やしお

ふつうの会社員の日記です。

知る機会の差で外注先を苦しめないこと

 大手メーカーで働いていて、こっちの会社が設計、外注先が完成品の製造(組立調整)って関係の中で、作り方を伝えるだけじゃなくて「どうしてそうなってるのか」も伝えた方がいいなと最近しみじみ思うことがある。
 組調の手順は、ないと作れないので必ず外注先に伝えられる。でも「なんでそういう手順になっているのか」「どうしてここの調整を頑張る必要があるのか」、さらにその背後の「この製品はどういう目的で存在しているのか」「どういう原理で目的を実現しているのか」といった意図や理屈もちゃんと伝えた方がやっぱりいいなという。


 自分は設計じゃなくて検査の部門で働いている。検査で不良にすると外注先から「どうしたらいいですか?」と直接聞かれることになる。誰でもわかる不良(寸法が違うとか欠品とか傷とか)じゃなくてその製品の構造や原理を知ってないと不良箇所が特定できないということもよくある。「僕は検査の人だからそんなの関係ないよ、原因は自分で考えてね」なんて言えるわけないし(そういう人もいるけど……)、しかし自分も構造や原理を理解してないと「持ち帰らせていただきます」になってしまう。
 それで持ち帰って、社内の技術部門・設計部門の人に「こんな不具合が起きてます」「どうしたらいいでしょうか」とご相談して、原因を推定して、対応を決めたら、今度は外注先に「こういう風にやり直してみてね」という話をするけど、その時どうしてそうするのかという製品の構造・原理の説明もあわせてすることになる。その過程で自分も今さら(ああこういう仕組みになってるのね)と理解することになる。
 だったらそこを先取りしたらいい。最初から自分がわかっていれば持ち帰らずに、検査で不良が起きたタイミングで直し方や原因の切り分け方が伝えられる。さらにそれをもし外注先の人もわかっていれば検査で不良になる前に対応できるかもしれない。
 それで、じゃあ事前に、ロット1を作るタイミングで、構造や原理やどうしてそういう組調手順なのかといった説明をした方がいい、ということになる。


 不良への対応という場面でなくても、やっぱりそうした方がいいなと思うことが多い。
 こっちの会社が作った組調手順を守って外注先では製造してくれる。でもその手順書は実際の生産が流れる前に作られたものなので、「念のため」の手順が多く含まれていたりする。生産が流れはじめて、それなりの数を作っていくと「この手順いらないんじゃない?」「むしろこの手順は後回しにした方が効率がいい」といったことが出てくる。でも、構造や原理を知らないと、手順をやめたり変えたりして大丈夫かどうかの判断ができない。
 発注元は構造や原理を知ってるけど現場の課題には気づかない。外注先は課題を発見できる立場にあるけど構造や原理を知らないから改善することができない。それでも、ものは作られていくから課題として顕在化することがない。
 効率が悪いこと、工数がかかるということは原価が上がるか、さもなければ外注先で働く人々の給与が下がるかで、結局はまわりまわって下請けいじめになってくるという。


 そりゃ「伝えた方がいいよね」って当たり前なんだけど、伝えなくても一応生産は進むし、みんな忙しかったりめんどくさかったりしてなおざりになっていたりする。もしかすると「そういうのはうちらが考えるからお宅は指示通り黙って作っていればいいんだ」みたいな発注元根性というか大企業エリート根性とかもなんかあったりするのかもしれない。
 必須ではないような「そうした方がいいこと」をちゃんとやるのは、当たり前のようで難しい。
 あとこういうのって、あんまり上司の評価が得られるようなことじゃなかったりもする。トラブルが派手に起きて上司が注視してる中でギリギリで解決すると「こいつはすごい」って思われても、最初からトラブルへの予防措置をとってまるで何事もなく進んでいると「ああ最初から簡単な案件だったんだ」と思われてしまったりする。そういう意味でもあんまり予防措置に注力するインセンティブが働かなかったりするのかもしれない。


 あと「よその会社に必要以上の情報を渡さない方がいい」という考えもあったりするかもしれない。でも、完成品の図面も組調手順も出している時点で、原理や構造は逆算して突き止められる情報でしかない。その逆算する手間暇は全体で見れば無意味なので削ればいい。その外注先は100%こちらの会社の製品だけを作っていて、こちらもその外注先に生産を集中させているという、どっちかが死ねば共倒れっていう共依存の関係で、資本関係がないだけでほとんど生産子会社みたいな位置付けだと、「よその会社だから」で共有しないでおくメリットがほとんどなくなってる。(その外注先はもう自社設計能力も営業能力も退化しているので……)


 もともと機会の差でマウンティングするのは良くないとも思っている。不良が起きて、その時に「ここを調整し直せばうまくいきますよ」と教えれば感謝されたり「この人は詳しい」と思ってもらえるかもしれない。それで「自分の方がこの人たちより優秀だ」と曖昧に勘違いするのは間違っている。最初から情報を得る機会が与えられていないなら、相手にとってはどうしようもない。機会はあるけど、それを活かすかどうかはその人次第でないとずるい。


 こういうことをあれこれ考えたのは最近、途中から検査だけ引き継いだ製品でのトラブル対応をしたからだった。自分も検査の手順しかわかってなくて、製品の原理や構造をちゃんと理解してなかったけど、トラブルの原因や対応を相手に伝えるために改めて調べ直したりして、せっかくだからと思って原理や構造の話もあらためて説明したのだった。それで説明したら「だとしたらこの調整手順には無理があるのではないか」「ここの手順はいらないんじゃないか」といった話が相手側からポロポロ出てきた。
 そういうのを「余計な仕事」と思うか「ちょうどいい機会」と思うかはかなり担当者によるんだろうなという気がするけど、全体を見渡せばいい機会なんだろうなと思って対応することにした。ただよくよく考えてみたら、もっと早い段階、製品の立ち上がりの段階でちゃんと説明した方がいいなと思い直したのだった。
 わりとよくある話、当たり前の話なんだろうけど、自分で体験して実感してみないと案外気付かないなと思って、忘れないうちに記録しておこうと思って。