秋田県阿仁合駅周辺

6月初めの東北旅行の話の続き。
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阿仁合駅舎はどーんと三角形を成すが「だから何?」と言わざるを得ない。
この阿仁合には7時59分着で、9時17分発の「急行もりよし」1号に乗ってさらに南下という計画だったから、滞在できたのは1時間ちょっと。ただ、下調べの段階でさほど見るものもないとわかっていたので、そのあたりはさして問題にならなかった。

阿仁鉱山(あにこうざん)は、秋田県北秋田市にあった鉱山である。金、銀、銅が採掘され、とくに銀鉱、銅鉱の産出が多く、1716年(享保元年)には産銅日本一となり、長崎輸出銅の主要部分を占めた。御用鉱山から久保田藩秋田藩)の藩営となり、明治初年に官営鉱山となったのち、1885年(明治18年)に古河市兵衛に払い下げられた。閉山されたのは、1978年(昭和53年)のことであった。
 
(フリー百科事典ウィキペディア「阿仁鉱山」)

秋田縦貫線阿仁合駅周辺はその「鉱山の町」の中心だったはずなのだが、現在は往時を偲ばせるものはほとんど残っていない。

ほとんど唯一の例外がこの「宮越家」。なのだが観光パンフには「旧家の宮越家があり、間口11間の建物は阿仁の街が鉱山で栄えていた往時を偲ばせてくれる」という何の説明にもなってない解説があるだけ。呉服屋の大店だったらしいが、他にこれほどの建物はあったのか無かったのか、あったとしたらなぜこれだけが残ったのかなど気になることはいろいろとあるのだが。

そんな街中で、さりげなく鉱山の町をアピールするのがこのブロック。これも観光パンフには「鉱山の町だった名残を示すカラミ石」という何の説明にもなってない解説があって、私も初めはスルーしていたのだが……。

この丸いのも同じくカラミなのだ。

「〓(金へんに暖のつくり)」(カラミ)
「〓」は、砕いた鉱石を溶鉱炉で溶かして、銅と不純物に分類した〓滓のことをいいます。
「〓」は「粒状」、「なべ型」、「角型」、また古いものには「間吹き〓」の4種類あり、粒状の〓は、この地区一帯に捨てられ、「〓」の上に建っている家屋もあり、また「〓山」も随所に見られました。
「角型」は家屋の土台や、石垣等に利用されるようになり、町のいたるところに見ることが出来ます。
(略)
1988年(昭和63年)11月
阿仁町教育委員会

これは異人館の裏手の屋外にあった「カラミ」の展示の解説板。そういうわけで、街中でなんとなく見かけたり見過ごしたりする黒いブロックの塀も、実は鉱山の街ならではの風景なのである。
http://club.kobe-np.co.jp/mint/article/odekake/ishizue20050414.html
遠く離れた兵庫県朝来市生野のことだが、カラミ石絡みで(シャレではない)景観形成地区とされた場所があるとのこと。
 

そしてこれが、阿仁合最大の観光要素である「阿仁異人館」。

阿仁異人館とは
明治12年(1879)に来山したアドルフ・メッケルらドイツ技師の官舎として建てられた二棟の内の今も残るひとつ。
メッケルらの離任後、この異人館は政府高官や鉱山関係者のための娯楽施設、迎賓館として利用された。二棟のうち一棟は昭和28年1月に焼失。残った一棟は昭和31年5月、秋田県有形文化財に指定され、平成2年3月には国の重要文化財の指定を受けた。
ルネッサンスゴシック建築で、四囲に巡らしたベランダはコロニアル・スタイル。切り妻の屋根、アーチ型の窓、鎧戸、レンガ、と異国情緒漂う建物である。のちの洋式建築の象徴といわれる鹿鳴館ニコライ堂より先駆けて建てられておりヨーロッパ人と洋館に初めて接する日本人に激しいカルチャーショックを与えた。
 
http://www.ani-ijinkan.com/ijimiryoku.html


この種の保存建築には珍しく、屋根裏部屋に入ることもできる。
ところで。阿仁合駅の開業は昭和11年(1936)、この建物が建てられたのは明治12年(1879)で、なのに駅前に建っている。だから初めはどこから移築したものと思い込んでいたのだが、どうやら最初からここに建っていたらしい。
改めて地図を見ると、阿仁川に沿ったこのあたりの平地にしか駅は作りようが無いようにみえる。つまり駅前に官舎が建ったのではなく、官舎がある近くに駅が開業した、ということのようだ。

鉄道関連で面白かったのがこれ、阿仁伝承館の屋外展示。鉱石の運搬用としてトロッコ路線に使われていたものだが……。

日本最初のレール
明治5年新橋〜横浜間で使用した日本最初の鉄道レールで、当時、政府より払下げを受け阿仁町の現在の小沢から水無間を鉱石の運搬用として設置されたレールである。

とのこと。

車両はこんな、「阿仁鉱山で昭和34年頃から昭和45年頃まで使用したローダーと鉄鉱車」なんてのもあったが、屋根が架けられているため柱が邪魔でよく写せなかった。