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1本目
初級者さんがただただ正しい知識に基づいて妥当な練習をしており、周りの人はそれを見守っていただけ。
だというのに、とある人が「初級者が間違ったことをやっていて、周りは誰もそれを指摘してあげない。不親切である。モヤモヤする!」「俺が指摘してやる!!」と言っていました。
教え魔爆誕
教え魔にも色んなタイプがいますけど、こういうタイプの人もちょぃちょぃいますよね。思い込みが激しい。自分の知識が絶対的に正しいのだと信じて疑わない。ただただ親切心から教え魔行為に及ぶ。
「親切心からの行いなのだから、感謝すべき」って、、、、なります??
2本目
リスクなんてものは無いにこしたことはありませんが、それにしたってリスクを恐れすぎじゃないか?と感じる人にしばしば出会います。
たとえばですけど、「何万円もするディナーの店選びに苦慮する」というのは分かります。失敗した時の額が大きいし、時間ももったいないと感じてしまいますからね。
一方で「興味のある何十円かのお菓子を買うのを躊躇する」というのは意味が分からないのです。買って食べてみれば良いだけ。何をためらってんのか分からん。
ビリヤードでもそうで、道具であったり練習方法であったりについて念入りな情報収集をしている人を見た時、「分かる。失敗したくないもんね」と思うこともあれば「情報収集に無駄な時間かけてないで、さっさとやってみれば(買ってみれば)いいじゃん」としか思えないこともある。
恐らく、彼らにとってのリスクは自分の気持ちなんでしょうね。「失敗」という経験をすること自体が嫌。時間とか金とかの問題ではなく、失敗することそのものが嫌なんでしょう。
特定の1人だけですが、言質が取れました。その人曰く
- どんなに小さなことでも、失敗を経験するとその日1日が楽しくなくなる。失敗を経験するくらいならやらない方がマシ。
- ミスをしたことで、周りから馬鹿にされているような気分になる。
こんな精神状態だそうだ。難儀ですねぇ、、、、
3本目
積極的に球を撞いていた10年くらい前までは、私は自分のストローク論にある程度の自信がありました。持論として人に話しても恥ずかしくないくらいの理論を持っていると思っていました。
その自信は
- 「A級です」と堂々と言えるだけの球は撞ける
- 多くのプレイヤーと対戦をし、彼らのストロークを見て色んなストロークを学んでいる
- 多くのトッププロのストロークを見ているし、直接意見を聞いてもいる
こういったことを根拠にしていました。
ところが、今は自信がすっかり薄れました。
自信をなくした原因として「今の時代のプレイヤーを全然知らない」「今の道具のことを知らない」が挙げられます。
世界で活躍する選手の顔ぶれが変わりました。けど私は全然知りません。
道具も大きく変わりました。道具が変われば当然ストロークの仕方も変わってくる。けど、私はそれを知らない。
ようするに、今の時代のストロークを私は知らないのです。今の常識を知らない。
もし今の私が堂々とストローク論を語ったら、それは「ノーマルシャフトではこう撞くんだ!!」と叫んでいるオッサンたちと同じになってしまう。あのオジサン達が昭和の老害だとしたら私は平成老害だ。
当時は間違っていなかったのかもしれない。けど今の時代には合わない。そんな理論は声高に叫ぶべきではない。
これは私自身に言い聞かせている言葉でもありますし、反面教師たちを見ていての感想でもありますね。。。
ビリヤードは人生の(社会の)縮図だと良く言われます。
ビリヤードにおいて前時代の知識を堂々と語ってしまっている人達は、職場や家庭でも同じようなことをやって、同じような目で見られているんだろうなと思ってしまいます(^o^;)