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2016-05-26 Thu

プレイヤーとマネージャーの関係の枠組みをつくる

 職場で、改善活動のアドバイザーという微妙な立場になることになった(とりあえず半年)。グループのメンバーとどういう関係にするか設計したんだけど、結局それはプレイヤーとマネージャーの関係の設計と同じことだなと思って、また使える時も来るかもしれないし、まとめておくことにした。


背景

 半年単位で職場の改善活動というのをやっている。今回は若手社員(20代)2人がメンバーで、中堅社員(30代)2人がアドバイザーということになった。(30代2人のうちの一人が私。)

 今までは課員全員参加で、2〜5グループくらい作ってテーマをそれぞれ決めて取り組んでいたんだけど、今回からちょっと毛色が変わって、グループは1つ、テーマも1つ、メンバーも全員じゃなくて若手に絞っている、というやり方になった。


活動の目的

 なにはともあれ、活動の方針・目的をはっきりさせないことには何もデザインできない。

 もともと「職場の改善活動」という名目がある以上、まず第一の目的は「課を今よりも向上させる」ということになる。半年という活動期間の単位や、グループが設定されるということも考え合わせると、「日常的なルーチンワークだと解決できないような、課の中に内在している課題を抽出して、腰を据えて解決する」ということになる。

 それから、「メンバーが20代の2人」という条件を考えると、この活動を通じて、課題抽出や解決の能力の訓練にしたい、という目的も見えてくる。(若い人の視点で課題を設定してほしい、という目的も一見ありそうだけど、別にそこは「課題設定は課の人みんなから意見を吸い出す」とかいう手段もまだ残されているので、それは目的にはあんまりなってない。)

 あと「アドバイザーが30代の2人」という条件からは、この活動を通じて中堅社員にとっては、自分で手を下さずに成果を出させる、って訓練にしたいっていう意図も見えてくる。


 新人の頃はどうしても人から指示された仕事をこなすってだけになるし、まずはそれができるようになってくれればいいんだけど、だんだんそれだけじゃ許されなくて、課題を先に見つけて先回りして潰したり改善させたりしていく力が要求されるようになってくる。だけどなかなか普段の仕事が「指示されたことをやる」になっちゃってるとそこから抜けられなかったりする。それでこういう活動を通して、練習させていく。

 一方で、もうちょっと年次が上がってくると今度はチームを持たせてもらえたりする。今までは「自力で」課題を見つけて解決してたのを、今度は部下が「自主的に」やってくれるようにしていかないといけなくなる。そういう技術もついでに練習させていくってことだ。


 まとめると、今回の活動の目的は、

  • 【目的1】 日常業務では解決できない課内の課題に取り組んで、課を向上させる
  • 【目的2】 ついでに若手(20代)課員の「自分で課題を抽出したり手段を設計したりする能力」のトレーニングをする
  • 【目的3】 ついでに中堅(30代)課員の「自分で手を下さずに、でも質を維持した成果を出させる技術」のトレーニングをする

ということになる。なかなか欲張りな活動だけど、ひとつのことをして、たくさんのいいことがあった方がいいに決まってるんだから、これはなかなかいい活動なのかもしれない。

 最低限、この3つは絶対に外さない形で活動をデザインしないといけない。


メンバーとアドバイザーの関係をどうするか

 アドバイザーというのはちょっと微妙な立ち位置だ。完全にメンバーにお任せして放置したら「アドバイザーの意味って何?」ってことになっちゃう(目的3が達成できない)し、かといって完全に何もかも手を入れて指示してしまったらアドバイザーじゃなくてメンバーになっちゃう(目的2が達成できない)。だから、活動を始める前にアドバイザーの立ち位置をはっきりさせることにした。

 放置と過干渉のあいだ、ちょうどいいポイントになるようにメンバーとの関係をデザインしないといけない。こういうときはお互いにとっての困ることを洗い出していくとデザインしやすい。


 メンバーにとっての一番困ることというのは、後出しのダメ出しをされることだ。計画や成果物を持っていって、「あそこがダメ」「ここがダメ」と指摘されてやり直すのはつらい。公園にきて「自由に遊んでいいよー」って言われたのに、「ダメじゃないそんなとこ勝手にシャベルで穴掘っちゃ」とか「ダメじゃないブランコのポールを登ったりしたら」とか言われたら「んもーっ!」ってなる。そうなると当然、「自分がしたいことをする」んじゃなくて、「あの人がいいって言いそうなことをする」になってしまう。やる気も消滅する。結局、「自分で考えて自分で決めてやる」っていう目的2を裏切ってしまうことになる。

 そう考えると「後出しのダメ出しはしない」という制約が出てくる。


 一方でアドバイザーにとっての一番困ることは、めちゃくちゃな結果を出されることだ。目的3にあるように、アドバイザーは活動の質を保証する、そういう責任を負っている。だってめちゃくちゃな成果物をメンバーが発表したら、みんな当然「どうしてアドバイザーのお前らがついてたのに、こんなことになったんだ?」と思うしね。だから、アドバイザーはメンバーの活動の質を保つ責任を負っている。

 このときに一番簡単で、一番よく見かける光景が、後出しのダメ出しって手段だよ。出来上がってきたものを見て、「ここはダメ」「そこはこうして」と突き返す、それでまた出来上がってきたものを見てダメ出しする。この繰り返しで、さっき見たようにメンバーを疲弊させてくんだよ。これだと目的2が達成できないから、この手段は取れない。


 そういうわけで、アドバイザーはメンバーに「後出しのダメ出しはしない」けど、「ちゃんとした成果物を出してもらうようにする」という条件を両立させないといけない。じゃあどうするかって考えると、「先出しの条件出し」をするしかない。公園で「自由に遊んでいいよー」って言うその最初の時点で、「人が迷惑になるようなことはダメだよ」とか「人や自分が怪我するようなことはやめようね」とかを、理由と一緒に伝えてあげる。この条件を満たしてくれれば、それ以上はもう自分が一番いいって思う風にしてちょうだい、と事前に伝えなきゃめいっぱい遊べない。方針や目的、制約条件を最初にお互いの間で共有できていれば、「なんじゃこりゃ」ってものが出てきて後からダメ出しせざるを得ない状況を減らせる。

 これはアドバイザー側としてはちょっとしんどい面もある。目の前にできあがった物があってそれにいちゃもんをつける方が、今からできあがるかもしれないものを考えながら条件出しをしてきっちり言語化させていくより、ずっと楽だからだ。でも、やらないといけない。お互いにとってのハッピーを目指すためには、「先に方針をきちんと共有しておく」ってのは必須だ。だから、ちゃんとメンバーには、「なるべく先に満たすべき条件を提示するけど、でも僕らも完璧じゃないから見落としはあると思う。実際に出来上がった後にダメ出しすることもあるけど、でもできる限りそれを減らす」って伝えておく。

 それから、「方針や条件を出す」という制約は、「手段は伝えない」ということとセットになってる。そこまで入り込むと目的2&3に違反してしまうからだ。あくまでどうやってやるか、分析したり手段を構築したりするのはメンバーの側にやってもらわないといけないので、そのためにも「方針・目的・条件までしか提示しない」という制約が必要になる。この辺、どこまで細かく伝えるかという粒度は、相手のレベルによる。


 それからアドバイザーにとっての「されると困ること」は、状況が把握できてないって状況に追い込まれることだ。「えっお前らアドバイザーなのに今どうなってるのか知らないの?」、「現状把握もできてなければアドバイスなんてしようもないんじゃないのか」と言われるのはつらい。

 これを避けるには、メンバーに何かをする前に報告・連絡・相談(ホウレンソウ)してもらえば事足りる。このことは後出しのダメ出しをしないという目的にも合致する。アドバイザー側にとっても条件出しがまとめてではなく細かいステップに分けてくれれば楽になる。

 例えば最後の活動発表の資料づくりにしても(部全体で発表する)、いきなりパワーポイントの完成版を提出するようなことはやめる。最初にアドバイザーから「誰に向かって、何を伝えるのかをはっきり意識した作りにしてくれ」とか方針を出して、その後でメンバーはテキストファイルか口頭で「だいたいこういう流れで、こういう風に発表するつもり(それはこういう理由で方針とも合致している)」と説明してもらって、その次に紙の落書きでスライドの構成を見せてもらって……と細かく試作品を出してもらった方が、結果的に手戻りが少なくなって早くなるし負担が少ない。


 そういうわけで、

  • 【方針1】 メンバーは何かをやる前に「こういう理由で、こういう風にやりたいんだけど」とアドバイザーに伝える
  • 【方針2】 アドバイザーは事前に、方針や目的や条件をはっきり洗い出してメンバーに伝える(やり方までは伝えない)

という縛りが設定される。行動がこの方針を裏切っていないか常にチェックしていく。

 これで、放置でもなく過干渉でもない関係性を作っていく。


本業との兼ね合い

 メンバーは二人とも日常業務を抱えていて結構いそがしい。でも改善活動のために残業するなんてことはしてほしくない。一方で、日常業務が忙しかったので何もできませんでした、ということもやめてほしい。もともと「ルーチンワークだとなかなか手がつかないところを改善させよう」という目的1があるので、これは達成しないといけない。もちろん理想を言えば、通常業務をきちんと整理整頓して無駄をなくしたり、他の人にきちんと業務をパッケージングして振ったりして、取り組むための余暇を作り出してほしいところだけど、そこまで要求するのは難しい。(もともとそういう能力を上げるためにトレーニングしようという話だし。)

 とりあえずメンバーには、「手がつかなかった」のは許されないけど、「手をつけなかった」のは許される、ということを伝えておく。(やらなきゃいけないなー)と思いながらなんとなくそのまま放置して、結果的に時間が経っちゃって後になって「いやあ他にやることいっぱいあったんでやれませんでした」なんて言い訳にもならない。だけど、計画をきちんと組んだ結果として今の時点で「ここは手をつけない」なら構わないということ。判断しなかった結果としての無着手はダメ、判断した結果としての無着手ならOK、ってこと。


 判断した結果で「やらない」って正確に言うためには、何をしないといけないのか、どこがゴールなのか、どこまでできそうか、というのをちゃんと考えないといけない。今回の場合だと、改善活動のテーマを決めた後で、目標がどこにあるのかを確認して、そのためには何が必要で、でも実際にはメンバーお互いの本業の予定がどうなっていて、だから半年の時点ではここまでを目指せば良くて、……と組み立てていく作業が必要になる。これがきちんとできていて、「やらない」ことの合理的な説明がされればそれは許される。逆にここまでできていれば、じゃあ他の人にここは手伝ってもらおう、とかいう手段だってちゃんと出てくる。

 言い換えると、「手を使わない」のは許されるが、「頭を使わない」のは許されない、ということになる。


活動の透明性を確保する

 目的1にある通り、これは課としての業務になっている。ということは、少なくとも課長は「状況を知っている」という状態にしておく必要がある。また課を向上させるという話なので(選ぶテーマにもよるけれど)課員全員にも関係してくる話になっている。ここでもさっき見た「後出しのダメ出し」の可能性を潰しておくためにも、ほどほどの頻度で状況を課長・課員に知っておいてもらう必要がある。そうすれば何かやる前にアドバイスをもらえるかもしれないし、やった後で「だって俺聞いてないし」という言い訳の道を塞いでおける。課員に何かお手伝いをお願いする場合でも、いきなり一から話をするより、「もうお馴染みの件」にしておけば話も通りやすいし反発も受けづらい。

 これは普段の仕事でも同じで、なるべく自分の仕事の透明性を確保しておけば、移管したり小分けして振ったりする際のコストを下げることができる。最悪、自分が入院したり死んだり異動したりするときに、まるごと誰かに引き継いでもらうのだって、普段から透明性を高めておけばコストが少なくて済む。

 ちょうど隔週で課内の定例会議があるので、その場で毎回、活動状況を報告するようにすればいい。


リーダーを決める

 メンバーたった2人の活動だから、リーダーなんて決める必要あるのか、って気もする。でも決めた方がたぶんいいと思ってる。役割がはっきりしていて「お前が(俺が)やらなきゃ誰がやるんだよ」って意識がある方が、物事が全般的にスムーズに進む。横浜市営地下鉄が「全席優先席」ってやってて、結果的に誰も席を譲らない、みたいなことだよ。はっきり優先席って区画を限定して「お前が譲らなきゃ誰が譲るんだよ」って感じにしておかないと、譲る側も動きづらい。「お前の役目だよ」って対外的にはっきりしてる方が、(生意気だって思われないかな)(なんでお前がやるんだよとか思われないかな)(誰かやってくれればいいんだけど)とか迷わずに済むから早い。役目が決まってなくて、(そろそろやんないとヤバいかな)ってみんなでチキンレースさせられるのはかなりしんどい。

 たった2人だと、お互いの性格や能力なんかで、なんとなくだんだん「どっちがリーダー」ってのが自然に出てくるだろうなと思う。でも、これは結構危険だと思ってる。そうやってなんとなく決まっていると、「なんか俺ばっかりがやらされててずるくない?」って感じが出てきちゃうことがある。関係がギスギスする要因は排除しないといけない。はっきりお互いの間で「あなたがやる役」って合意が取れている方がイライラせずに済むから精神衛生にいい。

 今のは内部的な意味でのメリットだけど、外部的にもメリットがある。誰に話を通せばいいのかがはっきりしている方が、外側の人間としてもやりやすい。

 どっちがやるかって話は決めてくれればいいけど、今のような理由で個人的にはリーダーは決めちゃう方がオススメです。別にどっちか一人がやんなくても、残り4か月のうち2か月交代にしてもいいだろうし。


テーマの決め方

 課員みんなで決めるとか、課長が決めるとか、アドバイザーも一緒になって決めるとか、テーマの決め方はいろいろ考えられたけど、メンバー2人で決めるということにした。目的2の「若手が自分で課題を抽出して考えるトレーニング」ってことを考えれば当然だし、それに「自分でやるって言ったこと」という感覚がないとなかなか主体的にできなかったりするし。

 それじゃあ後は2人で決めてね、ってなるかというと、それだとアドバイザーは無責任ってことになる。方針2の「事前に目的や方向性を伝えておく」って点を無視したらいけない。


 今回の話でテーマをどう決めるか、の制約としては、まず目的1から「ルーチンワークで解決できない課の課題」っていうのがある。それから、さっき言った主体性が得られるような課題、つまり君たち2人が「本気でこれはやった方がいい、やりたいと思える課題」っていうのがある。最低限この2つは確実にクリアしてくれていれば、後は自由に決めていいよ。(実はこれでもまだ条件設定としては広すぎるので、実際にはもう少し細かく方針を決めてる。)




 これ、若手2人+中堅2人構成って指示がまるで最初からあったみたいな書き方してるけど、実際には僕がこうなる方向に持っていったんだった。

 最初は「今期何やるかテーマ決めといてねー」ってふんわりした指示が課長からみんなに降りてきた。それで課員の話し合いの時に「でもちょっと課長の心づもりとか方針を先に確認しないと、テーマが決めきれないですね」って話をして、課長も入れた打ち合わせに持っていった。

 たぶん3つくらい方針の候補があって、「若手の育成の機会にする」、「全員で課の課題を解決する」、「単に部長の気持ちを満足させる」っていう3つ。もし1つ目ならテーマは若手(20代2人)に決めてもらうことになるし、2つ目なら課題を徹底的に洗い出してその上で正確に優先順位を決めて第1位を選ぶってことになるし、3つ目なら最初からゴールが見えてるような見映えのして手間のかからないテーマを選ぶことになる。という話をして、最後は課長が1つ目を選んでくれたからこうなった。

 こうなったというか、僕が1つ目のメリットを強調して重ねてたからかもしれない。ちょっとずるいような気もするけど、でもやりたかったんだよ。

 自分で直接手を出さずに、でも質も確保して、プレイヤーに主体性(意欲)をもって仕事をしてもらうってこと。しっかり関係性をデザインすればちゃんとできるんじゃないかなって思ってたのを、いつか実地に確認してみたいとずっと思ってた。機会があったらつかまえてやってみたいと思ってたのが、今回その機会が来たと思った。

 うまくいくかはわかんないけど、でもやってみてうまくいかなければそれは課題がわかるってことだからうれしいし。

2016-05-24 Tue

村山満明・大倉得史『尼崎事件 支配・服従の心理分析』

http://bookmeter.com/cmt/56540735

とても恐ろしい本で、ここに展開された内容を丁寧に理解して、身の周りの出来事の構造と正確にリンクして把握して、正常から異常までのグラデーションをクリアーに描けるようになれば、もう隠微な形で他人をコントロールする技術が得られてしまう。例えば自分が言ってやらせるんじゃなくて、相手に言わせてやらせることで、自分が決めたって感じさせて責任を持たせてやり遂げさせるって話も、普通に職場で使えば本人の意欲を引き出してハッピーだけど、相手の決定権をとことん奪いながらやれば他人をコントロールすることになっちゃうし紙一重だよ。


 尼崎事件で、弁護人から依頼を受けた心理学者チームが分析した結果をまとめて公表している、という本で、一般向けというより司法関係者や心理学関係者に向けた本なので、レポートっぽいし繰り返しも多くて冗長だし、本文組もみっちりしてるし版型も大きいので読みづらいんだけど、それでもかなり貴重な本だと思うよ。

 ふつうの人だった岡島泰夫(仮名)(今回の弁護の対象者)が、どういった経緯で角田美代子に取り込まれていって、最終的に殺人や死体遺棄の実行犯になっていったかってプロセスを一つずつ見ていって、ミルグラムの実験、スタンフォード監獄実験といった心理学の著名な実験や、強制収容所や刑務所のあり方、DVの事例といった実例から得られている知見も丁寧に紹介していって、さらにその知見から改めて尼崎事件というか岡島の内的な状態を構築する、という構成になってる。

 この本が面白いのは、「この人が特殊だから巻き込まれたんだよ」じゃなくて、「ふつうの人でも状況が整えば問答無用で巻き込まれて逃げられないよ」って話になってるところ。外から見てると「逃げればいいじゃん」って見えていても、こうやって内在的な論理を見てみると(あ、これは逃げられないな)と思う。

 他人が家族を崩壊させたり、家族同士でセックスさせられたり、殺し合いさせられたり、っていうのが極端な事例だとしても、ここでつぶさに観察されてるメカニズムそれ自体は、日常から連続してる。たとえば一般家庭でも、たとえ暴力はふるっていなかったとしても「どうしてわからないの!」、「自分で考えなさい!」って子供に怒って、子供が自分で一生懸命考えたのを伝えたら「そうじゃない!」、「考え直せ!」、「どうしてわからないんだ!」ってまた突き返す、ってのを繰り返したりすれば、だんだん心理的に支配していくことになってしまう。例えばそういうことを無意識のうちにやって、従順になっていくのを「いい子になってきてる」って勘違いしちゃってることだってあるかもしれない。あるいは生理的欲求(食事・排泄・睡眠)のコントロール権を奪うことで相手の主体性をかなりの部分奪える、って話だって、当事者はそのことに無自覚なまま、介護だったりある種の職場だったりでやってたりするかもしれない。

 ここでは「角田家」っていう独自の世界に一般人だった岡島がずるずる組み込まれていく過程が描かれているけど、この社会一般のルールとはずれた集団内のルールに染めていくって話にしたって、ふつうの会社でも学校でもどんな組織でも多かれ少なかれ起こることだし、むしろ自分が属している組織に適応できてないってのは逆に病気になっちゃう。社会一般のルール(倫理観)と極端にズレていたり、相反するようなルールが適用されるっていう点が違うけど、そういう意味でも実は結構「ふつうの世界」とも地続きになってる。


2016-05-21 Sat

チームスポーツだっていう感じ

 サッカーの試合をしていて、十分にスペースが空いていたり他の選手がフリーになっていたりするのに、「いやいや、先輩にパス出すなんて申し訳ないので……」とか「これ俺のボールだし!!」といって自分一人で無理やりドリブルしてシュートに持ち込もうとしたりして試合に負けたら、何やってんだという話になる。まして試合に負けて、「でも僕はたくさん走りましたよ」と偉そうに言ったって、「だから何だ?」ってなる。でも同じことが、職場なんかでは平気で起こる。つらい。

 本人はすごく気を遣ってくれてる。相手に申し訳ないからと思ってくれてる。でもその結果、パスを出さない。チームで協力して試合を上手に進めて勝つってことが一番目指したいところだし、むしろそれができてないってことの方を申し訳ないと思ってほしいのに、そこの価値観がずれてしまっているとつらい。

 そして非常に恐ろしいことに、監督(チームのリーダーや課長)もまた、「申し訳ないから」といって振らなかったり、気を遣って直接的な指示や指名を避けたりする。「お前がやるんだ」と言わずに「君たちやっといてね」と漠然とした指示を出して、お見合いになってフライのボールがそのままみんなの目の前で誰も取らずに落ちたりする。(あれ、あの人が取るのかな?)(いや、取らないかな)(さすがに今動き出さないとまずいだろ!)ってチキンレースみたいなことをさせられるのはプレイヤーとしてはとてもつらい。

 パスを出さずに自分でドリブルしてゴールする方が偉い(自分の担当分は全部自力でこなすのが当然)とか、試合に負けても走り回ってる人の方が評価される(効率的に仕事をこなして残業なしで帰るより、非効率なやり方で残業しまくってる人の方が頑張っているといって評価される)とか、最初から予想して動くよりギリギリで動き出してダイビングキャッチとかするのがファインプレーだとか、雑用は若いやつがやるべきでそれを先輩や年配にやらせるなんてとんでもないとか、そうした価値観が実際に職場の中にあったりすることはよくある。


 俺はピッチャーだからピッチャーの仕事しかできないし他のポジションのカバーに回れない、なんて贅沢は普通職場では許容できない。それが許容できるのは控えの選手や二軍の選手を大量に抱えておけるような場合だけだ。ぴったり9人で試合してますって草野球みたいな状況なんだから、ピッチャーだけどキャッチャーもできますとか、内野手だけど外野手もできます、バッティングもそこそこできます、くらいじゃないと途端に非効率な状態になってしまう。だけど実際には、あの人ピッチャーだから、ピッチャーしかできないから、と言って仕事を振らないし、じゃあ一塁くらいはできるようになってもらおう、というトレーニングもしなかったりする。雑用は若手がやるものだ、といった思い込みもこれと同じ。


 もしチームスポーツの試合だったら当然だと思うようなことが職場でできないのは、スポーツと違って明確な「試合」という単位がないからかもしれない。職場の中だと、試合/トレーニング/オフでの人間関係、といった状況が混然一体となって分かちがたくなってる。それに監督やコーチやプレーヤーといった役割を個人の中で使い分けなきゃいけなかったりする。スポーツだったら「試合という単位の中では先輩後輩関係を解除する」といった合意が作りやすくても、職場だとその単位が明確じゃないからむちゃくちゃになってる。今は試合中でもある、という感覚が薄いと、「でも申し訳ないから」とか「でも俺の方が先輩だから」といった気持ちの側が大きくなり過ぎて、試合が上手く進められない。気を遣う分と試合だと割り切る分と、どっちかに偏りすぎたらダメで、上手にバランスしないといけない。