2月のランクリストマッチ


普段なら2日に分けて1回ずつ撃つところだが、昨日が仕事だったので今日2回まとめて撃った。
前回、1月のランクリストでつかんだように感じた「新境地」を確認するのが、最大の関心である。


いわゆる「入れ込み」の強さのような、「気合系」の充実で出した好結果ではなく、冷静な観察とパフォーマンスの本質とにらんだ部分に対するコントロールの徹底で出た593だったので、もし「合っている」なら、1日2回でも疲弊しきらずに再現できるんじゃないかな、と(恐る恐るだが)なんとなく期待してみる。


もはや「実験」の領域に達しつつあるが、12月のランクリストから、今日まで、弾を出したのはランクリストマッチだけ。いわゆる実射練習はゼロである。前回から今回までの間に、1度だけ部屋で構えた。Noptelをやろうと思って準備したのだが、バッテリーが不調で、軌跡が捉えられず、イライラしながら据銃練習を1時間くらいしただけである。
前夜は、相方の実家で、父親役としてはあまり役に立たないまま、娘とリラックスだけさせてもらってゆっくり寝た。


朝、射場に着くとチームの後輩M君も岡山から高校生を連れて来ていた。1射群・3射群ともに1つ置いて隣の射座で撃つことになった。


M君がこの会場に来るようになるまでは、「チャレンジする」という刺激はもちろん「競う」面での刺激もあまりないことが多かった。
射撃は、自分のパフォーマンスだけがそのままに点数に映る競技であるし、その結果を古今東西あらゆる記録とすぐに比較できる競技でもあるので、一人でも頑張れるスポーツではあるのだが、実はそれだけではなかなか難しい。


私がその辺りを感じるのは、意外に「撃った後」である。
それなりに分析をしながら撃っているので、(適正であるかどうかはともかく)撃ち終わった段階でいつも、自分のパフォーマンスに対する「評価」はある程度できている。
それは、点数に関わりなく、高い評価のこともあるし、不満足なこともある。不満足なときには、課題が明確でダメだったこともあれば、問題を感じつつも終わった時点ではそれがどの辺りのものかがはっきりしないでいることもある。


一目置ける選手と、チャレンジしたり、競ったり、という状況にある方が、終わった後の分析や反省を継続してきちんとできるのだ。
「そこそこでも結果的には圧勝」みたいな状況は、分析や反省を鈍らせる。結果が出るまでは「点数に関わりなく」行っていたはずなのに、出てしまった結果が「相対的に大した状態」であることで「点数による満足感」のようなものが出て、どうしても緩んでしまうのである。


これが一般的であるのかどうかはわからないけれど、そんな意識は前からあって、(負けるのはいやなのだけれど)強い人が近くに現れることは期待していた。国体代表を競っていたかつてのスーパー高校生・N君には、そういう話をしたことがある。


M君にわざわざそんなことを話しはしないが、私は彼の存在を大変ありがたいと思っている。


さて、結果は1回目594、2回目592だった。
おおよそ技術的に、頭で構想していたこととパフォーマンスの結果が一致していたことになる。
きちんとした形でステップアップできたようである。


これだけぎりぎりでなく立て続けに590以上を平然と出したことは、初めてと言っていいのだが、非常に冷静だった。
M君は1回目593、2回目も593。
冷静さは、M君の存在のお陰もあるだろう。しばらく置いてけぼりだった後輩に、記録会とはいえ1勝1敗で、トータルが同点。普通に互角の状態まで戻ってきたことは素直にうれしいことである。


次の次元へ。
確認したこと以外に得た「次への芽」はある。
いつまでも、そして、どんどんと射撃は私にとって面白いものとなっている。


[fin]