仏陀さんに手を合わせる

 ふと大体読み返してみたの、自分の日記。
 じゃあ書かなければいいのにって言われたら、お仕舞いなことしか書いてないなあ。んん。でもブログなんて、ミクシーなんて、皆そうではないですか、とかとか。でも読んでて凄く楽しい人とかたくさんいるし、もちろん、鼻に付くカン違い十代―─十代じゃなくなってても、未だそれの抜け切らない人とか──の啓蒙思想というか、「オレ、わたし、ぼく、こんな凄いこと考えちゃってるんだぜ」文章もたくさんある。たまにゾッとする。なんでゾッとするかって、なんとなくだけども、勝手に位置付けたそれ(怖い。ここでしか言えないなら、ここでも言いたくない。それ、と表記しよう)とか啓蒙合戦、変な言い回し。の中に結局いると言うこととか。

 うわー

 そない言うほど考えすぎてるわけでもないのに、書いてみるとネガティブじめじめまっしぐら!猫まっしぐら。ちがう。

 五木寛之さんのエッセイを読み返してみる。
 この人の文章も、同業者の方々はイラっとしたりするのかなあ。いや、でも、本当に知恵があって、心があって、格好つけていない文章なら、それは文学として成り立つのかもしれない。それらは歳をとればある程度自然に身に付くのかもしれないけど、そんな難しい話じゃなく、イヤミのない文章を書いている友達もいる。

 イヤミのない文章。
 イヤミのない言葉。

 書けるようになるかなあ。内省的で、優しくない少年は、怒りにまかせてぶち壊そうとする。ロックというものの根本(笑)

 とりあえず、サムサッカーという映画をもう一回見よう。あの映画は慰められすぎる。まさかマトリックスの人に慰められるとは。