「工事現場から」へ

2016-12-03 うどん覚書

f:id:YADA:20161203235004j:image


讃岐うどん

◎準備するもの(4〜5人前分)

・中力粉 500g

・塩    29g

・水    240g

・打ち粉(薄力粉でOK) 適量

◎塩分量(Wt%)=0.09×室温+3.55

うどんの打ち方 より)


うどん(塩薄め/加水率低め)

水分 46% 塩分10%塩水

・小麦粉300g →水138cc→塩13g

・小麦粉400g →水184cc→塩18g

・小麦粉500g →水230cc→塩23g

・小麦粉600g →水276cc→塩27g

【手打ちうどんの作り方!】父ちゃん直伝! UDON より)




うどんつゆ

・出汁500ml

・醤油大さじ2

・酒小さじ1

・みりん小さじ1/2

2016-11-25 街中をそぞろ歩く者を路地は消え去った時間の奥底へと引き込む

f:id:YADA:20161125184752j:image


街中をそぞろ歩く者を、路地は消え去った時間の奥底へと引きずり込む。

Den Flanierenden leitet die Straße in eine entschwundene Zeit.

Ihm ist eine jede abschüssig.

Sie führt hinab, wenn nicht zu den Müttern, so doch in eine Vergangenheit, die um so bannender sein kann als sie nicht seine eigene, private ist.

Dennoch bleibt sie immer Zeit einer Kindheit.

Warum aber die seines gelebten Leben?

Im Asphalt, über den er hingeht, wecken seine Schritte eine erstaunliche Resonanz.

Das Gaslicht, das auf die Fliesen herunterstrahlt, wirft ein zweideutiges Licht auf diesen doppelten Boden.

[M1-2]

Walter Benjamin ”Das Passagen-Werk” Der Flaneur より)


街路はこの遊歩者を遥か遠くに消え去った時間へと連れて行く。

遊歩者にとってはどんな街路も急な下り坂なのだ。

この坂は彼を下へ下へと連れて行く。母たちのところというわけではなくとも、ある過去へと連れていく。この過去は、それが彼自身の個人的なそれでないだけにいっそう魅惑的なものとなりうるのだ。

にもかかわらず、この過去はつねにある幼年時代の時間のままである。

それがしかしよりによって彼自身が生きた人生の幼年時代の時間であるのはどうしてであろうか?

アスファルトの上を彼が歩くとその足音が驚くべき反響を引き起こす。

タイルの上に降り注ぐガス灯の光は、この二重になった地面の上に不可解な(両義的な)光を投げかけるのだ。

[M1-2]

(ヴァルター・ベンヤミン「パサージュ論 - III 都市の遊歩者」 M 遊歩者 より)



The street leads the flâneur into a forgotten time.

For him, every path is steep.

It slopes downwards, if not to the Mothers, then to a past that is all the more enchanting for not being his.

Nevertheless, this past will always be a childhood.

But why should it befrom his own life?

In the asphalt upon which he treads,his steps have a strenge resonance.

(”FLÂNEUR 3 : BENJAMINS SHADOW” より)


 Proust über Nächte tiefen Schlafs nach großer Ermüdung; »Elles nous font retrouver là où nos muscles plongent et tordent leurs ramifications et aspirent la vie nouvelle, le jardin où nous avons ètè enfant. Il n’y a pas besoin de voyage pour le revoir, il faut descendre pour le retrouver. Ce qui a couvert la terre, n’est plus sur elle, mais dessous, l’excursion ne fuffit pas pour visiter la ville morte, les fouilles sont nècessaires.« Die Worte gehen gegen die Weisung, Statten aufzusuchen, an denen man Kind war. Sie behalten aber ihre‹n› Sinn auch als Wendung gegen die mèmoire volontaire. Marcel Proust: Le côtè de Guermantes I Paris 1920 p 82

[K9,1]

Walter Benjamin ”Das Passagen-Werk” Traumstadt und Traumhaus, Zukunftsträume, anthropologischer Nihilismus, Jungより)



パサージュ論 第3巻 (岩波現代文庫)

パサージュ論 第3巻 (岩波現代文庫)

Das Passagen-Werk (Vollstndige Ausgabe): Die Straen von Paris: Einer der Grundlagentexte materialistischer Kulturtheorie - Blick in die Jetztzeit des Sptkapitalismus (German Edition)

Walter Benjamin

http://amzn.asia/18IO1Hz

2016-11-22 遊歩者 其ノ三 : ヴァルター・ベンヤミンの影

FLÂNEUR 3 : BENJAMINS SHADOW

D

https://www.youtube.com/watch?v=daTc3tH0uy4


監督:Torben Skjodt Jensen

The director and producer. Born in Aalborg in 1958, moved to Roskilde in 1965. O-levels from Lyng School, Svogerslev 1975 HF-examination Roskilde Cathedral School 1977. Studied Film Studies at the University from 1978-82.

Worked on comic publishers Inter Press / Rune Press from 1976-1983, editor of Colored Pages, a magazine about comics. 1981-85: music and film writer for magazines Staccato and Young Nu. 1983-84 graphically organizes the Gutenberg House / Select Video.

Debuting with the first video productions at the Danish Video Workshop, Haderslev 1983. Sad to project editors at the workshop in 1984 and 85. First production at the Danish Film Workshop in Copenhagen in 1987, program officer at the projects "Next Stop, Soviet" (rocks), "Instant Karma "(rocks) and" Museum Europe "(rocks) in the workshop between 1988 and 1993. the project editors 1992. from 1985 to 1987 co-owner of the production company Film Angels. From 1987-88 part of the practice Drawing Workshop, Frederiksberg, div. graphic productions and commercials. From 1989-1991 part of the practice man overboard, Copenhagen.

From 1991 to 1994, in collaboration with Thomas Gammeltoft / Film & Sound. From 1994 to 1996, together with Henrik Moller Sorensen / ASA Film. From 1995 to 1999, in collaboration with Steen Herdel / Herdel Filmproduktion. 1996-1999 and 2003-2006 in collaboration with Thomas Stenderup / Final Cut Productions. 1998-2001 in collaboration with Thomas Gammeltoft / Angel Productions. 2000-2003 in cooperation with DR Fiction, Ingolf Gabold / Piv Bernth, transmissions and theater transfers. In 2009 collaboration with Mette Heide / Picture Plus. From 1996 to 2011 holds by the Enterprise Point of no Return Productions.

脚本:ULF Peter Hallberg

Ulf Peter Hallberg, born December 4, 1953 in Slottsstadens congregation in Malmo, is a Swedish novelist and translator. He lives in Berlin since 1983 and since 2013 he teaches creative writing at the Sorbonne University in Paris.

As a writer, he has dwelt on European identity and the individual's place in the big city. These themes will again in the novels, pedestrian glance: A European color theory (1993), the Grand Tour (2005), European garbage: Sixteen way of remembering a father (2009) and Strindberg shade in the Paris of the North (2012) and the essay collection of cities swell together Carl-Henning Wijkmark (2011). Among his other collections of essays include The meaning of life and other concerns with Erland Josephson (2010) and the Theatre-life: Draft a theater arts (2003).

2016 published two volumes with most of his translations of William Shakespeare's drama: The bloody parliament and comic confusion. In addition, Walter Benjamin and William Shakespeare, he has, among others, translated Bertolt Brecht, Roland Schimmelpfennig, Georg Büchner, Rainer Werner Fassbinder, Peter Handke, Molière, Ibsen, Franz Xaver Kroetz, Marius von Mayenburg, Friedrich Schiller, Werner Schwab, Simon Stephens and Frank Wedekind.

1992 he was awarded the Swedish Academy översättarpris for translation of Walter Benjamin, Paris, 1800s capital and the same year the Foundation Natur & Kultur översättarpris. Ulf Peter Hallberg talked summer 1994.

提供:DET DANSKE FILMINSTITUT


1998

参照:

Walter Benjamin’s Philosophical Thought Presented by Two Experimental Films


パリの街にドイツ語が響く感じが、いいなあ。ベンヤミンって30年代ドイツで肥大化した在特勢力に追い出されて、パリへ逃げて、ドイツ語で考えてたんよなあ。

ボードレール 他五篇 (岩波文庫―ベンヤミンの仕事)

ボードレール 他五篇 (岩波文庫―ベンヤミンの仕事)

2016-11-13 2016年日本国立近代美術館のトーマス・ルフ

f:id:YADA:20161113183317j:image


トーマス・ルフ展が国立近代美術館で開催中

「顔写真を大きく伸ばしたんだ。へ〜・・・・・。で?」

・・・・・・・・・・・・・・・

この手の当たり前の写真を大きくして価値を高めてる写真のことを「坪単価いくらの写真」と呼ぼう。広さ=価値、っていう不動産の価値観に支えられた写真。でかいけど、構成要素はやたら少ないから人件費さえ投入すれば短期間に次々と量産可能で、実にリーズナブルな芸術。

で、これらただただ大っきい写真を買うのは誰か? それはもちろん、不動産デベロッパーさんたち。余剰資金もたっぷりあるし、展示スペースにもことかかない。それよりなにより、面積と価値が釣り合ってるっていう価値観を共有している。「おお! 同志よ!」 。不動産は、安定資産。それを証券化した不動産証券は超安定資産。超安定資産=永遠不変の価値。不動産=面積こそが、不動不変永遠の価値を表象する。ゆえに、大っきい写真には、不動不変永遠の価値がある。不動不変永遠の価値こそ、芸術! アリガタヤアリガタヤ。

愚か。

そもそも不動産=不動の資産って神話は、2008年リーマンショックで解体したよね? 土地を担保にしてようが、変動相場で売り買いされてる以上は、相場の気分次第で価値が上下するただの「商品」。不動産だろうが、家屋だろうが、土地だろうが、小豆相場やらレアカードトレードやらと変わらない。17世紀オランダの「チューリップ恐慌」を思い起こそう。チューリップの球根を大の大人が必死になって全財産賭けて売買してたことがあったんだぜ? 不動産もそれと同じってことが、2008年にははっきりしてる。今は、2016年。なんで今更? なんで今更、面積市場主義の写真を国立美術館でやるの??? そのことの国家的意義やいかに?

実は意義はある。

2008年リーマンショックで不動産もバブル商品にすぎないと世界的には認識されているにもかかわらず、アベノミクス下のニッポンでは、今まさに「不動産バブル」中だから。アベノミクスで溢れ出た余剰資金(元は国債のわけだが)は、ぜ〜〜〜んぶ不動産投資にまわっていて、今やニッポンは、不動産バブル状態。「今って21世紀だよね?・・・不動産バブルって30年前の話でしょ?・・・」と不安になるが、実際そうなっているんだから仕方ない。アベノミクス下の2016年ニッポンは官製景気の不動産バブル中。なんかねえ・・・。

不動産バブル投資で危うい官製好景気を演出しているアベノミクス日本。その国の首都で、いまだリーマンショック以前を彷彿させる「坪単価至上主義写真」を「国立」美術館で展示。これぞタイムリーな時勢感覚! まさに「お役人ニッポン」の取り残され具合と、カモられぐあいを表象していて実に感慨深い。

嗚呼、素晴らしい、見事にアベノミクス経済を表象した展示だ。


恐慌論 (岩波文庫)

恐慌論 (岩波文庫)

2016-10-16 ノーベル文学賞の本領

f:id:YADA:20161016014514j:image



村上春樹ノーベル賞祈願集会・・・・アホか。 

「村上春樹ノーベル賞」騒ぎで、どうしても違和感が拭えないのは、ノーベル文学賞受賞者で、一番尊敬してるのが、エリアス・カネッティだからかもしれない。「カネッティと同列に村上春樹かよ」って違和感。カネッティ的な人にやるのが、ノーベル賞の本意。売れ線作家にはやんなくていいじゃん。

カネッティは、89歳まで生きて、膨大な著作を残した。その中で、小説と言えるものは、25歳の時に書いたものが一編。面白いけど、そうそう画期的なもんじゃない。そりゃあカフカの方が良い。しかし、小説じゃない「群衆と権力」っていう著作はすごい。そもそもなんだかよくわかんないほどにすごい。すごい!ってことはわかるけど、「で、それってなに??」って言われて困る程にオリジナルなわけのわかんない労作。

歴史哲学ではない(そもそも論理展開しない!!! だから、そもそも学問書じゃない。ハッキリと違う)。当然、社会学でもない(論理展開しないんだってば)。人類学としても半端(人類学的な言及は、すべて他の書物からの引用)。百科全書? 偏りすぎでしょ。「確かに独創的な主旨だけど。これを信じていいの??」と言われて困る。信じるしかない。信じるにたる証拠が揃っているとも思えないけど。なら宗教書? これもハッキリ違う。祈りがない。集団の形成も願ってない。宗教書ではあり得ない。 でも売れそうか? ぜっっったい売れない!! ぜっっっっっっっったい売れない! 間違いなく売れない! それだけは断言できる。でもすごいよね!? これを知ってしまった以上褒めないのは、人としてどうなの? なんかしなくちゃいかんでしょ! ぜったいすごいんだもん! このすごさは、ちゃんと世間に伝えようよ!・・・・・で、どうすんの?・・・・あ!!! 「文学」! 文学にしちゃおう! 文学だよ、文学文学! ノーベル文学賞やろう! これだろ!!

って感じで、配るべきが「ノーベル文学賞」。

村上春樹って、アーヴィングでしょ? カーヴァーでしょ? フィッツジェラルドでしょ? チャンドラーでしょ? そっちに肩入れしてる小説家にノーベル賞やる必要ないじゃん。同時代の世間に受け入れられて、本がとっても売れた時点が終着点。それが望みだったんでしょ? 「同時代の人々から愛されて大事にされる」。目標に到達してるじゃん。

本人も言えよ、「僕はノーベル賞とかいりません」って。「だって、フィッツジェラルドももらってないでしょ?」って。



(これ書いた直後にボブ・ディラン受賞を知って快笑。やるなあノーベル文学賞選考委員! 「文学」はこうでなくちゃ!)


Masse Und Macht

Masse Und Macht

2016-10-05 なんにもわかってない奴

f:id:YADA:20161005015259j:image


ご自身に何の落ち度もない患者さん

透析まで至ってしまっても、心を入れ替えて、真摯に治療に当たっている患者さん

そんな皆様にいらぬ偏見を植え付け、下らない誹謗中傷を誘う可能性のある内容であったことは間違ない話なのだと思います。しっかりと考えた上で、最大限の留意をすべきでした。

この度の騒動で嫌な思いをされた全ての方に心よりお詫び申し上げます。


なんにもわかってない奴。

あのね、「人工透析」って末期延命治療だからね。「心を入れ替え」ようが、「真摯に治療」しようが、「この患者の腎臓は快方に転じることがない」と腎臓内科の専門医が判断した場合、悪化を鈍化させる為に最後の手段として導入するのが「人工透析」。

透析導入後は、平均半年で死ぬわけだが、なんのかのとそう簡単には死なない。加えて腎不全は自覚症状がほぼ皆無なんで、わりと普通に生活できる。あと、慢性腎不全って、水分の排出ができなくなるから、患者たちの肌ツヤ良くって(本当は浮腫んでるだけだが)、健康な怠け者に見えるんだろ。これが、「毛が全部抜け落ちる」とか「やせこける」とかだったら、”本音”主義者たちも「速やかに死ね」とか言えないんだろうが。

この人の論で言えば、透析導入後に真摯に治療に専念されたりしたら、治療期間が延びて(最大で二十年くらいは続く)社会保障に於ける医療費は増大して、国庫に負担を強いるから、ダメでしょ。医療費等社会保障給付費を抑える目的で「死ね」って言うなら、透析導入後は速やかに死ぬのが望ましい。そして、「死ね」っていう結論がおかしいなら、そもそもの立論が間違ってることになる。

念のために繰り返す。

「言い方」「留意」「修辞法」等の問題ではない。そもそもの「立論」が間違っている。


しかし、「契約打ち切り」なんていう社会的制裁を受けてなお、論理の間違いって気付けないもんなのかねえ。やっぱりアレやね、学校行ってるうちに勉強しとかんといかんね。

2016-10-02 愛国者なら早く死ね

f:id:YADA:20160923215940j:image


健康人、病人にかかわらず全ての高齢者に必要なのが年金で、その額は医療費の比ではない。人にもよるが人工透析を開始後の平均余命は、健康な一般人のおよそ半分といわれているので、60歳で導入した人の寿命は70歳くらいである。たとえ医療費がかかろうと、透析患者さんの年金は健康な人よりかなり少ない。透析患者さんの生涯医療費と年金などの社会保障費を詳しく検討したデータはまだないようだが、喫煙者の医療費に関しては多くのデータがある。それによると喫煙者の短期の医療費は確かに高いが、生涯医療費は変わらない、もしくは低いという。喫煙者にはたいへん失礼ではあるが、非喫煙者より寿命が約10年短いので、年金まで含めた社会保障費はむしろ少ないのではないかと考えられている。

やってしまった”という後悔を理解しない長谷川豊氏


結論:

長寿健康は、社会保障費を増大させるので、すぐ止めること。治療費負担を押し付けてでも早死にするのが、国庫の負担を減らす早道。

お国の為だ、愛国者なら、暴飲暴食喫煙違法薬物摂取などに努めましょう。

健康長寿は、反日。

2016-09-23 マクロビは身体に悪い

f:id:YADA:20160924191339j:image


和定食食いたくて、高円寺のマクロビオティック食堂へ行ってみた。「店主体調不良のため臨時休業」と貼り紙してあった。

しかたなく、高円寺「MASH」へ行った。白髪混じりのマスターは元気いっぱい。フルスピードで調理をこなしていた。

さて、このふたつの事実により次のことが実証された。

1)「マクロビオティックは健康に悪い」ことと、2)「揚げ物ハンバーグは健康の秘訣」ということだ。

そもそもマクロビは怪しい。スティーブ・ジョブズもマクロビに凝った挙句にガンをこじらせて、あっと言う間に若死した。友人夫は、マクロビに凝りまくって、これまたあっと言う間に腎臓ガンこじらせて若死した。そして、高円寺のマクロビ食堂は、食堂営業できない程の体調不良に陥っている。

マクロビ、明らかに健康に悪い。

対して、高円寺の洋食屋「クロンボ」「ニューバーグ」「MASH」のマスターたちは、みんな元気いっぱい。この3店舗に共通するメニューは、揚げ物とハンバーグだ。

1)マクロビオティックは健康を害する。あまつさえ死に至ることさえある。

2)揚げ物ハンバーグをもりもり食べていれば、健康長寿生涯現役。

ちょっと考えればわかることだ。蒸し野菜だ味噌だ玄米だ、そんなものは身体に悪いに決まっている。味噌と野菜と玄米って、宮沢賢治の食事じゃねえか。宮沢賢治が健康に百まで生きたか? ほとんどなんの仕事もせずにフラフラフラフラ暮らしていたのに四十に届かず、童貞のまま血を吐いて死んじまった。享年37。そんな奴の食生活のマネしてどうする。

そういう怪しげな食事はきっぱり止めよう。

一日三度朝昼晩と毎食ハンバーグか揚げ物、それにライス。こういうもんをハラ一杯食う!それが健康の秘訣。そして高円寺洋食店マスターたちのような健康を手に入れよう!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なんて事を考えながら、高円寺「MASH」で、Cセット食った。ライス大盛。

美味しくって満足。

2016-09-16 どんぐりころころあそびましょ

f:id:YADA:20160916111213j:image


ドジョウ「こんにちは坊や、オジサンと一緒に遊びましょ、ズボン脱いでごらん(笑)」

ドングリ「山が恋しいよー、山に帰してよー(号泣)」

ドジョウ「泣いたらオジサンも困っちゃうだろ、いいからパンツ脱いで(怒)」