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2017-02-08 Wed

別府輝彦『見えない巨人―微生物』

http://bookmeter.com/cmt/61584620

食べる-食べられるの捕食関係、親-子の遺伝関係などの関係性の組合せで地球システムが成立しているといった理解ではまるで狭いと教えてくれる。微生物の働きを含めると全く別の光景が広がっている。電線でつながって電気的にコミュニケーションしていたり、親子の垂直関係とは違う水平方向で遺伝情報をやり取りしたり、無機物の形を変えて固定したり解放したり、雲の中から深海にまでいる、そもそもミトコンドリア葉緑体自体がもともと微生物だったというし、多面的に常識を拡大させてくれる。こうして概要を広くまとめてくれる本はありがたい。


 面白かったあれこれのメモ。そういえば自分は高専出だから、生物の授業ってなかったんだなあということを久しぶりに思い出した。


特徴

 微生物は増殖力と呼吸量が動植物(多細胞生物)よりはるかに大きく、それは物質を別の物質に変換する力が大きいということで、その特性が地球システムの循環や人間の工業・産業・食品・医療等々への利用を支えている。

 増殖力が高いというのは例えば大腸菌が48時間分裂し続けた場合地球の4千倍の体積になったり、呼吸量が大きいのはクライバーの法則(代謝活性が体重の3/4乗に比例する)に従っているため。微生物はサイズが小さいことによって高い物質変換力を持っている。


位置付け

 細菌は原核生物原核生物細胞サイズが小さく、核やミトコンドリアがないといった特徴があって、真核生物(動植物や真菌、アメーバやゾウリムシとか)に対する区別。

 生物全体の系統図だと動物と植物はごく一部で大部分を原核生物が占めている。


地球環境との関係

 原始地球が氷結から免れたのは、炭酸ガスをメタンに変換する細菌の働きがあったため。(メタンの方が温室効果が高い)

 大酸化イベント(25億年前にバクテリア光合成を始めて酸素が大気に大量に増えた)の際、大部分の原核生物が酸素の毒性に負けて絶滅するか局地に追いやられたした。一方で、酸素がオゾン層を形成して太陽からの紫外線を防いだことで酸素呼吸タイプの真核生物が誕生する要因になった。

 もともと地球上の炭素循環・窒素循環(固定したり放出したり)を主に微生物が担っていた。化石燃料の使用・セメント生産による炭素の放出、窒素肥料の生産による窒素の固定を大規模に人間がやるようになってバランスが崩れているのが現状。


遺伝・進化

 遺伝的性質が進化するには、有性生殖による遺伝子組替、突然変異がある。これは親-子の縦の遺伝情報の伝達・変化だが、それ以外にも横の伝達があってそれがプラスミド。

 1950年代に赤痢菌に3つの抗生物質が使われ、6、7年後にその全部に耐性を示すようになった。遺伝的な組み合わせで100万分の1程度の確率でしか生じないから突然変異とは考えづらく、実は小さなDNA分子(Rプラスミド)が耐性遺伝子を乗せて菌から菌に移っていた。プラスミドは遺伝子の共用プールのような役目を果たしていて、そこから適当な遺伝情報が取り出されて組み込まれることで環境の変化等に素早く対応できる。無性生殖でも突然変異だけに頼らない早いスピードで進化が可能になる。

 一方で微生物にも雌雄に相当するものがあって、それまで分裂で突然変異に頼っていたものが、雌雄相当のものが共存するようになると進化スピードが上がって、例えば病原菌への防除が追い付かなくなったりすることがある。

 突然変異DNAよりRNAの方が起こりやすい。インフルエンザウイルスが毎年流行が起こるのは、遺伝物質がDNAではなくRNAなので人に免疫ができても変化してすり抜けてしまうため。

 人間の病原体への防御機構には3段階がある。

(1)物理科学的障壁:皮膚、酸性の胃液、唾液の酵素

(2)自然免疫:細菌やウイルス全般を異物と認識して攻撃する

(3)獲得免疫:相手に合わせた特別な抗体とリンパ球を作って攻撃する。日数はかかるが長期間記憶して次回はすみやかに攻撃できる。

(3)は脊椎動物固有の機構。この獲得免疫があっても細菌やウイルスの方が上記のように変化すると対処ができない。


共生

 細胞内にあるミトコンドリア(呼吸機能)や葉緑体光合成)はもともと別の細菌だった。細胞に入り込んで共生していくうちに自己増殖機能を失っていき、こうして取り込まれたことで細胞が新しい機能を獲得した。

  • 植物の根っこに寄生して、植物にリンと水分を持ってきて成長を助けるカビがいる
  • 反芻動物(牛とか)は胃の中に微生物を飼っていて、その増殖した一部を吸収してタンパク質源にしている(タンパク質に限って言うと草食動物というより微生物食動物)
  • バイオフィルム:固体の上のぬめり(川の石の表面、浴室のタイル、人間の歯垢等):多数の細菌が積み重なった高層建築のような構造で互いに栄養共生している
  • ナノワイヤー:細菌同士が細い電線で繋がって電子の受け渡しをして、音や光ではない電気によるある種のコミュニケーションを取っている

利用

酒造り

 酵母の働きで糖→アルコールに変えるのが酒造り。ブドウをワインにする等。米、大麦、芋、トウモロコシを使う場合はその前にデンプン→糖にする工程が入り、これはカビ・唾液・穀物アミラーゼを用いる。この2段階を別々にやる方式(ビール等)と、同じ容器で同時に進める方式(日本酒等)がある。

 1段階しかないのを単発酵、2段階を複発酵といい、2段階別々を単行複発酵、同時にやるものを並行複発酵という。

 ビールは、大麦麦芽の粉にしてパンを作っていたのが、パンが水に浸かって酵母の自然発酵が起こって酒になったのが起源。

 東洋の酒がカビを使うのは湿潤な気候のため。


下水処理

 微生物の処理能力を越えて有機物(下水)を川に排出するとヘドロとして堆積し、分解のために酸素が使われるため川の酸素がなくなって魚も住めなくなる。

 19世紀初期のロンドンテムズ川は悪臭で国会審議に支障をきたし、60年代の東京・隅田川は悪臭で満員電車の窓を閉めさせて両国花火大会を数年中止にした。そのまま下水を河川に流すとこうなる。江戸は人口が多かったもののし尿を郊外の農業用の肥料に回すシステムがあったため処理できていた。

 活性汚泥法:微生物を人工的に増やして下水を処理する方法。この過程で炭酸ガスと処理水と熱と余剰汚泥ができる。余剰汚泥の焼却処理にエネルギーが必要になるのと、処理水に窒素やリンが残ったままになる(川に流すと富栄養でアオコが大量発生する)のが問題だった。現在はこれをさらに微生物で処理してエネルギーを回収する技術も実用化されてきている。


その他

抗生物質ペニシリンストレプトマイシン):真核細胞(人間の細胞)にはなく原核細胞(病原菌)にある特徴に作用するため副作用がない。

バイオスティミュレーション:窒素やリンをまいて微生物を活性化させる→石油流出事故で土着の石油分解性細菌をこれで活性化させて分解速度を2〜5倍に。

微生物精錬法:鉱石の山を微生物に分解させて銅を取り出す。従来の方法と違って鉱石を砕いたり溶かしたりするエネルギーが不要で排煙も出ない。

氷核細菌:高度数千メートルの雲の中にいて氷の結晶を作るのを助けている。人工降雪機にも利用されている。


見えない巨人―微生物

見えない巨人―微生物

2017-01-25 Wed

頼み方が気に食わないのよ

 お仕事してて、筋違いのこと頼もうとするのに下手に出ない、頼み方が下手くそな人がいる。こっちも「はあ? 何様なのよ!?」と反発したくなる。


 海外出張へ出発する日のお昼休み、あと数時間で会社出るって時に、食堂から帰ってきたら自分の机の上になんかメモが置いてある。

「出張先で○○を確認してきて下さい。」

 よその部署の人からの依頼メモだった。はあ? と思った。

 数週間前でも頼めた内容をこのギリギリでのねじ込み、本来の出張目的から外れた依頼内容、チームメンバーでもレポートライン(リーダー、課長、部長)でもない人からの依頼、もう3重に筋が違う。

 事情説明ゼロで「お前がやって当然」なんて上司でもないのに指示されるなんて嫌だ。あと僕のメモ紙を勝手に使ってる点も細かく苛立ちの追加点になっている。

 そのあと電話で話したら「それくらいのことやってくれてもいいじゃん」、「だってそっちの仕事でしょ?」と言うから腹が立ってついわいわい言ってしまった。


 たしかに「それくらいのこと」なのだ。簡単な仕事だ。だけど、それが「それくらいのこと」かどうかは関係ない。頼み方が気に食わないってだけだ。

 いきなり知らない人に「ちょっとこれ捨てといて」と空き缶を投げ渡されたら「はあ!?」となる。作業自体はどれだけ簡単だとしても、たとえすぐそばにゴミ箱があろうと、そんなことは関係ない。

 もし「大変申し訳ないのですが……」「もちろん断っていただいても当然だと思っているのですが……」と入って、背景や理由の説明で納得させてくれて、「もし受けていただければ大変助かります」と言ってくれれば、気持ちよく「では協力しましょう」と言える。

 もうたったそれだけのことなのだ。頼み方ひとつで、そのちょっとのコストで相手が気持ちよく協力できるのだ。僕だっていつでも誰かの役に立ちたい、感謝されたいと思って生きてるんだから、そこをちゃんと撫でてくれさえすればいいんだ。

 おお、どうして50歳近くにもなってそんなことすらわからずに! と悲しくなるのよ。


 結局「確認できるタイミングがたまたま来れば確認しておきますけどたぶん来ません」と答えておいた。(そしてそれで相手も引き下がる程度の内容でしかない。)

 僕だって「こんな簡単なお願いにゴネるなんていやだ、心が狭い、自分が嫌になる」ってなってしんどい。

 でも無理なんだよ。だって、僕は他人の都合のために存在しているわけじゃない、人間である以上そういう自尊心を抱えて生きてる。そこを踏みにじられれば反発せずにはいられない。他人を手段としてのみ扱う態度は耐えがたい。


 筋が通ってさえいれば頼み方が雑でも受け入れられる。筋が通っていなくても自尊心を満たすように頼んでくれれば受け入れられる。もちろん筋も通っていて頼み方も上手なら最高だ。でも、両方欠けているのは受け入れがたい。

 筋を通すか情を満たすか、どちらかは必須なんだ。

 頼むよ〜。僕だって気持ちよく生きてたいんだよ〜。そのへん上手にやってくれ〜。みんなで上手にやってこうよ、僕も他人を雑に扱わないようにするからさ、という気持ち。

2017-01-23 Mon

親という呪い

 『ど根性ガエルの娘』を見ながら、親が子供にかける呪いのことを何となく考えていた。(作品の直接の感想ではなくて、触発されてあれこれ考えていただけ。)


 「親がああだったから」という恨みは、「だから自分がこうなのは仕方がない」という諦めに転化してしまう。何かを頑張ろうとか自分や環境を変えようとしても、「でも自分はこういう人間だから無理」と言い訳として機能してしまう。そのとき「親がそういう自分にしてしまったから」という理由を用意できてしまうと、それは「だからもう変えられない」と位置づけられてしまって、「自分で自分をデザイン可能だ」という認識がまるで奪われてしまう。前に進むことが不可能になってずっと自分をその位置に留まらせてしまう。あたかも呪いのように動作してしまう。

 はたから見ると「いいじゃんチャレンジしてみたら」と思えるような簡単なことでも、呪いがかかっている本人の視点ではどうしようもできない。例えば昇進の打診とか海外旅行とか、他人からは「みんなやってるし君だってできるよ」としか思えないことでも、本人は「いやあ無理だよ」となってしまう。リミッターとして働いてしまう。


 親への恨みは「あの時あんた(親)が私にこうしたから!」というはっきりエピソードとして記憶していることがある。しかしその出来事を親に言っても「あんたまだそんなこと覚えてたの?」とか「そんなことあったっけ?」と言われて子供はいつまでも救われることがない。同居していた兄弟姉妹も「そうだっけ?」とか「気にし過ぎじゃない?」と取り合ってくれなかったりする。

 それは親が他の兄弟姉妹を優遇していたからだと本人は考える。実際、例えば息子には寛容で甘やかせていたのに娘には厳しく抑圧していたといったことはよくある。ただ一方で、もし公平な他者が見ても「特に兄弟で扱いは違いませんよ」、「えっそんなことでずっと恨んでるの?」としか言いようがなかったりすることもある。

 「どうして自分はこうなんだろう」という辛さを処理するために、無理やり本人が見出した理由でしかなかったりすることもある。本人の言い分だけを元に「毒親だ!」と断罪するのは実は難しい。


 「鶏が先か卵が先か」のような話になってくる。自尊感情が傷つけられている穴埋めに親のせいにしているのか、あるいは親のせいで自尊感情が傷つけられているのか、原因と結果がどっちがどっちなのか。しかしこの因果関係は、排他的にいずれかに決定されるものではなく、両方共が成立する。それだから負のスパイラルになって落ち込んでいく。呪いとして動作してしまって抜けられなくなる。

 「あんたなんかどうせ」「お前には無理だ」「女/男のくせに」といった言辞や、溜息や無視といった態度で日常的に子供の自尊感情をそぎ落としていく親はたくさんいる。一方でたとえそうした親を持っていても、学校生活や部活や勉強やバイトだったり友人や他の大人(教師や親戚)との関係、あるいは読んだ本の影響で、自尊感情が満たされていて「恨み」にすがらずに済んでいる子供たちもたくさんいる。あるいは負のスパイラルに落ち込んでいく兄弟姉妹を反面教師にして親への対処法を学んだりするかもしれない。要因の組み合わせが膨大だから単一の因果関係に定められない。しかしそれを一つに定めずにはいられなくて呪いになる。


 どうしたら呪いを解けるのか、どうしたら呪いをかけずに済むのか。

 呪いを解くには自信を取り戻すことが必要になる。自信は過去の成功体験の積層でできている。自信は、過去を参照して「自分ならこれくらいはできる」と信じられることだ。そうして「親がああだったから自分はダメだ」を「親はああだったけど自分はできているから親は関係なかった」という実感に変えるほかない。

 小さく簡単なことから「自分でもできる」を積み重ねていく。課題は大きすぎて失敗しては余計に「自分には無理だ」に落ち込むし、小さすぎて「こんなの誰でもできて当然だ」としか思えないようではステップアップにならない。また「あなたは確かに以前よりステップアップしている」と指摘してくれる存在があれば自信に繋がりやすい。適切な大きさの課題を出してくれて、かつ成果を認めてくれる他人が必要になる。そうした他人が学校や職場でちょうど見つかるのは難しいことかもしれない。

 知的水準の高いコミュニティの方がお互いに相手を思いやる(相手の内在的な論理を把握して対応する)傾向にあって、他者へそうしたマネジメントやリーディングを施す可能性が高いのだとすると、可能なアドバイスは「勉強を頑張れ」なのだろうか。しかし「どうせ自分なんて」と思っている以上はそれも難しいかもしれない。そうして「お前こんなこともやれないのか!」と言われる職場で自尊心を傷つけながら、彼/彼女がずっと過ごし続けるのかと思うとつらい。

 呪いの構造、負のスパイラルの構造を知って、「自分がそう思い込んでいるだけかもしれない」、「呪いはバーチャルなものでしかないのかもしれない」という可能性を認知してもらえれば、せめて呪いを解く契機になり得るのかもしれない。


 では最初から呪いをかけないようにするにはどうすべきか考えてみると、たとえ子供であっても他人として尊重してほしいということになる。

 他人として尊重するというのは相手の自尊心を毀損しないということだ。10歳までは保護者として、15歳までは助言者として、それ以上は友人として付き合うというような、当人の能力(判断力や思考力)に応じて干渉の度合いをコントロールする必要があるかもしれない。十分な判断力のある相手をあたかも子供のように扱えば「お前はダメなやつだ」というメッセージになってしまう。

 少なくとも自信を壊さないようにしてほしいし、自信を育ててくれればなお素晴らしい。子供は「自分すごい」と調子に乗ってるくらいでちょうどいいのだと思っている。多少見苦しくても、抑圧して親の呪いにかかるよりずっとマシだと思っている。