不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

殺人の代償/H・ホイッティントン

殺人の代償 (扶桑社ミステリー)

殺人の代償 (扶桑社ミステリー)

 実に面白くなさそうなタイトルだが、《ペッパーバックの王者》という謳い文句と、ノワール臭い粗筋紹介に惹かれるものを感じ、購入してみた。

 期待は裏切られず、楽しめた。1958年の作だが、ストレートな倒叙サスペンスをベースに、主人公と彼を巡る女たちをノワールっぽいキャラにした感じである。このキャラ達が魅力の根源。シンプルな文体で、根っからの悪ではないが良心の呵責もない、絶妙な心情描写をさらりとやってのける。筋立ても割に凝っていて、弛緩しないスピーディーな展開も奏功し、読者を飽きさせない。王者かどうかはともかく、この作品が、安手だが最上級の楽しみを与えてくれたのは確か。イデアとしてのペイパーバックそのものという感じ。再評価の機運が高まったらいいなあ。

魔/笠井潔

魔―本格ミステリ・マスターズ

魔―本格ミステリ・マスターズ

 飛鳥井シリーズ初体験。中篇二本が収められている。

 どちらの作品にも、イデオロギーが出て来ない。代わりに、ストーカーとか拒食症とか、社会問題的な事物が出て来る。ただ、問題が個人に帰着するためか、大上段に演説をぶつ展開は影を潜め、探偵役の飛鳥井も、カウンセラーの鷺沼も、落ち着きつつも親身になって、事件に当たる。特に飛鳥井は寡黙であり、私立探偵という設定もあり、沢崎に通じるものを感じる。

 以上の特徴のため、ミステリとしての核が、表面に露出している。事件内容も、物語の基調がハードボイルドのためか、かなり簡素化されており、作者の本格ミステリ作家としての腕が、より直截に感じ取れるようになっている。今更だが、やはりこの作家は実力者だと思う。謎と解明、真相のなんと端正なことか。

 ハードなファンには、こういうのを笠井が書く必要性がどこに、などと言われるかもしれない。正直、私も若干そう思う。ただ、原寮(←当て字)がご存知の通り超寡作家である以上、こういう作品は個人的にはありがたい。笠井も55歳。ひょっとすると、こういう作品の方が書きやすくなっているかもしれない。