⑱『吉本隆明の時代』

  • 絓秀実『吉本隆明の時代』(作品社、2008年11月25日初版第1刷印刷/2008年11月30日初版第1刷発行)
    編集担当······青木誠也/本文組版・装幀······前田奈々(あむ)

序章 「普遍的」知識人の誕生──ジッドからサルトルへ/小林秀雄から吉本隆明

  • 「普遍的」知識人から「種別的」知識人へ
  • アンガジュマンと原理論
  • 人民戦線史観
  • シャルル・ペギーを導入する
  • 「呪われた」知識人と「正統的」知識人


第一章 一九五〇年代のヘゲモニー闘争──「文学者の戦争責任」と花田清輝

  • 戦争責任論
  • 「荒地」派の戦争責任論
  • 非転向的党の権威の剝奪
  • 共産党内分裂と新日本文学
  • 花田編集長更迭事件へ
  • モラリスト論争と「党」
  • 花田‐吉本論争とはなにか(1)
  • 花田‐吉本論争とはなにか(2)
  • 花田‐吉本論争とはなにか(3)


第二章 ドレフュス事件としての六〇年安保──共産主義者同盟武井昭夫

  • 「革命的」知識人の誕生
  • 戦後民主主義左派としての全学連
  • 「民主か独裁か」の問い
  • 政治的なメディアとしての「試行」
  • 自由浮動的な知識人
  • 「実践」の契機の喪失
  • 「政治」の失効と資本
  • 挫折者とエピキュリアン


第三章 六〇年安保後の知識人界──黒田寛一と「真の」前衛党


第四章 市民社会と大学の解体──丸山真男と六〇年代

  • 五・一九と八・一五
  • 東大法学部の役割
  • 「大正期」へのアンビヴァレンス
  • 明治期における「市民社会
  • フーコー的視点
  • 市民社会の「悪魔」
  • 一九六八年の思想と行動


終章 「六八年」へ──サルトル来日、そして岩田弘/廣松渉津村喬

  • 「普遍的」知識人の危機
  • 世界資本主義論の登場
  • 物象化論と亡霊
  • 疚しい良心と享楽


吉本隆明の時代』関連略年表(作成・絓秀実)
人名索引*1

あとがき*2


扉に「李健裕と、その兄・成裕の記憶に」とある。「あとがき」で李兄弟を回想している。神津陽のBBSには「李健裕死去」が2007年7月6日付けで菅秀実によって投稿されている。「あとがき」には李健裕の「兄・成裕もまた、一九九八年に不幸な死を遂げている」とあり、『言語文化』18号のアンケートには「咋年、明学全共闘の文学部共闘会議 (と言ったか?)議長であった在日朝鮮人の友人が自殺し」とある。
島成郎など後に精神科医になる学生運動家が吉本の近傍に集っていたように、聞き上手な吉本は存在自体がラカン的であり、その包容力によって強力に読者(や吉本に話を聞いてもらいに行った者)をオイディプス化するゆえに、本書は精神分析家・吉本に対する「アンチ・オイディプス」として執筆された、という。


「一九三七年には、(…)高名な「近代の超克」座談会を催した。」(p.16)、「前述一九三六年「文学界」誌上での「近代の超克」座談会」(p.22)とあるが、「近代の超克」座談会はもちろん1942年である。

  • ペギー(〔1〕ドレフュス事件通過による「革命的」知識人)⇒ジッド(〔2〕人民戦線)⇒サルトル(〔3〕「普遍的」知識人)
  • 小林(〔2〕人民戦線〔の隠された提唱と挫折〕)⇒吉本(〔1〕60年安保通過による「革命的」知識人/〔3〕「普遍的」知識人)

日本で〔2〕が挫折したのは、〔2〕以前に「革命的」知識人を誕生させる〔1〕を通過しなかったということ。それゆえ吉本はジッド(小林)以前の(「革命的」知識人の濫觴)ペギーの役割をも担うことで、〔3〕を実現する。
「正統的=制度的=社会主義的」知識人⇔「異端的=自由浮動的=呪われた」知識人を兼務する時、「革命的」知識人が誕生し、「革命的」知識人の中から「予言者的=普遍的」知識人が生まれる。「予言者的=普遍的」知識人には「有機的≒種別的」知識人が対置される。
「異端的=自由浮動的=呪われた」知識人が「正統的=制度的=社会主義的」知識人の「正統」性を失墜させ、自らの「正統」性を僭称することで「予言者的=普遍的」知識人となるのだが、「異端的=自由浮動的=呪われた」知識人が「予言者的=普遍的」知識人を志向する過程で「自由浮動」性が消失すると「予言者的=普遍的」知識人の矮小化としての「聖職者的」知識人に留まる。世俗社会に繋留地を持たない点で、(自由浮動的)遊歩者と聖職者は共通しているが、遊歩者は此岸(俗世間)に、聖職者は彼岸(出世間)にいるのであり、遊歩者は現世に繋留地を持たず浮遊し、聖職者は来世に繋留地を持とうとするのである。
「革命的」知識人と「普遍的」知識人の差異は曖昧であるが、差異を見いだすならば二通り考えられる。

  • 「革命的」知識人の中で覇権を握った者が「普遍的」知識人(覇権的知識人)である。
  • 「革命的」知識人は既成議会主義的左翼の堕落を批判することで誕生し、「普遍的」知識人は(スターリン批判を背景として)党の正統性を失墜させることによって誕生する。「革命的」知識人の段階では、(歴史的必然を体現したロシア革命以前であるから既成左派が堕落していても)マルクス主義への信憑はまだまだ堅固であるが、「普遍的」知識人の段階では、(歴史的必然を体現したソ連共産党が失墜したので)マルクス主義への信憑は半ば崩壊している。


吉本隆明の時代』書評

*1:よくあることではあるが、註釈部分が索引対象から外れているのは惜しい。

*2:「(付記)本書は書き下ろしであるが、既発表のものが加筆・改稿されて流し込まれているところがいくつかある。拙著『花田清輝──砂のペルソナ』の一部が第一章の一部に、「ヘゲモンの生誕──六〇年安保後の知識人論と『国家論』への道」(近畿大学国際人文科学研究所紀要「述1」二〇〇七年)が第二章の一部に、「吉本隆明黒田寛一──六〇年安保と知識人界」(「早稲田文学0」二〇〇七年)が第三章に、である。」