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やしお このページをアンテナに追加 RSSフィード

2018-03-29 Thu

出口をふさいで人事権を握ると人が狂う

 財務省の文書改竄の話を見ながら、「出口をふさぐ」と「人事権を握る」を同時にやると、「正しいことをやる」より「人事権者に気に入られる(過剰な配慮や忖度をする)」を選ばざるを得なくなるんだ、みたいなことを思った。「出口をふさぐ」というのは、別に官僚をクビになったってアカデミックや民間でキャリアや実績を積み上げられるし、政権が変わればまたスタッフになれるかもといったパスがなくて、一度辞めたら二度と戻ってこれないといった出口のなさのことで、「人事権を握る」というのは2014年に設置された内閣人事局によって審議官クラス以上の各省庁の人事権が内閣に集約されたこと。

 学校なんて行かなくても大丈夫、別に大学にも入れるしと思っている(親や周囲が思わせてくれる)子であれば大丈夫でも、そうでないと追い詰められて自殺してしまうのと似ているのかもしれない。

 官僚は外部との流動性が低いというのは、日本が「ポストに人を充てる」というより「人にポストを充てる」タイプの人事で、ポストが空いたから求人を出して応募した人を審査していい人を選ぶという人事のスタイルではなく、新人を一括採用して人にポストを分配していくようなスタイルだとしょうがない。事務次官が基本的に1年で交代するというのも、「事務次官というポストに最適な人物を充てる」のではなく「ちょうど時期が来た人に事務次官というポストを割り当てる」からで、極端な例だけどアメリカ国防総省のネットアセスメント室長を40年間勤めてたアンドリュー・マーシャルという人のこととかを思い出すと、向こうは「そのポストに最適な人物を(外部からでも内部からでも)持ってくる」というスタイルの違いがあるんだろう。


 たぶん一般企業でも同じで、そうした外部との流動性のない(出口がふさがれた)環境下で人事権の恣意性を上げると、どうしようもなく「その人に気にいられないと死んじゃう」という行動パターンになってしまう。「こいつに嫌われたって別にいい、俺は正しいと思うことをやる」という選択が取れなくなってくる。これは自己保身だけじゃなくて、自分の組織や自分の部下もまとめて冷遇されるかもしれないという人質があると、「こいつらを守るためにもあの人に嫌われないようにしないと」という選択に傾いてしまう。公務員にとって文書改竄は心が引き裂かれるような行動だと思うけど、それをするとこまで追い詰められてしまう。

 一般企業でも「この試験に合格すれば昇格です」とか「これが出世ルートです」とか「こういう成果を出せば出世します」といった恣意性に基づかないある程度予測可能なキャリアパスが暗黙にでも存在していれば、あるいは少なくともいきなり理不尽な人事処分は受けないという安心感があれば、「この人に気に入られなきゃ」という行動パターンが減る。けれど「社長個人の思いつきで勝手な人事になる」という予測不能な状況だと、何が正解かはわからないのでとにかく機嫌を損ねないようにしないといけなくなって歪んでいく。あらかじめ「その人が好きそうなこと」を考えて配慮しちゃう。出入口がふさがれていなければ、たとえ社長がめちゃくちゃでも「じゃあ辞めてもいいや」という道があるけど、ふさがれていると社長のめちゃくちゃに付き合わざるを得なくなる。

 ただ人事の恣意性が低いと「この人に気に入られよう」は減る一方で、「組織に気に入られよう」は増える。一般企業だと「組織の利益を求めよう」が「会社の利益を伸ばす」と概ね一致して問題なくても、省庁だと「組織の利益」が「国民の利益」とは必ずしも一致しないという違いがあって、内閣人事局設置以前の官僚人事だとここに課題があった。


 出口をふさいだ上で人事権を握って追い詰めておいた上で、明確な指示を出さずに「こうしてくれると嬉しいなー」という雰囲気だけ匂わせておいて、過剰な配慮や忖度を引き起こさせながら、いざ都合が悪くなると「あいつらが勝手にやった、だって指示はしてないし」と言うのは、いくらなんでも、あんまりだ。こんな心ないことをしていいの、官僚がかわいそうという気持ちにはなる。

 ただ、この構造を政治家が自覚的に利用したり構築してきたのかというと、案外そうでもないのかもしれないって気もする。政治家自身の感覚でも「やれって言ったわけじゃないけど、なんか都合よく動いてくれてうれしい」くらいのアバウトな認識で、実は苦しめていることにはまるで気付いてなかったりするのかもしれない。(設立に向けた分科会で研究し続けてた政治家の一部や反対していた政治家はわかってるのかもしれないけど……)


 もともと内閣人事局は「内閣が官僚人事を掌握できない」という課題に対応するための組織で、橋本内閣の行革からずっと課題としてあった話が(途中の民主党政権で一旦棚上げになりつつ)第2次安倍内閣で話が進んで2014年に設置されたのだった。この課題自体は解決すべきものであって、

 国民→国会議員内閣行政

という信託のフローの中で、「内閣行政」の矢印が(人事権が掌握できていないことで)断絶していると、「国民が選択した」という建前が崩れるので改善しないといけない。

 ちなみに55年体制下では「国会議員内閣」の矢印も断絶していて、「国民が政党を選んで、その政党の党首が首相になって、首相が組閣する」という流れになっていなくて「国民が誰を選んでも自民党与党なのは変わらず、自民党の内部で(国民の意思とは無関係に)首相が選ばれる」というシステムになっていた。そこを改善しようとしたのが小選挙区制の導入で、政治家個人を選ぶ選挙から政党を選ぶ選挙に転換させていったのだった。

 「国会議員内閣」の流れを正常化するため94年に導入された小選挙区制と、「内閣行政」の流れを正常化するため14年に設置された内閣人事局。その両者の弊害(というか日本の特殊事情による副作用)がちょうど花開いたのが第二次安倍内閣だったのかなと思うと、味わい深いような気もする。それは別に安倍首相本人がそうしようと思ってそうしたというより、ちょうどそこにすっぽりはまる人だっただけだとは思う。


 そう考えると労働市場の流動性がかなり低い日本で内閣人事局だけ取ってつけたみたいに導入するのは厳しかったのかもしれない。せめてIT業界(というかWeb系IT業界)くらいに「会社に所属しているというより、業界に所属している」という感じでエンジニアの流動性が高いような、政治家と官僚と研究機関(大学でも民間でも)の間の流動性を高めることとセットになっていないと、官僚が追い詰められておかしくなっちゃうのかもしれない。それはたぶん、人数を決めて一括定期採用するというスタイル自体をやめることともセットになるし、賃金体系も当然変更される必要がある(職能給から職務給へのシフトなど)。しかも公務員だけではなくて大学や民間も含めた転換が必要になる。

 そんなこと簡単には無理だ。公務員だけ変えるんじゃなくて、民間含めた業界全体で変えるなんてどうしたらいいんだろう。社会でそこまで変えるのが難しい以上は、「内閣行政」の矢印を多少犠牲にしてでもさしあたりは内閣人事局の人事権の範囲を制限するくらいしかないんじゃないかという気がする。「出口をふさぐ」が直せないなら、「人事権を握る」を緩めるしかないんじゃないか。両方成立しちゃうと人がおかしくなってしまう。

 別に自分はただの会社員だし、何かを提言したいわけでも何でもないけど、順番に一つずつ考えてくとこういうことなのかなあ、高級官僚はつらいなあと、これだけ毎日テレビやネットのニュースでやってるのを見ながら、ぼんやり思っただけ。




 このまえ江田憲司衆議院議員が、「道具(内閣人事局)が悪いのではなく、使い方の問題だ」って記事を書いていて、

  「忖度」を招いたからといって「内閣人事局」否定は短絡・・・どの道具にもトリセツあり

そう言われると、「それなら悪用できちゃう制度の問題だ」という気はする。江田議員も「制度の見直し自体は否定しませんが」と断りながらもあくまで「使い方が悪い」という主張をされると(??)という気にはなる。

 記事サブタイトルに「当初の発案者として、」と入っているのは、江田議員がもともと通産官僚として橋本内閣首相秘書官を務めて行政改革に力を尽くしていたという過去のことだと思われる。(ただ記事中では「当初の発案者」が何のことだか触れられてはいない。)発案者として思い入れがある、簡単に否定してほしくないという感情は分かるとしても、政界引退後の人が回顧して言うならともかく、現に自分の手で変える責任があるはずの現職の国会議員に「ちゃんとしてほしいものですねえ」みたいなこと言われると何なのという気持ちにはなる。「具体的にこの箇所が制度上の問題だ」と正確な分析を見せて「自分のライフワークとして仕組みを変えて絶対に正常化させる」くらい嘘でもいいから言ってほしいよ。

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