SNSいろいろ

なんてタイトルだがほぼ自分用のジャンクション。

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なおマストドンというかpawooは既にアカウント削除。タイッツーの特に何も起きないっぷりが落ち着くけど、情報収集の役には立たんのでな…。放置状態だったこのブログも今後は積極的に活用するかもしれん。

ギャンはいつからゲルググと競作か?

機動戦士ガンダム』のTVシリーズのみに登場したモビルスーツ、ギャン。……って今日的にはゲームとかマンガとかで色々バリエーション展開しているし、TVアニメに限ってもなおサザキくんのギャンとかギャンギャギャンとかギャンバルカンとかがあって面倒なのだがそれらはさておき……いわゆる「ファーストガンダム」の、TVシリーズのみに登場した(劇場版には出なかった)モビルスーツ・ギャン。

 

本編でははっきりと「マ・クベ専用に開発された」と言われているのに、いつの間にか「ゲルググと競作だった」との設定が生まれ、定着してしまっている。いつの間にか、というかウィキペディアは「ゲルググとの競作機」という設定は『ガンダムセンチュリー』が初出」としているのだが……。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%B3

先日、電子版で復刻版を購入した『HOW TO BUILD GUNDAM』(ホビージャパン)にも記述を見つけてしまった。

https://amzn.asia/d/3PpQv9t

ジオン軍は、対ガンダムモビルスーツとして新たに2タイプのモビルスーツを開発した。重火砲タイプのゲルググと白兵戦タイプのギャンがそれである。結果的に……ゲルググが量産ラインに乗った訳である」「しろうとパイロットの多かった大戦後半にはむしろ必要なモビルスーツだったかもしれない」。

「競作」という言葉こそ用いていないが、「対ガンダムモビルスーツ」という要求仕様が共通していること、「ギャンが量産されていたら」の想定に触れていることから、ゲルググとの競作機という位置付けとしか捉えようがない。

 

ガンダムセンチュリー』は奥付の発行日で1981年9月22日、対して『HOW TO BUILD GUNDAM』は同年7月31日で2カ月弱早いのだ。実際の発売日がこれより早かったにしても、逆転することはないだろう。つまり商業出版にあっては、『HOW TO BUILD GUNDAM』こそが初出だと推測できる。


…。
……。
……何にも基づかず模型誌にいきなり出てきた、なんてことあるか?


ここで手元にある『ガンダムセンチュリー』を開いてみる。ギャンとゲルググの競作に関する記述は…。

「MS-14ゲルググは、開戦前後に大戦果を挙げたザクの実質的な後継機種として開発され、競争試作のMS-15ギャンに大差をつけて採用が決定された」

これだけだ。ゲルググのみを取れば「ザクの後継機」というのは分かる。だがギャンが競合したとなると、双方「対ガンダムモビルスーツ」ながら性格を異にした、という『HOW TO BUILD GUNDAM』記事のほうがはるかに説得力がある。『センチュリー』とはまた別に、先行して「対ガンダム用MSとして競合」設定がどこかで生まれていたのではないか? それは『HOW TO BUILD GUNDAM』以前に世で世に出ていたのではないか?

 

現状、1981年(以前)の資料を入手することは難しいので(『HOW TO BUILD GUNDAM』が幸福な例外なのだ)これ以上はなかなか掘り下げられないが、いずれもう少し明らかにできればと思う。

 

『ポンポさん』この映画に欠けているものは何か?

Twitterで投稿したネタのまとめ直しという試み。

 

公開から1年半、とうとう地上波TVで、それもNHKで放映される『映画大好きポンポさん』。私は劇場で3回観てそのうえ円盤まで買うほどお気に入りなんですが、アニオリ部分に関して色々とネガティブ評価があるのもマァよく分かる。中でもアラン君の追加については本当に賛否両論で……。ただ、賛否両論なんだけれども原作未読の人はおおむねアランに感情移入している様子。ならばこれは監督以下アニメスタッフが正しかったといえるでしょう。

 

しかし問題なのは、そのアラン君の関与を招いた『Meister』の追加撮影の件。ジーン監督は「この映画には欠けているものがある」といって、撮った分のフィルムで完成させることを放棄するわけですが、それは言い換えれば、「ポンポさんが書いた脚本(以下「原脚本」と表記)に不備があった」ということになってしまう。不動の核心であるはずの「ポンポさんの天才性・無謬性」が損なわれ、だから原作に比べると「ポンポさんに観てもらいたいから90分にまとめた」というオチまで弱くなっている。『Meister』自体、「ダルベールはリリーとの出会いで救われる」というシンプルかつ力強いメインプロットがブレブレになってしまったのではないか。

 

では、そこらへんの無理を通してでもジーンが追加したかった「この映画に欠けているもの」とは何か? ジーンはそれを「捨ててきたもの」だと言い、完成形の『Meister』では「音楽家として大成するために捨てた家庭」だと位置付けられている。ところが当のジーンの家庭の事情はというと、まるで描かれないのだ。あるのは「DEAR GENEの手紙が添えられた簡素な食事」のワンカットのみ、これも台詞で「家庭を(捨てた)」と言っているから出てきただけ。根本的に、ジーンにとって家庭は捨てるも捨てないも無いものと見える。……そう、「ジーンにとっては」だ。ではポンポさんはどうか?

 

ポンポさんがなぜ「映画の申し子」になったかといえば、両親が留守がちでおじいちゃんに育てられたから。ペーターゼンは好々爺然と描かれているが、映画を見ることについてはスパルタで、幼児虐待とさえ言っていい。だからポンポさんは「映画の申し子」でありながらも「映画に感動する」という経験は積めなかった。つまりポンポさんにも、自ら選択した訳ではないが「捨ててきた」ものがあり、満たされていないからこそ、幸福でないからこそ、創造性を発揮できているのだとジーンは気付いた。

 

そしてポンポさんが捨ててきたものだから『Meister』原脚本にはそれが……「家庭」が無かった。それこそが「この映画に欠けているもの」であり、ジーンは家庭を捨てた過去まで含めて補って完成させた、という構造になっている。こう解釈すれば、紆余曲折あって原脚本には無いストーリーになってしまったにもかかわらず、ポンポさん一人に向けて作った映画だというオチには原作以上の意味があると受け止められるのだ(実際に監督・脚本がどこまで考えてたかは知らない)。

「人間ドッグ」という漫画があった

昔むかし子供の頃、マンガ雑誌は家族旅行の折に時間つぶしとして買ってもらえるだけだった。ところが家族旅行のタイミングで駅の売店で売っているのは増刊号のたぐい。名の知れた連載作品は全く載っていない、聞いたことのない読切タイトルばかりの雑誌では、ろくに時間つぶしにもならなかった。

 

そんな中、タイトルのインパクトだけで記憶に刻まれた作品がある。その名も「人間ドッグ」。まだ出回り始めたばかりだった「人間ドック」という言葉をひねりながらもストレートに、人間のように直立して服を着て言葉をしゃべる犬が主人公、という作品だ。

 

タイトル以外はほぼ何も覚えておらず、掲載誌も作者も分からないから、試しにググってみてもそれこそ「人間ドック」の打ち間違いがヒットしてしまうという状況。タイトルがはっきり覚えているのに素性のつかみようがない、と思っていた。

 

ところが不意に、もう一つ思い出したことがある。劇中で観に行く映画が『ミテオ』といった。となれば『メテオ』のもじりで、そこから1979年に発表された作品だと絞り込めた。

 

「マンガ "人間ドッグ" "1979年"」でググると……果せるかな、「週刊少年チャンピオン1979年掲載データ」がヒットする。

https://pyuupa.flop.jp/keisai/1979y.html

そしてこの「人間ドッグ」は、「プラモ狂四郎」の大ヒット以前の やまと虹一作品だと知るのだった。同年発表の前作は「ペットショック」というそうで、なにかこう一貫性を感じてしまう。

 

時には仕事の話をしようか(Vo.加藤登紀子)

えーと、このブログですと「ウルトラマン・ジャミラ回、最後の台詞は「犠牲者」で確定」だとか。

 

Twitterですと「ファミリー劇場のTV版「 機動警察パトレイバー 」録画視聴。✕感応電流 〇間脳電流 はともかく、✕伝送系 〇電装系はメカ物の常識でしょ……」だとか。https://twitter.com/kawada0zo/status/1043510558459187202

 

前々からTV等の字幕に対してツッコミを入れていたワタクシですが。

 

因果応報というべきか、あるいは適材適所ともいえるのか、この4月から「TVの字幕の校正の仕事」を手がけています……。

 

守秘義務的なナニヤラはもちろん、同じ職場の人たちにバレるのが怖いので具体的にどこの何を手がけているかは言わないものの、「人生で最もアニメを観ている時期」なのは間違いない(苦笑)。多い日には仕事だけで日に5本か6本(アニメでない作品も手掛けているのでMAXでこれくらい)、帰宅してさらにプライベートの娯楽で1本くらいは観てるので。

 

てなわけで。同じ職場の人にバレない程度にまでボカしつつ、この先何度かに分けて仕事の話もしようかなと思ったり思わなかったり。

 

 

百貫デブが車に轢かれたのはいつか?

「デ~ブ デ~ブ 百貫デブ  車に轢かれてぺっちゃんこ!」

……という言い回しがあるが、よく考えるとこれ、歴史的にピンポイントだな?

 

「貫」という単位の重量感覚がまだ残っていて、その一方「車に轢かれる」ことが普通に起こりうる時代。ざっくりググって、尺貫法の法制度上の使用禁止が1958年限り(土地と建物の計量については1966年3月)だったと知る。一方のいわゆる「交通戦争」は1960年代のトピックで、百貫デブが車に轢かれたのは60年代前半のことと推察されるのだった。

 

ただし、例えば「元々は『車に轢かれて』でなく『電車に轢かれて』といったもので、実は戦前からあったのだ」という可能性もあり、安易に結論付けるのは避けたいところ。

とりあえずインポート

はてなダイアリーがいよいよ閉鎖間近というので、ようやっとはてなブログへのエクスポート/インポートを済ます。今日はとりあえずそれだけ。デザインもこれ、また色々といじらないとな

ttp://d.hatena.ne.jp/UnKnown/