琉球語の仮名表記

2016-09-25 當山日出夫

昨日と同じく、以下の内容は、「やまもも書斎記」と重複するが、同時にここにも掲載することにする。

http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/25/8200110


昨日はアイヌ語の仮名表記を見たので、今日は琉球語の仮名表記を見ることにする。

やまもも書斎記 2016年9月24日
アイヌ語の仮名表記
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/24/8198295

同じく、『日本語のために』を見ることにする。

やまもも書斎記 2016年9月17日
日本文学全集30『日本語のために』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/17/8192276

この本の琉球語のところ、第5章を見る。
「おもろさうし」 外間守善 校注
「琉歌」 島袋盛敏

このうち、「琉歌」の1866(p.194)に、


「ゐ」小書き


が見て取れる。これは、JIS仮名に無い字である。

この本の解題をみると、『標音評釈 琉歌全集』が1968年、『琉歌大観 増補』が1978年、とある。

もちろん、琉球語を日本語の一方言とみなすか、あるいは別言語とみなすか、議論のあることは承知している。さらに、ただ琉球語というのではなく、言語学的には、さらに細かな言語になることも、一応の知識としては持っている。

そのうえで、あえて問われてしかるべきであろう……アイヌ語の仮名がJIS仮名としてはいっているのに、琉球語の仮名表記ができなのは、どうしてなのか。JIS規格「0213」のとき、琉球語は考慮しなかったのか。「0213」の制定は、2000年である。年代としては、資料的に利用しえたはずのものである。

問題としては、安定した字体・表記法があるかどうか、ということがあったのかもしれない。

ここで、小書きの仮名は、通常の文字と同じ文字なのか、別の文字なのか、という議論がふたたび必要になってくる。同じ文字で大きさがちがうだけならば、それはそれでよい。しかし、別の文字として存在を認めるならば、文字の規格に必要であるという論になる。情報交換のための文字としての必要性を主張できる可能性がある。

さて、どうしたものだろうか。

アイヌ語の仮名表記

2016-09-24 當山日出夫


以下の内容は、重複するが、「やまもも書斎記」の方と同時に掲載することにする。
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/24/8198295


現在のコンピュータにある仮名は、日本語の表記のためのものもあるが、アイヌ語の表記のためのものもある。

次の仮名である。


セ゚ツ゚ト゚ (半濁点)


ㇰㇱㇲㇳㇴㇵㇶㇷㇸㇹㇷ゚ㇺㇻㇼㇽㇾㇿ (小書き)


これらの仮名、今、私がこの文章を書いているエディタ(WZ9)では、正しく表示してくれない。これらの仮名は、「0213」で追加になった仮名である。だから、JIS規格にはなっている文字。しかし、実際の運用は、ユニコードで使うようになっている。ワープロ(Wordなど)では、ユニコードとしてあつかって表示する。(なお、同じファイルを、EmEditorでひらいて表示させると、ただしく見える。たぶん、WEBでも大丈夫だと思うので使っておく。また、ワープロ一太郎2016)を使っている場合、横書きでは正しく表示(合成)するのだが、縦書きになると乱れてしまう。これは、ガ行鼻濁音の半濁点についてでも同様の現象が起こる。)

アイヌ語の場合、半濁点「゜」付きの仮名は、合成で示す。

したがって、JISの文字のコード表にはあるのだが、ユニコードの表にははいいっていない文字がある。その文字単独でははいっていない。「゜」と合成してつかうことを知らなければ使えない文字ということになる。

小書きの「ㇷ゚」(半濁点)などが、特に問題となる。

アイヌ語を表記する仮名が、JIS規格に決められ、そして、ユニコードで運用が可能になっている、このこと自体はよろこぶべきことであろう。だが、問題があるとすれば、次の二点。

第一に、現在のJIS規格「0213」で、アイヌ語用の仮名が入っていることが、どれほど知られているだろうか、ということ。

第二に、半濁点つきの仮名は、ユニコードでは合成で表示するようになっているため、エディタやワープロがそれに対応していない場合、正しく表示されないことがある、ということ。

以上の二点が、今後の問題として残っていることになる。

ところで、このアイヌ語仮名、知識としては知っていたが、実際に使用された事例を目にしたのは、最近になってからである。

池澤夏樹=個人編集「日本文学全集」30『日本語のために』.河出書房新社.2016

この本については、すでにふれた。

やまもも書斎記 2016年9月17日
日本文学全集30『日本語のために』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/17/8192276

アイヌ神謡集」、知里幸恵 著訳/北道邦彦 編
アイヌ物語」、山辺安之助/金田一京助
萱野茂アイヌ語辞典」

これらのアイヌ語の表記に、JIS規格で制定された仮名を見いだすことができる。おそらく、一般的な書物(アイヌのことを専門にしたのではない)において、アイヌ語仮名が使用された、珍しい例といえるのかもしれない。

気になるのは、この本『日本語のために』の組版において、アイヌ語組版データはどうなっているのだろうか、ということなのである。JIS規格文字(フォント)が使用されたのであろうか。それとも、通常の仮名を小さく印刷したのであろうか。このことが気になっている。

「イ゜」「リ゜」、どう発音? 琉球方言まとめる試み

2016-09-17 當山日出夫

たまたまであるが、今日の朝日新聞(デジタル版)。次のような記事があった。

「イ゜」「リ゜」、どう発音? 琉球方言まとめる試み
http://digital.asahi.com/articles/ASJ976R5JJ97TIPE034.html?rm=343

アイヌ語用の仮名があるのなら、琉球語用の仮名があってもいいような気もするのだが・・・

上記の記事、半濁音「゜」は、独立してつかってある。ユニコードの合成としてはあつかっていない。

文字の大きさは文字の属性か

2016-09-17

ひさしぶりに。そろそろ表記研究会のレジュメを準備しないといけない。

気になっていることがいくつかある。文字の大きさというのは、文字の属性になるのだろうか。現代日本語の仮名についてみれば、


あ ぁ


これは、同じ文字で、大きさが違うだけなのか。あるいは、大きさの違う別の文字ということになるのだろうか。

別のコードを割り当ててあるということから見るならば、別の文字ということになる。しかし、どう見ても、文字のかたちは、同じ字体であるとしかいいようがない。ただ、大きさが違うだけである。

通時的に総合的にどう考えるかは別の観点があるとしても、現在のJIS仮名という範囲で考えてみるならば、これは別の文字ということになりそうである。

このあたりのことは、研究会の当日、参加者のみなさんの意見を聞いてみたいところである。

『電脳社会の日本語』

2016-08-21 當山日出夫


また、本棚から本を取り出してきてながめてみた。


加藤弘一.『電脳社会の日本語』(文春新書).文藝春秋.2000
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166600946


ざっと目をとおしてみての感想であるが、やはりこの本でも変体仮名の問題はあつかっていない。JIS規格の78年版から、83年版への変更にいたる問題などには、かなりのページをさいている。その書いてあることの内容について、いまここで触れることは避けておきたいと思う。それよりも、ここで問題にしておきたいのは、漢字の字体のことについてては、いろんな角度から論じていることである。日本国内のJIS規格の問題(78から83の問題)のみならず、漢字文化圏での各国の文字符号化の問題などが論じられている。

この本、補説として、いつかの文章が載っているのだが、そのなかに「古典の電子化と異体字」という文章がある。ここでいう古典とは、漢字で書かれた古典のことである。日本の変体仮名で書かれた古典をいっているのではない。(なお、この本の最後のところには、SATのことについて触れられているのは、今から読んでみると、これはこれで興味深いものがある。)

ともあれ、コンピュータと文字というと、基本的に二つの方向があるようである。

第一には、多言語情報処理

第二には、そのなかでも特に漢字の字体の問題、漢字文化圏でどう処理するか

これらの問題については、いろんな本があるわけだが、日本の仮名については、深く言及したものがないように見ている。(これから順番に本棚から本をとりだしてきて、見ていくことをしばらくつづけるつもりだが。)

だが、変体仮名というのは、どうもコンピュータと言語という問題のなかで、あまりまともに議論されてきてはいないように感じている。たしかに、現代では、今昔文字鏡やKoinフォントなどがあって、変体仮名を利用できるようにはなっている。だが、それは、ただ、あれば便利になったということで終わっているようにも思える。

日本語にとって仮名とは何であるのか、そして、その仮名をコンピュータであつかうことの意味はどこにあるのか、このような視点からの議論が、あまりなされてこなかったように、ふりかえって思うのである。

『漢字文化とコンピュータ』

2016-08-19 當山日出夫


本棚から、本を取り出してきて眺めている。まず、取り出してきたのは、


伊藤英俊.『漢字文化とコンピュータ』(中公PC新書).中央公論社.1996


もういまでは絶版の本である。おそらく、コンピュータにおける文字の問題をあつかった、専門的な、それでいて、入門的な本としては、初期のものにはいるかと思う。1996年の刊行といえば、Windows95の翌年ということになる。

ざっとながめなおしてみての感想としては、二つ。今回は、特に仮名についてどのような記述があるか、どのような発想でみているか、この点に着目して、見ることにした。

第一に、コンピュータで文字をあつかうということの議論の出発点の確認になる本であるということ。もちろん、今の、コンピュータの状況からすれば、かなり古くなっていることはいなめない。

しかし、それでも、「JIS漢字コードは字体を規定していない」などの、今においても通じる問題点がしめされている。

第二に、やはり問題になっているのは漢字であるということ。ここで私が、とりあつかおうとしている仮名のことについては、基本的にふれられていない。非漢字ということで概括してのあつかいになっている。これは、仮名とコンピュータということが、さほど問題にならなかったことの、ある意味での証拠かもしれないと思う。

以上の二点が、ざっとではあるが目をとおしなおしてみての感想である。


この本『漢字文化とコンピュータ』が書かれたということ、それ自体が、漢字とコンピュータが、社会の問題になっていたことの証左でもある。いいかえるならば、仮名は問題にはならなかった、といってもよいであろうか。あるいは、仮名というのは、現代仮名遣い、それから、歴史的仮名遣い、そして、外来語の表記、これに使用できるものであるならば、それでなんら問題はなかった、といえるかもしれない。

これは、私自身の経験としてそうである。情報処理学会CH研究会などで、漢字とコンピュータのことについては、いくつか発表して、いろいろ考えてみたりしたことがある。しかし、仮名のことは、あまりというか、ほとんど考えたことがなかった。それだけ、仮名というのは、自明な文字であったのである。

ここで、今になって考えてみるべきことは、仮名の問題がなぜそれほどまでに自明なものとしてとらえられてきたのか、ということになるのかもしれない。そして、それを、いまの時点で、あらためて、仮名とコンピュータというテーマで考え直してみるとき、仮名というのは、はたしてそれほど自明なものであったのであろうか、という反省を呼び起こすことになる。

ユニコード変体仮名を選定できた背景

2016-08-18 當山日出夫


文字の規格(JIS規格、ユニコード)を考えるとき、忘れてはならないのは、その時々のコンピュータ技術である。


たぶん、JIS規格(0213)と、今般のユニコード変体仮名の、両方の規格制定に、なんらかの形で関与した経験のある人間というと、私(當山)だけということになるのだろうと、思っている。その意味では、個人的には貴重な体験であったと思う。と同時に、その責任として、JIS規格とユニコード変体仮名の関係について、きちんと考えておかねばならないと思っている。


このとき、思うことは、コンピュータとその周辺技術の発達ということである。今回、ユニコード変体仮名を選ぶことができた背景としては、コンピュータ技術と無縁ではないと感じている。


具体的には、
今昔文字鏡とか、Koinとかの、変体仮名フォントが存在して広く流通していたこと。
・コンピュータの画像処理技術の向上によって、画像データのとりあつかいが容易になったこと。特に、活字のスキャン画像の利活用が簡単にできるようになったこと。
・画像データをふくんだデータベースの構築が容易になったこと。
これらのことがあってと感じている。
また、電子メールの添付ファイルで、変体仮名のスキャン画像を添付ファイルで送信する、このようなことが、容易にできるようになった。


0213の時の、Windowsは、95、あるいは、98、ということになる。それが、今回の変体仮名の企画においては、Windows7以降の機種を使うことになった。これは、あくまでも個人的感想であるが、PCによる画像データの処理ということでは、格段の違いがある。この差は、非常に大きなものがあると感じている。


実際に市販のコンピュータ(Windowsマシン)に実装されたのは、2007年の、Vista以降のことになる。このVistaでは、0213:2004が使われようになって、字体の変更の問題がさらに生じることになった。それ以前の、XPとは、見える文字(漢字)の字体の一部が異なることになった。


そして、いま、ユニコードでは、シフトJISの制限をうけなくなっていること。これが、変体仮名提案にいたった、大きな要因かもしれない。かつて、JISの補助漢字「0212」があったが、実装されることはなかった。第三水準といわれたりしたこともあったように記憶しているが、実際に運用されることはなかった。これは、MS-DOSシフトJISでは、実装できないということに、起因していたと理解している。


コンピュータと文字ということを考えるとき、その時代の、コンピュータ一般の利用方法法や技術的な問題、これが大きく影響しているということを、体験的に実感している。