奥山線の遺構【金指、亀山トンネル】

静岡旅行シリーズ。3月3日、気賀駅周辺をひととおり歩き回った後は天浜線ディーゼルカーに乗って2つ先の金指へ。
目当てはこの、車内からも見える……。

遠州鉄道奥山線の遺構だ。

奥山線(おくやません)は、かつて静岡県西部、浜松市の遠鉄浜松駅(現・遠州病院駅)から三方原台地を北上して日本国有鉄道国鉄二俣線金指駅を経由し、引佐町(現・浜松市)の奥山駅との間を結んでいた、遠州鉄道鉄道路線軌間762mmの軽便鉄道
元は浜松鉄道(開業当時は濱松軽便鉄道)という、遠州鉄道とは別の私鉄だったが、戦後に合併し遠州鉄道奥山線となった。また1950年(昭和25年)に途中の曳馬野まで電化され、曳馬野以北からの気動車と併結運転(協調運転ではない)したりもしていた。
戦後のモータリゼーション到来により業績を落とし、1963年(昭和38年)の区間廃止を経て、翌1964年(昭和39年)に全線廃止された。
 
(略)
ところで、国鉄二俣西線(後の国鉄二俣線、現・天竜浜名湖鉄道)が1938年(昭和13年)に金指乗り入れを果たし、浜松鉄道と交差することとなった。このようなケースでは、後から開業した線が陸橋等を築いて昔からの線を跨ぐのが通例だが、二俣線の場合は国鉄東海道本線の非常時迂回線と考えられていたことからか、浜松鉄道の方が陸橋を建設し二俣線を跨いだ。この陸橋の遺構は今なお残る。
 
ウィキペディア遠州鉄道奥山線」>


東側にある踏切から眺める。

まぁぶっちゃけ、取り壊すのも手間だからほったらかしにされているのだが、それにしても堂々としたものだ。

公道上からでも間近に見ることができる。

こうして見ると発射台か何かのようだ。
踏切を渡って北側へ。


これほどの遺構を全周から間近に見られるのだから、わざわざ来た甲斐があった。
奥山線は1964年に廃止されたが、その後継というべき、浜松駅前から金指を経由して奥山に至るバス路線は今も健在。私はその路線に乗って、金指から浜松市街を目指す。
次なる目的地は、これまた奥山線の遺構の亀山トンネル。だがこの日の情報源の『浜松ジオラマファクトリー開館記念公式パンフレット』には 「浜松城公園とホテルコンコルドの間に、ひっそりと佇む小道がある。……そのまま進むと現れるレンガ造りのトンネル」 とあるだけで、どこにあるのかイマイチ判然としない。
まぁいい、このあたりに違いないさと「美術館前」というバス停で降りて、浜松城なども見ながらホテルコンコルドのほうへ回り込む。

……遠く小道の果てに、かすかにトンネルが見えた。

そしてたどり着く。姫街道の下を抜けるトンネルなのだった。

赤い★が降りたバス停、青い★がトンネルの位置。赤線がたどったルート。ムダに浜松城公園をグルっと4分の3周してしまったのだった。

トンネルの上から今来た小道を眺める。

トンネルの壁面には往時の奥山線を捉えた写真パネルが何枚も貼られており、地元に大切にされていると伝わってきた。
うん、まぁ…ね。大切にされているのは、それはもちろんいいことなのだが……。

トンネルを抜けて西側。通行者も多く、現役のトンネルとして役目を果たしているようだ。
うん、まぁ…ね。ただそこにあるだけの遺構より、何かしらの役目を果たしているほうがもちろんいいのだが……。
それにしても、レンガ造りでなくタイル貼りなのは正直ガッカリ。止むを得ないこととは思うが、ガッカリはガッカリ。

<3月1〜3日の静岡旅行レポート>
「航空自衛隊浜松広報館」 「浜松ディオラマファクトリー」 「遠州鉄道」
「弁天島」 「スズキ歴史館」 「大井川鉄道」
インターミッション
「天浜線気賀駅の周辺」 「奥山線の遺構【金指、亀山トンネル】」
「鴨江別館・木下恵介記念館」
「JR東海浜松工場〜堀留ポッポ道」

いたわりゾーン

浜松城公園の近くで見かけた、ちょっと変わった標識。

どことなく微笑ましいデザインで、趣旨もなんとなくわかるのだが……。
「いたわりゾーン ここまで」なのだ。
ということは、「ここ」を越えた次の瞬間、この老人は……などと想像してしまった。