2009-07-27
嘘も方便、嘘は嘘
表現と性差別の話題について,まあ中身の詳細は理解が追いつかないと言うか,『表現の自由を脅すもの』が近くの図書館にあると調べたのにまだ借りていないあたりで脱落.って感じだけども.(まあ,後は自分なりのペースで見ていくということで)
地下猫さんの,最近のエントリでの主張からすると,結論としては「性を扱ったフィクションと性差別(とその被害者)は切り離せない事を頭の片隅においておけ」という事なんだろう.(直接にそうとは書いていないけど、”「表現者に特段の『配慮』は求めない」かつ「差別問題にコミットする」という事なので,これに相当するような内容だと解釈.)
始めから一貫してそう主張していたんだとして,そうすると地下猫さんの一連のエントリはものすごく「荒っぽい」よね,と思った.それはもしかすると,2chや増田,その他ネット上で無自覚に差別的な発言をしているような,地下猫さん流に言えば”自由にタダ乗りするガキ”への牽制としては有効かもしれない.タイトル通り,「嘘も方便」に近い感覚として.
でも,フィクションと差別の問題は常に頭にあって,現実の認識や「じゃあどうするか」という話をしたいね,という段階になると,ちょっと目が粗すぎて漏れるものが多すぎると思う.sk-44さんとかNaokitakahashiさんは,「そんなことは先刻承知」だからこそ,「その先」の話だと思ってやり取りしていたら,「一人一人の心がけ」の段階の話だと言われて「それだったら特に言う事ないや」となった,と思う.
内容についての感想はまあそういう感じなんだけども,個人的に引っ掛るのはこの議論が「疑似科学批判の応用」的な形でやっている,と表明している部分で.
少し前に地下猫さんが法学の話題でapjさんを批判していたけども,今回は地下猫さん自身がその位置にいるなあ,という感覚がある.
「どこから見ても黒いものを叩く」とどこかで地下猫さんが言っていたのだけども,それはどういう意味なのか.この場合,黒いのはポルノだとして,じゃあ白いのは何で,グレーなのは何なのだろう.(例えばサザエさんなのか?)
どうもそれが疑似科学批判の文脈からは出てこない気がして,普段の地下猫さんのエントリを見ているだけにやるせない感じがする.この辺はもう少し具体的に整理してみたいが,手に負えるだろうか.
2009-07-22
2009-06-23
tikani_nemuru_M氏の問題意識に対する呼称についての,私の見解
この週末にこの話題を追いかける余裕がなかった分,何か見落としているかもしれませんが,以下のエントリの特に「5」についての話.
個別の犯罪が関連を持って継続する系統的な被害 - 地下生活者の手遊び
僕の先日のエントリおよびそのコメント欄において,今回の話題において『人権侵害』というタームは使うべきではなく,また,法令や裁判の判例を繰り返し用いるべきではない,と僕は述べました.コメント欄や上のエントリでにおけるtikani_nemuru_Mさんの意見では,『人権侵害』という呼称を意図的に使用しているとの事なので,私は反対意見を改めて説明してみようと思います.ただ,当然ながら僕は『人権侵害』という呼称に反対する人の代表者ではなく,他の方はまた別の理由で『人権侵害』という呼称に反対しているのだろうと思います.
先立って,tikani_nemuru_Mさんが指摘する問題の存在について同意し,そこに光を当てようとする試みを支持します.「それ」は深刻な被害であり,問題として共有される事が必要だと思います.その上で,僕がtikani_nemuru_Mさんの指摘するものについて『人権侵害』という呼称を拒否する大きな理由を二つ述べます.もっとも大きな理由は,この一連の主張が「世間様」を相手にアクションを起こす試みである(と僕が解釈している)事に由来します.それに付随するもうひとつの理由は,この指摘がさすものの範囲について,具体的な論になかなか繋がっていかないという事です.
呼称と「世間様」と「専門家」
上に示したエントリ内「5」にて,nornsaffectioさんの意見が引用されています.(コメント欄ではすでに話が進展していますが)
他者危害概念を拡張的に使いすぎと言ってるだけなのだから、そういうことなら「わざと拡張しようとしてるんだ、放っといてくれ」と言うだけでよい。勿論、世の法律家や法哲学者はそういう珍奇な用法には基礎概念の無理解のレッテルを貼っておしまいでしょうけれども、それはしょうがない。
僕の前エントリで,コメント内で参照したseijigakutoさんの見解などは,同様に法学の立場から見た際に,専門家に受け入れられないであろうという問題点を指摘したものだと思います.
僕は(そして僕の考えではNaokiTakahashiさんも),これとは反対の(反対というのはちょっとおかしいかもしれませんが)立場から見た際の問題点を指摘しています.すなわち,「世間様」がどんなレッテルを貼るかについてです.「専門家」の輪に入って,弾かれてそこでおしまい,という結末になるのなら,僕にとってはむしろ反発するほどの事ではありません.しかし,tikani_nemuru_Mさんの指摘が妥当だと認められたとき,次のアクションは「世間様」に対するアピールです.そうでなければ,問題の解決に繋がりません.
ここで,性懲りもなく再びたとえ話を持ち出します.この呼称問題について,僕の関心の出発点がここにあるためです.「専門家」の間で一蹴されるものが,「世間様」の間では広く受け入れられるという事について,僕の普段の関心に引っかかる例があります.例えば「マイナスイオン」であり,例えば「水からの伝言」です.
「世間様」向けのレッテル
前エントリでcomplex_catさんやT-3donさんを引き合いに出した際にも少し触れましたが,僕はこの話題に対して,ニセ科学への関心と関連付けた見方をしています.ニセ科学に興味のある方はご存知だろうと思いますが,電化製品などでアピールされている「マイナスイオン」は,自然科学の専門家の輪に入れば一蹴されておしまい,という概念です.「イオン」そして「陽イオン・陰イオン」という概念は自然科学の中にありますが,「マイナスイオン」は今のところ科学の範疇として扱われません.
電化製品メーカーの開発者たちの試行錯誤によって,製品の性能は今も(おそらく)向上しています.その中には,職人芸のようなわずかな変化であったり,いくつもの要因が複雑に関連するなどして,今のところ機序は明確に説明できないものの,その要因となるであろう「何か」が存在することもあるでしょう.しかし,あるかもしれないからといって,それを「マイナスイオン」と名付けた所で何かが解決するわけではなく,自然科学の輪に加わるわけでもありません.むしろ,自然科学の立場からは,わからないうちは「わからないが存在する何か」のままで扱うことが求められるでしょう.
それにもかかわらず,「マイナスイオン」という呼称は,「世間様」に科学的アプローチに基づく技術であるかのような印象をもたらしました.「マイナスイオン」という科学的タームはないにもかかわらず(もっとも「陰イオン」について学校で習った事が逆効果だった可能性はあります).ここにおいて,技術者自身が「マイナスイオン」をどのような概念とみなしているかはあまり関係ありません.
「水からの伝言」も,自然科学の専門家からは一蹴されるような主張です.自然科学にとどまらず,言語学の観点からも,道徳の観点からも批判されうる主張です.それが,(当の道徳的観点からさえ批判されうるというのに)「道徳の授業」で「実験的な事実として」使われるほどに広がりを見せ,科学の専門家(の少なくとも一部)に衝撃を与えました.
「世間様」へ向けたアクションとして『人権侵害』という呼称に反対します
『人権侵害』の話題に戻ります.僕が危惧しているのは,tikani_nemuru_Mさんの指摘する「それ」に対して『人権侵害』という呼称を用いる事によって,「世間様」が法律の,すなわち法規制の話であるとの印象を強く与えるかもしれないということです.NaokiTakahashiさんが指摘していたように,tikani_nemuru_Mさん自身が法規制についてどう考えていようと「世間様」がその考えを継承する保証はありません.厳密には科学のタームでないマイナスイオンでさえ「世間様」に広がるのだから,法のタームと同一の『人権侵害』という呼称はなおさら危険です.『人権侵害からの救済』などは下手に聞こえが良い分,法規制に結びついた概念が水からの伝言のように『いい話』として流通する可能性もあります.
そして,その規制を行う主体である権力が,現在においてポルノに対し杜撰な規制の運用をしている事を,「沙織事件」「松文館裁判」を事例として示しました.上で述べたような「世間様」への流通が,それをきっかけにして権力が杜撰な規制を行う事が,空想ではなく現実的なリスクとしてポルノ表現者に突きつけられているのだ,という事を示すためにです.
今回のtikani_nemuru_Mさんの一連のエントリ,およびそれに関わる色々な人の意見を丁寧に追いかけることによって,『人権侵害』が法規制に繋げる話ではないことを理解する事はできるでしょう.しかしそれは,それだけの説明をしなければ「世間様」は容易に誤解しうる,という事の傍証ではないでしょうか.以上のように,「世間様」へのアクションを後に控える議論として位置づけるとき,『人権侵害』という呼称には大きなリスクがあり,賛同できません.それは,少なくとも僕にとっては,tikani_nemuru_Mさんの指摘する問題に賛同し,この問題について考える事に参加するという意思を持っていてもなお,看過できない重大な問題です.
付随する問題・「名前先行の議論」について
僕が『人権侵害』という呼称に反対する二つ目の理由は,その実体よりも呼称が先行している事です.tikani_nemuru_Mさんは,世間でそれほど問題視されていない,あるいは自覚のない「そこにある危害」に光を当てる事を意図しています.しかし,それの実体については,「一部分」であるポルノ表現と性差別の問題に限ってさえ,僕の前エントリに対するブクマコメントでtikani_nemuru_Mさん自身が述べているように「えっっらく厄介な話題なので思案中」というのが現状です.
「とりあえず名前を付ける」というアプローチが,問題を認識し解決を導くために有効となることはよくあると思います.ある事柄を認識させる,またそれを伝えたり共有したりするという目的に対して,「名前」は強力なツールになります.一方で,名前を付けるというのはそれを認識する相手に(実体とは無関係かもしれない)予見を与える事もあります.だからこそ『人権侵害』と呼ぶことにインパクトがある,というのならば確かにそれはそうですが,上で述べたような大きなリスクもあわせて背負う事になってしまいます.また,ネーミングは概念の認識を強力にサポートしますが,その逆の「名前のないものは認識されない」というのは正しくない.「えっらく厄介な」実体について考えようとするのに,下手に名前をつけてしまうと体系的な把握を阻害する危険もあります.まして『人権侵害』という法学に存在するタームを借りてくるのは良くない.腰を据えて考えるのなら,「とりあえず呼称を付けて,後から実体を考える」というのではなく,面倒でも「具体例をいちいち挙げていく」様な作業から始めることも検討する必要があると思います.せめて,『人権侵害』という,法に容易に結びつく呼称は避けるべきです.
(というか,tikani_nemuru_Mさんが継続して何度も述べられてきた文章,そしてそれに対するさまざまな反応が『人権侵害』という単なる一語よりもはるかにはっきりとこの問題を照らしています.分量が多いのだから当然ともいえますが,「具体例をいちいち挙げていく」事の力を示してもいると思います)
実体について記述する方法が曖昧だという事は,悪意を持った「世間様」にかかってしまうと「アドホックな主張」をいくらでも作れてしまいます.ましてやそれに『人権侵害』という名前が付いていたら大変危険です.
余談として・なぜ法学から借りようとするのか
ならば教えていただきたい。
「個別の犯罪が関連を持って継続する系統的な被害」「故あって被害者が過敏になっていて、特別の取り扱いを要する」ような深刻な被害、しかも社会意識が大きな役割をはたす被害を法学においてどのように位置づけて、どう名づけているのですか? 私がこれを何と呼べば法学的にご満足なのでしょうか?
また、ヘイトスピーチ規制・ヘイトクライム規制以外に、こうした被害に対するどのような規制の理論と技術を法学は持っているのですか?
tikani_nemuru_Mさんは自身のエントリで繰り返し,「法規制が弊害をもたらし,権力の介入を否定すべき危害」について語っていると主張しています.ならば,「それ」を示すタームが法学にあるとなぜ考えているのでしょうか.「法学にはそれをあらわすタームがない」と主張する方が自然に思えるのですが,法学に「それ」をあらわすタームを求めるのはなぜなのでしょうか.
僕は上記の通り,この問題意識は「世間様」へのアクションに繋げるべきものとして捉えています.「世間」には,当然ながら法でも道徳でもない概念はたくさん存在します.
tikani_nemuru_Mさんは僕の前エントリで,NaokiTakahashiさんへの対抗として
と主張していますが,僕の考えではこれは全く順序が逆です.このエントリでも前のエントリでも書いたとおり,ポルノ表現者にとって「人権侵害」,すなわち「法学において権力の介入を要求するもの」はその身に直接迫っている深刻な脅威です.「人権侵害という言葉が持ち出される限り,法の話として突っ張らざるを得ない」のです.
エロゲーを取り巻くものとして,例えば「ソフ倫」があります.これはエロゲーが商業として成立するためのさまざまな働きかけを(その効果は別の議論として)行っています.商業として,とはすなわち市場経済的な観念でしょう.また,性差別とポルノ表現の関係性を問う中で,tikani_nemuru_Mさんも僕もエントリで参照したSocius_ソキウスは社会学の議論です.NaokiTakahashiさん自身についても,
のように,「法と道徳」以外の観点から(というよりもむしろ,芸術的,文芸的観点をメインとして)ポルノ表現とその差別性,そして社会とのかかわりについて述べています.それを「法の観点」に縛り付けているものこそが,「人権侵害」という言葉です.それはtikani_nemuru_Mさん自身にも及んでいるのではないでしょうか.『人権侵害』という言葉に引っ張られて,「法の言葉」でこの問題が語られることに執着しているのではないかと思います.
2009-06-09
いくつかの失望と怒り
ここ数日の,id:tikani_nemuru_Mとid:NaokiTakahashiのやりとりを見ていて,どうにも消化できない気持ちが募っていたのだけれど,わざわざブログで表明するほどに整理された考えでもないし,それでも何か言いたいし,何か言うのにも慎重にしなければいけないだろうし,とモヤモヤしたりエントリを読み返したりしていたら,色々と上の空になって,今日の夕飯作りで「米をといでもいないのに炊飯器のスイッチを入れ,開けてびっくり」なんて事をやらかしてしまった.
もうとりあえず,なんか書いてちょっとスッキリする.
『神話』との戦い
「オオカミ少女はいなかった」という本を昨日読み終えた.
- 作者: 鈴木光太郎
- 出版社/メーカー: 新曜社
- 発売日: 2008/10/03
- メディア: 単行本
- 購入: 13人 クリック: 77回
- この商品を含むブログ (48件) を見る
否定されているのに事実として何度もよみがえり、テキストにさえ載る心理学の数々の迷信や誤信。それらがいかに生み出され、流布されていくのか「人間の営み」としての心理学のドラマを読み解く!
本の帯,そしてamazonの内容紹介にこのように記されたこの本では,表題のオオカミ少女,アマラとカマラの『物語』のほか,映画に宣伝が挿入されたという『サブリミナル』メッセージ,『賢い馬』クレヴァー・ハンス,知能の遺伝説に関わる『バートのデータ捏造事件』など,後に間違いと判明したり,始めから怪しいもしくは嘘であったりしたにもかかわらず,「事実」として今も持ち出されることのあるエピソードを『神話』と呼んで,それらについて検討を行った本である.とても面白かった.小さな事だが,『サブリミナル』の章は,水伝や陰謀論について考えている者に思わず苦笑いをさせるような(おそらく著者はそんなことを意図していないが)一節で締められている.
本で取り上げられている以外にも『神話』はいろいろある.日本では『血液型神話』などが随分メジャーな『神話』である.血液型(ABO式血液型)と性格との関連について,次々と「関連を肯定できない」研究結果が出されているにもかかわらず,『血液型神話』はそんなことお構いなしに,今日もテレビで雑誌で語られている.この『神話』はどうやら相当に強力なようで,血液型に関する「自己成就予言」や,「血液型ステレオタイプ」が観察できる程に,実際の日本社会に影響力を与えている.『神話』は,始めの主張の真偽など問題にせず,「(ドラえもんが本当にいたら,みたいなノリで)本当だったら嬉しい,面白い」「本当だったら都合がいい」という気持ちにより何度でも蘇る.
ここで恐ろしいのは,「血液型と性格に関連があるという仮説」が「正しかろうと間違っていようと」,『血液型神話』は現在の日本で観察可能な程度にその影響力を発揮しているということである.「○型とは性格が合わない」と公衆の面前で堂々と言う事を,本人もその周囲も重大な発言だと思ってはいないし,そのような信念の元に行動することも日常茶飯事である.
ポルノと『神話』
ポルノと性的な差別の間には『神話』は存在するのだろうか.Webでざっと検索してみた程度であるが*1,とりあえず「環境からの影響が,もともとその気がない人間さえ犯行に走らせる」という強力効果論(または環境犯罪誘因説) - Wikipediaに対しては否定的なデータが出ている.そして,「もともとそのような気持ちを持っていた者が,環境に触れることによって(その環境に触れる文脈も含めて)引き金を引かれる」という限定効果論が社会学者クラッパーにより唱えられて主流になり,そこから変化して「それでも影響を与えうる環境の強力さ」に焦点を当てた議論が出てきている.
このような議論が行われている上で,強力効果論が未だに主張されているならば,これは『神話』といえるだろう.ポルノを遠ざけたいと思う人,犯罪の責任を押し付けたい人には「本当だったら都合が良い」こともあって,「正しかろうが間違っていようが」,「いくら否定しようとも」強力効果論はゾンビのように繰り返し復活を遂げるのである.もはやポルノ関係者だけが責任を持てばいい話ではない.
一方,(上のリンク先の解説において取り上げられているのはマスメディアによる影響の議論であるが,)件のid:tikani_nemuru_Mのエントリで繰り返し主張されている,性差別に関わる二次被害・三次被害に対してポルノが関わる可能性としては,「沈黙のらせん」「培養効果」は検討すべきものだと考える.
「沈黙のらせん」(spiral of silence)もその過程はやや込み入っている。これは世論形成についての影響である。世論のもとになるのは個人の意見である。しかし、人びとは自分の意見をストレートに表現はしない。まず自分の意見が多数派か少数派かを確認するのである。自分の意見が少数派・劣勢意見であれば、孤立を避けるために意見表明は控えられ、逆に多数派・優勢意見であれば、積極的に表明される。では世論の場合、人びとは何を基準に多数派か少数派かを判断するのか。その基準となるのがマス・メディアなのである。さまざまなマス・メディアが特定の意見を多数派・優勢意見として提示することによって、反対意見は表明されにくくなり(沈黙)、そのため反対意見はますます少数派として認知されることになる。その結果、多数派はますます多数に、少数派はますます少数に見えるようになる。つまり世論の環境をマス・メディアがよってたかって固めてしまうのだ。そのため受け手の議論の範囲が事実上限定されてしまう。「天皇報道」や「湾岸戦争報道」のように「総ジャーナリズム状況」とか「パック・ジャーナリズム」といわれる集中豪雨的取材報道がなされるとき作用しているのがこの「沈黙のらせん」であり、そのとき「はだかの王様」を「はだかだ!」と名指すことが極度に困難な環境になってしまう。
これを時間軸に見たのが「培養効果」(cultivation effect)である。たとえば、どのテレビドラマでも登場する老人像が片寄っていることが多い。「がんこで融通の利かない老人」のイメージである。そのため長時間テレビドラマを視聴しつづけた受け手で、直接さまざまな老人と接するチャンスのない人は、このような老人像によって現実を捉える傾向が、テレビドラマをあまり見ない人にくらべて強くなるのである。このようにマス・メディアは長期的かつ累積的かつ非意図的に人びとに行動の基準や価値観を「培養」するのである。
女性に対する差別や,その正当化のためにでっち上げられた「ステレオタイプ」が根強く残っている社会環境においては,ポルノはそのようなステレオタイプを維持するように「沈黙のらせん」や「培養効果」に加担する可能性を持っていて,泣き寝入りや被害者に向けた理不尽な攻撃を助長するように「受容されるかもしれない」,ということである.
今回問題となったタイトルに関して言えば,そういえば,『レイプ神話』っていうのもあるんだっけ?ゲームのゴールは『レイプ神話』の再生産に加担しているのかもしれない.(レイプレイ騒動その3】フェミニスト団体、日本政府に販売禁止を要求 - Suzacu Late Showにある抗議文に書かれたゲームの内容を信じるならば.ここまできて無責任な事ではあるが,僕はこのゲームをプレイしておらず中身を知らない.)
受け手の自律的な反省的コミュニケーションが困難になっている。しかも、それは個々の送り手サイドも意図していない──つまり送り手さえもコントロールできない──形で生じているのだ。マス・コミュニケーションをもふくんだわたしたちのコミュニケーション総体のありようを見直すことが格別に必要なのはこのためである。
ひとつの失望
id:tikani_nemuru_Mが腰を据えて回り道をするとエントリで宣言した時,僕は例えば上のような,社会学などの面から「ポルノと性差別」について考察するのだと思った.(というか,改めてエントリを見直せば,同じSociusを引用しているじゃないか)
ポルノが差別を助長,維持するものとして「受容される」には,どんな文脈が社会に存在していることが前提となるのか.
「ユダヤ人や黒人に対する迫害」「ベトナム戦争のヒーロー」「神風特攻隊」などを描写したものは,人種差別や戦争を助長するものとして「受容される」のか.ここにポルノを並べたとして,それぞれに違いがあるのなら,そこにある社会的な文脈の違いは何なのか.
『神話』が受容される文脈を変え,例えばオオカミ少女が「ジャングル・ブック」「ターザン」などと並ぶ「楽しいフィクション」に,「サブリミナルメッセージ」がSFに,「クレヴァー・ハンス」が手品のトリック解説になる日は来るのか.同様に,ポルノが差別を助長しない形で「受容される」社会とはどんな社会なのか.
正確に言えば,この宣言(6月3日)の時点では,僕は「オオカミ少女はいなかった」を呼んでおらず,従って『神話』との絡みでこの問題を考える発想はなかった.単に,強力効果論や,クラッパーの限定効果説に立ち戻って,ポルノが「どのように,どの程度」差別を助長するのかという事を,じっくりと見直すのだと期待した.
もちろん,僕が一人で勝手な期待を持ち,勝手に失望したのであるが,id:tikani_nemuru_Mの次のエントリは司法や権力の話に戻っていた.あんたの腰は1日で据わるのかと毒づきたくなった.僕のこのエントリで法規制の話がここまで全く出てきていないように,ポルノと差別の話をするときに(特に二次被害,三次被害に関わる「構造的な差別」の話では)法の出番はない.
確かに,id:NaokiTakahashiのエントリでは法規制の話をしていた.しかしそれは,id:NaokiTakahashiなどポルノに関わる仕事をしている人が「法の問題ではないものに法を滑り込ませようと手を変え品を変え自由を奪おうとする勢力と常に対峙している」からだ.id:tikani_nemuru_Mが法規制に反対で,しかも腰を据えてこの問題を考えるというのならば,法の話なんかしばらく放っておけばいいのに.
もうひとつの失望と怒り
この問題は色々なところに飛び火して,全体をフォローするのは難しい.どこかで出てきた発言を見逃している事もあると思う.それでも,これらのコメントを見て悲しかった.
complex_cat sexuality, expression, human rights, sexual violence 規制派も反対派も賛否はともかく十分着いていける論考だと個人的には思ったのだけれど違うみたい。
T-3don 議論, 差別, 人権, コメント欄 二次・三次加害を防ぐ為、まず必要な事は社会の意識や差別構造に直接働きかける事。至極真っ当で当たり前の結論。/ここまで分かりやすく書かれてなお通じない。人間の人間であることの哀しみとおもしろさ。
たかが100文字のコメントだから,これらのコメントの意図を把握できているかどうかはわからないけども,概ね「id:NaokiTakahashiなどの規制反対派は,『まっとうで当たり前の結論』さえ理解していない」という判断を表明したのだと解釈した.
そんなまっとうで当たり前の話が「ポルノ表現者に限って」「言わない=知らない」とみなすに至った理由はなんだ?言い換えれば,「その程度の了解も無いとみなすなんて,随分と傲慢じゃないか?」
余計な言い訳をすると,id:conplex_catとid:T-3donがこの議論で別段目立った役割を担っているわけではない.目に付いたのは単に,僕がお気に入りブックマークに入れていること,そして普段ニセ科学の話を積極的に考えていることが理由だ.
「あえて言う」こと,「紐付きの」自由
この話題の番外編なのかどうか判らないけども,「ある話題が続いているところに,殊更に無関心を表明する事はどんな意味を持つか」という話がid:NaokiTakahashiの周辺でこの話題の最中に出ていた.
無関心の表明とは逆だが,ポルノ関係者が「性差別に伴う二次・三次加害について憂慮している」とあえて触れ回ることは,どんな印象,どんな効果を与えうるか.または「言わない」ことはどんな効果を与えうるか.
「ポルノ表現者が性差別やその害について憂慮しているとは思えない」というのは,偏見だ.少なくとも,ポルノ表現を行う事と性差別の問題に対する意識の高さの関係について,一般的に何かを言うだけの根拠はないはずだ.(仮説を言う事は出来る.認知的不協和などから意識が低いと考える事は出来るし,id:NaokiTakahashiの個別の話にしてしまえば,ポルノ表現を仕事にしているからこそ,強力効果論などの話に関心を持つし,法規制やわいせつの話も積極的に調べており,むしろ意識が高まっていると主張する事も出来るだろう)
「ポルノ表現をするならば,性差別やその害について,一般よりも高い意識を表明することを求める」という「紐付きの」表現の自由は,ポルノ表現への偏見に基づいた主張だ.(id:NaokiTakahashiは紐付きの自由を拒否している)
「言うまでも無い事」を
少し回り道をして,たとえ話に挑戦してみる.ホメオパシーに関して,効果が無い事や理論が間違っている事,それでも「現在では治る見込みの無い病気に対して,わらにもすがる思いでホメオパシーを行おうとする人の気持ち」は無碍に出来ないだろうという事は,たとえばid:tikani_nemuru_Mなどは了承しているだろうと思う.
ここで,架空の主張だが,「医師と本人,その家族の間で十分な理解と了承があれば,ホメオパシーに保険を適用してもいいのではないか.実際に,保険が適用されている国もあるのだし」という主張を発端として,終末医療におけるホメオパシーの話題が行われているとしよう.そこでは,ホメオパシー自体の効果についての話や,「そもそも十分な理解と了承と言う仮定が現実的でない」とか,「仮定を認めても保険の適用にはふさわしくない」といった意見が出てくるだろう.
そこに「現代の科学を過信しすぎている.科学は万能ではない.現在効果が証明できていないからと言って,求める人がいるホメオパシーを切り捨てるのは良くない.終末医療において,ホメオパシーで救われる人もいるのだ」と言う意見を表明するものが現れたら,なんと応えるだろうか.
まずは「科学が万能だと思っている人なんて,ここにはいませんよ」という返答があるだろう.科学が万能でない事なんて「当たり前の話」だから,その場の人たちはわざわざ言ったりしない.
そこで「あなたたちは科学に強い興味があるのだから(もしくは,科学を使っているのだから)科学が万能ではない事により注意して発言しなければならない」と言われたら,「科学が万能ではないと言う意見にも一理あります」と,このシチュエーションでわざわざ言い出すやつが現れたら,どうする?
「ホメオパシーで救われる人」についてはどうか.前述の通り,ある程度ホメオパシーについて継続的な議論を交わしている人たちならば,「わらにもすがる本人」の気持ちは尊重すべきだと思っているだろう.それを否定するのでは全く無い.これも「言うまでも無い事」だ.しかし,それを理由としてホメオパシーを広げようと言う主張には「そういう人たちをダシにするな」と応えるのではないだろうか.
往々にして,こういうところに首を突っ込んで,わざわざ「科学は万能ではない」などと言い出す場合,言う側のほうが科学を過大評価していたり,それまでに積み上げられた議論,話題が続いている文脈と言ったものをすっぱり無視していたりする.
元の話題に戻って(そして怒りに任せて)言うならば,id:tikani_nemuru_Mやコメントを引用した2人は,この話題(id:NaokiTakahashiのポルノ規制と差別の話題)において,「科学は万能ではない」と首を突っ込む側と重なって見えた.ポルノ表現者が差別に対してどう考えているのかについて拙速に判断し,(ポルノ規制における)法の運用の現状についてあまり気を配っておらず,法規制に賛成するものの「理屈」に賛成する事に対して過剰に楽観的である(id:NaokiTakahashiが「武器を与えるな」と主張する点).
女性は差別に怯え,ポルノは権力に怯える
id:tikani_nemuru_Mは再三にわたって,「女性は未だに性差別に怯える存在であり,ポルノは抑圧的に働く」と主張する.id:NaokiTakahashiもその点には同意していて,(少なくとも,無制限に氾濫した場合は)ポルノが女性を傷つけることは了解しているだろう.多くの女性は,ポルノを含む有形無形の「消えない性差別」に怯えなければならない現状に置かれている.これを解消する事は皆が力をあわせて取り組まなければいけない課題である.それは「ポルノ表現者かどうかは全く関係なく」当たり前のことである.「女性が怯えているものについて配慮がない(もしくは足りない)」などと言われる筋合いは(それを直接表明したのでなければ)無いはずだ.id:NaokiTakahashiに限れば,(権力が一切絡んでこない限りは)表現の自由と差別を受けない自由(権利)は同じ人権の構成要素であって完全にイーブンだと考えているはずで,それらが明確に衝突しているならば,無制限に表現の自由を要求しないだろう.
にもかかわらず,id:NaokiTakahashiが法規制にわずかでも与する主張を頑として受け付けないのはなぜか.それは,(僕の想像できる限りでは)ポルノが「権力に怯える存在」だからである.
id:tikani_nemuru_Mがどの時点からid:NaokiTakahashiのエントリを参照しているのかはわからないが,id:NaokiTakahashiのエントリでは何度も「沙織事件」や「松文館裁判」の話が出ている.
現状の法(そして権力)の運営においては,「未成年がゲームソフトを万引きした」話が,「万引きされた側のソフト製作者が逮捕される」話になり,
成人向けマンガに対する苦情の手紙を議員に送ったことを発端にして,「別の」マンガがわいせつ物とされて逮捕され,
アダルトビデオなどの所持は「性根」の問題にされて濡れ衣のきっかけになる.
どんな「ヘリクツ」からもポルノに対する権力の介入がありうるような状況において,そしてそのような立場に置かれている人物のもとで進んでいる話題の中で,「自分は法規制に反対だけど」がエクスキューズになりうると思うのか.「規制派の主張にも一理ある」と表明することがどれだけポルノ表現者を恐れさせるか.「ホメオパシーで救われた人もいる」と何が違うんだ.「自分をダシに」規制への寛容さを求めるのか.
id:NaokiTakahashiは「強さ」を(たぶん意識的に)見せているけれども,ポルノ表現者は今,この社会で,権力に怯えている.「産む機械」「元気がある」と議員が言ったら(少なくとも表面上は)非難の嵐だが,「ポルノは問題だね」と言ったら『自主規制』なのだ.
今回の話題で書き込まれたid:NaokiTakahashiのエントリやコメントとid:NaokiTakahashiがシナリオを書いた適当な(!)エロゲーを持ち出して,「女性への差別に配慮する意思は見られず,わいせつの動機に疑いは無い」とか言って有罪にすることだって出来る・・・かもしれない.笑えない冗談だ(下手すれば冗談じゃなくリスクの一つだ)
ポルノと(法の範囲でない)差別の話をしたいのなら,判例やら法令やらを延々と持ち出すのは「表現者が怯えているものについて配慮がない(もしくは足りない)」と,僕は思う.






