不壊の槍は折られましたが、何か? このページをアンテナに追加 RSSフィード

14年11月01日(土)

Wanderer2014-11-01

[]ロリン・マゼール/バイエルン放送交響楽団 シューベルト:交響曲第8番ハ長調《グレイト》 ロリン・マゼール/バイエルン放送交響楽団 シューベルト:交響曲第8番ハ長調《グレイト》を含むブックマーク ロリン・マゼール/バイエルン放送交響楽団 シューベルト:交響曲第8番ハ長調《グレイト》のブックマークコメント

 2001年3月18日、プリンツレーゲンテンシアターでのライブ録音。13日と16日と合わせて、同一会場でシューベルトの全交響曲連続演奏会の一環として演奏&収録された模様である。この会場はヘラクレスザールよりも狭く、客席数は1300程らしい。シューベルトの交響曲に合わせた会場設定だったのだろうか。

 堂々たる演奏である。どっしり構えてオーケストラを壮麗に鳴らしており、テンポも中庸。序奏部も21世紀にしては遅めで、ピリオド楽派などいなかったかのようだ。弦はレガート〜レガート気味に鳴らされており、画然とした演奏という印象は薄く、各場面はなだらかに滑らかに移行していく。よってどちらかというとメロディー重視路線だな、という感触が強まっている。テンポの変化も付けられてはいるが、それらはあくまで自然に、楽想の切れ目というか転換点に頻出、緊張の高まりや弛緩を巧みに表現している。それはこれ見よがしに演奏効果を狙うというよりも、音楽の流れを重視した結果だと思われる。そしてオーケストラ自体も大変立派で素晴らしく、木管の鳴りっぷり、弦のブレンドされ切った音色など、管弦楽を聴く楽しみを堪能できる。

 ただし――と、段落を変えて、私の妄想でしかないかも知れない感想を書き散らすが――指揮者はあのマゼールであり、細部まで指揮者一人が音楽を管理しており、しかもその管理が厳格で、一挙手一投足まで、その音を出している本人ではなく別の誰かの意思に従っている感覚が半端なく付きまとう。ただしそれは機械的ではなく、あくまで人間の力(意志)によるものなのだ。私が思うにこの感覚こそがマゼールの音楽最大の個性である。圧倒的指導力で全てを掌握するタイプの指揮者、たとえばトスカニーニ/メンゲルベルク/フルトヴェングラー/セル/ムラヴィンスキーカラヤンチェリビダッケ/ヴァント/ショルティ(もちろん他にもまだまだいるが)といったお歴々にも、オーケストラと指揮者が人馬一体となって天高く駆けるという雰囲気はあった。ところがマゼールはオーケストラに飛翔を許さず、地上という二次元で鼻面を完全に引き回す。もちろん自発的要素が皆無なわけはなく、事実この《グレイト》でも熱気はオーケストラから放たれているし、細部の木管ソロには歌心が感じられ、これらが全てマゼールにオケがロボットのように従ってのことではない。だが決定できるのは指揮者だけという雰囲気が半端なく感じられるのだ。そこには、共同決定したのだという建前すら用意された形跡がなく、独裁者の演説にあてられて兵隊たちがそれを自らの意志だと勘違いした雰囲気すら薄い(ないわけではない。これが皆無ならばオーケストラはマゼールを支持しないだろう)。結果、音楽は地上を這いずり回ることになるのだ。これは唯一無二の個性である。実際のところ、この雰囲気は数回聴いたマゼールの実演でも濃密であった。

《グレイト》も含め、この交響曲全集は、シューベルトの交響曲がマゼール節で立派に鳴らされた貴重な記録である。希少価値は満点だ。加えて、上述通り、地上を這う癖の強さはあれど、曲の解釈自体は真っ当であるため、シューベルトの初期交響曲を初めて聴くといったケースでも問題なく使える音源となっている(マゼールは多くの場合そうだが)。なお、交響曲第1番の第1楽章では、ヴァントとカラヤンもやっていた、高い音による音型が聞かれる。本当にこれ、何なんでしょうね。古い楽譜がこれ、というのであればベームが同様のことをやっていないのは変だし。

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14年10月29日(水)

Wanderer2014-10-29

[]ギュンター・ヴァント/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 シューベルト交響曲第9番ハ長調《グレイト》 ギュンター・ヴァント/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》を含むブックマーク ギュンター・ヴァント/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》のブックマークコメント

 1995年3月28日、29日、フィルハーモニーでのライブ録音。カルロス・クライバーの代役として久方ぶりにヴァントがベルリン・フィルの指揮台に立った時のもの。カルロスの演奏会だったから、元々練習時間がたっぷりあり、代役であっても引き受けることが可能だったのだと思われます。そしてこの共演が、ブルックナーの一連の演奏会&録音につながることになる。

 解釈はケルン放送交響楽団盤、北ドイツ放送交響楽団盤の時とほとんど同じである。結果に影響しているのは、オーケストラの性格の違いである。高機能なベルリン・フィルは、もちろんヴァントの指示に忠実な演奏を展開しているものの、オーケストラの響き自体が非常に分厚くどっしりとしており、木管のソロに至るまで堂々とした奏楽が、びくともしない高強度な一大建築を想起させ、聴感上はヴァントの過去の音盤とは全く異なる印象をもたらしてくる。そして終始冷静な北ドイツ放送響とは異なって、ライブによる熱気が確かに感じられ、第一楽章やフィナーレのクライマックスでは迫力満点ですらある。スケールが大きいのも、旧2種の録音にはない特徴だ。もちろん繊細で淡い味付けだって忘れられておらず、楽想の弾き分けもよく聴くと異常に細かい。これらはヴァントがしっかり管理しているものと思われる。メロディーだって魅力的に歌われるが、これはベルリン・フィルの奏者の方が腕や楽器がいいからだろう。第二楽章や第三楽章トリオにおける仄暗い表現も実に素晴らしい。ヴァントの意志の貫徹という意味では北ドイツ放送響盤の方が素晴らしいけれど、音楽を聴いてエキサイトできるという意味での《名演》は、このベルリン・フィル盤ということになるのだろう。どちらが上という議論は意味がないと思うのでしません。

 カップリングは同日の《未完成》。こちらもほぼ同傾向の演奏で、自然に流れつつ実は表情付けが非常に細かい。ベルリン・フィルも好演であり、彫りの深い演奏となっているのだが、音がずしりとし過ぎていて、《普通の》立派な演奏に近付いてしまっている。もうちょっと軽ければ、繊細な味わいがよりわかりやすかっただろう。

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14年10月28日(火)

Wanderer2014-10-28

[]ニコラウス・アーノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 シューベルト:交響曲第8番ハ長調《グレイト》 ニコラウス・アーノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 シューベルト:交響曲第8番ハ長調《グレイト》を含むブックマーク ニコラウス・アーノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 シューベルト:交響曲第8番ハ長調《グレイト》のブックマークコメント

 1992年11月、コンセルトヘボウでのセッション録音。交響曲全集の一環である。

 テンポ設定はアーノンクールらしく穏当な「やや速め」である。ビブラートがかなり抑えられており、ざくざくした音色で進行する。よって腰の据わった重量感のある音はあまり出せていないのだが、アーノンクールはそれを逆手にとって、メロディーの奏で方に工夫を凝らし、モチーフの数々を、明滅しながら浮遊する淡いものとして提示する。オーケストラが、ノンビブラートの範囲内で出せる、能う限り美しい響きを出していることもプラスに働いているのが特徴だ。全体的に、ある種退廃的な香気すらまとっており、非常に印象的な演奏となっている。アゴーギクが意外と控えめでさほど劇性を煽り立てないこともあって、儚げな風情が時々息を呑むほどの美しさをもって聴き手に迫って来るのだ。特に第二楽章の優美さは筆舌に尽くしがたく、快活なはずのスケルツォ主部やフィナーレも、木管群を中心に、浮遊感のある歌がそこここに響く。後者の第二主題などはしみじみと心に染みわたります。スケール感はそれほど大きくありませんし、軽妙さが勝つ場面が多いとはいえ、盛り上がるべき所ではちゃんと盛り上がってもくれます。同じようなモチーフの繰り返しから成る音楽だとは全く聞こえず、あくまで美メロの集積体として構築されている辺りが、アーノンクールの解釈の本質なのかもしれません。

 で、交響曲全集としては、《グレイト》と同傾向の解釈であるにもかかわらず、曲の性格が違うためか、初期6曲は、最初から最後まで力強く熱のこもった演奏に聞こえる。これは結構意外。そして《未完成》は非常に翳が濃く、《グレイト》でも感じられた退廃感が極まっております。旋律線の息の長さに正面から付き合わず、浮遊感で乗り切っているのが面白い。

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14年10月27日(月)

Wanderer2014-10-27

[]ジョージ・セル/クリ―ヴランド管弦楽団 シューベルト交響曲第9番ハ長調《グレイト》 ジョージ・セル/クリ―ヴランド管弦楽団 シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》を含むブックマーク ジョージ・セル/クリ―ヴランド管弦楽団 シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》のブックマークコメント

 1957年11月1日、セヴェランス・ホールでのセッション録音。ステレオである。

 ひやりと冷たい肌触りの演奏だが、決して機械的ではない。吉田秀和の表現をアレンジして書きますが、これは金属の冷たさではなく、陶磁器の冷たさである。それも極上の。セル時代のクリ―ヴランド管というと音に聞こえた20世紀の《行くところまで行った》アンサンブルの一つだが、その特性がフル活用されている。エッジの効いた弾き方だと音は合わせやすい(あるいは音が合って聞こえやすい)のだが、このオーケストラにそんな措置は必要ない。滑らかな弾き方なのにさらっと異常な精度で音を合わせてくる弦は本当にヤバい。フィナーレは完全にマジキチである。また木管も金管もあまりに上質過ぎる。ソロの場面など、どの管も実に上手い。セルはこのオーケストラに対して、楽曲全体の構造は流線形に美しく磨き上げて見せること、そして各場面では、セルの指示する《最適》なバランスの音を鳴らすよう要求する。目立たないパートは本当に全然目立たない辺り、最近流行りの、どのパートもくっきり聴かせる演奏とは一線を画する、

 基本的にクールな演奏なのだが、パッションがないわけではないのがポイントだ。どの楽章でも、控えめながらも抑えがたい高揚感が見られる。第二楽章でもテンポをちょっと速めて心から何かが溢れる切迫感すら生み出していて見事。それらの激しくなりかねない情動が、総奏の終了 or 管楽器ソロによってクールダウンされる。このクールダウンがまた素晴らしいのだ。また第一楽章やフィナーレのクライマックスでは、弦が心もち音を引っ張るなど、芝居気すら垣間見せてくれる。これらは隠し味的にしか作用していないかも知れないが、とはいえこの隠し味がこの演奏の印象全体に大きな影響を及ぼしているようにも思われる。セルが、セッション録音においてすら、人工的だの非人間的だのと難詰されることが少ないのは、要するにこの隠し味があってこそではないだろうか。大変厳しく統制されているのだけれど、その厳しさを厳しさとして表面化させないよう統制された――つまり、通常の《厳しい統制》よりも更に一段上のレベルの統制が為されている――演奏にあっても、はみ出す感情や感傷がある。それがとても利くのである。あるいは、「冷たいけれど穏やか」という佇まい自体に、聴き手の何らかの感傷を惹起するトリガーがあるのかも知れない。

 もちろん、クールな箇所も実にいい。第二楽章や第三楽章トリオ、フィナーレ第二主題での木管群の歌は、特別なことは何もやっていないのに、そくそくと胸に迫る何かがある。スケルツォも楽想の旋回が儚げだ。オーケストラの総奏には、熱気がないけれど迫力はあるのも特筆すべきことだろう。あ、あとフィナーレでトランペットが凄い目立ち方してます。録音バランスの問題って可能性もありますが、他の場面のことを考えると、これはセルの指示の可能性が高いと考えます。後年のEMI録音も聴くと確証が持てますが、あっちは持ってないし、現在廃盤中なんだよな。

 カップリングは《ロザムンデ》関連の三曲。どれも素晴らしい演奏だが、序曲は《グレイト》に比べるまでもなく実に画然とした演奏(特に主部!)で、意外の念に打たれました。メロディーもかなり揺らしてます。やはり大指揮者、曲によってやり口変えて来てるんだよなあ。

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14年10月26日(日)

Wanderer2014-10-26

[]マルティン・ジークハルト/アーネム・フィルハーモニー管弦楽団 シューベルト:交響曲第8番ハ長調《グレイト》 マルティン・ジークハルト/アーネム・フィルハーモニー管弦楽団 シューベルト:交響曲第8番ハ長調《グレイト》を含むブックマーク マルティン・ジークハルト/アーネム・フィルハーモニー管弦楽団 シューベルト:交響曲第8番ハ長調《グレイト》のブックマークコメント

 2003年9月9日〜12日、アーネムのムシス・サクルム、コンサート・ホールでのセッション録音である。EXTONレーベルは、オンマイク気味録音の雄として、今回もなかなかいい音でオーケストラを録ってくれております。

 非常に緻密で充実した演奏である。奇を衒わず正面から楽譜と四つに組んで、かっちりした全体設計を前提に、細部のニュアンスも逐一拾い上げている。横の流れよりは縦の線をきっちり合わせることを重視しており、アクセントや音の切れが良く、ハーモニーにも厚みがある。拍節感も強めになっているが、メロディラインも無視されているわけではなく、レガートでメロディーを滑らかに動かす場面もあり、聴いていて「カッチカチやな……」的な違和感を覚える人は少ないだろう。オーケストラもなかなか立派であり、技術的に(このセッション録音で聴く分には)全く問題がない。木管群も最上・極上とは言えないものの、十二分に魅力的だ。意気込みも十分で、積極果敢にシューベルトの楽想に食いついている。テンションも發瓩任△蝓各楽章のクライマックスではエキサイトさせられます。地方都市のマイナーなオーケストラと甘く見ていると驚かされること請け合いというわけです。

 カップリングは《未完成》。こちらも同傾向の演奏で、横の流れよりは縦の線、というか楽曲構成を重視している。よって雅な風情はほとんど感じられませんが、しっかり正面から演奏できているので好感度は高いです。基本を押さえたいい演奏だと思いますよ。

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