「つぎの日ちきゅうがばくはつしておわり」の世代論

子供の頃、ある程度の年齢になったとき、小説なり口述なり漫画なり、表現方法はなんであれ、自分ならではの物語をある程度まとまった形にしようとした経験は、世代を問わず多数の人にあるものと思う。そしてまた、結局はまとめきれずに放棄した経験も、多数に共通するものだろう。

しかし、だ。ここからが本題なのだが、物語がまとまらず、しかし何かしらの結末をつけたいと思ったとき、最後はどう締めくくっただろうか。

私にとって「あるある」と頷く結末は、「つぎの日ちきゅうがばくはつしておわり」だ。自分自身が作った物語をそう締めくくったか、それは覚えていない。だが、子供の物語とは確かにそういうものだった。「20世紀少年」も、この感覚の上に成り立っていると言っていいだろう。

だが待て。それは「子供の物語とはそういうもの」なのか。ひょっとすると、「ある時代の子供の物語とはそういうもの」なのではないか。

我々はかつて、明日地球が爆発して終わる世界を生きていた。その世界の感覚を、今の子供たちが受け継いでいるとは考えにくいのだが……。ならば今の子供たちは、まとまらない物語を終わらせるのに、どんな結末を付けているのだろう。教育学か児童文化かなにかの専門家がそれを研究して、私にも読める本にまとめていればと思う。