東北旅行#11 / 塩竃

7月19、20、21日の東北旅行の話は今回でおしまい。

松島の後は塩釜に立ち寄った。駅でいうと本塩釜。これは前夜、仙石線沿線の観光情報を検索したところ、ちょうど21日(海の日)に「塩竈みなと祭」なるイベントがあると知ったため。
http://kankoubussan.shiogama.miyagi.jp/?page_id=580

しかし肝心の「鳳凰丸」「龍鳳丸」は影さえ見えない。本番の時間に間に合わないのはわかっており、それでも「しばらくは停泊するだろう」と踏んで海べりに足を運んだのだが、とんだ見込み違いだった。

とりあえず海沿いをフラフラ歩いてみる。これは津波被害を後生に伝えるためのモニュメント。「津波高さ2.3m」とあった。

何も見ないで引き返すのもしゃくなので塩竃神社に向かう。こちらもお祭りのまっただ中、通りを車両通行止めにして「よしこの鹽竈パレード」などが披露されたようだが、時間が合わず見損ねる。

どこかの高校が作ったガンダムとザク。ガンダムといっても『第08MS小隊』のRX-79[G]、ザクといっても『0083』のカトキザク連邦色という、微妙というか妙な取り合わせ。

鳥居が見えたのでそちらに向かう。後で知ったことだがこちらは東参道だそうだ。

東参道の途中でなにやら日本家屋が公開中のようだったので立ち寄ってみる。
ここは「亀井邸」。

鹽竈神社裏坂の大鳥井をくぐり、左手の高台を見上げると、赤松に囲まれた洋館と和風住宅が見えます。これは、亀井商店(現・総合商社カメイ(株))の初代社長の亀井文平氏大正13年に建てた塩釜港の繁栄と亀井商店の隆盛を象徴する建物です。

亀井邸は建築史的に見ると「和洋併置式住宅」と呼ばれる様式の建物です。この様式は、明治時代、上流階級(皇族、華族階級)の大邸宅に用いれられた「和洋二館住宅」を庶民(といっても相当な上層階級)にも手が届くようにしたもので、伝統的な和館(日本建築)に洋館(西洋建築)を併置して建てられています。和館と洋館、共に豊富な資金と、優れた材料、優れた技術が投入され、随所に当時流行した様々な意匠を取り込みつつ相当に手をかけて造りこんでいます。
(略)
洋館の建具には、数寄屋建築に見られる丸窓や幾何学的形態や機能美を求めたアールデコ様式を採用し、家具には宮城県地方独特な室内装飾である押込箪笥(桐箪笥)を大胆に用いています。和館二階の雪見障子にも、当時の工法で作った砂磨りガラスを用いているほか、建具の取手もひとつひとつ手作りで、一階の離れには七宝焼きの取手や二階の小部屋には日本石油(現・新日本石油)の社章である「こうもり印」をかたどった鋳物の取手など、地元の固有デザインが取り入れられています。
(略)
(「文化の港 シオーモ」 > 博物館 > 亀井邸 http://shiomo.jp/archives/1057






昔のタンク車に描かれているをよく見かけた日本石油の社章。一つ目小僧がヤジロベエになったようなデザインだが、これはコウモリだという。

日本石油創立時の晩餐会に一匹の蝙蝠が舞い込み、「蝠」は「福」と同音であり、福が舞い込んだとされ、社章になったという史実がしのばれます。
(現地の解説板より)

この部屋は、ふすまの取手や、欄間の透かし彫り(この写真には写っていないが)もコウモリをかたどっている。

一階には往年の塩竃港を再現した精巧なジオラマが飾られていた。

この後、塩竃神社を参拝。駅へと戻る途中で亀井邸を見上げてみたがご覧のとおり、どこにあるのかもよくわからない状態で、建物の外観が捉えられなかったのが残念。



かくして2泊3日の東北旅行はおしまい。本塩釜駅から仙台、仙台から新幹線で、いったん宇都宮で降りて……と続くのだがあえて書くべきことも無し。