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やしお このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-01-30 Sat

組織の中のきもち

 3ヶ月くらい前に仕事で、ああ日本の会社っぽいなあ、組織の論理って感じだなあとつくづく思った出来事があったを思い出したので、忘れないようにメモしておく。


 事業部の間で協力して新しい製品を立ち上げるという話だった。あっちの事業部がこっちの事業部に、業務の一部を委託する。どの範囲を委託するのかというのを、あっちとこっちの事業部長同士で覚書を交わすことになった。実際にはすでに仕事が進んでいて後出しで実情も踏まえて覚書が作られる。

 あっちの事業部の担当者が覚書の案を作成した。そしてあっちの担当者→あっちの課長→こっちの部長→こっちの各課長→こっちの各課の担当者という流れで覚書の確認依頼がきた。うちの課長からは「下記添付の覚書及び覚書別紙について内容確認をお願いします。一両日でお願いします。」というメールが私宛にきたのだった。

 それで添付ファイルの覚書を見てみると、かなり修正すべき箇所があった。列挙のレベルが揃っていないとか、前段と用語が統一されていないとか、何気なくこっちが不利になり得る内容になっているとか、もともと同意していたことの一部だけが省かれているとか、責任の主体が曖昧で将来的に絶対に動きにくくなる箇所があるとか、ともかく修正すべきと思われる箇所は全て指摘してその日の昼イチで送り返した。

 結果的に、うちの課長は部長に上げるときにその指摘のほとんどを削除したようだった。やっぱり、と思いながら、がっかりはした。(ただメールを出したちょっと後に口頭で、いろいろ挙げた指摘の中でここはクリティカルだと思っていますと伝えたところは残してくれたっぽかったのでよかった。)


 「やっぱり」と思ったのは、この流れからすればこの「確認」は極めて形式的なものだろうと理解されるからだ。

 もしあっちの担当者が内容を実質的に詰めたいと考えているのなら、上司を通す前に担当者間で調整するはずだ。でもそうでなく、いきなり上長を通してくるのは「もうこれで確定させるつもりだけど、一応『お宅らも承知済み』って形にしておきたい」という意思の表れだ。上長を通すのは「うちの上司はこれでOKだって言ってるのに、お宅の一担当者が否定するのか? 『お前の上司は無能だ』と言うつもりか?」という圧力だ。

 まして今回はうちの課長から見れば、他の課長たちや部長も特に文句を言っていないのに、自分だけ文句を言うのはちょっと難しい。それこそ「お前らは無能だから指摘しなかったから俺が指摘してやったぜ」という感じになってしまう。相手の顔を潰したくない、という心理が働く。

 そういうわけで、自分が挙げた指摘のほとんどが削除されたとしても「やっぱりな」と思ったのだった。

 名目だけが欲しいというあっちの担当者の意図はよく分かるし、自分も場合によってはそういうやり方をしたりもするわけだから、そういう意味で「やっぱり」だった。


 一方で「がっかりした」というのは、かけた手間暇が無に帰したからだ。

 他人の書いた文章を本気で校正するというのは結構骨の折れる作業だ。書き手の内在的な論理を正確に把握した上で、最適と思われる修正を提示するのは疲れる。実害のない部分はもう見逃すとしても、そうでない部分があまりに多くて大変だった。その作業がおじゃんになるのだから気持ちとしてはつらい。

 おじゃんになるというのは一種のダメ出しだ。以前、

  組織内の権限移譲が成立する条件 - やしお

で、ダメ出しをしてしまうと相手の意欲をかなり減退させてしまう、ダメ出しをしてしまう状況に追い込まれるのは指示した作業が相手にとってレベルが高すぎたか、目的が共有できていなくてズレてしまったかのいずれかだという話を書いた。今回の場合は後者だ。「この確認は名目的なもので、根本的な部分までひっくり返すような修正はしない」という方向性を最初から示してくれれば、そんな作業はせずに済んだ。

 担当者としては(あ、これ形式的な「確認」だなー)と思いつつ、いっそ空気を読んでしまいたい誘惑に駆られつつ、でも「内容確認をお願いします。」だけの指示だと、もうしっかり確認しておかしなところは指摘するほかなかった。目的と範囲が明示されない以上はプレーヤーとしては最大限でやるしかなくなってしまう。後から「お前が指摘しなかったからだ」という言い訳を誰にもさせないために、そうせざるを得なくなってしまう。


 これ、プレーヤー側は「自分だけはちゃんとやったぞ」という満足と、それが自己満足に過ぎず時間を無駄にしたという事実との間で引き裂かれてしまう。当たり前だけど、プレーヤーの満足と実際に意味のある成果の両方が成立する環境を、自分の手の届く範囲で本気で整えていきたいと思った。

 というのが「がっかり」への感想で、「やっぱり」への感想はこういう組織内の論理って生産性に寄与しなくても、他人と協働する以上、社会の性格も反映しながら変な形で発達してきちゃって避けられないわけで、そういうのに時々はっきり触れると(そうそう、人数の多い組織じゃないとこういうの味わえないからね)って面白いなって気持ち。


 相手側の担当者が上司を通してくることで実体を抑圧して名目だけ奪おうとしてくるのも、担当者としての自分がいっぱい指摘しておいて同時に「でもこの中でこれだけが特に重要だと思っていますよ」と伝えて上司が他を捨ててそこだけ採用するように仕向ける、肉を切らせて骨を断つみたいな、「自分の部下の出した案を捨てた罪悪感」を与えることで「でも部下の希望は満たしてやったという安堵感」を引き出して実利を実現させようとするのも、どちらも生産性の足を引っ張って組織政治的だなと思って、このムダ感が面白い。

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