「選挙人名簿不登録処分に対する異議の申出却下決定取消」(最判H7・2・28−平成5(行ツ)163)の検討

「選挙人名簿不登録処分に対する異議の申出却下決定取消」いわゆる「最判H7・2・28(平成5(行ツ)163)」の判決理由を逐条的に検討する。これは外国人地方参政権に関する判例で、定住外国人に関して国政への参政権は認められないが、地方自治に関しては定住外国人に対して参政権を認めることは憲法上保障されてはいないが、禁止されてもおらず、立法政策に委ねられている、とする「許容説」に立っている。
それと対立する一つの立場は「要請説」で、定住外国人は「住民」であり、地方参政権憲法上保障されているという立場である。もし判例が「要請説」に立てば、定住外国人参政権を認めるように立法政策が束縛される。
もう一つの立場は「否定説」で、「住民」は「日本国民」つまり「日本国籍を取得した人」に限定され、地方参政権憲法上禁止されている、という立場である。もし判例が「否定説」に立てば、定住外国人に対する地方参政権の付与は憲法を改正しなければ実現しないことになる。
あらかじめ断っておかなければならないが、現在の判例及び通説が「許容説」に立っていることと、「許容説」が正しい、ということは別問題である。自分の意見が通説や「判例」という権威から外れることを怖がる人は、ややもすれば自己の意見と判例を無理に合わせようとして、判例に対する無理な解釈を積み重ねることがままあるが、自分の見解が少数派であることをすなおに認めれば、判例にしばられることもない。それどころか判例や通説をしっかりと理解した上で、それを批判することができれば、それこそ有益な議論となるであろう。
まずは第一文。

憲法第三章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、我が国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものである。

日本国憲法は、人権について規定する第三章の表題を「国民の権利及び義務」としている。人権が保障されるのは「国民」に限られる、とも解釈されるが、人権は国家の存在を前提とせず、人が人であることから当然に有する、という人権の前国家的性質からすると、人権の享有主体は日本国民に限られない、と考えられる。
判例では「基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、我が国に在留する外国人に対しても等しく及ぶ」と定めているが、この判例は「在留期間更新不許可処分取消(マクリーン事件判決):最大判昭53・10・4(昭和50(行ツ)120)」から踏襲されているものであり、いずれも原告敗訴となっている。この一文は「外国人にも基本的人権は適用されるが、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものがある」という立場である。そこで「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるもの」とは何か、が問題となるわけである。マクリーン事件は在留期間の更新を求めた原告に対し、無断転職と政治活動を理由に在留更新を不許可とした法務大臣の処分を不服として提訴し、最終的に最高裁は原告の訴えを棄却し、在留期間の更新については法務大臣の裁量の範囲内にある、とした裁判である。
外国人に保障されるかどうかが問題となる権利としては公務就任権社会権出入国・再入国・出国の自由が挙げられているが、いずれも判例では憲法上当然に認められ得るものではない、という立場である。
さらに政治活動の自由、プライバシー権経済的自由権についても制約をすることは違憲ではない、というのが判例の立場である。
左翼である私からすれば、ずいぶん憲法基本的人権を狭く解釈している、という感想を持つが、ここでは判例の是非を検討するのが目的ではなく、判例の検討を行うことのみを目的とするので、もちろん「認めすぎ」という感想もあり得るだろう。