エアカーがebayに出品されていた【10万ドルの廃車体】

ふと思い立って Curtiss-Wright air car で画像検索をかけてみた。するとデビュー当時の実車写真やレンダリングに混じって全く予想外のものがヒットした。エアカーの、なんと廃車体だ!

画像の出所を探ると、2015年10月にebayで売りに出されたものだった。実物大模型や映画の大道具などではない正真正銘実車のエアカー、ただし廃車体。現状ママで約10万ドルで落札されたらしい。9点もの写真が添付されている。
http://www.ebay.com/itm/272026367775



……ebayの見方がよくわからない、ひょっとしたら10万ドルで出品されて買い手が付かなかったのかも。
 
さて、そもそもこのカーチス・ライト社のエア・カー2500(以下カーチス・エアカー)とは何かというと、世界初の市販エアカーだ。定義によっては(パッと見で船っぽいのはホバークラフトに分類するなら)史上唯一の市販エアカーともいえる。
時期や撮影者などの詳細は不明ですがyoutubeにはけっこう動画が上がってます。前にも何度か取り上げてますが改めて。
https://www.youtube.com/watch?v=ajvqBbEz0x4
カラーの動画もある。
https://www.youtube.com/watch?v=fa2e2ymCsd4
不勉強につき何語かわからないのですが(クロアチア語?)、英語でない動画もありました。
https://www.youtube.com/watch?v=BEgm2595Tu8
 
話戻って昭和34年(1959)年の日本。エアカーは一般紙でも記事になってました。朝日新聞8月14日号10面、ごく小さい記事ですが「米で車輪の無い自動車 11月から生産」。


クラッチがなく」は多分誤訳だけど原文が分からない。地上モードと水上モードの「切り替えがなく」の意味だった?
 
生産が始まった段階での専門誌の記事。『自動車工学』誌、昭和34年(1959)12月号の海外ニュース、「生産に入ったエア・カー」。

昨今話題の"フュエル・セル"(燃料電池)の記事が並んで誌面を飾っていることに少々複雑な想いがします。

にしても、この段階の記事でも写真でなくイラストなのが不思議。それとキャプションで「4人乗り」といいつつ後席が無い。畳んだ幌の置き場の下に後席があるのかと思ったがそうでもなく、どうも前席に4人が一列に並ぶ模様(スペックだけで実質3人乗りだとは思う)。
 
年明けて、これも『自動車工学』誌、昭和35年(1960年)3月号の「エア・カー時代 空飛ぶ自動車いろいろ」という小特集。


他社のも色々面白いんですがともかくカーチス・エアカーを見てみると「現在唯一の市販エア・カー」と書かれています。

しかし後年の『ソビエトの少年科学2 エア・カー』(邦訳昭和42年)は「このエア・カーは、進行する場合に必要な安全性を保証することができなかったので、アメリカの道路で使うことは許可されませんでした。(略)実験用のエア・カーを作っただけでした」とある。実は市販されてない? いずれにしても生産を始めていきなり役立たず扱いされていたのは間違いなく……。


『モーターファン』昭和35年(1960年)9月号のワールドニュースには「軍用ならばエヤカーの使い道はある」と書かれている。つまり民用型はもう使い道が無いと確定していたのでしょう。「バンケル・ローター式」(いわゆるロータリーエンジン)と書かれているのも気になるところ。普通に考えて記者の思い込みによる誤報でしょうが、カーチス・ライトは確かにロータリーエンジンを研究しており、これに積む構想もあった?

で、こっちの軍用エアカーはちゃっかり現存してます。「米国陸軍輸送博物館」で一般公開されている模様。動態保存か否かは不明。
http://www.fightercontrol.co.uk/forum/viewtopic.php?f=18&p=83432
http://www.transportation.army.mil/museum/transportation%20museum/gem.htm
同年の『たのしい一年生』9月号にも小松崎茂氏が描くカーチス・エアカーが載ってます。

人物だけ石田英助氏が描いている「合作」で、雑コラ感が可笑しい。
 
さてここからまた別の問題。現実のエアカーには、60年代初頭の時点で既に未来が無かった。にもかかわらず、「未来といえばエアカー」という図が少なくとも日本ではステレオタイプ化した。それはいつから? 何故? 何がそれを形作った?


例えば『鉄腕アトム』、「盗まれたアトム」(1965年)ではエアカーですが、「キリストの目」(1959年)では四輪車。この年の11月にカーチス・エアカーが生産開始となったわけですが、さて、劇中にはいつからエアカーが走るようになった?

カーチス・エアカーが時代の分かれ目かというとそうでもなく、昭和31年11月初版の『小学館の学習図鑑シリーズ 交通の図鑑』にもこんな絵がある(ただし昭和36年6月の改訂でこれになった可能性も)

もうひとつ面倒なのが、カーチス・エアカー以前にヒラー社のエアリアルセダン構想があったこと。エアクッション機ではなく「地表効果もあてにする回転翼機」ですが自家用車のイメージです("POPULAR MECHANICS MAGAZINE"1957 JULY)
 
「未来といえばエアカー」については、「いつまで続いたか?」も掘り下げると面白そう。映画版「クラッシャージョウ」(1983・昭和58年)はガチで「未来といえばエアカー」だけど、ポリススピナーが飛ぶ「ブレードランナー」(1982年)はその範疇なのか、とかね。