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09年05月05日(火)

[]鉄の夢/ノーマン・スピンラッド 鉄の夢/ノーマン・スピンラッド を含むブックマーク 鉄の夢/ノーマン・スピンラッド のブックマークコメント

 千年前の核戦争によって、地球のほぼ全域は放射能に汚染され、人間を含めた動植物に多数の変異種が生まれていた。そんな中、金髪碧眼のフェリック・ジャガーは、醜いミュータントでいっぱいの自国に嫌気が差し、父祖の祖国・純人間国家ヘルドン大共和国に戻ろうと決意する。首尾よく検査に合格しヘルドンの市民権を得たフェリックであったが、いざ入国してみると、ヘルドン政府は国際主義勢力に席巻され、純血主義は脅かされていた。そしてそれを陰から操るのは、ミュータントの一種で精神操作能力を持つ優勢種ドムたちであった。フェリックは、居酒屋で出会ったボーゲルが党首を務めている《人間ルネサンス党》、ならず者のバイク集団《復讐者》を味方につけるとともに、旧ヘルドン王家の血を引く者だけが振るえるという伝説の《鋼鉄の大指揮杖》を入手、全ての純人間のため、打倒ミュータントを目指して立ち上がる……。

 以上は『鉄の夢』の作中作『鉤十字の帝王』の粗筋である。『鉤十字の帝王』の著者はSF作家アドルフ・ヒトラーであり、本書『鉄の夢』は『鉤十字の帝王』第二版という体裁をとっている。全体は『鉤十字の帝王』の扉絵・序文・ヒトラー長編リスト・ヒトラー略歴・本文全文・解説から構成される。つまり一種のメタフィクションだ。

 『鉄の夢』の作品世界では、ヒトラーは独裁者ではない。30年代に渡米して、SF作家・SFイラストレーター・SF書評家の道を歩んだことになっている。ヒトラーは1953年まで生き延びており、『鉤十字の帝王』その生涯最後の年に発表され、翌1954年のSF大会においてヒューゴー賞を射止める。ヒトラーがこのような経歴を歩んだのだから、この作品世界の歴史全体も、もちろん現実世界とは全く異なるものになっている。まず、当たり前だが人類はナチス=ドイツを一切経験していない。しかし世界が平和だったわけではなく、経緯等の詳細ははっきり書かれていないが、日米が同盟を組んで太平洋地域を掌握し、それ以外の地球全土を大ソヴィエトが押さえている。史実では共産圏を全て足してもここまで広い勢力拡張はできておらず、大ソヴィエトは日米にに対し圧倒的優位を保っているのだ。なおユダヤ人大虐殺は、ナチスではなく、大ソヴィエトが実行したことになっている。

 さて『鉤十字の帝王』の内容は、「荒唐無稽」の一言で表すことができよう。旧王家の正当後継者のみが振るえるという神秘的な《大指揮杖》*1を、主人公のフェリックが軽々と扱うのを目の当たりにして、《人間ルネサンス党》や《復讐者》が平伏する段は、あまりにも都合がよ過ぎると感じた。またそれ以前、ならず者たちのバイク集団である《復讐者》*2の首領ストーパとフェリックが、その頭目の地位を賭けて戦う一連の儀式も、4人分のビール一気飲み対決→火の道をバイクで疾走→鉄の棒での殴り合いと推移し、なにやら大袈裟で「いかにも」な感じが強い。テクノロジーの水準が一定しないのも特徴で、せいぜい蒸気機関車程度かと思っていると石油で動くバイクや自動車が大量に登場するし、戦闘爆撃機+機甲師団による電撃戦*3が実行されたと思いきや、次の瞬間には殴打主体の白兵戦に転じるなど、どうも変なのだ。

 さらに、地の文と台詞いずれにも、尋常ではない決め付けと美辞麗句の嵐が吹き荒れている。一部を引こう。

 真に英雄的な声で人びとに問いかけようとして声を最大限に張りあげながら、かれが武器を頭上高くあげると、フェリックの〈大指揮杖〉についた輝かしい頂飾ヘッドピースが火照りの輝きをとらえて、模型ミニチュアの太陽のように燃えあがった。

「わたしはこの手に〈ヘルドの大指揮杖〉を握っている。そしてこの故にわたしは、全ヘルドンならびにその彼方にある全領土の正統にして唯一なる支配権を要求する。それも単に自分自身によるのでなく、〈鉤十字の息子たち〉の名において! わたしは自らを〈鉤十字の息子たち〉に捧げ、またこの聖なる武器を、血と鉄による全ヘルドン浄化ならびに全地表にわたる真の人間の領域拡大に捧げる! 最後のミュータント遺伝子がこの星の地表から一掃されるまで、けっして安堵してはならぬ!」

 奇跡的に、途方もない叫声と確かな簡潔さをともなって、無数の群集が残らず空中に右手を突きだし合唱した。「万歳ハイルジャガー! 万歳ハイルジャガー! 万歳ハイルジャガー!」

 その音響は天地を二つに引き裂かんばかりの気勢をもち、神までも黙らせるかのようだった。

 喜びに満ちあふれて、フェリックは巨大な〈大指揮杖〉を戻し、敬礼を返した。信じられないほどに、合唱の音が大きさと熱っぽさを倍増させた。さらに敬礼は骨さえ折りかねない熱烈なものになった。一瞬の寛喜がフェリックの魂を、民族的勝利の夢にさえ見なかった高みに浮きあがらせた。一万以上のヘルドン国民は政党に対し熱烈なまでに忠実になっていた。松明が、かれの背後に輝く巨大な樹の鉤十字に点火すると、かれの言葉と意志ももまた、ここに集った善良なヘルドン国民の心にある鉤十字に火をともしたのだった。炎の鉤十字がオレンジ色の炎の舌を夜空に燃えあがらせると、ヘルドン国民の心の鉤十字もまた、魂の闇を明かるく照らしだし、新時代の旗を天地すみずみに押し示すことになるはずだった。

 マジでずっとこの調子です。そして、このような箇所に示された理念・理想――もっとはっきり言えば妄想――に疑念を示す登場人物は存在しない。ヘルドン国民は全員、国家に対して雄々しく忠誠を示し、ミュータントたちに勇猛な戦いを挑むのである。ちなみに女性は全く出て来ません。

 これらは『鉤十字の帝王』の欠陥であるが、実は全て史実のアドルフ・ヒトラーとナチス=ドイツの巧妙なパロディであり、そっくりそのまま『鉄の夢』の読みどころになっている。

 ミュータントたちは極めて不潔で醜く、悪臭にまみれた存在として描き出される。そして彼らが住んでいるエリアも、同様に汚物のような視線を浴びせられている。確かに彼らやその土地は放射能に汚染されており、『鉤十字の帝王』の作品世界内に限って言えば、その見方には一定の合理性がある。しかし、他でもないアドルフ・ヒトラーがそれを書いているという設定が、背後のおぞましい選民思想を読者に半ば強制的に読み取らせることになる。

 文章の大袈裟な抑揚は、ヒトラーの演説や『わが闘争』のパロディに他ならない。ジャガー一党の幹部連は、ゲーリングヒムラーゲッベルス、ヘス、レームらを露骨にモデルにしている。主人公のフェリック・ジャガーは容貌こそヒトラーとは異なるし、戦場で《大指揮杖》を振り回し巨人をばったばったとなぎ倒す(そしてもちろん敵の攻撃は当たらない!)など、史実のヒトラーがやりもしなかった英雄的行為を色々やらかすが、その姿がヒトラーの願望の結実であることは明らかだ。要は嘘臭いほどカッコいいのである。実際、嘘なんですけどね。しかしその強烈な美化も含めて、『鉤十字の帝王』には、我々が今「ナチス=ドイツとヒトラーの特徴」として知るものの全てが詰まっているのである。

 ニューヨーク大学教授ホーマー・フィリップなる人物が『鉤十字の帝王』第二版に付したとされる解説において、作者ノーマン・スピンラッドの皮肉は頂点に達する。

 ホーマー・フィリップは『鉤十字の帝王』を分析して問題点を列挙し、ヒトラーの精神は執筆当時かなり危なかったのではないかと考察する。しかし魅力はあるとして、日米のみが大ソヴィエトの世界征服を妨げている世界情勢も視野に入れ、以下のように結論付ける。

 疑いもなく、ヒトラー愛読者の多くは、フェリック・ジャガーのような指導者の出現がアメリカに引き起こすだろう情況を想像してみたい誘惑を感じるに違いない。われわれの偉大な工業資源を集中すれば、地上に敵をもたぬ強大な軍隊を誕生させるだろうし、またこの人口はこぞって愛国の決意を燃える国家を産むだろう。またわれわれの倫理観念は大ソヴィエト連邦との死闘を展開するあいだ忘却状態におかれるだろう。

 もちろん、そうした人間は病的なSF小説の途方もない幻想のなかでだけ権力を握ることができる。

 フェリック・ジャガーのような怪物が、アドルフ・ヒトラーという名の神経症のSF作家が見た熱病夢に等しい一編のサイエンス・ファンタジイのページ内に永遠に封じこめられていることは、われわれにとって幸いなのである。

 現実がそうではなかったことを、我々も、ノーマン・スピンラッドも知っている。この皮肉! なお帯でマイクル・ムアコックは「本書のエキサイティングで息をつかせぬ大冒険活劇の世界こそ、まさにヒロイック・ファンタジイの精髄だ!」という賛辞を寄せているが、これもまた強烈な皮肉である。『鉤十字の帝王』で示されたカッコよさは、嘘八百の妄想でしかない。でも、人間はそれをカッコいいと感じるのみならず、真実だと信じてしまう。『鉄の夢』は、それをSFならではの手法でまざまざと見せ付けた。本書で提示されたものは、とんでもなくダークでシリアスなのだ。傑作であると思う。

 最後にヒューゴー賞の扱いについて触れておこう。『鉤十字の帝王』をヒューゴー賞受賞作という設定だが、これは「SFファンダムの眼力なんてこの程度さ」と嘯いているようにも読める。スピンラッドはヒューゴー賞を受賞していないので、私怨であることは丸わかりだが、こういう大人気ないところは正直ちょっと可愛い。

*1:一応、核戦争前に魔術師(科学者のことか?)が秘術の限りを尽くして作ったことになっているが、何とも神話的なアイテムである。

*2:完全に「ヒャッハー!!」の世界。

*3:ナチス=ドイツが実際に多用した戦法である。

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