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やしお このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-02-22 Wed

ものを頼む技術

 頼みごとを成立させるには、「筋を通す」と「情を満たす」のいずれか(できれば両方)を満足させないといけない。

 仕事でもプライベートでも両方欠けた状態で平気で頼みごとをする人がいて、せめてこの認識を正しく持ってほしいと思うことがたびたびある。「両方欠けた頼みごと」とは極端に言えば、いきなり見知らぬ人に空き缶を渡して「これ捨てといて?」と言い放つようなことだ。これでは頼みごとを聞いてもらえない。



筋を通す

 映画館でゴミ箱の前で待つスタッフにゴミを渡す、店員に商品の場所を聞く、ホテルのドアマンにドアを開けてもらう……同じことをもし見知らぬ別の客に頼めば「はあ?」となる。筋とは、「この人が当然そうすることになっている」というものだ。筋を外した頼みごとをすれば当然「どうして私がそんなことをしなくちゃいけないの?」となって頼み事は成立しない。

 さすがに今挙げたような極端な例で筋を踏み外す人はほとんどいない。ということはみんな「筋が通っていないと頼み事は成立しない」ということをわかっているということだ。それにもかかわらず、「はあ?」が発生してしまうのは、頼んでいる方は「筋が通っている」と思っているのに、頼まれている方は「筋が通っていない」と思っているという齟齬が生じているためだ。



筋の相互了解を得る

 こうした齟齬を解消するには、「それはあなたがやることになっています」という筋を、相手の理解レベルに応じて説明する必要がある。

 明らかに相手が筋を正しく認識しているようであれば説明は不要になる。「あなたは客が商品を購入することを目的として働いているこの店の店員であり、またそのために店内の商品配置を承知しているものと考えられますので、私にボールペンの売り場を案内して下さい。」などと言う必要はない。

 同僚に「これの処理お願いね」と頼んだら「えーっ俺の担当じゃないじゃないっすか―」と断られたりする。それで「我々はチームとして成果を上げる必要があって、野球やサッカーみたいに誰かが手一杯なら他のメンバーのカバーが必要で、今は○○さんが××で手が離せない分あなたがカバーすることで全体としての効率が達成できる」といった説明をして「自分がやるべきだ」と相手に納得してもらう。これほどくどくど言わなくても、既に「チームでやる」を理解してくれているなら「今は○○さんが××で忙しくて」の一言だけで済むかもしれない。

 相手の理解度に応じて「なぜあなたがそれをするのか」という筋を補足して齟齬を解消していくことで、頼みごとを成立させる。



筋違いなお願いごと

 今のは「頼まれる側が筋を理解していない」という原因で起こる齟齬の話だった。これとは別に「頼む側が筋を勘違いしている」ために齟齬が発生している場合もある。


 例えば、上司が部下に「おいこれ捨てといて」と空き缶を渡したりする。上司は「自分は上司だから部下に命令できて当然だ」と思って頼んでいる。しかし部下は(殺すぞ)と思っている。業務に関してのみ命令者/実行者の関係にあって、それ以外は一個人同士でしかない、という筋を上司が正しく認識していない。

 向かいから来る人のためにドアを開けてあげたら、後から来た人が次々に当然みたいな顔で通っていく。(僕はドアを開ける係じゃないぞ!)とイライラする。似たようなことが仕事でもよく起こる。誰かが善意で引き受けてくれていた仕事を、後からきた人たちが(あ、この人の担当なんだ)と勘違いして「あなたがやって当然でしょ」という態度で頼んでくる。

 他にも、何か良かれと思って提案すると「じゃあお前がやれ」と担当にさせられるというようなこともよくある。「言いだしっぺがやるべき」という筋があると思い込んでいるからこうしたことが起こってしまうが、実のところそんな筋が自明に存在するわけではなく、むしろ「やらされるのが嫌だから黙っている」を引き起こして有害だったりする。


 こうした色々な筋違いのお願いは、「本当にこの人がすべき事なのか?」をきちんと考え直せばわかる。例えば明文化されているルールがあれば、それが筋になるのできちんと見て考える。日常的に筋が正しいかを疑い直す訓練をしているうちに、初見で違和感に気付けるようになっていく。

 自分が筋違いを起こして相手の怒りを買わないためにも、相手の筋違いで自分が無用な負荷やフラストレーションを負わずに済ますためにも、筋を正確に見ることが必要になる。



筋の悪用

 「自分がやるべきだ」と相手に思わせれば頼みごとが成立するのなら、実は「筋が本当に正しいかどうか」は関係がないということになる。もし部下が「上司の指示は何でも受けるものだ」と思い込んでいれば上司の空き缶をすんなり捨ててきてしまうかもしれない。

 こうした筋を読む能力差は悪用できてしまう。筋が立たないとわかっていながら、しかし相手が筋を誤って認識していたり筋を見通せていないから、あたかもそこに筋があるようなフリをしてものを頼むというやり方が可能になる。あるいは「この人がやるべき」と「この人がやる必要はない」という筋が両方とも導けることがわかっていながら、後者に気付かないフリをして前者の筋で押すというやり方がある。

 しかしこうした悪行は見ている人は見ているし、その相手が後になって気付くこともあるので、(よほど事情がないかぎり)やってはいけない。



情を満たす

 筋が通っていないことがわかっていながら、それでもお願いせざるを得ない場合もある。

 同じ「この空き缶捨てといて」だとしても「申し訳ないんだけど、急に会社を出なくちゃいけなくなっちゃって、もし捨てといてもらえるととても助かるんだけど……」みたいに言ってもらえたら素直に「いいですよ」って引き受けられる。

 筋が通っていないお願いなら情に訴えるしかない。相手に「こんな風に他人の役に立つなんて、自分はなんて素晴らしい人間なんだ」と良い気持ちになってもらう、相手の自尊心を満たす必要がある。そのためには、

  1. 断られて当然の依頼だという認識を示す→筋違いであることを理解していることを伝える
  2. どれだけ助かるか感謝の量を示す→依頼の背景となる状況や動機を伝える

という2つが必要になる。どちらも自尊心への報酬を釣り上げる手段になっている。


 1つ目は「筋違いの依頼だと理解している」と表明することで、「断られて当然の依頼なのだ」という位置付けにする。「断って当然なのに引き受けてくれるなんて素晴らしい人だ」というメッセージになる。

 「申し訳ないんだけど、やってくれないかな?」というたった一言でもこの条件をある程度達成できる。「申し訳ないんだけど」はそれが申し訳ないこと=筋違いであるという理解をこちらが持っていることを、「やってくれないかな?」は相手が断る可能性をこちらが認識していることを伝えている。ここを怠ると、「やって当然のことをあなたはやっただけだ」とこちらが思っているように見えてしまう。相手にしてみたら善意を示した以上は感謝で報いてほしいという気になるのは当然だ。


 2つ目はその感謝の量を事前に提示するもので、「もし引き受けてくれたらどれだけ私が助かるか」という感謝の量を正確に相手に認識してもらうためには、「今どういう状況でこちらが困っているのか」を伝えることになる。「もし私があなたでも同じように困るだろうな」と相手に思ってもらわないといけない。自分の背景や状況を説明する。


 「頼みごとを引き受ける」コストに対して「自尊心を満たす」リターンが上回っていなければ引き受けてもらえない。手段1でリターンの得難さ・希少性を示して、手段2でリターンの大きさを示す。リターンの姿をきちんと見せることで気持ちよく引き受けてもらう。

 情を満たすという行為も、相手に「この頼みごとを引き受けた方が得ですよ、だから引き受けるべきですよ」という理解をもたらすための行為だと考えれば、「あなたがやるべきだ」という筋を通す手段の一種でもある。



筋と情の両方を満足させる

 筋を満たしている場合に情を欠いてしまう人はとても多い。クレームなどがそうだ。確かに、自分が迷惑を被っている側で、相手はそれを補償する側だという筋がある。筋があるから情を満たさなくても要求を通すことができる。

 しかし情もついでに満足させればより要求が通りやすくなることもある。

 その時は相手側の筋を立てて理解を示せばいい。「そういうこともありますよね」「それなら仕方がないですね」と、もし相手の立場に立ったなら自分でもそうする・そう考える、という理解を示せば情を満たすことができる。(ただ時々、筋を理解する力が不足していたり、あるいは悪意がある相手の場合、こちらの譲歩や情けを逆用される場合があるので、そうしたらもう情けを撤回して筋で押すしかない。)


 家族や同僚といった身内に対して情を満たす作業を欠いている人は多い。わざわざ言わなくても伝わるのが家族なんだとか、同僚に必要以上に丁寧にやるのは効率が悪いといった、身内だからわかってもらえるという甘えがある。しかし自分以外は全て他者であって、その一人一人が自尊心を満足させたいという条件を持っていると思えば、情の満足を省略する理由がない。

 効率が下がる、面倒だと言っても、わずかなひと手間で自分の周囲がハッピーに行動してくれて、それで自分自身も心安らかに過ごせるのなら、ずいぶん安上がりではないかという気もする。



筋と情の両方を欠くこと

 筋も情も満足していないのに頼みごとが成立するとしたら、それは暴力によるものでしかない。肉体的な暴力やその恐れだけでなく、精神的な暴力も多い。「いいからやれ!」といって成立するのは、周りもそうしているからとか、相手が怖いから(声が大きい、人事権を持っている等)とか、色々あるかもしれない。しかしいずれも、相手の自己決定権を踏みにじるという点で暴力でしかない。



いろいろなタイプの人

筋+ 情+

 筋を通すことも情を満たすことも両方上手な人がいる。

 特に上手いなあと思う人たちは、筋をあまり細かく説明せずに「あなたがやって当然でしょ」という態度をにじませて押しつつ、相手に(あ、自分がやって当然なのかなあ)と思わせながら、「ありがとう助かる」とか「サンキュ」とか軽く感謝を表明して相手を気持ちよくさせている。やって当然のことを感謝してもらえて損得勘定がプラスになるように操作している。

 聞けばきちんと筋を説明してくれるから、だんだん「この人が頼むのだから筋が通っているのだろう」と無条件に信用していく。とりあえず信頼して動くだけ、というのは指示を受ける側としては楽な上、ちゃんと感謝で自尊心を満たしてくれる。

 しかしこの「あなたがやって当然」の雰囲気を作るさじ加減は難しい。ヤンキーかヤクザに一度なれば身につくかもしれない。私はこの技術の習得は諦めて、ちょっと丁寧過ぎるかな? という安全側へ振ることにしている。


筋+ 情−

 筋は通っているけれど、頼み方がぞんざいな人もいる。この人たちは自分では筋が見えているばかりに、相手も筋が見えていると思っているので、あまり説明しないまま「やって」と当然のように頼んでくる。それでムッとして反抗してみると、「いやこうでこうでこうだから君がやるべきでしょ」と返ってきて撃退される。

 やっぱり会社で仕事をしていると、自分よりはるかに経験もあって筋を見抜いたり構築する力のある人はいるもので、こうして筋論で負けると(自分もまだまだだなあ)という気になってうれしくなる。会社では筋で勝ったほうが勝ちというゲームだと思っていると、こうして筋論の強い人のことを尊敬できる。

 しかし筋−情+の人からは「あの人は横柄だ」「失礼だ」「強引だ」としか見えなかったりしてちょっと損している。


筋− 情+

 筋論が弱くて情に訴えるタイプの人は、いい人なのかもしれない。しかし「誰がやるべきことか」という筋の認識が曖昧なまま、情で譲歩してしまうので、たとえ筋悪でも頼まれごとをどんどん引き受けてしまう。仕事を抱え込んでしまうので同じチームにいるとちょっと困ったりする。


筋− 情−

 筋も情も欠いている人は、そうでない集団の中では生きづらいだろうなと思う。

 私が所属している職場や会社は、ほとんどが上3つのタイプの人で占められていて、かつ「筋(理屈)が正しい方が正しい」という価値観が支配的なので、その中にあってこのタイプの人は敬遠されてしまう。私だって筋も通ってないし情も満たしてこないような頼みごとをされれば腹が立つ。やる必要がわからない、どうして私に頼むのかもわからないような頼みごとを、当然でしょみたいな態度で頼まれれば、もう無視しちゃおうかしらみたいな気持ちになったりする。

 でも本人は筋が通っていると思っていて、同じ身内なんだからそれくらいやってくれるよね、と信じきっていて、でも周りから訳も分からないまま敬遠されていくんだとしたら、かわいそうな気もする。


 一方で、筋も情も欠いているタイプが支配的な環境では逆に、筋+の人たちが疲弊していくことになる。例えば「先輩の方が正しい」といった価値観が支配的な環境で、「筋(理屈)が正しい方が正しい」と考えている人が「お前がやれ!」「口答えするな!」と無理やりやらされるのは苦痛だろう。敏感な人が鈍感な人達の中で暮らしていくのは地獄だろうなと思う。

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