いまだに落ち着きのない三十路(アラフォー)

2009-06-09

いくつかの失望と怒り

ここ数日の,id:tikani_nemuru_Mid:NaokiTakahashiのやりとりを見ていて,どうにも消化できない気持ちが募っていたのだけれど,わざわざブログで表明するほどに整理された考えでもないし,それでも何か言いたいし,何か言うのにも慎重にしなければいけないだろうし,とモヤモヤしたりエントリを読み返したりしていたら,色々と上の空になって,今日の夕飯作りで「米をといでもいないのに炊飯器スイッチを入れ,開けてびっくり」なんて事をやらかしてしまった.

もうとりあえず,なんか書いてちょっとスッキリする.

神話』との戦い

「オオカミ少女はいなかった」という本を昨日読み終えた.

オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険

オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険

否定されているのに事実として何度もよみがえり、テキストにさえ載る心理学の数々の迷信や誤信。それらがいかに生み出され、流布されていくのか「人間の営み」としての心理学ドラマを読み解く!

本の帯,そしてamazonの内容紹介にこのように記されたこの本では,表題のオオカミ少女アマラとカマラの『物語』のほか,映画宣伝が挿入されたという『サブリミナルメッセージ,『賢い馬』クレヴァー・ハンス,知能の遺伝説に関わる『バートデータ捏造事件』など,後に間違いと判明したり,始めから怪しいもしくは嘘であったりしたにもかかわらず,「事実」として今も持ち出されることのあるエピソードを『神話』と呼んで,それらについて検討を行った本である.とても面白かった.小さな事だが,『サブリミナル』の章は,水伝陰謀論について考えている者に思わず苦笑いをさせるような(おそらく著者はそんなことを意図していないが)一節で締められている.

本で取り上げられている以外にも『神話』はいろいろある.日本では『血液型神話』などが随分メジャーな『神話』である.血液型(ABO式血液型)と性格との関連について,次々と「関連を肯定できない」研究結果が出されているにもかかわらず,『血液型神話』はそんなことお構いなしに,今日テレビ雑誌で語られている.この『神話』はどうやら相当に強力なようで,血液型に関する「自己成就予言」や,「血液型ステレオタイプ」が観察できる程に,実際の日本社会に影響力を与えている.『神話』は,始めの主張の真偽など問題にせず,「(ドラえもんが本当にいたら,みたいなノリで)本当だったら嬉しい,面白い」「本当だったら都合がいい」という気持ちにより何度でも蘇る.

ここで恐ろしいのは,「血液型性格に関連があるという仮説」が「正しかろうと間違っていようと」,『血液型神話』は現在日本で観察可能な程度にその影響力を発揮しているということである.「○型とは性格が合わない」と公衆の面前で堂々と言う事を,本人もその周囲も重大な発言だと思ってはいないし,そのような信念の元に行動することも日常茶飯事である.

ポルノと『神話

ポルノ性的差別の間には『神話』は存在するのだろうか.Webでざっと検索してみた程度であるが*1,とりあえず「環境からの影響が,もともとその気がない人間さえ犯行に走らせる」という強力効果論(または環境犯罪誘因説) - Wikipediaに対しては否定的なデータが出ている.そして,「もともとそのような気持ちを持っていた者が,環境に触れることによって(その環境に触れる文脈も含めて)引き金を引かれる」という限定効果論が社会学者ラッパーにより唱えられて主流になり,そこから変化して「それでも影響を与えうる環境の強力さ」に焦点を当てた議論が出てきている.

Socius_リフレクション16

このような議論が行われている上で,強力効果論が未だに主張されているならば,これは『神話』といえるだろう.ポルノを遠ざけたいと思う人,犯罪責任押し付けたい人には「本当だったら都合が良い」こともあって,「正しかろうが間違っていようが」,「いくら否定しようとも」強力効果論はゾンビのように繰り返し復活を遂げるのである.もはやポルノ関係者だけが責任を持てばいい話ではない.

一方,(上のリンク先の解説において取り上げられているのはマスメディアによる影響の議論であるが,)件のid:tikani_nemuru_Mエントリで繰り返し主張されている,性差別に関わる二次被害三次被害に対してポルノが関わる可能性としては,「沈黙らせん」「培養効果」は検討すべきものだと考える.

沈黙らせん」(spiral of silence)もその過程はやや込み入っている。これは世論形成についての影響である。世論のもとになるのは個人の意見である。しかし、人びとは自分意見ストレートに表現はしない。まず自分意見が多数派か少数派かを確認するのである。自分意見が少数派・劣勢意見であれば、孤立を避けるために意見表明は控えられ、逆に多数派・優勢意見であれば、積極的に表明される。では世論の場合、人びとは何を基準に多数派か少数派かを判断するのか。その基準となるのがマス・メディアなのである。さまざまなマス・メディアが特定の意見を多数派・優勢意見として提示することによって、反対意見は表明されにくくなり(沈黙)、そのため反対意見はますます少数派として認知されることになる。その結果、多数派はますます多数に、少数派はますます少数に見えるようになる。つまり世論環境マス・メディアがよってたかって固めてしまうのだ。そのため受け手の議論の範囲が事実上限定されてしまう。「天皇報道」や「湾岸戦争報道」のように「総ジャーナリズム状況」とか「パック・ジャーナリズム」といわれる集中豪雨的取材報道がなされるとき作用しているのがこの「沈黙らせん」であり、そのとき「はだかの王様」を「はだかだ!」と名指すことが極度に困難な環境になってしまう。

これを時間軸に見たのが「培養効果」(cultivation effect)である。たとえば、どのテレビドラマでも登場する老人像が片寄っていることが多い。「がんこで融通の利かない老人」のイメージである。そのため長時間テレビドラマを視聴しつづけた受け手で、直接さまざまな老人と接するチャンスのない人は、このような老人像によって現実を捉える傾向が、テレビドラマをあまり見ない人にくらべて強くなるのである。このようにマス・メディアは長期的かつ累積的かつ非意図的に人びとに行動の基準や価値観を「培養」するのである。

Socius_リフレクション16より

女性に対する差別や,その正当化のためにでっち上げられた「ステレオタイプ」が根強く残っている社会環境においては,ポルノはそのようなステレオタイプを維持するように「沈黙らせん」や「培養効果」に加担する可能性を持っていて,泣き寝入り被害者に向けた理不尽な攻撃を助長するように「受容されるかもしれない」,ということである.

今回問題となったタイトルに関して言えば,そういえば,『レイプ神話』っていうのもあるんだっけ?ゲームのゴールは『レイプ神話』の再生産に加担しているのかもしれない.(レイプレイ騒動その3】フェミニスト団体、日本政府に販売禁止を要求 - Suzacu Late Showにある抗議文に書かれたゲームの内容を信じるならば.ここまできて無責任な事ではあるが,僕はこのゲームプレイしておらず中身を知らない.)

受け手自律的な反省コミュニケーションが困難になっている。しかも、それは個々の送り手サイドも意図していない──つまり送り手さえもコントロールできない──形で生じているのだ。マス・コミュニケーションをもふくんだわたしたちのコミュニケーション総体のありようを見直すことが格別に必要なのはこのためである。

Socius_リフレクション16より

ひとつの失望

id:tikani_nemuru_M腰を据えて回り道をするエントリで宣言した時,僕は例えば上のような,社会学などの面から「ポルノ性差別」について考察するのだと思った.(というか,改めてエントリを見直せば,同じSociusを引用しているじゃないか)

ポルノ差別を助長,維持するものとして「受容される」には,どんな文脈が社会存在していることが前提となるのか.

ユダヤ人黒人に対する迫害」「ベトナム戦争ヒーロー」「神風特攻隊」などを描写したものは,人種差別戦争を助長するものとして「受容される」のか.ここにポルノを並べたとして,それぞれに違いがあるのなら,そこにある社会的な文脈の違いは何なのか.

神話』が受容される文脈を変え,例えばオオカミ少女が「ジャングル・ブック」「ターザン」などと並ぶ「楽しいフィクション」に,「サブリミナルメッセージ」がSFに,「クレヴァー・ハンス」が手品トリック解説になる日は来るのか.同様に,ポルノ差別を助長しない形で「受容される」社会とはどんな社会なのか.

正確に言えば,この宣言(6月3日)の時点では,僕は「オオカミ少女はいなかった」を呼んでおらず,従って『神話』との絡みでこの問題を考える発想はなかった.単に,強力効果論や,クラッパーの限定効果説に立ち戻って,ポルノが「どのように,どの程度」差別を助長するのかという事を,じっくりと見直すのだと期待した.

もちろん,僕が一人で勝手な期待を持ち,勝手に失望したのであるが,id:tikani_nemuru_Mの次のエントリ司法権力の話に戻っていた.あんたの腰は1日で据わるのかと毒づきたくなった.僕のこのエントリで法規制の話がここまで全く出てきていないように,ポルノ差別の話をするときに(特に二次被害三次被害に関わる「構造的な差別」の話では)法の出番はない.

確かに,id:NaokiTakahashiエントリでは法規制の話をしていた.しかしそれは,id:NaokiTakahashiなどポルノに関わる仕事をしている人が「法の問題ではないものに法を滑り込ませようと手を変え品を変え自由を奪おうとする勢力と常に対峙している」からだ.id:tikani_nemuru_Mが法規制に反対で,しかも腰を据えてこの問題を考えるというのならば,法の話なんかしばらく放っておけばいいのに.

もうひとつの失望と怒り

この問題は色々なところに飛び火して,全体をフォローするのは難しい.どこかで出てきた発言を見逃している事もあると思う.それでも,これらのコメントを見て悲しかった.

complex_cat sexuality, expression, human rights, sexual violence 規制派も反対派も賛否はともかく十分着いていける論考だと個人的には思ったのだけれど違うみたい。

T-3don 議論, 差別, 人権, コメント欄 二次・三次加害を防ぐ為、まず必要な事は社会意識差別構造に直接働きかける事。至極真っ当で当たり前の結論。/ここまで分かりやすく書かれてなお通じない。人間人間であることの哀しみとおもしろさ。

はてなブックマーク - 法規制になじまない人権侵害 - 地下生活者の手遊び

たかが100文字のコメントだから,これらのコメント意図を把握できているかどうかはわからないけども,概ね「id:NaokiTakahashiなどの規制反対派は,『まっとうで当たり前の結論』さえ理解していない」という判断を表明したのだと解釈した.

そんなまっとうで当たり前の話が「ポルノ表現者に限って」「言わない=知らない」とみなすに至った理由はなんだ?言い換えれば,「その程度の了解も無いとみなすなんて,随分と傲慢じゃないか?」

余計な言い訳をすると,id:conplex_catid:T-3donがこの議論で別段目立った役割を担っているわけではない.目に付いたのは単に,僕がお気に入りブックマークに入れていること,そして普段ニセ科学の話を積極的に考えていることが理由だ.

「あえて言う」こと,「紐付きの」自由

この話題の番外編なのかどうか判らないけども,「ある話題が続いているところに,殊更に無関心を表明する事はどんな意味を持つか」という話がid:NaokiTakahashiの周辺でこの話題の最中に出ていた.

無関心の表明とは逆だが,ポルノ関係者が「性差別に伴う二次・三次加害について憂慮している」とあえて触れ回ることは,どんな印象,どんな効果を与えうるか.または「言わない」ことはどんな効果を与えうるか.

ポルノ表現者が性差別やその害について憂慮しているとは思えない」というのは,偏見だ.少なくとも,ポルノ表現を行う事と性差別の問題に対する意識の高さの関係について,一般的に何かを言うだけの根拠はないはずだ.(仮説を言う事は出来る.認知的不協和などから意識が低いと考える事は出来るし,id:NaokiTakahashiの個別の話にしてしまえば,ポルノ表現を仕事にしているからこそ,強力効果論などの話に関心を持つし,法規制わいせつの話も積極的に調べており,むしろ意識が高まっていると主張する事も出来るだろう)

ポルノ表現をするならば,性差別やその害について,一般よりも高い意識を表明することを求める」という「紐付きの」表現の自由は,ポルノ表現への偏見に基づいた主張だ.(id:NaokiTakahashiは紐付きの自由を拒否している)

「言うまでも無い事」を

少し回り道をして,たとえ話に挑戦してみる.ホメオパシーに関して,効果が無い事や理論が間違っている事,それでも「現在では治る見込みの無い病気に対して,わらにもすがる思いでホメオパシーを行おうとする人の気持ち」は無碍に出来ないだろうという事は,たとえばid:tikani_nemuru_Mなどは了承しているだろうと思う.

ここで,架空の主張だが,「医師と本人,その家族の間で十分な理解と了承があれば,ホメオパシー保険を適用してもいいのではないか.実際に,保険が適用されている国もあるのだし」という主張を発端として,終末医療におけるホメオパシーの話題が行われているとしよう.そこでは,ホメオパシー自体の効果についての話や,「そもそも十分な理解と了承と言う仮定が現実的でない」とか,「仮定を認めても保険の適用にはふさわしくない」といった意見が出てくるだろう.

そこに「現代の科学を過信しすぎている.科学は万能ではない.現在効果が証明できていないからと言って,求める人がいるホメオパシーを切り捨てるのは良くない.終末医療において,ホメオパシーで救われる人もいるのだ」と言う意見を表明するものが現れたら,なんと応えるだろうか.

まずは「科学が万能だと思っている人なんて,ここにはいませんよ」という返答があるだろう.科学が万能でない事なんて「当たり前の話」だから,その場の人たちはわざわざ言ったりしない.

そこで「あなたたちは科学に強い興味があるのだから(もしくは,科学を使っているのだから)科学が万能ではない事により注意して発言しなければならない」と言われたら,「科学が万能ではないと言う意見にも一理あります」と,このシチュエーションでわざわざ言い出すやつが現れたら,どうする?

ホメオパシーで救われる人」についてはどうか.前述の通り,ある程度ホメオパシーについて継続的な議論を交わしている人たちならば,「わらにもすがる本人」の気持ちは尊重すべきだと思っているだろう.それを否定するのでは全く無い.これも「言うまでも無い事」だ.しかし,それを理由としてホメオパシーを広げようと言う主張には「そういう人たちをダシにするな」と応えるのではないだろうか.

往々にして,こういうところに首を突っ込んで,わざわざ「科学は万能ではない」などと言い出す場合,言う側のほうが科学過大評価していたり,それまでに積み上げられた議論,話題が続いている文脈と言ったものをすっぱり無視していたりする.


元の話題に戻って(そして怒りに任せて)言うならば,id:tikani_nemuru_Mコメント引用した2人は,この話題(id:NaokiTakahashiポルノ規制差別の話題)において,「科学は万能ではない」と首を突っ込む側と重なって見えた.ポルノ表現者が差別に対してどう考えているのかについて拙速に判断し,(ポルノ規制における)法の運用の現状についてあまり気を配っておらず,法規制に賛成するものの「理屈」に賛成する事に対して過剰に楽観的である(id:NaokiTakahashiが「武器を与えるな」と主張する点).

女性差別に怯え,ポルノ権力に怯える

id:tikani_nemuru_Mは再三にわたって,「女性は未だに性差別に怯える存在であり,ポルノは抑圧的に働く」と主張する.id:NaokiTakahashiもその点には同意していて,(少なくとも,無制限に氾濫した場合は)ポルノ女性を傷つけることは了解しているだろう.多くの女性は,ポルノを含む有形無形の「消えない性差別」に怯えなければならない現状に置かれている.これを解消する事は皆が力をあわせて取り組まなければいけない課題である.それは「ポルノ表現者かどうかは全く関係なく」当たり前のことである.「女性が怯えているものについて配慮がない(もしくは足りない)」などと言われる筋合いは(それを直接表明したのでなければ)無いはずだ.id:NaokiTakahashiに限れば,(権力が一切絡んでこない限りは)表現の自由差別を受けない自由(権利)は同じ人権の構成要素であって完全にイーブンだと考えているはずで,それらが明確に衝突しているならば,無制限に表現の自由を要求しないだろう.

にもかかわらず,id:NaokiTakahashiが法規制にわずかでも与する主張を頑として受け付けないのはなぜか.それは,(僕の想像できる限りでは)ポルノが「権力に怯える存在」だからである.

id:tikani_nemuru_Mがどの時点からid:NaokiTakahashiエントリを参照しているのかはわからないが,id:NaokiTakahashiエントリでは何度も「沙織事件」や「松文館裁判」の話が出ている.

現状の法(そして権力)の運営においては,「未成年ゲームソフト万引きした」話が,「万引きされた側のソフト製作者が逮捕される」話になり,

沙織事件 - Wikipedia

成人向けマンガに対する苦情の手紙議員に送ったことを発端にして,「別の」マンガわいせつ物とされて逮捕され,

松文館裁判

アダルトビデオなどの所持は「性根」の問題にされて濡れ衣のきっかけになる.

e-politics - 刑法・刑事政策/足利冤罪事件

どんな「ヘリクツ」からもポルノに対する権力の介入がありうるような状況において,そしてそのような立場に置かれている人物のもとで進んでいる話題の中で,「自分は法規制に反対だけど」がエクスキューズになりうると思うのか.「規制派の主張にも一理ある」と表明することがどれだけポルノ表現者を恐れさせるか.「ホメオパシーで救われた人もいる」と何が違うんだ.「自分をダシに」規制への寛容さを求めるのか.

id:NaokiTakahashiは「強さ」を(たぶん意識的に)見せているけれども,ポルノ表現者は今,この社会で,権力に怯えている.「産む機械」「元気がある」と議員が言ったら(少なくとも表面上は)非難の嵐だが,「ポルノは問題だね」と言ったら『自主規制』なのだ.

今回の話題で書き込まれたid:NaokiTakahashiエントリコメントid:NaokiTakahashiシナリオを書いた適当な(!)エロゲーを持ち出して,「女性への差別に配慮する意思は見られず,わいせつの動機に疑いは無い」とか言って有罪にすることだって出来る・・・かもしれない.笑えない冗談だ(下手すれば冗談じゃなくリスクの一つだ)

ポルノと(法の範囲でない)差別の話をしたいのなら,判例やら法令やらを延々と持ち出すのは「表現者が怯えているものについて配慮がない(もしくは足りない)」と,僕は思う.


3時だ

モヤモヤを晴らそうと思ったら日付変わっちゃった.

*1:この件でいろいろ検索したが,後述の「沙織事件」について関連のWikipedia他で全く(または大部分が)同一の文章が見つかった.これはなんだろう?同じ人がいろんな所で書いているのか,コピペが横行しているのか?

T-3donT-3don 2009/06/10 11:44 おはようございます。こちらでははじめまして。いつもエントリー・ブックマーク等、参考にさせて貰っています。
コメントしようと二時間位格闘したんですが(気が付くとこんにちはですねもう)、どうにもまとまらないのでとにかく私のコメント部についてのみ、前提部分を釈明、と言うより言い訳させて下さい。

まず、私のコメントの対象は「規制反対派」ではなくあくまでNaokiTakahashi氏個人です。
そして私の主張は、「理解できていない」ではなく、通じていない、であることにご留意下さい。
また、
>「ポルノ表現者に限って」「言わない=知らない」
と見なしているとの御指摘ですが、「ポルノ表現者に限って」という限定は前述のように誤解です。それに通じていないと考えたのは「言わない=知らない」ではなく一連のエントリーに対するコメント、特に件のエントリーに最初につけられた2009/06/09 08:46のコメントを見て判断しました。ここはあるいはYAOsanさんと見解が分かれる所かも知れませんが、「ではまず二次被害を与えた加害者を規制すべきでしょう。なぜ明確な加害者がいて明確な被害者がいる人権侵害を放置するのですか?」このようなレスが、件のエントリーに適当であるとお考えになりますか? 私には、あるいは権力に対する怯えが背景にあるかも知れませんが、
▼引   用▼
貴方が性差別的陵辱描写を含むエロゲの法規制に反対なのは分かりました。長々すみませんでした。それ以上の意見のすり合わせを必要とは思いません
▲引用終了▲
ここに端的に表れているように、Takahashi氏は表現の法規制、というよりエロゲーの法規制にとって良いか悪いか、でしかエントリーを判断為されていないように見えます。つまり、地下猫さんの言わんとしていることが通じていない、と。
私はTakahashi氏の以前の議論――レイプレイ騒動以前の議論を存じ上げないので、彼が本来どういう論者なのかは今回の件でしか判断できませんが、コチラ→http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20090602/p1の議論を見る限り、前提を受け取らず摺り合わせもしない論者のように見えます。ただ、それをもって彼を知的に不誠実である、と決めつけるのはいささか躊躇われました。問題となっているのは彼が半生を傾けた仕事に関する事柄ですし、ましてYAOsanさん仰るように権力に対する怯えがあるなら、なおさら冷静な議論は難しいでしょう。つまり、単に冷静さを欠いているのでは、と判断しました。
人間であることの哀しみとは、そう言う意味です。利害が関係する所で立場を離れて第三者として論じることは、人間にはとても難しい。不可能と言っても良い。彼は正にその立場にある、そう考えています。もちろん、それと論の是非は別問題です。

差別の受容と文脈に関しては、sk-44@地を這う難破船さんも論じていますね。正直、地下猫さんの論との差異が何処で生じるのか今一つよく解らない(からブクマコメントできない)んですが、この後明らかになるのではないかと期待を持っています。いまだ回り道の途上である、と私は考えますので。

YAOsanYAOsan 2009/06/10 23:16 T-3donさん,こんばんは.コメントありがとうございます.
喧嘩腰の表現にもかかわらず,丁寧な応答をいただいて,嬉しく思います.

まず,T-3donさんのコメントについて補足下さった内容,了解いたしました.大分勝手な解釈をしまして,失礼しました.
id:NaokiTakahashiさんが(今回の件において)どのような論者であるか,と言う点については,おおむね同意します.NaokiTakahashiさんは基本的に,自身の興味に強く引きつけた発言をしていると思います.それは,議論を継続するという目標に対しては,マイナスに働く点があると思いますし,地下猫さんが言わんとすることが通じなかった,と言う点も確かでしょう.

しかし,例示されたようなレスが適当であるかという点,また,話が通じず議論に齟齬をきたした事をどう評価するか,と言う点については,T-3donさんと異なる見解を持ちます.

長くなってしまいますが,地下猫さんとNaokiTakahashiさんの今回のやりとりにおいて,私の判断に関わる点を示します.

今回のエロゲー規制問題を発端に,NaokiTakahashiさんのダイアリーでは,5月中盤頃から,ポルノの差別性を積極的に認めつつ,同時に「特定の被害者がいない」フィクションを法規制の対象とする事への反対を表明していました.

http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20090527/p1
その中で,地下猫さんが上記エントリのコメントで”フィクション上のレイシズムも「人権侵害」と考える事に一定の妥当性はあると考える”と表明し,NaokiTakahashiさんは”「差別性」を認めるのと「人権侵害」を認めるのとでは意味がまったく違うと思うんですよ。”というように,そこでは『人権侵害』というタームをどの範囲で適用するか,という論点が提示されて,地下猫さんが自分のところにエントリをあげると言う事になりました.

そして,地下猫さんのエントリが展開する中,地下猫さんの呼びかけに応える形でseijigakutoさんにより,またそのブクマコメント等でishikeriasobiさんにより法の文脈における『人権侵害』について見解が示されました.
http://d.hatena.ne.jp/seijigakuto/20090530/1243715951
http://h.hatena.ne.jp/seijigakuto/9236532703455524803
この時点では,
”差別は人権侵害であり,「人権侵害」と認定される事は法規制の強い根拠となる”
”地下猫さんはある表現を「人権侵害」と認定することの持つ攻撃力・破壊力を甘く見すぎている”
”法律上は特定個人にむけられていない行為について、それが世間的な差別感情「に基づく」/「を助長する面がある」としても「差別そのもの」として考える枠組みは未整備”
といった見解が示されました.ハイクのほうでは地下猫さん,NaokiTakahashiさん共にブクマをつけていますので,この見解は両者で共有されたものとみなすのが妥当と思います.

地下猫さんの,始めの(NaokiTakahashiさんの日記における)コメントから最近のエントリまでを見る限り,地下猫さんはこれらの見解のうち3つ目に当たる未整備なもの,被害者を泣き寝入りさせ,または被害者への冷遇をしうる「差別感情」を一貫して論点としていると私は解釈しています.だとすれば,この見解を共有した時点で,(構造的であろうとなんであろうと)『人権侵害』というタームは棄てて,例えば「差別意識の醸成」などとすべきであったと考えます.NaokiTakahashiさんもそのような(対抗言論による)差別への批判は賛成しています.

この後,私のエントリにもあるとおり,地下猫さんは一旦「腰をすえて回り道」をしました.ところが,T-3donさんが指摘されたレスの付いた6月9日のエントリで,地下猫さんは”法規制のしようがない世間様が人権侵害をしている””法規制になじまない人権侵害”という表現を行いました.法規制の話と絡めて『人権侵害』と言っていますから,法の文脈における人権侵害と混同されないように気を配るとか,その認定の破壊力に対する配慮の跡があるなどとみなす事は妥当とは思えません.

seijigakutoさんたちの見解が情報として共有された上で,”法になじまない人権侵害”という表現はどのように解釈されるでしょうか.
悪意を持って解釈すれば,
「本来なら法規制すべきことなんだけど,まあ証拠の挙げようがないから見逃してやるよ」という,NaokiTakahashiさん曰く”これだけ表現者の誇りを傷つける反規制論 (http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20090609/p3)”となります.
好意的に解釈すれば,地下猫さんは迂闊です.
NaokiTakahashiさんは前者の解釈を取ったのでしょう.議論を進めるという目的の上では全く建設的でない態度ですが,私はNaokiTakahashiさんがこの態度を取る事に納得しました.

蛇足ですが,私自身の解釈は「迂闊」というほど好意的ではありません.対話の相手であるNaokiTakahashiさんの論点において根幹を成す「『人権侵害』というタームの使い方」に注意を払う気がないものとみなします.この点は別エントリか,改めてこのエントリのコメントで書きたいと思いますが,私が「ニセ科学の話に首を突っ込む『科学は万能じゃないよ』論者」になぞらえた点でもあります.
もっとも,たとえ話としては出来が悪かったようです.地下猫さん,T-3donさん,complex_catさんに強く訴えたいがために強引にニセ科学を持ち出した(そのせいで,おそらく一方のNaokiTakahashiにさえ伝わりづらい題材になったと思います)のですが,肝心のcomplex_catさんには了承してもらえませんでした.

complex_catcomplex_cat 2009/06/10 23:54 私も,余計なことを書いたことをお詫び申し上げます。

 NaokiTakahashi氏について,高い次元でものを考えておられるのは,拝読していて良く存じ上げています。だから,すれ違いを見て,私がそもそも考えていた法規制ではない方のレイヤーの論議に立ち戻ってでの話はされないのかという自分の個人的不明を書いたものです。個人的にはと書いたのはそういう読み違いをしていたという意味です。

 批判された私のレベルへの評価は間違っていません。「着いていく」という表現がよく無かった。「付き合える」とか書くのも地下猫先生に失礼かなと思いました。上手くなかったです。
 間違っても分かってないレベルだからということではありません。それは,NaokiTakahashi氏はじめ関係者の論客のエントリを拝読していて思っています。表現者としての矜持も感じすぎるほど伝わってきますし,少なくとも自分が読める部分の方々はそういう方が少なくないと感じています。表現されているものを具体的には知らないので,そこは勝手な浅い反応といわれれば,そうかもしれません。
 規制反対の立ち位置で,法的な部分ではないフレームについてどう返されるかは,知りたかったというのは浅薄でした。そこは誤解された私が悪いのです。

 あと,ニセ科学批判の部分で,「往々にして,こういうところに首を突っ込んで,わざわざ「科学は万能ではない」などと言い出す場合,言う側のほうが科学を過大評価していたり,それまでに積み上げられた議論,話題が続いている文脈と言ったものをすっぱり無視していたりする.」

 私は,こういうことを言い出す方は,過大評価も過小評価もできないと思います。この場合の科学というのは,何を指しているかさえ不明です。また,科学と科学技術的なものをごっちゃにした論議というのは,意味を成しません。自分の分野では,調べれば何でも分かるということ自体が幻想であって,こういうことが分かったら検証できるけれど,それが技術論としてできない課題というのはたくさんあります。逆に云えば,観測や実験的に設定できなくても,間違っていると評価できる話もあるわけです。そういうことまでふまえた科白としては,口に出す場合,大量の補足情報と一緒に出す言葉だと思います。いや,そうしないと口に出せない。
 科学は万能ではないというのは,トンでも系が科学を凌駕する可能性を秘めているというのを暗に表現することばとして使われる場合もあります。一方で科学が進めばこのトンでもも解析されうるだろうというような表現でも。ただ,どのくらい何が万能でないのか,言及なしの言葉なので,万能というのが意味をなさない表現だと思います。
 ニセ科学批判の立ち位置でも,これを枕詞において,論議を進めるということを意図的にやる場合はあるかもしれません。いや,そこのところがニセ科学側としたら,攻めどころだと勘違いしている方も多いので,むしろ重要で面白い論考テーマになりえると考えて,あえて口にするのも自由かもしれませんが100文字だと確かに危ういですが。
 だから,それならそれで,決してそれを口にすること自体を排除したり,筋を読めていないと批判するのが常套でもないと思います。いろいろなものを内包しているから。
 私が不同意とする部分です。戦略的に致命的に失敗となる言葉とならぬような配慮がある限り,やるべき論議で口にするのも辞さないせりふであるとすら思っております。アナロジーへの私の違和感の問題で屁の突っ張りにもなりませんが。

 今回の問題で,そういう素人の立ち位置からの科白も許されないほど,言論をめぐる状況は逼迫しているのだと,言論の自由に関しては,認識いたしました。

 言論の自由が守れるならば,どのような表現者でも必死で守るという意の米を書かれておられたのを記憶しております。余人では,なかなかそこまでのことは書けないし,それで守った先の理想があって,その戦略を思い戦おうということなのだなと想像しました。その足を引っ張ること自体,本意ではありません。「差別問題」を考えるための枠組みにこだわりすぎたのは私ごときのレベルでは明らかに失敗です。

 失礼しました

追記です。
 「飯炊き損ねたのは,NaokiTakahashiさんじゃなくて僕ですけどね・・・」ええとこれは,YAOsanさんのご飯について書いたメタブクマの最後のテキストのことでしょうか。
 私はNaokiTakahashiさんの米の話として受け取れるような記述としてどこかに書いてましたか?どうでもいいことですが,私のテキストの問題で,このような部分までまたも誤解させていたらと思うと申し訳ないと思いましたので。

YAOsanYAOsan 2009/06/11 22:55 complex_catさん,コメントありがとうございます.

ここまで平謝りをされてしまうと,かえって恐縮します.特に,表現の自由の話題の中で「許されない科白」などと言われてしまいますと泣きそうになります.
・・・よろしければ印象をお聞きしたいのですが,このエントリは何かむやみに悲愴感などがあるでしょうか?確かに失望とか怒りというのは強い表現だと思いますが,これほどの応答をさせてしまったというのはショックです.

アナロジーの下りについて,ご指摘の通りだと思います.万能でないという意見はさまざまな形で使われるものですし,言及したみなさんはニセ科学の話題に沢山触れていますから,なおさら色々な状況を思い起こされるでしょう.私の言いたい意味だけが伝わると考えたのは都合の良い甘えでした.


>言論の自由が守れるならば,どのような表現者でも必死で守るという意の米を書かれておられたのを記憶しております。

これはNaokiTakahashiさんがどこかで書いたコメントについて,ではないですよね?ちょっと,「コメントを書いた」のが誰なのかつかめず混乱しております.自分のブクマを読み返してみましたが,もしかしてこのコメントの事でしょうか.
”GET27さん,不快や文句を殊更に『本性』扱いするのはやめましょうよ.僕はこのゲーム好きだという人を『本音で』キモいと思うし,同時に『本音で』守りたいと思う.あと『本音を言うと』守りきる自信はない.”
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/amamako/20090520/1242764989

もしそうだとしたら,それは買いかぶりです.このコメントの意図するところは『本音』の大安売りでして,「快も不快も名誉もヘタレも,全部自然な感情なんだから,不快表明のような「叩きやすい」所ばっかり狙って『本音』と付けて,さも重大なように見せるもんじゃないよ.ほら,あれも,これも,全部本音なんだよ」という程度のものです.コメントの最後にあるように,守りきる自信もなにもありません.追い詰められたら置いて逃げます,多分.


そして,飯の炊き忘れの件ですが,メタブクマのcomplex_catさんは,seijigakutoさんのブクマコメントに応答しておられますよね.seijigakutoさんのコメントは,NaokiTakahashiさんが地下猫さんとの対話を打ち切ることにした理由を推測しているのだろうと私は思いましたので,その応答であるcomplex_catさんのメタブクマもNaokiTakahashiさんについて言っていると解釈しました.また先ほど書いたとおり,complex_catさんのコメントを見たときに「言論の自由が守れるならば〜」というコメントを私が書いたという心当たりが見つからず,NaokiTakahashiさんと私の文章をどこかで混同しているのかな?と思った事も手伝って,メタブクマであのようなコメントを書きました.余計な一言でますます気を使わせてしまい,申し訳ありません.

complex_catcomplex_cat 2009/06/12 07:49 丁寧な御返答,こちらこそ恐縮します。
自分が何のために,この論考に首を突っ込んでいるのか,何が優先されるべきか,それを思ったら頭を垂れるだけです。YAOssanさんのテキストが過剰な反応を引き出したということではありません。アナロジーの件など違うと思った部分は正直に書いております。

 買いかぶってはいないつもりですし,私にとって大切にすべきと感じた方をそのように遇するだけです。
 NaokiTakahashi氏と混同はしておりません。御指摘のテキスト,本音の安売りと解説されておられますが,例えそうであってもそこまでコミットした話,普通書けませんて。私にとってはいろいろな自称が進行した場合,何が生じるのか何を失っていくのか,十分に参考になる御意見でした。

 テキストから御心配されるような悲壮感を感じ取ることはありません。真摯に論考されているということだけ思いました。だったら,メタブクマで「飯炊いてほしいなー」とか間抜けなトーンでは書けませんよw。

以上です。時間取らせてすいません。

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2009/06/12 21:20 簡単に

”法律上は特定個人にむけられていない行為について、それが世間的な差別感情「に基づく」/「を助長する面がある」としても「差別そのもの」として考える枠組みは未整備”
よって、法の枠組みに入らない人権侵害が存在する、と考える。
現実に性犯罪の二次被害・三次被害は完全に人権侵害といいえるレベルであるのに、法規制の枠組みは存在していないことが例証となる。現実的にそんざいする被害に目をつむらないのであれば、「法の枠に入らないもの=人権侵害ではない」などというロジックを採用することはできない。
また、僕は当初から法による救済を主張しておらず、また、人権概念が法の枠組みに収まるものでもないという主張もしている。

次に
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20090609/p2
においてapesnotmonkeys氏が指摘するように、「NaokiTakahashi氏は完全な自縄自縛に陥っている。・・・「法/道徳」の二分法を絶対化・・・「法」以外のことは全部「道徳」だとして自ら選択肢を奪っている」
と考える。この点についての批判が当初からの問題意識の主要なひとつだったことは僕の発言を見ればわかるはず。
氏が「法/道徳」の二分法を絶対化している限り、人権侵害という言葉をつかわざるをえない。このあたりのことについては次回でエントリをあげる予定。
(相棒が友達のケコーン式で土日留守にする間、僕は4歳児につきっきりなので書く時間がとれそうにないんだが)

意図的に「人権侵害」といっているんですにゃー。
誤魔化すつもりなんて毛ほどもにゃーってば。

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