赤木宗徳防衛庁長官と岸信介総理大臣の英断

1960年、日米安全保障条約の改定をめぐって連日全学連のデモ隊が国会を取り巻き、抗議行動を起こしていた。そして機動隊との衝突も起こっていた。樺美智子が死亡し、デモも盛り上がる。そのさなか、岸信介総理は自衛隊の出動を考えた、という。それを諌めたのが防衛庁長官の赤木宗徳であった。彼は「自衛隊を出動させることは国民の血を流すことです。同胞を撃つ事はできません」と断固はねつけた。そのうえで、「もしどうしても自衛隊を出動させるというなら、私を罷免してからにしなさい」と岸につめよったという。
この出来事について保坂正康氏は

自衛隊が出動して鎮圧することになっていたら、それ以後の自衛隊は国民の共鳴、共感を受ける事なく、憎しみの対象として存在する事になったはずだ。同時に、日本に、自衛隊のような軍事組織が存続しえたか否か、疑問である。なぜなら自衛隊は首相の私兵であり、国民に銃を向ける組織である、との理解が根付いてしまったに違いないからだ。この点で、私は赤城防衛庁長官こそ戦後日本の危機を救った政治家だと思う

と述べている。
確かにあの時自衛隊がデモ隊鎮圧に出動していれば、自衛隊が災害出動をしても信頼はされなかっただろうし、雫石事故ではもっと厳しい批判にさらされていたはずだ。そして赤木長官の諌言を結局受け入れた岸総理も、その決断は評価されていい。沖縄知事の声を「私はそれをうかがっていませんから」と言い逃れするよりはよほど「責任」をわきまえた行動である。そして岸総理は総辞職した。私自身はあまり評価していない政治家であるし、彼に対する批判は最大限なされるべきではあるが、今の内閣よりもはるかに「責任」を果たした政治家であった、と見えるのは皮肉である。