2008-08-06
■[投資]ロシアへの投資信託

だだ下がり。約二万円の損失。ロシアの投資環境が悪いのはわかった。問題は他の投資信託だ。他も同じように下がっていたら、当該投資信託のファンドマネージャーが悪いのではないことになる。逆に他の投資信託はそれほど悪くなければファンドマネージャーがへたくそ、ということになる。ネットの某掲示板ではファンドマネージャー下手すぎ、というレスがあったので、気になって調べてみた。業界最大手のHBSCロシアオープン。私が購入している投資信託と全く同じ値動き。少しほっとした。ネット上の掲示板の情報に安易に躍らされてはいけない、と肝に銘じ直した。
■[アクアリウム]ディスカスの卵

孵化した。孵化は 二回目。数匹だけだけど。ほとんどの卵は白くなって死んでいる。しかしまだ透明なものもあって、あといくつかは孵化するか。一匹くらいはジュニアがいてもいいかも、という気持ちにはなっているが、そんなに簡単なものでもあるまいし、育てるにはコリドラスや他のディスカス、さらには本人達の食卵という問題もあって、ハードルは高い。この前も数十匹ほど孵化していたが、結局翌日には消えていた。今回もいつまでチビディスカスが生き残れるか。少し心が痛いかも。
■[雑記]トラックバックへの返事

私の蕪雑なブクマに対して「はは・・・idにid:Wallerstein とか付けるようなマジメな人には、自分のような輩はそりゃ嫌われるだろうねえ・・・。」ということで、「嫌われるだろうねえ」と思われるような蕪雑な言葉遣いになったことに対してはご海容を請うしかない。一応付言しておくと私はidHALTAN氏のことを嫌ってはいない。むしろ自分の思考のきっかけとなったことに感謝している。
せっかくidHALTAN氏が機会を設けてくださったので、私の疑問をもう少し詳細に展開しておくことにする。
私がブクマを付けたのは以下の記事に対して(「此のブログは全て「憶測・妄想」であり信用してはいけません(´・ω・`) 」)
自分がサヨクを嫌いなのは、
(2)仮に(1)が正しいとして、その論理の貫徹が不徹底ではないか?→2008-07-06■[左の旦那様]今さらですが、、、NHKのワーキングプア・プロデューサーにゴマをする日本共産党への深い深い失望(id:HALTAN:20080706:p2)
主にこの2点です。難しいことは何もない。簡単でしょ? こんなことは普通に拙ブログをお読みになられていればお分かりになれるはずなのですが・・・。あと、自分を保守派やネット右翼だと思っている人もまだいるかもしれないけれども、自分は例えばそこまで言って委員会やTVタックルは大嫌いな番組でほとんど観たことはないし、むしろ実生活では「サヨク」扱いされることの方が多い人間だったんだけどね。左も右も嫌いだ、ってそんなに難しいスタンスかねえ?
というところに対し、私はブクマで「階級概念が根本的に分かっていないのに、それを根拠にして議論を進めるのはやばいのではないかな、という気がする。」と言及した。id:HALTAN氏は「はは・・・idにid:Wallerstein とか付けるようなマジメな人には、自分のような輩はそりゃ嫌われるだろうねえ・・・。」と言及。結論からいうと、嫌ってはいない。嫌うほど読んでいないので。ただサヨクが嫌いな理由としては変ではないかな、と思っただけ。「自分がサヨクを嫌いなのは偽善者だから」とか言われれば、確かに「難しいことは何もない。簡単でしょ?」と言われても納得する。
(1)の規定に従えばid:HALTAN氏の規定する「サヨク」とは「階級闘争史観で何でも説明できる」と考えている人ということになるが、そもそも「階級闘争史観で何でも説明できる」と考えているサヨクをほとんど見かけないのだが。
(2)に関して言えば「その論理の貫徹が不徹底ではないか」というのも不思議である。「階級闘争史観で何でも説明できるのか」という問いに対して「それだけでは不十分だ」と考えたので様々な立場からの意見を取り入れようとしたら「その論理の貫徹が不十分ではないか」と言われれば、共産党も困るのではないだろうか。
私がid:HALTAN氏に対して階級概念が根本的に分かっていない、と思ったのは、NHKのプロデューサーを「ブルジョワジー」と規定しているところ。給与所得者は高給であってもプロレタリアートだろう、と。会社役員は「ブルジョワジー」に分類されるらしいが、これすら実体には即していない。雇われ役員はどう考えても会社員の延長線上にある。厳密に考えれば管理職はブルジョワジーで、労働組合に属している者だけがプロレタリアートである、というのも考え得るし、少し前までの日本共産党はそう考えていたはずだ。私のような非正規雇用の人間もルンペンプロレタリアートとしてむしろプロレタリアートの職分を安い給料で侵食する「敵」と考えられていたように記憶している。日本共産党が最近注目を浴びているのは、それまで正規雇用で労働組合を組織しているプロレタリアートしか相手にしてこなかった日本共産党が、ルンペンプロレタリアートに目配りをし始めた、というところが原因だろう、と思っているのだが。そして日本共産党が今までの階級闘争史観では説明できないと考えたからこそ、ワーキングプアの問題に取り組み始めたのだろうし、その過程でNHKの議論を肯定的に取り上げることも、階級闘争史観のアウフヘーベンという意味ではありかな、と思うのだ。しかしid:HALTAN氏はそれを否定する。がちがちの階級闘争史観では説明できないので嫌いなのだが、がちがちの階級闘争史観を修正するような軟弱なやつらも嫌い、というのでははっきり言えば、id:HALTAN氏はサヨクは何でも取り敢えず気に入らない、としか読めないのである。
最後に、別に私は返答を期待しないし、もちろん返答がなかったからと言って「逃げた」とも思わない。そもそも返答を求めているのではなく、id:HALTAN氏の議論を元に自分の考えを纏めているだけなので、むしろ階級概念について考えるきっかけを作ってくださったid:HALTAN氏には感謝するとともに、批判的に検討した結果、氏に与えてしまうであろう不快の念についてはご海容を請う次第である。
追記
HALTAN氏からのお返事だが、残念ながら何を言いたいのか、私の「あたまがわるい」せいで何も分からない。「ネットに書くことで疑問を提起し続けている」というが、何を疑問に思っているのか、がわからない。ワーキングプアの番組を作ってワーキングプアの置かれている現状に問題を提起することのどこが悪いのか、いくら氏の議論を読んでも分からない。
私は自分のできる範囲で問題を提起していくことが必要であり、その意味ではNHKがワーキングプアの番組を作り、日本共産党がそれに便乗することに何の疑問も持たなかった、確かに世耕弘成氏がNHKに批判を行なったことは仄聞した。確かに格差社会を是認する人からすれば、ワーキングプア問題を提起され、それが国民に広がって格差社会に対する批判的な意見が広がることには懸念を評するのは分かる。NHKの番組の影響力を減殺する言説として有効なのは「おまえが言うな」である。森永卓郎氏に対してその言説はしばしば発せられている。ン年収3000万円を超える森永氏が貧困層の代弁をするのはおかしい、という意見である。ワーキングプアを多く使っているNHKにはワーキングプア問題を提起する資格がない、ということは、すべてのマスコミにワーキングプア問題を提起する資格はない、つまりワーキングプア問題についての番組を作るのはおかしい、と言っているようにしか読めない。それであどうやってワーキングプアの問題を提起するのか。提起してはいけない、という人がNHKに批判的な言辞を使うのはよくわかる。HALTAN氏はワーキングプア問題を提起するな、といいたいのであれば、よくわかるのであれば、それでなければ何を言いたいのか、私には皆目分からない。
私がHALTAN氏の意見で分かったのは次のことだけだ。とりあえず「サヨクが嫌いだ」と。そしてそれ自体は全く批判されるべきことではないのは言うまでもない。
■[雑記]左が左を嫌いになる時

私はかつて次のように書いた(「扇動されやすい人2 - 我が九条−麗しの国日本」)。抜粋しておく。
情報弱者で論理的な思考力が欠落しているが、その自覚のない人が大学に入って、「政治的な理由で教科書には書かれていないが、これが真の歴史である」とか、「馬鹿には理解できないが、これが真の歴史である」とか、「みんなマスコミに洗脳されているが、これが真の歴史である」とか、仄めかされると、当時は立派なサヨクが誕生したのだ。
扇動されやすい人がサヨクに走った理由は、当時言論界では「左翼」が幅を利かせていたからであり、大学に入って世話になるオリターに左翼が多かったからである。その頃はマルクス主義を標榜しないと「右翼」または「ブル」呼ばわり。いろいろなレッテルがあった。私は丸山真男に凝っていたのだが「近代主義者」、佐藤進一に凝ると「実証主義者」。これらはいずれも当時は「ウヨ」という意味である。ちなみに日共が日共とは異なる左翼に貼るレッテルは「ニセ左翼」「極左暴力集団」「トロツキスト」などなど。
私は今まで一度もマルクス主義は標榜したことはない。私の研究にマルクス主義的要素は皆無だからだ。しかし自分では左翼だと思ってきたのだが、周囲が左翼思想にかぶれるのは違和感があったし、「ブル」「近代主義者」呼ばわりには「それで結構」と思う気持ちはあった。あと江戸幕府を「絶対主義」的な政権という見通しを言うと「労農派」呼ばわりもあったな。
結局そういう安易に左翼思想にかぶれた人は、大学卒業の頃には概ね立派に更生していた*1。いろいろな理由があったように思うが、個人的な勘定のもつれとか、Xデーとか、ソ連崩壊とか。何よりも当時の左翼思想は「青年期」思想、今の言葉で言えば「中二病」の典型的な症状だったのだろう。今、情報弱者がネットにアクセスすると圧倒的に目に付くのは保守的な言論である。扇動されやすい人がかつては左翼的言論に魅かれ、今は保守言論に魅かれるのだ、と思う。
この二十年ほどに間に「階級闘争」という言葉はほとんど聞かれなくなった。やはりソ連崩壊が大きかったように思う。反帝反スタを標榜していようが、やはりソ連が崩壊する、というインパクトは大きかったのだ。私の周囲にいた「階級闘争史観」を信奉していたはずの人はほとんど転向した。私は、と言えば、もともと、そして今でも研究の手法はマルクス主義的な手法は使ったことがない。一つの例外を除いていわゆる支配階級の権力闘争を細かく跡付ける研究手法を堅持している。そのような研究手法は20年ほど前には「実証主義」というレッテルを貼られた。分かりやすく言えば「バカウヨ」というレッテルだ。農民による階級闘争を、荘園文書から抽出し、中世における階級闘争を復元するのが、私の周囲にいた中世史研究のメインストリームであった。私のように公家社会の政治的な動静を日記や文書から復元する、というのは誰にも相手にされなかった。私はその後その手法を基に朝鮮史料や中国史料に現れた中世日本の分析を併用するようになったが、やはり荘園における階級闘争を検討する、というメインストリームからは外れていた。「蝦夷」や「倭寇」の歴史に踏み込んだ時には「日本史」の枠組みを相対化することを主張して今度は一転極左扱いを受けることとなった。しかし私自身としては一貫して公家社会の動向を公家日記や公家の文書から復元する、という方針には代わりはない。今幕府文書を読んでいるのは、全く新しいことに属する。そもそも私は室町時代を研究対象にしてきたので、鎌倉時代の研究をするのははじめて、と言って過言ではない。パクスモンゴリカの衝撃の中で形成された「日本」の姿を研究したい、という動機からである。
私がもっともマルクス主義に接近したのは、江戸末期のアイヌの研究だろう。江戸末期における徳川日本の発展の中で搾取されたアイヌの研究をする中で、従属理論を応用してアイヌの立場を検討した。そこでは確かに「階級闘争史観」的ではあったかもしれない。アイヌと和人という対抗関係だけでは把握できない複雑な関係がそこにはあったからである。和人が一方的に抑圧者であり、アイヌが一方的に被抑圧者か、と言えばそれだけでは片づけられない関係がある。和人資本の中で出世していき、和人の労働者を裃姿で幕府の役人とともに監督するアイヌ。彼らは帯刀を許され、和人の出稼ぎ労働者を監督する役割を担っていた。しかしそれを単なる「階級闘争」で分析するわけにもいかない。中核地域と辺境地域の関係で捉えかえすことで帯刀を許され、出稼ぎ和人に対して一見支配関係にあるように見えるアイヌの背景を分析することが出来た、と自負している。これが二〇〇四年に発表された刊行論文で、そのころこのブログを始めたので、私に大きなヒントを与えてくれたI.Wallersteinに敬意を表してこのidを選んだのだ、というのは嘘で、idは横文字で何を選ぼうか悩んで、外人っぽい名前で私のブログの先輩である人がチャーリーにしようか、と言っていたので、私はフランクにしようと思ったら、フランクという平凡な名前は使われていたので、あまり使われていなさそうな名前で、私にも覚えられる名前はなににしようか、ということでWallersteinにした次第。今ならidはTokisukeにしたかも(笑)。
私自身そもそも「階級闘争史観」には最初から疑問を持っていて、それゆえ左派から最初はレッテルを貼られていただけに左派のくだらなさはよくわかっている。そして一番くだらないのは何も考えずに雰囲気で生半可に左翼思想にかぶれ、そして勝手に幻滅して転向する人である。生半可に左翼思想にかぶれる人は、そもそもマルクスもフォイエルバッハもヘーゲルも知らずに「階級闘争を戦わなければならない」と吹き上がり、勝手に「階級闘争史観は硬直化している」と転向する。そして自分は今でも「左」によっているつもりの極右になるのだ。私の周りにも、そして私が多くを学んだ研究者にもそういうくだらない人はいる。幸いだったのは私の指導教授はどちらかと言えば保守派だったので、階級闘争史観とは大きくかけ離れた私の研究を見守ってくれたことだ。周囲の左翼研究者もいわゆるゴリゴリの階級闘争史観の研究者ではなかったのも幸いだった。ゴリゴリの階級闘争史観の研究者に囲まれていたら、私は到底研究者にはなれなかっただろう。大学院にすら進学できなかったに違いない。
今私は左派を以て任じている。周囲の人間がどうであったかではない、と考えているからだ。私は私が正しいと信じた思想を貫くだけで、左派であることにこだわりはない。ただ今のネットの中では極左になるんだろうな、という自覚はある。そしておそらく20年前には右翼呼ばわりをされるものであっただろう。
自分の思想的な偏りを自覚することが何よりも大事だ、と私は考えている。それに無自覚な言説は無意味であるだけでなく、有害ですらある。




私が左翼に対して納得できない点は、偽善的であるということと、啓蒙的態度ですかね。金があるからこそ左翼思想を学習でき啓蒙できる的な矛盾とか。これも私はきちんと社会主義や共産主義を学んだわけではないので、あくまでも今考えていることですけれども。
そうそう、転向左翼といえば藤岡信勝氏が有名ですが、気がつけばああいう人たちと紙一重ってことありますから、気をつけて欲しいものです。
羽仁五郎なぞ戦後直後に手弁当で集まったボランティアよそ目にステーキ食ってた、とか、京都府の革新知事は人間的に最低だった、とか、共産党の古株の活動家から直接に聞いたことがあります。