不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

ソーンダイク博士の事件簿Ⅰ/オースチン・フリーマン

 科学というものは日進月歩であるため、本作に収められた諸編でおこなわれる科学的捜査法は、現代の目から見れば確かに古い。しかし、科学に対する信念を抱くと同時に、妄信することを戒めるソーンダイク博士の姿勢は、現代にも十分通用するはずだ。また、たとえ通用しないとしても、彼がじっくりと理知的に捜査し、適度な推理を交えて《真相》を暴き出す道程は知的スリルに溢れている。ソーンダイクの常識ある態度も好ましい。また、科学的捜査により《事件現場で何が起きたか》を暴くことが唯一最大の目的なので、犯人が不明のまま終わることさえあるのだ。しかしこれでも読者としては何の不満も抱かない。なぜなら、《何が起きたか》は判明しているので、科学捜査はこれをもって勝利しているからである。このラディカルとさえ言える手法が、名実共にホームズのライバルであったような古の作品において採用されていたことは、極めて興味深い。読みやすいし、広くお薦めしたい短編集である。

鏡地獄/江戸川乱歩

江戸川乱歩全集 第3巻 陰獣 (光文社文庫)
 言わずと知れた傑作である。もちろん、完全球体の鏡の中に入って発狂することは、ほとんどの人間にとってあり得ないことだろう。しかし、ミラーハウスでのあの異様な感覚はよく出ているような気がするし、そもそも、鏡・硝子に魅入られた男の病膏肓に入った、狂気とさえ呼べる拘りは、それを雰囲気たっぷりに描出する乱歩の筆致と相俟って、一読忘れがたい読後感を読者に与える。乱歩の名を知る者であれば、必読だろう。