… 実相寺監督の不幸は、佐々木守以外に自分のイメージなりを整理し脚本化してくれる気持ちの通じる人がいなかった事ではないのかなぁ… っと思ったり思わなかったり。
まぁぶっちゃけ退屈でありました、っと。これなら私は「曼陀羅 (1971)」を観た方がずっと刺激的で尖っていていいと思いますわ、ハイ。
 

 映画関連雑記。

 

 
 1スクリーンあたりの興行収入の落ち深刻
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080205-00000000-vari-ent

 

 
「興行を先導していく中心的な作品がない。興収10億円ほどの作品が並んでも、上映館数が多いわけだから、1スクリーンあたりでは厳しくなる」
 と言うのは一面の真実ではあろうが実際には中心的な作品も観に行こうとする観客を育てる為のバラエティ豊かな作品上映がなされていない、という事も一因では無いのかなぁ… っと思うんですけども。そりゃまぁ私の子供の頃と比べればシネコンで上映される数は増えて映画館も綺麗で席数分しかチケット販売しないからゆっくりと座って安心して観られるなんてのは想像も出来なかったもんですが、色々な割引があるっても基本入場料は大人で1800円で、パンフやら買ったら3000円は覚悟しなきゃならんじゃないですか。で、兎に角レンタルに並ぶまでの期間が短い上に、似たような内容と出演者と宣伝がなされる作品にそもそも映画館で上映するだけの必然性の無いってや、観客側がこれだけ地デジ前って事で16:9比率のTVが増えていて慣れていっているのに製作者側が4:3比率でしか画面を作れていない、とか色々な要素もあるとは思うんだけども、或る程度の都市規模になるとシネコンが乱立していても上映される作品は殆ど同じラインナップってのはシネコンというシステム上仕方無いにしても、これだけ「泣ける映画」ばかりが並ばれてもなぁ… っと思うんですよね。でなきゃ続編、TVからの企画物って既視感のあるものが多くて。
 大体、先に挙げた関係者の発言自体もおかしくてね、例えば
 
「出版界を先導していく中心的な作品や作家がない。印税10億円ほどの作品が並んでも、本屋数が多いわけだから、1店舗あたりでは厳しくなる。」
 
「ゲーム業界を先導していく中心的な作品がない。売上100万本ほどの作品が並んでも、ソフトハウスが多いわけだから、1ハードあたりでは厳しくなる。」
 
「興行を先導していく中心的な選手がいない。興収10億円ほどの興行が並んでも、団体数が多いわけだから、1選手あたりでは厳しくなる」
 
 …というのは無茶なすり替え&屁理屈ですけども、お客を育てる事もしないでただただソフトの数を増やしたトコロでシステムや帳面の上では損をしないのかもしれんけれどお客だってそんなに馬鹿じゃぁないし第一飽きてきまさぁな。その上、どう考えたってこれだけ核家族化、価値観の多様化が言われて久しいのに社会的なヒットとなりうる作品なんて恒常的に出続ける筈が無いじゃない。博打で言えば00や天和狙い、大穴三連単一点張りしてるようなもんで、それで一年通しでプラスになるなんて有り得ないじゃぁねぇですか…
 
 
 ってのはどうでもいい前書きとして、
 
 
 私、素朴な疑問なんですけど、
「それだけ不入りだの何だのってのなら、常に最新作ばかり小屋にかける必要ってあるのん?」
 って思うんですよ。
例えばAという作品を1日6回上映するとして、あまり客が入らないようなら最初1回目と最後の6回目は過去の名作を低料金で上映するってのは駄目なんでしょうか? 地元のシネコンの上映予定とかを観ているとマイナーな作品とかを複数こうやって上映しているんですから、それが古典やちょっと前のヒット作にしたってそないに変わるものとも思えないんですよ。朝の一回目は学生さん向け、最後のはカップルや夫婦向けで、二人で\1500くらいの価格設定にして、あの観客に対して物凄く失礼な「映画が汚されてゆく…」CMやTVCM等は上映しない、ってだけでも随分と違うと思うんですよね。
 何故こんな事を?っと思う人もいるやもしれませんが、オリジナルではドルビーステレオだったのがDVD化の際にサラウンド化した作品って多いじゃぁないですか。昔のフィルムの時どう考えてもプリント状態が悪いとしか思えない版でしか観れなかった作品やらがデジタルリマスターされてソフト化されてる事もあるじゃぁないですか。
 確かにレンタルで借りられるだろうしからそんなに客が入るものとも思えませんが、どうせ客が入らない作品をかけるくらいだったら東京や大阪のような大都市でしかやらないような名作映画のリマスター版上映とか週なり曜日なりでの連続企画とかをしてもいいんじゃぁないんでしょうかね? これが映画館独自で… っとなったらそりゃぁ大変でしょうがシネコンならば系列単位で企画すりゃぁ済む話じゃぁないですか。
 土台、現在主流のい製作委員会方式なんてのはサブプライムローンどころかマルチ商法と似たようなもんで真っ当な観客やユーザーが損をするシステムでしかないじゃぁないですか。そんなのがいつまでも続くワケが無いし、なのにまだ利益の為のソフト数の乱発をしたトコロで「悪貨は良貨を駆逐する」のと同じで、既に出版業界が辿ってる道じゃぁないですか。で、現状そうなりつつあるってだけの話だとしか思えないんですよな… だから出来る事として、これだけHDリマスター版とかも増えたんだし、デジタルデータでのやり取りも出来るようになったんだから昔の映画でも上映したっていいと思うんですよね、私は。
 
 賭場だってひたすら胴元が儲けるばっかりなのが見え見えんトコなんて潰れるっての。何処かで客に返してやってるようなイメージをちゃんと与えておかないと誰も寄り付かないよ? リスクが大きい分リターンも大きいからこそ鉄火場に向かう人もいるのに、リスクばっかでリターンが無い賭場なんてだたの泥棒ですがな。だけど現状ったら、ちゃんと正規のお金を払ったお客やユーザーまで泥棒扱いしているってどういう事よ? で、与えられるのがどれもこうれも似たような、同じような、何処かで観たような映画館で上映するだけの必然性の薄い、内容も特に無いモノばっかりで、しかも数ヵ月後には映画館の入場料の半額以下で借りられるレンタル店に並ぶんでしょ? で、映画好きが観たい作品は東京か大阪の劇場でかかるだけでもマシで下手すりゃDVDスルーさえ無い。世界から見てもぅ日本という市場はそんなに美味しくもないという認識が出来つつあるのは『Hot Fuzz』やインド映画を見れば解るじゃぁないですか。もぅ充分に興収を得ているのなら、わざわざ手間とコストをかけてまで大した金にもならんのに上映してあげなきゃならない必要は無いんですもん。で、レンタル店の棚埋めの為の都合で量産される邦画が洋画になぞ勝てるワケがないじゃないですか。市場開拓もしてない、観客は泥棒扱い、エンドユーザーは搾取される奴隷、映画会社にとっての「お客」はレンタルビデオチェーン店本部、ってな産業構造の中で利益を出す為にしかやってない中でいくらいい作品があったって埋もれてしまいますがな…
 
 映画も娯楽で、娯楽は消費財だからこそとっとと利益を搾り取れるだけ絞る事が重要って商売それ自体も1つの方法だと思うんですよ。でも、その利益をどう使うか?ってのが結局業界を肥えさせる為に廻すしかしていないのならば、口が腐っても文化だと言ってくれるな。過去を蔑ろにし、軽んじるのならば芸術と言ってくれるな。娯楽商品だと言うのならば、もっと品揃えをしてみせろや。今まで利益のみでしかやってこなかったからこその現状でしかないじゃないか。なのに変わろうとしないんだったら潰れるなり吸収されるなりするしかねぇんじゃぁねぇの? コンテンツの数がいくら増えたって棚は埋まるけど観る客がいなきゃぁただの飾り、最早映画がイベントにはなり難い情況になったのならば、せめて裾野を耕して拡げるしかねぇんじゃねぇの? 今の日本の映画業界がやってる事は焼畑どころかただの泥棒で、稼ぎが少なくなったからといったって「泥棒に言われたくねぇよ」ってしか思えないんですよ、私は。