「都合と気分。」

 
 初めてTVでタモリを観た時、祖母は
「この人、目が悪いのに何で昼間のテレビに出てるの?」
 と言った。別にタモリは目が悪いワケでは無い事を説明すると、
「メガネかけてテレビに出るなんて、なんて行儀が悪い奴だ!」
 と怒ったのはもぅ30年以上前の事で… その祖母も死んだのはひと昔前だが、サングラスをかけたままテレビ等の人前に出るという事が不作法、反抗的、反社会的だと評される、今で言う「炎上」みたいになっていたのも、もぅひと昔以上前の話で。
 
 
落語にも視覚障害者が出てくる話はいくつもあるけど今じゃ寄席くらいでしか聴けないネタになっている以前に、例えば『真田小僧』の父親からお金を巻き上げる”引き”のように、もぅ今では馴染みが薄い、若しくは合ってない、ピンとこないネタも一杯ある。視覚障碍者だからといって日常サングラスをかけ杖と持っているのとは限らないように、健常者が日常的にサングラスをかけ白杖を持っていてもおかしかない、ってご時世になったけれども、時折そういう時代ってどうなんだろう?と思うのは私が思春期に入り始めた頃に24時間テレビ 「愛は地球を救う」以降、年々障害者への社会制度体制や法律が整備され、人権の名のもとに言葉狩りが成されていったのをずっと見てきたからなんですよね…
 
 
左目の角膜移植手術を受けて既に一年以上、経過安定&良好なれど、医師からは
【頭部への衝撃。】
【埃などを目に入れないようにする。】
 そして
【紫外線をなるべく避ける。】
 と、今も言われている。
去年の手術後より外出時はサングラスをかけているのが日常で、そも日常なればなるべくならば紫外線のカットだけでなく埃除けも… って事で眼鏡屋で購入したレイバンをかけている。自分の顔の形に合っていてカバーする範囲と性能、そして長時間かけていても疲れない等の機能ってので妻と一緒に選んだ品だけども、それをファッション、カッコつけと見ず知らずの通行人らに揶揄、嘲笑されてるのが日常で。まぁ現市長からして差別主義者の名古屋って土地柄だから、ってのは置いても「サングラス=目が悪い人」ってのはもぅ遠い昔の話になっているんだろうて。だから、なんだけど、顔面が丸焼けでかけているサングラスをファッション、カッコつけとするのが普通となってる現在ってのは豊かということでもあり、幸せな事であるのだろう。でも、何れにせよ悪目立ちになってもサングラスをかけている事でなんとなく周囲が察してくれていた昔が何もかも駄目で貧しく不幸だとも思えない。勿論、今が昔が良かったという感傷も無いのだし…