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2017-03-12 Sun

福島章『犯罪心理学入門』

http://bookmeter.com/cmt/62947071

30年以上前の本なので生理学的な知見とかはたぶん古いけど、たくさんの事例で「犯罪者の側からはどう見えているのか」を語っているので面白い。皆が自分を攻撃しようとしてて助けを呼ぶのに必死で放火したとか、実行前より逮捕後の方がほっとしてるとか。もともと自分の物であるべきだと思って窃盗したとかいう話は、鈴木大介『老人喰い』で振り込め詐欺犯が、本来若者や弱者に回るはずの金を溜め込んでいる老人から取り戻しただけ、という物語を抱えているのと似ている。こうした心理は病的・犯罪的な水準にならないだけでみんな無縁じゃないし。


 あと、自分を罰するためにあえてすぐ見つかる犯罪を犯すとか、相手に虐げられてた人が「また立ち上がってきそうだったから」という恐怖から死体をバラバラにするとか。


 極端な例だといっても、連続的に自分も軽い形で(社会的に問題かしないレベルで)そうした気持ちは働いてると思って見た方が、他人事として見るよりも楽しい。

 最大と最小、ワーストケースとベストケースを両方とも見て、その論理も把握して、ようやく正確に自分の居場所が把握できる。


犯罪心理学入門 (中公新書 (666))

犯罪心理学入門 (中公新書 (666))

マーサ・スタウト『良心をもたない人たち』

http://bookmeter.com/cmt/62947144

良心(=他者への愛着)がゼロの人、サイコパスが生得的に存在する、という仮定で、どんな景色になるか展開する本。良心を糧にした満足感が得られない以上、自己顕示欲や怠惰の満足を追求するしかなくて、子供の頃からストッパーなしで他人を手段として利用する技術が磨かれてしまう。周りは良心の枷が働いて搾取されちゃうから、早めに見抜いて遠ざけるべしという。そんな特性が肯定されて淘汰圧力が働かない米国社会なので、サイコパス回避法の話が中心で、サイコパス自身はいかに救われるのかという話がなくて、末路は悲惨ですというので悲しい。


 他人への共感能力を欠くという条件は、

  • 他人の苦痛に共感できない→他者を一方的に手段として利用して相手を苦しませても平気でいられてしまう
  • 他人の幸福に共感できない→他者が嬉しいから嬉しい、という種類の幸福を得られない→その他の幸福、野心:自分が他人より上回ってて嬉しい、怠惰:自分が他人より楽できてて嬉しい、といった部分しか満足を得られない

という条件を導く。これが子供の時からそうなので、数十年を費やして、他人を利用しながら野心や怠惰を満足させる技術を磨かせて、共感能力のストッパーがあるタイプの人たちの手の届かないレベルに行ってしまうという。

 そこには知性レベルとの兼ね合いもあって、それで社会的な成功をおさめる人もいれば、周囲の人にとことん甘えたり迷惑をかけるばかりでいる人もいるという。


 福島章犯罪心理学入門』の中で、自己中心的な人々に関する指摘があって、他人が自分と身分化というか相対化されていない状態なので、他人や家族を愛しているとしても、その愛し方が他者というより所有物に対するやり方になっている、みたいなことが書かれていた。

 本書にもそういう父親が娘や母親を苦しめるみたいな話が出てきていたので、「良心を持たない」というのは「他者を相対化する度合いが低い」という感じなのかもしれない。


 この話は、前提になっている「良心」という概念を設定して「良心ゼロの人が存在する」と考えるとある種の人々を広く説明付けられる、という作業仮説だと理解した方がよいと思っている。

 著者は「残念ながらこれは事実なのです」みたいな語り方で、実際に心理学実験や生理学的な知見も紹介しながら裏付けていって、それはもちろん嘘ではないのだけど、「嘘でないこと」は「唯一の真実」とイコールではないしね。そうした知見は説明付けに対して循環的に作用する面があるし、他の論理体系で整合的に説明できることを排除するものでもない。

 著者自身も「この概念を利用して他者を差別するのはダメだ」とも言っているけれど、本書の書き方だと、生得的なもので修正も不可能という言い方になっているので、そうした差別を導く作用が不可避的に生じてしまう。


 あと「良心がない方が得なのか?」という疑問に対して本書でも触れているけれど、より積極的・説得的に良心とそれがもたらす利益をリンクしているのが、例えばデール・カーネギー『人を動かす』ということになる。


良心をもたない人たち (草思社文庫)

良心をもたない人たち (草思社文庫)

市村佑一、大石慎三郎『鎖国 ゆるやかな情報革命』

http://bookmeter.com/cmt/62947509

江戸時代の鎖国を、海外に対して受信のみ発信なしの中央独占型の情報体制、という捉え方をする。前期が鎖国体制の構築、中期が洗練、後期が崩壊で、詳しく見せてくれる。構築段階でオランダイギリススペインポルトガル欧州4か国から最終的にオランダ一本に絞られる過程や、洗練段階で翻訳者の養成や、中国オランダからの定期レポートをメインに、漂流帰還者からのヒアリングで補足、実用技術は専門家に公開といった仕組や、崩壊過程でロシアの脅威やアヘン戦争の衝撃から諸藩が独自ルートで情報を入手していく姿なんかが見られて楽しい。

中山裕木子『英語は3語で伝わります』

http://bookmeter.com/cmt/62947546

日本人独特のbe動詞を多用した文をやめて、他動詞でシンプルに表現しようって話で、著者は「学校でbe動詞中心に教えてるから」と言うけど、柳父章の『比較日本語論』を思い出すと日本語はコト中心、英語はモノ中心の言語なので、コト=状況の説明にはbe動詞と相性が良く、モノ=名詞を展開するには他動詞が必要、という差の表出だと思う。それで言語の発想の部分で転換する必要がある。本書は長い前書きのような、コンセプトの説明と初等文法の解説メインで用例が少ないので、本書とは別に本書をベースにした瞬間英作文みたいな訓練が必要だ。

会話もメールも 英語は3語で伝わります

会話もメールも 英語は3語で伝わります

2017-03-05 Sun

江戸時代中期の経済政策

 江戸時代の約260年間を、80年、100年、80年に分けてみて、その中期の経済政策の流れをまとめてみようと思って。

 前期の戦後処理の体制安定化と土地開発が一段落して、中期は経済的な構造転換を進めていった時代、というのが大雑把なストーリーになっている。

  • 前期:80年:初代家康→4代家綱(1603年→1680年)
  • 中期:100年:5代綱吉→10代家治(1680年→1786年)
  • 後期:80年:11代家斉→15代慶喜(1787年→1868年)



前提となる体制

連邦制

 江戸時代はアメリカの連邦制のような体制だった。幕府は国家の軍事・外交・通貨発行の権利だけを持っていて、その他は各藩の担当で直接口出しはできなかった(内政干渉にあたる)。

 例えば幕府は各藩から税金(米)を直接徴収するようなことはしていない。参勤交代も「大名の経済力を削ぐための制度」と説明されるが、本来は軍役という位置付けで、政府の軍事権の発動の一種でしかない。

 そのため幕府経済政策を直接全国に実施できるわけではない。ただし幕府自身もひとつの藩としての機能を持っており全国各地にある広大な天領がその領地だった。また幕府は江戸・大阪・京都長崎等々の主要な経済都市を管轄していたため、幕府経済政策ほぼ日本全国への政策になった。(ただあくまで各藩に対応は任されていたため、幕府の政策に追従する藩、無視する藩、先取りする藩、と対応具合はまちまちだった。)


経済圏が二分されていた

 江戸を中心とした東日本の金貨通貨圏と、大阪を中心とした西日本+裏日本の銀貨通貨圏に分かれていた。これは海上交通路上、大阪に出る方が近いか江戸に出る方が近いかの差で生じていた。また金貨は表示額で決まっていた(鋳造貨幣)が、銀貨は重量で決まっていた(秤量貨幣)という違いがある。

 金銀の交換レートは一定せず、江戸は酒・醤油・灯油の生活必需品や衣料・高級品など米以外の物資を関西(銀貨圏)からの供給に依存していたため、慢性的に銀貨の方が強くなる構造があった。通貨圏が二分されていたこと、交換レートが固定的ではないことが流通の阻害要因にもなっていた。


米という富の基準

 作物の生産量、収入、給与、財産、地位といった社会的な富の量をすべて米の量(石高)で表示していた。これは米価と米以外の物価がシンクロしていることを前提とした制度になっている。元禄(5代綱吉)以前はこのバランスがおおむね成立していたがその後は崩れていったため、米価をコントロールする経済政策がたびたび実施されることになった。米価だけが下がって諸物価が高止まりすると、給料を米でもらって換金していた武士階級は困窮した。




前期末の状況

 戦後処理としての体制安定化と、土地開発・インフラ整備が完了(その後バブルが崩壊)したというのが前期末〜中期初の状況だった。


体制安定化の完了

 戦国時代に逆戻りしないよう身分制を固定化していった。「誰が跡を継ぐのかはっきりしない」状況は権力闘争を招いて体制崩壊の原因となる。「長男が相続、次男以下は生まれたときから家来扱い」というルールが3代家光あたりで全国に浸透した。またそれまで曖昧だった武士と町人の境界も固定化された。下剋上が成立しない体制が作られた。

 その結果、旗本の次男以下が外様大名より格下の扱いを受けることに不満をもってかぶきもの化した(旗本奴)。一方で武士に転身できなくなった町人の一部が不満をもってかぶきもの化した(町人奴)。この旗本奴と町人奴の抗争で治安が悪化していた。5代綱吉あたりで町人からの武器没収が完了してようやく身分制が安定化した。


土地開発・インフラ整備の完了

 江戸初期の土地開発・インフラ整備が5、60年で一通り完了した。開発費用が不要になったため年貢率が下がり、農民可処分所得が増えた。また土地開発の終了に伴って農村部の余剰人口が都市(江戸)に流入した。その他、綿の生産が盛んになり副産物として油がとれるようになったことで灯油が得られ、夜も生活が可能になり生活時間が拡大し、1日2食から3食になった。

 こうして金と人と時間の余剰が生じたため、生活必需品以外の奢侈品の需要が高まり元禄バブルが発生した。これに合わせて大名たちも生活水準を上げたものの年貢率は下がっているため収入が追いつかず、商人から借金をした。この返済ができず大商人が次々に潰れたことでバブルの崩壊が発生した。



側用人制度の成立

 こうして中期初めの時点で経済の再建、構造改革が喫緊の課題になっていた。そのためにはスピーディーに・的確に政策を実行できる政治体制が必要だった。

 それまでは身分制で就任した老中たちの合議制で対応していた。身分制であるから有能な人物がいても身分が低ければ登用することができず、また合議制のため尖った政策は出されにくい。(一方で体制が安定するメリットがあった。)

 このデメリットを補うため側用人制度が成立した。側用人は身分の低い者でも登用され、また合議制の枠の外で政策立案ができた。(一方で身分の高い人たちからの嫉妬を生みやすく体制が不安定になるといったデメリットがあった。)経済のエキスパートを側用人に登用して権力を集中させる、という体制で江戸時代中期の構造改革が進められた。

 老中=身分制=権力分散型が廃止されたわけではなくて、側用人=能力制=権力集中型がそこに上乗せされる形で運用された。

 この側用人制度は中期100年の間続いて、後期からは老中側に権力が戻された。


 この体制変更が可能だったのは5代綱吉が幕府スタッフに対してしがらみがなかったため。

 4代家綱には子供がおらず、死去した際に老中たちが将軍から権力を奪って執権体制(室町時代みたいな)にシフトさせようと画策してかなり実現に近づいていたものの、老中の中で堀田正俊ひとりが反対して結局、家綱の弟の綱吉が就任することになった。綱吉から見ると堀田以外のスタッフに恩義はなく、就任時に堀田以外の老中・三奉行・大目付・目付を総入れ替えしている(堀田は大老に就任)。

 堀田正俊は締め上げ・倹約で財政再建を図ったが色々な軋轢もあって城中で殺害された。殺された場所が将軍と老中の執務室だったため、保安を理由に老中の執務場所を別にして遠ざけ、連絡係をあいだに配置するようになってこれが側用人になった。




中期の登場人物

 将軍と政策担当者

  • 【5代綱吉】柳沢吉保(側用人)、荻原重秀
  • 【6代家宣〜7代家継】間部詮房(側用人)、新井白石
  • 【8代吉宗】加納久通(側用人)、有馬氏倫(側用人)、大岡忠相(町奉行)
  • 【9代家重〜10代家治】田沼意次(老中・側用人)

 この中で6、7代の間部-白石と、田沼後の11代家斉の松平定信(老中)が、反動的で前の政策をことごとく潰したものの、経済の悪化を招いたため早期に失脚している。6、7代は合わせて7年程度しかないため、中期100年間全体としては改革路線となっている。

 以下、それぞれの政策について。




【5代綱吉】柳沢吉保(側用人)、荻原重秀

能力主義

 側用人の成立過程で見た通り、綱吉は幕府の主要な旧スタッフを一掃しているが、それと同時に能力主義的な体制を整備した。金融経済部門である勘定所についてはトップの奉行を含めて能力主義として、また監査役を置いてチェック機構も整えた。

 柳沢吉保は、綱吉が就任前からの家臣で財務に明るくそのまま側用人に登用され、荻原重秀は勘定所の下級役人だったが抜擢された。


土地取引のルール整備

 関東総検地で土地取引のルールを作った。それまで「土地の売買は禁止」という基本ルールがあって質入れで売買を回避していたために、どんどん流れて本来の土地所有者がわからなくなって年貢が取り立てられなくなり財政が悪化する問題があった。質取引を合法化して権利関係をはっきりさせてきちんと年貢を取り立てられるように整備を進めた。


金銀不足の解消

 絹や朝鮮人参を外国から金銀で支払って輸入し続けていたため深刻な金銀不足状態に陥っていた。消費社会になって貨幣需要が増していたのに材料不足で貨幣が十分に発行できなかったため不況要因になっていた。

 荻原は貨幣の金銀含有量(品位)を下げてこれに対応した。荻原は「本来貨幣は瓦でもいい」という信用貨幣の概念を先取的に理解していた。


 ちなみに荻原は書物(特に経済理論書)を全く書き残さなかったため、こうした先取的な経済感が正確に残らなかった。(このことが幕末期に外国の圧力を受けて金本位制に以降した際、国外への金流出を招いてインフレを引き起こす遠因にもなっている。)

 一方で新井白石が荻原の悪口を一方的にたくさん書き残したので、最近になって再評価されるまで悪人扱いだった。書いたもん勝ちみたいなところがある。


金銀バランスの調整

 江戸(金貨圏)が米以外の商品供給を大阪(銀貨圏)に頼っていたために銀が強い傾向にあった。銀貨の品位を下げて金貨を相対的に強くしてバランスを取ろうとした。

 しかしこの結果、関西商人が保有していた資産価値が下がりこの不満が荻原失脚の遠因となり、新井白石に潰されている。


流通税の導入

 酒に流通税をかけようとした。当時は商品の流通ではなく農産物の生産に課税することが当然視されていたため画期的だったが、途中で荻原が失脚してしまったため途絶し、8代吉宗下で実現されることになる。


生類憐みの令

 経済政策ではないが、5代綱吉は「生類憐みの令」が有名だ(悪名高い)が綱吉に限らず代々、生類憐み的な法令を出し続けている。(なお「生類憐みの令」という名前の法令自体は実は出されていない。)

 もともといらない子供や病人や家畜を平気で捨てて遺体を放置する習慣があって衛生・治安上問題だった。そのため禁止する法令を出し続けているという文脈の中での「生類憐みの令」だと捉えればそれほどエキセントリックではない。「中野の犬小屋」も動物愛護法を敷いたら今度は犬猫が増えたから病気の蔓延を防ぐ目的で隔離した、という文脈でも捉えられる。(ただそれでも、唐突だったわけではないだけで、過剰でなかったわけではない。)




【6代家宣〜7代家継】間部詮房(側用人)、新井白石

 間部詮房は6代家宣就任と同時に側用人に就任し、8代吉宗就任に伴い解任された。儒者である新井白石は間部に重用され、荻原を追い落とし実質的に政治を主導した。

 この間は改革路線の反動で荻原の政策を廃止していった。白石が儒者であったこともあり、現実に合わせてルールを作るというより、ルール(道徳・倫理感)に現実を従属させる政策をとった。荻原の貨幣改革を元に戻した結果、デフレが起きて不景気になった。

 ただ、貿易の国家収支をはじめて導入して60年間の金銀の国外流出量を正確に算出するといった成果も見られた。

 家宣・家継とも早死したため計7年ほどしかない。




【8代吉宗】加納久通(側用取次)、有馬氏倫(側用取次)、大岡忠相(町奉行)

 将軍就任後、自身の権力基盤が安定するまで出費を抑制してしのぐ(倹約政策)→構造改革の基盤づくりを進める(政策処理ルールの再構築、処理リソースの確保、財政再建)→物価政策(米価を上げる)→失敗したので大岡に物価政策を任せた(米価以外の物価を下げる)

 という流れで成功させている。


倹約政策

 当初はひたすら倹約政策を取るだけで構造改革を進めていない。これは政治的な基盤が整っていなかったため。

 もともと側用人制度で身分の低い者が重用されることへの老中側の不満を利用して、「側用人を廃止してくれる新将軍」と期待を持たせることで将軍レースを制した側面があったため、いきなり老中たちを排除することができなかった。それでみんなが年老いて死ぬのを待っていた(その間、少しずつ老中の発言権を削ったりはしていた)。

 根本的な収益構造の改善までは手がつけられないので、せめて出費を抑えてしのいでいた。出費抑制自体はその後もずっと継続させている。


改革の基盤づくり1:政策処理ルールの再構築

 先述の通り、側用人への不満を自身への支持に変えて吉宗は将軍に就任した側面があったため、側用人を廃止した。しかし構造改革を進めるには能力主義+権力集中型の体制でないと難しい。その結果「側用取次」という新役職を定めて、実質的には側用人体制を継続させた。

 謹み深く人柄もおおらかな加納久通と、頭の回転が早く押しが強い有馬氏倫という性格の異なる二人を側用取次に就けた。


 三奉行が法案を作る→側用取次に上げて練る→将軍に上げて練る→側用取次に一旦下ろして側用取次から老中に上げる→老中から将軍に上げる→将軍が(当然意見なしで)決済する

 という処理の流れを作ってほとんど老中体制を形骸化させた。


改革の基盤づくり2:政策処理リソースの確保

 就任直後に「相対済し令」という法令を出している。

 金銭トラブルに関する訴訟の権利を一時停止して、当事者間での解決を図るものだった。元禄バブル崩壊以降、金銭関係の訴訟が激増して評定所の処理能力を圧迫していた。評定所は政策の企画部門でもあったから処理能力を空ける必要があった。


改革の基盤づくり3:幕府財政再建

 水野忠之(老中)をプロジェクトリーダーにして新田開発と増税(年貢率の上昇)を推進した。

 年貢率増は一揆が多発して上手くいかなかった。江戸時代初期は7割程度だった年貢率だったが、吉宗時代はおよそ3割強で推移した。

 新田開発は速効性はなかったものの長期的に効果が出た。7年後に幕府財政を黒字化する要因になった。

 この対策中の7年間、上米令を出した。これは大名たちに参勤交代で江戸に詰める期間を半年減らす代わりに米を幕府に出させるものだった。終了後に廃止。

 幕府財政が黒字化して対策が官僚した後、庶民の不満を負わせる形で水野を退任させた。


吉宗の物価政策:米価を上げる

 社会の富の量を、米の量=石高で表示する社会だった。これは米価と米以外の物価が連動することを前提にしていたが、元禄バブル崩壊後にバランスが崩れていた。

 5代綱吉の時代に、米の空取引の規制(仮需要の抑制)、酒の生産量・流通量の抑制(酒造りで米の需要が高まって米価が上がるため)といった政策が進められたが、結局、米の増産で実需要を下げたことで米価高は解決した。

 しかし米価は下がったものの、庶民の可処分所得が大きい=諸物価の需要が高い、という構造がそのままだったため諸物価は高止まりした。米価安・諸物価高の状態は、給料を米でもらって換金して生活している武士の困窮に繋がった。


 そこで吉宗は米価引き上げに腐心した。

  • 大阪米市場の掌握:大阪米市場で西日本・裏日本の大名たちは換金していた。これを江戸の米商人に支配させようとしたが大阪商人とバックの大名たちの抵抗で失敗
  • 空取引の奨励・酒造りの奨励(元禄期の米価引き下げ策の逆)
  • 買米令:商人が強制的に米を買い上げて米価の引き上げを狙う(その準備金の積立て令)
  • 置米令、廻米制限令:米の流通量を制限
  • 米の公定価格(最低価格)の設定

 いずれもあまり効果がなかった。20年弱にわたって進めたが米価は下げ止まらず、ちょうど大岡忠相の諸物価低減策(後述)が効果を出し始めた時期だったので、やめた。


大岡の物価政策:米価以外の物価を下げる

 米価安問題は米価と諸物価のバランスの問題なので、米価を無理に上げなくても諸物価が下がれば良い。ということで大岡忠相は流通政策と通貨政策の両方を進めることで米価以外の諸物価を下げることに成功し、米価安問題を解決した。(大岡はアプローチが吉宗とは逆だったため吉宗とたびたび喧嘩をしているが、吉宗は大岡を切らず、そもそも経済政策担当の勘定奉行でなく町奉行だったがやらせてみて結果的に成功させている。)


物価低減策:流通状況の把握を徹底した上で、流通を効率化し、また物価の不当な釣り上げ(商人が人気商品を売り惜しみしたりしていた)を取り締まった。物の流れを阻害する要因があるとそこで不要なコストが発生して物価高の原因になるから、その要因を取り除いた。


通貨政策:江戸の諸物資について需要に供給が追い付いていないのが物価高の原因だったため、江戸の金を大阪の銀より高くすれば、大阪から物資が流入して物価高が抑えられる、という認識に基づいて通貨政策を進めた。最初は金銀レートの強制変更をしたが抵抗にあって失敗し、次に貨幣改鋳をしたらレートが変わって成功した。(この貨幣改鋳は荻原がやろうとして白石に潰されたことのやり直しにあたる。)


適地適産

 その他、吉宗は適地適産を全国的に進めている。それまで米と麦ばかり作らせていたのをやめて土地にあった特産物を作らせた。以下のようなメリットがあった。

  • 生産量が上がって社会の富が増加した
  • その結果、小作人レベルが子供を教育機関(寺子屋)へやるようになって国民の教育水準が上がった
  • 何かの作物が凶作でも他は大丈夫というリスクの分散化ができた
  • 海外輸入に頼っていた絹や朝鮮人参を自給できるようになり、海外への金銀流出に歯止めがかかった
  • 適地適産を進める過程で、全国的な動植物・鉱物の分布や産出の調査が進んだ

法治主義への転換

 経済政策ではないが、これまでの人治主義(同じ犯罪でも裁く人によって量刑が違った)から、法令集・判例集を編纂して量刑を標準化し、法治主義へ転換している。


政権内のパワーバランス

 吉宗はこうした構造改革を進めていく上で権力基盤を丁寧に安定化させている。就任当初、老中を強制排除せずに死ぬのを待っていたのもそうだし、退任時も有力老中を巻き込んで引退している。

 側用取次の有馬が死んだ後、残った側用取次の加納は穏やかな性格だったこともあり、性格の強かった老中の松平乗邑が勝手掛老中に就任して力をつけていった。貨幣改鋳で商人の恨みを買っていたことを利用して大岡を寺社奉行(町奉行より地位は上だが実務ポストではなく名誉職に近い)に異動させたり、乗邑への権力集中が進んでいた。吉宗は引退時に乗邑も一緒に強制引退させており、これは自分が古い老中に気を遣わざるを得なかった経験から次代にそうさせないための配慮かもしれない。




【9代家重〜10代家治】田沼意次(老中・側用取次)

 8代吉宗末期から9代家重のあいだ老中と側用取次間のパワーゲームが続いていたが、家重付き小姓だった田沼意次が権力を掌握し、もともと側用取次だったのが老中も兼任して完全掌握を達成した。

 家重時代に発生した郡上一揆(普通は長くて1ヶ月程度の一揆が5年も続いた)に絡んで、私藩への内政干渉という理由で老中以下の幕閣が軒並み処分を受けた関係で田沼の力が伸びた。


 歳出の削減と歳入の増大が主な施策だった。


予算制度の導入

 もともと幕府成立時点では将軍家の予算が莫大だったため細かな予算制度がなかった。各セクション毎の最大予算額を設定して抑え込む制度を整えて歳出を抑制した(今の財務省のシーリングと同じ)。

 田沼時代は、民政部門は据え置き、将軍・奥向きの予算は毎年大幅減額、という方針だった。


流通税の導入

 農業だけではなく商業に税をかけた。生産高への税(年貢)だけでなく流通に税をかけた。これは荻原が進めて白石が潰した政策の復活・全面展開にあたる。

 ただ個人への課税は難しいため、流通グループを設定して一括して課税し、そのかわりグループには独占権を与えて、これが株仲間へと発展していった。


通貨の一元化

 金は表示額で(鋳造貨幣)、銀は重量で決まっていた(秤量貨幣)ことが流通の阻害要因になっていた。銀貨を鋳造貨幣に変えたことで金銀相場変動の影響から免れて交換レートが安定し一本化ができた。

 しかしその後松平定信が銀貨の鋳造を停止して元に戻し、その後も明治に入って円になるまで通貨は一本化されないままになった。


蝦夷地の調査と体制整備

 当時は松前藩蝦夷地を支配していたことになっていたが、実際にはアイヌが大陸と交易していた。田沼は状況調査を指示したがこれは鎖国体制の強化というより、むしろ交易の強化や農業地の開拓を目的としていた。

 しかしこれも松平定信に打ち切られ、ロシアの侵攻を受けた場合に開発されていない方が都合がいいという理由で、明治になって開拓使が置かれるまで開発されなかった。


側用人政治の終焉

 田沼意次が現役のまま後継者の田沼意知も幕閣になって父子で政策を進めていた(通常は親が引退して引き継ぐため異例)が、意知が城中で殺害され、さらに11代家斉に代替わりした直後に意次は罷免され権力が松平定信(老中)に移行した。定信は反動的な政策を進めたが現実的でない面もあって混乱を生じ、老中就任から6年目、35歳のとき出張中に罷免されて国政から退いている。

 その後は幕末まで側用取次が政策を主導する形態はなく老中中心になった。






 大石慎三郎の『将軍と側用人の政治』が面白かったので、忘れないように補足を入れながらまとめ直したものです。

2017-02-26 Sun

大杉一雄『日中戦争への道』

http://bookmeter.com/cmt/61562733

「最悪戦争になっても勝てる」とベースで思ってると、「なんとしても戦争回避」というより「できれば回避」になって、要所要所の判断が緩い方へ傾いて最後は日中戦争に突入という。回避があり得たいくつもの地点を指摘して、当時の状況や体制、空気感を丁寧に示して、結局どうして回避側へ行ききれなかったのかを見せてくれる。最後にWW2下でひたすら政治的に曖昧な態度で参戦を回避しきったスペインに軽く触れて、戦争で膨大な人的被害を出さずにすむ光景の例も見せて、「でも今の日本になれたし戦争もしょうがなかったよね論」を否定している。

大石慎三郎『将軍と側用人の政治』

https://elk.bookmeter.com/reviews/61216838

現在では柳沢吉保や田沼意次がダーティ、新井白石や松平定信がクリーンなイメージで、これは後者が悪口をしっかり書き残していた成果だったと考えるとやっぱ声がでかい方が勝つみたいな。実際には後者より前者の方が有効な政策を打ち出していて、それは実態経済に基づいていたという話。本書は人間ドラマや性格の問題で片付けずに、多面的に経済と統治機構をシステムの変遷という形で見せてくれるからすごく面白い。西日本の銀貨圏と東日本の金貨圏の差や物の流れとか、貨幣単位が米だと酒の流通量でインフレをコントロールするとか、とても面白い。

大村平『統計の話』

http://bookmeter.com/cmt/62227377

会社で英語と統計の能力を試される機会が前触れもなくやってきて、平均と標準偏差を出すしか能のない自分が悲しくて、高専の確率統計の教科書を読み返したら、「どうして今この話をするのか」の説明があまりに無さすぎてつらくて、本書を買ったら素敵だったんだ。身近な数字に対してこの手法だとこういう結論だけど別の手法だと違う結論になって、その違いの意味を教えてくれるから相対化できる。結局ツールの限界を理解しない限りツールは使えないからね。著者は航空自衛隊のトップを退官した後にこのシリーズを32冊書いてて、完全に異常者です。

統計のはなし―基礎・応用・娯楽 (Best selected business books)

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戸田山和久『恐怖の哲学』

http://bookmeter.com/cmt/62227157

人間がどのように恐怖し得るのか、そもそも恐怖とは何で、恐怖が動物的な機能を起源に持つならなぜ虚構の作品を本気で怖がりながら逃げずに楽しめるのか、といった機序をワンステップずつ反証や例証を挙げつつ丁寧に構築するプロセスを見せる。体系が現実から遊離しないよう生理学的なエビデンスと結び付けてく。構築の過程を見せる本なのでお門違いだけど、わずかな仮定で純粋な理論体系が現実を豊かに捉える様をいきなり見せられる方がエンタメとしては実は楽しい。たとえ謙遜でも諦めでも「へっぽこ哲学者」なんて自分のこと言ってほしくないよ。

玉村豊男『男子厨房学入門』

http://bookmeter.com/cmt/62635791

初心者が料理を覚えるという体裁で、実態は料理の複雑化・分化過程を見せる本。「切る」の後で「煮る」を展開するとき、レストランの語源はごった煮、ポトフもポタージュもポは鍋の意味、ちゃんこの語源は鍋、肉を焼くのはハレで煮るのはケ、といった指摘をしつつ、煮るという行為からご飯や味噌汁を導出していく。あるいはA(水から出汁に至る濃度差)とB(みりんと醤油の混合比)の組み合わせで日本の調味が構成されていて、ここに油が加わると大陸の世界観になるとか。歴史的な過程というより工程や材料の共通点と差異から構造を構築していく。

男子厨房学(メンズ・クッキング)入門 (中公文庫)

男子厨房学(メンズ・クッキング)入門 (中公文庫)

芥川龍之介『舞踏会・蜜柑』

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1919年の1年分の短編集なのに文体も素材も時代設定も分量も終わりの切り方もかなり多彩なのは何だろうと思ったら、「芸術その他」で「危険なのは技巧ではない。技巧を駆使する小器用さなのだ。小器用さは真面目さの足りないところをごまかしやすい。」と自分がその罠にはまっている傾向を反省的に指摘してて、ちょうど樋口一葉の「にごりえ」がそうだったみたいに、(実際の分量とは関係なく)鮮やかに閉じた短編から、開いた長編へ向かう試みだったのかもしれないけれど、ちょうどその試みそのものの「路上」が未完のままなのが見ててつらい。

舞踏会・蜜柑 (角川文庫)

舞踏会・蜜柑 (角川文庫)

加藤陽子『戦争まで』

http://bookmeter.com/cmt/62636073

大平洋戦争に突入するまでの3つの交渉、リットン報告書にまつわる交渉、日独伊三国同盟交渉、日米交渉について、当事国・者の内在的なロジックを資料を参照しつつ見ていって、最終的に非合理的な状況を選択していく様子を見せてくれる。大杉一雄『日中戦争への道』がどちらかというと軍のガバナンスの面から描いていたけれど、こちらは軍部を含めて政治的な面がメイン。受験科目にも入学後にも現代史がない高専にいて実は今まで、なんで日中戦争やってたのが急に日米戦争も始めたの、ってとこがわかんなくて、そこがはっきり理解できてありがたい。

戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗

戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗

越智道雄『ワスプ(WASP)』

http://bookmeter.com/cmt/62636122

WASPイギリス系プロテスタントが主流だったアメリカで、1860年代くらいから非WASPの流入が増えたのに対抗して反ユダヤ・反カトリックが始まって、1920年代あたりに差別のピークを迎えて、60年代にカトリック初の大統領ケネディが誕生した付近で収束する(というか今度は非白人が増大したのでユダヤ・カトリックを取り込んだ)という話で、そのあたりのWASP保護・非WASP差別文化を見せてくれる。白人至上主義のオルトライトが最近目立ってるけど、ちょうど100年前の差別の様相を見てみれば見通しもいいかなと思って。


 同じ白人の中でもプロテスタントと非プロテスタントで差別があって、さらに同じプロテスタントの中でも監督派が一番上流で、といった差別というか階級意識があるという。今のオルトライトも白人至上主義といいつつ反ユダヤ主義も掲げているとのことで、たぶん内部ではさらにWASPが上とかあるのかもしれない。

 欧米人は日本人より自己主張が強い、とひとからげに言っても中を見れば多様で、アメリカ一国の中でもいろいろいて、WASPは中でも日本人に近い行動様式になっているという。目立たないことを良しとするという。