鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

見て学んで真似る

2本立て




1本目


言葉の正しい定義が分からないので、あくまでも私の場合の話なんですけど、「メンタル」と「集中力」は別物として考えています。


たぶん「集中力もメンタルの一部」と考えている人も多いと思うんですが、私は別々にとらえております。


私の考え方をザックリと表しますと、集中力とは「どれだけ頭を回転させられるか」であります。


この間も書きましたけど、私にとっての集中とは「球撞きのことだけを考えられる状態」ではなく「雑念を浮かべながらも、それを押さえ込みつつ球撞きのことをしっかり考えられる状態」であります。


球のことだけを考えられていることも稀にあるんですけど、私の場合そういう時って疲れていて「球のことしか考えられない状態」です。疲れている時の方が球撞きへは良い影響が出るとも言えますな。


さらに疲れると「何も考えられない」になりますけど。。。


中途半端な集中力だと、「球撞きの事+雑念」になってしまう。完璧な集中力だと「球撞きの事+雑念+雑念を押さえ込む力」になるっていう。


さて。集中力によって頭を回転させることで捻り出される「球撞きの事」とは何かというと、それはもう色々です。



球撞きにおいて頭を使うことといえば「組み立て」なんてのは真っ先に浮かんで来るかと思いますが、フォームのイメージ、ストロークのイメージだって、なんだって頭を使うことです。


そして今回言いたいのはここなんですけど、メンタルも頭の回転次第だと私は考えています。「メンタルの整え方」と言った方が正しいでしょうか。



シチュエーションはなんでも良いんですけど、緊張する場面ってのがありますよね。


そういう時に「自分は今、緊張している」と自覚するところがまず第一歩です。集中していないと(頭が回転していないと)自覚すらせず浮ついた状態で球を撞いてしまいます。


緊張している時の対策として、代表的なのは「深呼吸をする」とか「一度構え直す」とかがあると思いますが、それを実行できるかどうかもまた頭の回転次第です。「いいや、撞いちゃえ!」って撞いちゃうのは集中が足りない時。


深呼吸や構え直し以外にも、各シチュエーションごとに対策の仕方は色々とあります。過去の経験から対策を練っており、頭のどこかには既に知識としてあることが色々ある。


それらを頭の中から引っ張ってこられるかどうか。「今この状況にふさわしい対策は何か」を考えるにも頭の回転が必要です。出しを考えるのと似たような感覚かもしれません。


また、全くの未知の緊張に出会ってしまうこともあります。出会ったことのないシチュエーション、出会ったことのない緊張感です。


そんな時には「既存の対策のどれかを流用出来るだろうか」と考えたり、「なぜ自分はいま緊張しているのか」「この緊張に何か意味はあるのか」「ただの根拠のない不安ではないだろうか」「根拠があるのだとしたら、それは何か」などと考え、その場で対策を練ります。当然これにも頭の回転が必要です。


もちろん、過去に何度も経験している苦手なシチュエーションであるにも関わらず、未だ有効な解決策の無いこともあります。「知り合いに見られながら球を撞く」なんかがいい例です。


今後改善を図るにしても、現状ではいかに頭が回っていても対応出来ないシチュエーションもあるんですけども、「頭さえ回っていれば対応出来る」っていうシチュエーションの方が圧倒的に多いです。


頭が回るかどうかは集中力次第。


冒頭でメンタルと集中力を別々に考えていると言いましたが、書きながら気づきましたが、私は「メンタルは集中力の一部」と考えているようです。


自然と湧き上がってきてしまう不安や緊張感は心の問題ですが、その心の問題をどう解決するかは頭の問題で。


心の問題を頭で解決して、いかに球撞きに悪影響を与えないようにするかってのがメンタルであり、それを行うには集中力(頭の回転)が必要。


これが私の考え方のようです。毎度のことながら、考えてから書いてるんじゃなくて書きながら考えているので、他人事調ですw


メンタルの整え方は「緊張しないようにする」のではなく「緊張しても球撞きに影響がでないようにする」なのだとは昔から言ってます通りでございます。


ただ、上手く頭を使えば、頭で統制することによって緊張感自体を減らせることも少なくないです。場合によっては「なんだ。こんなどうでも良いことで緊張していたのか。馬鹿馬鹿しい」と感じて全く緊張しなくなるってことすらあります。


頭を使うことは大事です。


頭を使わないと素の心が出ちゃうので、そうなるとほとんどの人が弱いんじゃないですかね?メンタル自体は弱いってのが普通で。その弱いメンタルをどう隠すかが頭。



そういう意味で、チビった球を撞いてしまっている時ってのは「メンタルが弱い」というより「弱いメンタルを隠せなかった」ってのが正しくて、それすなわち頭が使えていない(使っていない)ってことなんじゃないでしょうかね。





2本目



私がまだ小学生だった頃のこと。


学校に楽団が来て全校生徒の前で演奏会をするというイベントがあり、終了後のスピーチで指揮者だったかコンマスだったか忘れましたが「CDが普及して気軽に音楽が聴けるようになりましたが、生の演奏は格別です。生に勝るものはありません」と言っていたのを今でもよく覚えております。


ビリヤードでも同じことが言えると思います。


ネットが普及し、上級者の球を気軽に動画で見られるようになりましたが、生の観戦は格別です。生に勝るものはありません。



この間試合観戦をしに行った際、観戦中のプロが初級者に「配置の確認とか、組み立て方とかは映像で見た方が分かりやすかったりするんですけどねー」と仰っておりました。


それはそうですよね。映像で見た方が全体図は把握しやすいですし、ボールの動きも分かりやすいと思います。


けどやはり、その組み立てをするための「撞き方」は生と画面を通してじゃ情報量が全く違う。生で見ないと分からないことがたくさんあるのであります。


私が歴を振り返って「上達する上で大事だったんだろうな」と感じることの1つが「生で上級者の球を観察すること」です。


観察対象はプロである必要はありません。むしろあまりに彼我の実力差があり過ぎる人の球を見るとかえって上達の妨げになる場合もあるので「自分よりちょっと上手い人」くらいが良いと思います。


自分の球を撞きがてらではなく、球撞き前や球撞き後、伝票が走っていない状況で落ち着いて上手い人たちの球を見る。見て学ぶ。見て学んで真似る。


小中規模店をホームにしている球馬鹿さん達にとっては当たり前のことだと思うんですけど、そういう機会がなかったり、機会を設けようとしない人がいます。


たとえば大規模店なんかだと、人間関係が希薄で、観戦を許してくれるような上級者がいない場合があります。また、台数が多くてプレイヤーが店全体に散らばってしまっていて、単純に遠くて見えないってこともあるし。


その点、小中規模店ですとカウンターにでも座ってノンビリ観戦が楽しめるわけです。大体の店は華台の周りにカウンターなりなんなり、座って華台の様子を見ていられるスペースがありますからね。見て学ぶには絶好の環境。


ところがどっこい。自分の球を撞き終わったらさっさと帰ってしまう人達がいる。


時間が無いというなら仕方がない。しかし時間があるにもかかわらず、観戦なんて時間の無駄とも言わんばかりの態度で帰って行ってしまう人達がいる。勿体ないことこの上ない。


球を撞く時間だけでなく、球を(生で)見る時間ももうちょっと設けた方が良いんじゃないでしょうかね。


大規模店をホームにしていてあまり他人の球を見る機会が無いって人は、小中規模店をセカンドホームにしてみてはどうでしょうか。それだけの価値はあると思います。