外山恒一氏の「ネット右翼」論

いささか旧聞に属する話題だが、備忘録代わりに。(「http://ascii.jp/elem/000/000/122/122938/index-2.html」)

外山 僕はネット右翼はいないと思うんだよ。これまで文章が面白くなかったり、頭が悪かったりで、発表の場がなかった普通の人たちが馬鹿なことを書いてるだけで、単純な右傾化では無いと思うんだよね。昔から発言してこなかった一般の人というのはああいう感じだろうし、それを世間がまるで重大な右傾化のように捉えるから、かえって調子に乗るわけで。
 ああいう馬鹿な人たちに発言させたくないから、民主主義反対なんだけどね(笑)。頭のいい人はいったんは左に行くから。正しさを追求すると、論理的な能力があれば左翼に行くのが当たり前だと思う。でも、「正しいことが必ずしもいい結果に結びつくわけじゃない」というところに至って、初めて右翼思想が意味を持つわけ。

一種の極論だが、前段については「ネット言論の右傾化」と「保守言論の劣化」という事象について言い得て妙であるような気がする。劣化しているのは保守言論そのものではない。一昔前には「文章が面白くなかったり、頭が悪かったりで、発表の場がなかった普通の人たちが馬鹿なことを書いてる」その内容は左翼的だったものだ。ただそのころにはネットがなかっただけの話で、大学でまかれているアジビラなど低劣なものだった。
後段についてはいろいろと議論もあるだろうが、小林よしのり氏と西部邁氏の対談で同じ趣旨のことが言われていた記憶がある。左傾化して、理想と現実のギャップの中で保守思想に接近する、というのが本来の保守のありかたなのだろう。