東京都知事選雑感

浅野史郎候補に入れた人が「俺は石原は選んでないぞ」と思うのは、全く正論である。そして選挙結果に無力感を感じるのも当然である。この点外山恒一候補が絶妙の言い回しをしている。「多数決をやれば多数派が勝つ」と。そうなのだ。
問題は非都民である私が、「都民はバカな選択をした」と石原氏が勝利した選挙結果について東京都民を批判することは生産的ではない、という点である。今回の選挙結果の総括はまずもって反石原陣営の闘い方の問題点を考えるべき問題であり、石原都政に入れたことについてとやかく言ってもどうにもならないだろう。
そしてtakanofumio氏が的確に指摘している(2007-04-08 - The World according to takanofumio)通り、問題は「教育問題」だったはずだ。私が共産党の今回の行動について不信感を募らせているのは、彼らから教育問題についてどうするべきなのか、というビジョンがなかった点である。
いや、石原都政における教育問題についても言及している、というかもしれない。しかし福祉問題の充実とは意味が違うのである。福祉の充実、という問題自体は石原都政においても全くの反対物ではない。つまり石原都政に注文をつけることで改善される蓋然性が大きい。こういう類いの注文はむしろ石原都政にとっては歓迎すべきものであろう。教育問題はそうではない。現在の東京都の教育は石原氏の信念である。これを変えるには、石原都政を終わらせるよりなかったはずだ。吉田氏が勝てる可能性はゼロである。浅野氏以外には勝つ可能性はなかったはずだ。現実には浅野氏の票に吉田氏の票を足しても石原氏の票には届かなかったわけではあるが、吉田氏が立候補を中止し、共産党勝手連的に浅野支持に回る、というのが教育問題についてのビジョンであるはずだ。石原氏が現在の国旗・国歌に対する対応を変えるはずはない。それは石原氏の信念だからである。それこそが最大の争点であるはずであり、最も多くの都民に直接的に降りかかる問題なのだ。石原氏を当選させる、ということは、石原氏の教育政策に賛成する、ということでしかあり得ない。吉田氏の敗戦の弁「いい戦いができた。石原さんも反省を口にし、福祉を一生懸命やると言うようになった。変化を生み出してきた」という発言からは、教育問題に関するビジョンが全く見えない。これは仮に吉田氏が他のところで教育問題に関する石原批判を口にしていたとしても、だ。石原都政の教育政策に反対するのであれば、石原氏を落選させるしかなかった。しかし共産党はその努力を怠った。共産党が教育の問題を最大の争点とはしなかった段階で終わっているのだ。なぜなら教育問題は何度も言うが、石原氏の信念に基づくものであり、これをいくら石原氏に提言しても、変えられることはあり得ないからだ。
あと私が疑問に思ったのが藤原紀香氏による石原都政の推薦だ。北島康介氏が石原氏を応援するのは非常によくわかる。逆に北島氏が浅野氏や吉田氏を推薦すれば「何で?」と思うことだろう。北島氏が浅野氏を推薦する、ということはあり得ないことである。そしてそれと同じくらいあり得ないのが藤原氏による石原氏の推薦なのだ。普段の政治思想やそれに基づく行動とはずいぶんかけ離れているように思うのだが。人間関係があったのだろうが。
追記。藤原紀香氏関係についてはここが私にとってはわかりやすかった。「喜八ログ: 依然として紀香ファン
追記2 ブクマのコメントは全く正しい。教育は争点ではなかったのだ。都民の多くが教育を問題にはしなかったことは、結果が物語っている。そして教育問題については各陣営とも申し訳程度に述べたに過ぎなかったのだ。しかし共産党にとっては教育問題、就中国旗国歌問題を適当に扱ってよかったはずはなかったのではないか。都民が国旗国歌問題を深く考えない、というのは別にそれはそうだろう。しかし共産党はどうだ。福祉のことを石原氏が言い始めたことで満足していてよかったのか、という疑問があるのだ。