熊谷市街

というわけで5日に熊谷で見てきたものなど。

知らず行き着いた公園には「名勝熊谷堤」なる土手があった。桜にちなむ石碑がやたらと建っており、地元では知られた花の名所のようだ。

そんなことより気になるのがこれ。


かつて交通公園として整備されたが(2010年5月7日付参照)、今はその機能を果たしておらず、荒れるままになっている。


船の形をした遊具。

廃線跡

少し離れて、汽車・客車を模した遊具と「駅」がある。この路面には踏切を模した設備があったのだろう。かつては踏切以外の部分にもレールが敷かれていたのかもしれない。

こういう写真だけ並べるとまるで廃園のようだが、実際には好天の休日らしく親子連れが多数訪れていた。「交通」抜きの公園、市民の憩いの場としては今も機能を果たしている。

さて、誰も気付いていない、というか気にしていないと思うが、大塚康生展が催された八木橋百貨店と万平公園では駅を中心とした点対称様に反対側である。

そう、道に迷ったのだ。

いったん駅まで戻り、スマホの地図で経路を検索する。アンドロイド標準の地図(ほぼGoogleマップ)は実に優秀で……。

「このコミュニティ広場を斜めに突っ切れ」というルートを提示した。他のケースでは、人ひとり分の幅しかない路地をルートに含むこともままある。ちゃんと「歩行者にとって最短のルート」を提示するのは立派だが、「いやここホントに通っていいの?」と戸惑うこともしばしば。

八木橋百貨店近くにある伊奈利神社、のはずだがほとんど自転車置き場。「罰当たりどもめ!」と思わなくもないが、この自転車置き場があるからここまで買い物に来る、という人も少なくないはずで、お稲荷様らしく周囲の商店に商売繁盛の御利益をもたらしている……と言っていいのか?

大塚康生展を見終えて上熊谷駅方面に向かってみる。八木橋百貨店のすぐ近くにある、実に看板然とした看板建築。

なかなか時代がかった上熊谷駅ホーム上屋。駅には結局入らなかった。元は1面2線の島式ホームだったが1線のみに改められ、写真手前側にはフェンスが設置されている。


廃止された番線側は、レールは一応残されているものの踏切が埋められており、列車が通ることはない。急行は止まらない駅なのだから通過用に残しておいても良さそうなものだが。
うん? いや、待てよ?


こちら側を廃止して駅舎から遠い側を生かせば構内踏切を廃止できたじゃないか。どうしてこっちを生かしたのだろう。


近くにイオンがあるのて冷やかしに行く。その途中にあった八坂神社には「鳶職組合之碑」「木遣塚」があった。このあたりは鳶職の多い町だったのだろうが、何故だろう?


イオンに隣接して、製糸工場の建物を転用した片倉シルク記念館(画像左の二棟)。おそらく元は一帯が工場の敷地だったが、この二棟だけ残して再開発され、イオン(元はサティ)とその駐車場になったのだろう。片倉シルク記念館は見学無料なので覗いてみたが、私の琴線に触れるものは無し。

ここまで来たなら、と秩父鉄道石原駅を目指して歩き出す。徒歩で10分強、大した距離じゃない。

……その途中、妙に幅のある、どうやら長く続いているらしい遊歩道と交差する。経験的に言ってこの種の遊歩道は、暗渠化された川の上か、でなければ廃線跡だ。

スマホで地図を確認。予想通り、秩父鉄道から分岐するような形でゆるやかなカーブを描いている。工場への引き込み線の跡か、でなければJR(国鉄)高崎線との連絡線の跡か。

「他に行くとこもないし、行けるとこまでいっちょたどってみるか」

このときの私は知らなかったのだ。
これがあの、長い旅の始まりだとは。つづく。