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こら!たまには研究しろ!! RSSフィード Twitter

2006-07-29

Yasuyuki-Iida2006-07-29

[]『日本の個人主義』(小田中直樹,2006年,ちくま新書『日本の個人主義』(小田中直樹,2006年,ちくま新書)を含むブックマーク

『日本の個人主義』(小田中直樹,2006年,ちくま新書asin:4480063064)は直接的には戦後日本の社会科学思想史,もう少し絞り込むと大塚久雄論に仮託しての近代論です.大塚久雄氏が亡くなられたのはちょうど僕が本郷にいるころで,原先生(たぶん)が講義の最初にその旨をアナウンスされた記憶があります.


 個人主義・近代化・経済成長・国家主義という近代思想の核となるタームについて,戦後の我が国における受容と消化について概説されています.自律した個人を中心とする「個人主義」が本書では<自律による経済成長>個人主義と<自律による社会関心+経済成長>個人主義に分類されます.これは新古典派型・混合経済型となづけると経済学徒には座りがよいかもしれない.また,これに加えてコギト絶対主義としての個人主義から距離を置くポストモダンの考え方が第3の分類として登場します.

 日本における「個人主義」と言えば第一に思い至るのが夏目漱石の『私の個人主義』でしょう.上流&インテリ中産階級(まぁ,漱石の講演自体は戦前の学習院でのものなので外面上は華族様にむけてのメッセージではありますが)の自由とそれに伴う責務が主張されている点で前者の<自律による社会関心+経済成長>個人主義大塚久雄型の個人主義)を先取りするものなのかなと感じられます.

 以上の分類において,現在の経済政策の基本が<自律による経済成長>個人主義を基礎としており,それに対する<自律による社会関心+経済成長>個人主義の重要性が示唆されます.確かに,いわゆる主流派経済学というと本書で分類されるところの<自律による経済成長>個人主義というくくりが前面に出てしまいます.ネオ・リベラルの発想法はまさにここにあるといってよいでしょう.このようなネオ・リベラルの発想法に対して,本書は協調の失敗を例にその問題点を指摘しています.


 ただし,ここで注意すべきなのは主流派経済学に合理的な経済人の仮定の解釈です.これは,主流は経済学研究者の中でも考え方が二つに分かれる.主流派経済学の基本発想は…


"自分の消費・労働のみから効用を得る個人"がその効用を最大化しようとして行動し,その結果経済厚生が最大化される.市場が十分にその機能を果たせないときには,政策による補完が有用な「こともある」.


というものです.ここでのポイントは"自分の消費・労働のみから効用を得る個人"という点.

 この基本発想のひとつの理解は,"自分の消費・労働のみから効用を得る個人"は目指すべき個人主義の姿である(したがって<自律による経済成長>個人主義の確立が必要)というものになるでしょう.

 しかし,もう一つの解釈は個人が何を目的関数としているかは実証的な課題であり,"自分の消費・労働のみから効用を得る個人"を想定するのは,どうもその仮定から出発すると予測力のある結論がえられる.故に,現代の経済主体の行動は,"自分の消費・労働のみから効用を得る個人"と考えてよい.時代が変われば"自分の消費・労働のみではなくいろいろな社会的状況から効用を得る個人"を想定して議論をするべきで,どちらの個人主義がよいかといった話題は経済学の問題ではない(場合によっては人が決められることではない)というものです.

 僕自身は後者の立場.そして,後者の解釈に従うとネオリベは社会を変化させるイデオロギーではなく,社会情勢をあらわす分類名(?)ということになるのではないでしょうか.

小田中直樹小田中直樹 2006/07/29 20:33 飯田さん、拙著『個人主義』の雑な議論を丁寧に読みといていただき、ありがとうございます。経済人仮説に対する2つのスタンス、おっしゃるとおりだと(素人ではありますが)思います。この問題に関しては《カーネマンたちの所説・業績がどう受容されてきたか》という点に関心をひかれます…たしかにノーベル賞はとっていますが。

Yasuyuki-IidaYasuyuki-Iida 2006/07/30 02:57 行動経済学,実験経済学の話を現存するモデルの出発点として採用するとどうなるのかという話題は未だopen questionだと思います.僕自身はこれはかなりおもしろいと思っているんですが,(僕の)能力がそこまで達していないのでなかなか進みません…….現在の主流は自分の消費・労働のみから効用を得る個人”で出発して現実説明力高いぞ!文句あっか!という話かと思います.
 消費・労働からの効用−不効用最大化という目的関数部分への修正として実際によく行われるのは混合寡占市場の研究(利潤最大化企業と社会厚生最大化目的の企業が混在する市場)ではないかなと思います.
 また,本書でいちばん感銘を受けた部分のひとつが個人主義に関する啓蒙という発想の矛盾です.僕は心情的には<自律による経済成長>個人主義がどうも心にかないます.しかし,啓蒙なしにそれが達成されるということが夢想であるという主張もその通りだと思う……いつもここで立ち止まってしまいます.そこで(自分で自分を納得させる手段として採用しているだけかもしれませんが)考え得るのは,<自律による社会関心+経済成長>個人主義は一度は通り,そして登り切った後に捨てられねばならないはしごなのかもしれないと感じています.

銅鑼衣紋銅鑼衣紋 2006/07/30 19:02 >個人主義に関する啓蒙という発想の矛盾

社会学と経済学の守備範囲の違いです。飯田先生はどうも社会学を怪しい学問と考えているようですが(まあ、そういう向きも多いのは事実で怪しいイタリア人の出る幕があるのですが)、本来は社会システムの一部に経済システムがあり、効用関数自体が社会的再生産の産物に他ならないのであって、自律とはあくまで経済システム内部での自律に過ぎず、社会システム全体からみれば教育と慣習、宗教などによる強制的な「社会化」の産物に過ぎません。

まあ、これは巡り巡って、例の消費者金融の金利制限をどうするかという話にも繋がるわけですが。

Yasuyuki-IidaYasuyuki-Iida 2006/07/30 19:43 う〜む.社会学ってどうもわからん(……と経済学者が3人あつまって話していても不毛だけど^^).たとえば,

>効用関数自体が社会的再生産の産物に他ならない

は僕はまったく納得なんです.むしろ,ある目的関数を所与として改善の技術を考えるという禁欲的・工学的な発想が経済学の美点だと思う.

んで,その効用関数について「かくあるべきだ」という議論は論理的に可能なのか?というのが僕の疑問になります.

これは僕は無理だと思う.効用関数の「かくあるべき論」をするとそこに「本当の効用関数」「本当の善」みたいな概念が登場してしまう……これは僕はちょっと耐えられない.その意味で,http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060725での引用での保守主義者というわけ.

銅鑼衣紋銅鑼衣紋 2006/07/30 22:43 >効用関数の「かくあるべき論」をするとそこに
>「本当の効用関数」「本当の善」みたいな概念
>が登場してしまう……これは僕はちょっと耐え
>られない.

そりゃそうですがな(笑)だが、ここに頑なに近代医学を拒否する集団がいて、まあ大人が治療を拒否してくたばるのは勝手ですが、わけもわかってない子供が死にそうなときどうするか?これアメリカのドラマでは良く出るテーマですけど、親や子供の意志を無視して治療しちゃうのは「本当の効用関数」の強制ですが、死ぬのを黙って見てるのも「耐えられない」んじゃないですかね?

Yasuyuki-IidaYasuyuki-Iida 2006/07/31 11:11 むぅ.その意味で,個人主義にとって啓蒙(教育・訓練・強制)が必須の前提であるというのは確かでしょう.んで,次なる問題は誰に対して<自律による社会関心+経済成長>個人主義を適用して,誰に対して<自律による経済成長>個人主義を適用するのかという問題になる.ここまでくると哲学(法哲学?)なので僕にはわからないですが…….

銅鑼衣紋銅鑼衣紋 2006/07/31 13:37
結局、20歳とか18歳で機械的に自律を認める、認めないとしちゃうしかない。例外は資格試験で与える免許ですな。本当は、サラ金借入資格試験を課し、免許なければ貸しちゃいけない(貸したら貸し手責任)、だけど金利は完全に自由とするべきでしょう。

実証科学としての経済学にとって自律的個人の想定は、裏に「駄目な奴は淘汰される」という仮定があるんでは?厚生を考える時に、自律的個人だけを対象にするのが普通だけど、この「淘汰」される人をどうするかが結構面倒な問題なんではなかろうか?