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よしこもり渚 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-01-13

ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』第一話「響ク音・払暁ノ街」 02:27 『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』第一話「響ク音・払暁ノ街」を含むブックマーク

放送開始から一週間以上遅れての言及になり、その必要性は限りなく薄くなっているようにも思われる。しかし、どうもこの作品を無言で通過させてはいけないような気がする。いや、それは全くの嘘なのだが、こうして言及してしまっている。なんというか、この手の良く出来たアニメ(と言うことは不正であろうが)への抵抗感は常に感じるのだけれども、だんだん慣れていって、最終的にはすごく気に入るのもまた常であるのだから、もっと素直に受け入れたい。のだが、なんだか難しい。


◆呼びかける

もしこの第一話に感動的な部分があるとしたら、その一つは、谷底に落ちた彼方さんがラッパを吹くシーンだと思う。ここではラッパの音はただのラッパの音ではない。それは呼びかけである。いや、単なる呼びかけではなく、むしろ祈りである。誰にも届かないかもしれない呼びかけは、つまり誰かに聞き届けられることを希う祈りそのものだ。祈りはそれ自体で人の心を何ほどか動揺させる。だからこそ、呼びかけは人に届くとも言える。呼びかけが祈りであるのは、この挿話に限ったことではなく、日常においても同様である。それも合わさって、この呼びかけと応答は感動的だ。そして、彼方さんのラッパは下手だと言われているが、純粋な祈り=呼びかけであるこのラッパは、上手ではいけないのだ。第一話を視聴する限りでは、彼方さんはラッパ手になることを目指しており、ラッパ手とはラッパによって信号を伝達するのが役目のようだ。十分に熟練したラッパ手のラッパは信号であることになるだろうが、しかし、信号であれば、それはもはや当て所なく彷徨う呼びかけではない。信号信号解読表を手にする者を目指している。彼方さんのラッパは信号ではなく、信号を超えた想いを響かせる可能性をはらんでいるのではないだろうか。そこに彼方さんの主人公性を認めてしまうのは容易いが、あるいは安易だろうか。*1


◆水と過去

やや作品から離れてしまった。具体的な語りを心がけたい。この挿話では、街の過去が物語られ、「水をかけること」が「神話」に由来することが言われている。水は悪魔の死骸(?)を隠してもおり、水が街の過去と結びついているのは確からしいように思われる。だが、水はまた、彼方さんの過去とも結びついているのではないだろうか。彼方さんの過去を描写しているらしいシーンでは、雨が降っており、彼方さんは涙を流している。その水が現在の水と呼応しないか。彼方さんの入浴シーンに注目して、風呂場のタイルが、過去シーンでのタイルと酷似していることを指摘しても良いのかもしれないが、むしろ、「街の過去-水」の変容としての「彼方さんの過去-水」であれば、むしろ水も何らか変容していてもいい。梨旺さんの鈴も、また過去と現在をつなぐアイテムだと考えられるが、その梨旺さんと彼方さんの出会いが、水に媒介されていることを指摘しよう。彼方さんと梨旺さんがショーウィンドウ越しに出会うシーンだ。このシーンでは、彼方さんはガラス越しに魚を見つける。つまり、このガラスが水・水面と化しているように見えるのだ*2。そして、その「水中」深くから梨旺さんが現れる。彼方さんと梨旺さんが出会うところに、水と(そのときには梨旺さんは持っていないが)鈴が存在している。過去と現在が変容したかたちで交錯する。それが、まあ、面白い。


時間に迷う

彼方さんは迷子になりがちだと言う。迷うことは普通、空間において可能であるが、彼方さんはこの第一話にあっては時間に迷っているようにも見える。いや、確かに彼方さんは普通の意味でも迷っている。しかし、彼女が気にかけるのは、空間的な位置よりも、時間的な位置である(彼女は時計をしきりに気にする)。そして、彼女は現在目指すべき場所ではなく、過去の象徴であるかのような鈴のほうへと、過去のほうへと迷い込んでいってしまう。やがて、彼女は谷底に落ちて、知らぬうちに更なる過去、神話のたどった道筋をなぞるように迷うことになるだろう(神話と同じようにラッパを吹く)。彼女が一旦は意識を失ってしまうのは、神話という起源にまで彼女が迷っていってしまいそれ以上迷えなくなったからではないだろうか。袋小路を突き抜けるように、彼女の呼びかけは「現在」へと届いており、意識を取り戻した彼女は正常な時間を回復している。つまり、彼女は本来目指していた場所へとたどり着いている。さらに言えば、その場所は「時告げ砦」と呼ばれる場所であり、その名の通り、時間を告げる、いわば時計そのもののような砦である。時間に迷っていた彼方さんは、梨旺さんによって、時間の中心へと位置することができたのである。歴史を語り直すことで過去が現在へと回帰する。なんというか、この後のお話の展開の暗示と考えることもできるのかもしれない。


◆その他

望遠パースが妙にかっこいい。

徹底して主観的に。 02:27 徹底して主観的に。を含むブックマーク

2010年になった。

今年は昨年よりもさらに更新頻度は低下すると思われるが、ぼちぼち続けていくんじゃないだろうか。

徹底的に主観的に書いていきたい。

アニメを視聴することでしか得られない面白さへの情熱を忘れない。

アニメ荒唐無稽をそのまま引き受けられたらいい。

*1信号でないにしても、饒舌な語りは真摯な呼びかけにはなりえないように思う。音楽的な詩のようなことばに、人はむしろ胡散臭さを感じるのではないだろうか。たとえば、政治家の演説やTVショッピングの売り文句など。人を引き込むようなリズムとは手を切ったところに、祈りは成立するように思われる。不器用なラッパは、人とのつながりを祈ることの標の無さと重なるのである。

*2ガラスって液体なんだっけ?

K_NATSUBAK_NATSUBA 2010/01/13 16:22 ガラスは個体だけど流体。
という意味ではガラスが流れ出すような悠久の時間≒永遠の相で二人は出会った、と言えるんじゃなかろうか。


>人を引き込むようなリズムとは手を切ったところに、祈りは成立するように思われる。

とすると、例えば熱気バサラの歌はどう扱われるのかしら?
あんなに上手い歌をある種の祈りとして提示したマクロス7という作品の失敗?
聞いてもらえない、という作中の物語上の設定に多くを拠った別種の表現?

YOSHIKO-MORyYOSHIKO-MORy 2010/01/15 03:35 かなり難しいですね。前言を撤回したほうが無難な気もしますが、考えてみました。結論だけ言えば、祈りにもいろいろある、ということになりそうです。
ここでぼくの言う「祈り」は、呼びかけが他者へと届くことを希求する祈りです。呼びかけの成否は、全面的に他者に懸かっており、呼びかける側はひたすら聞き届けられることを祈ることしかできないと考えられます。つまり、呼びかけは本質的には祈りであると言えると思います(呼びかけ=祈り)。では、切実な祈り、呼びかけを届けたいと強く願う祈りが、音楽性から乖離したところで成立するのは、何故か。他者に「俺の歌を聴いてくれ」と呼びかけるとして、その呼びかけはどのようなものになるかを考えてみます。おそらく、その願いが切実であれば、バサラのように「俺の歌を聴けー!!」というようにがむしゃらに叫ぶことになるように思われます。さらに切実さの度合いがあがれば、より純粋な「叫び」へと変化していくのではないでしょうか。山を動かそうとして歌っていたころのバサラは多分、絶叫するように歌っていたと(勝手な想像ですが)思います。叫びもまた、音声である以上、音楽性を免れないのですが、リズムやメロディを欠いており、音楽らしい音楽とは言いがたいでしょう(『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』の呼びかけは叫びではないですが、リズミカルな音楽からは乖離している)。そのような理路ゆえに、ぼくは呼びかけ=祈りが音楽からは離れる、と書いたわけです…。
祈りとしての音楽が実際に存在することは否定できません。ですが、その事実がぼくの考えと矛盾するかというと、そうではないと思います。夏葉さんが「ある種の祈り」と書いておられのは、おそらく「祈り」は一つではないからでしょう。ここでぼくが言及した「祈り」は、ある特定の質のそれでしかなく、異なる質の祈りは歌としてもありうるのだと思います。ただ、祈りの切実さとして、最上級ではないとは思います。
にも関わらず、『マクロス7』のバサラの歌が祈りとして一級であると感じられるのであれば、それはむしろ、作品が成功している証左になるんじゃないでしょうか。ただそれは、歌だけではなく、歌の外部にも要因があるようにも思えます。いくつかのバサラの歌は、音楽性と叫びのあわいにあるようでもあり、それゆえに叫びに似た訴求力を有しているようにも感じられるのですが、むしろ、歌が無視されてしまうにもかかわらず、何度でも戦場に躍り出て歌う、例えばそのような行為自体にバサラの祈りを感じ取っているような気もします(歌と歌うことは不可分ですが)。
やや余談になりますが、『マクロス7』の歌のあり方が完璧かというとそうではないと思います。魂をぶつけて歌っているはずのバサラの歌が、まるで録音したかのように同じ調子であるのには、がっかりせざるをえません。このメカニカルな変化のなさが、バサラの切実さを、幾分損ねてしまっているのは確かでしょう。
この辺で止めておきます。意味不明な点や、勝手な思い込みも多いと思います。良かったら、また指摘してください。おわり。