不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

落下する緑/田中啓文

 あの田中啓文が、駄洒落を封印して真面目に本格ミステリに取り組んだ連作短編集。といっても殺人事件は起きず、音楽活動やその周辺での人付き合いの中で遭遇する不思議な謎を解いてゆく。また、駄洒落封印に関しても、第5作「虚言するピンク」で《早とちりの外国人》という設定を使い、「郷に入れば郷に従え」を「GOに入ればGOに従え」と聞き間違え、「行け行けどんどん」と解釈する等の言葉遊びによって、事実上の駄洒落を使っている辺り、なかなか可笑しい。我慢できなかったのであろう……。
 各編の内容だが、これが非常に素晴らしい。切れ味の鋭いネタを、絶妙な語りと構成、人物造形で面白く料理した作品揃いであり、各編とも水準が全くぶれていないのは凄い。安心して読める高品質のミステリ短編集であり、駄洒落もない(先述のように、一瞬影は落とす)ことから、広くお勧めできる一冊となっている。ミステリ・ファンを驚倒せしめる大作ではないが、誰もが心から楽しめるタイプの作品といえよう。ゆえに傑作であると考える。
 以下は余談。作者のジャズに対する愛情が行間から強く立ち昇ってくるのだが、ジャンルこそ違え同じく音楽を愛好する者として、ここには強くシンパシーを感じる。何の根拠もない憶測だが、恐らくこの人は小説よりも音楽の方が好きなのではないか。本当に素晴らしい音楽体験がある人特有の、夢見心地で幸福な気分が、特に幕間の音盤紹介欄に色濃く出ている。小説の中のジャズ演奏のシーンもまた、《音楽する》ことへの喜びに満ちており、まさに、音楽を本当に愛していなければ書けないものとなっている。まただからこそ、そのような音楽の前に佇んだときに、駄洒落を(一応)封印するほどに真面目になれるのだろう。この封印、鮎川哲也への敬意のみによっているのではないような気がしてならない。
 あと、一部で不評な装丁だが、私は素晴らしいと思う。音楽の猥雑な感じを出したかったのだろうから、これでいいんです。

ステーションの奥の奥/山口雅也

ステーションの奥の奥 (ミステリーランド)

ステーションの奥の奥 (ミステリーランド)

 観音市に住む小学六年生の神野陽太は、将来の夢を書く作文で、吸血鬼になりたいなどと書いてしまい、カウンセリングを受ける羽目になる。保護者として同行したのは、忙しい両親に代わり、同居するデブで夜行性の叔父さんであった。あの作文はウケ狙いだったと言い訳してカウンセリングは何とか切り抜けたものの、夏休みの自由研究はもっとマトモなテーマを扱わねばならない。そこで陽太は、東京駅の取材をすることにし、叔父さんに付き添ってもらって東京駅に赴く。だがそこで色々あって、陽太は、先の作文で将来の夢を名探偵とした同級生の真行寺留美花と、殺人事件の調査に手を付ける。
 主人公と叔父の交流にも、心温まる何か(それは、大きなお友達にも独特の感慨をもたらすだろう)がある。しかし、物語はある場面から一気にバカミスと化してゆく。アレをもっと先に提示し、ルールも(俗説に委ねず)作品内でしっかり提示しておけば、更に完成度は高くなったはずだが……。とはいえ、なかなか楽しめる一編に仕上がっていることは間違いない。この叢書が好きな人には、遠慮なくお勧めできる作品である。