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2008-07-21 灼熱の休日

 このところ、高めの枕を使用している反動か、ちょっと首筋が痛い3連休の最終日。

 午前中の涼しい内に部屋の掃除や洗濯などを始めたものの、さすがに午後からエアコンなしでは動くのも辛くなってきました。

 HDDレコーダーもすごい熱だし……サーキュレータでも買って来るべきか。いや、つーか、室内全体の熱量を考えると、これ以上、モーターの稼動を増やすわけには(爆)。

 陽が落ちると、涼しい風も吹いてきたんですけどね。

 大家に頼んでエアコン業者呼ぶには、まだもう少し片付けないと無理そうなんですけど。

 

 さて、今日は昨日に続いて、お休みの間に溜め込んだ本のレビューの残りをまとめて。

[]砂浦俊一『シアンとマゼンタ (集英社スーパーダッシュ文庫)』『シアンとマゼンタ―13階段 (集英社スーパーダッシュ文庫)23:16 砂浦俊一『シアンとマゼンタ (集英社スーパーダッシュ文庫)』『シアンとマゼンタ―13階段 (集英社スーパーダッシュ文庫)』を含むブックマーク

シアンとマゼンタ (集英社スーパーダッシュ文庫)

シアンとマゼンタ (集英社スーパーダッシュ文庫)

 隻眼の女子中学生・秋泉真朱(まほそ)は見えないはずの義眼で、他人の思念や電波が見える「妖視(あやかし)」の持ち主。彼女の親友で剣道少女の爽条藍姫は、人に憑りついて狂気に追い込む「陰神(いんがみ)」を祓う「つきはらい」と呼ばれる技の継承者。「陰神(いんがみ)」の見えない藍姫はひとりでは「つきはらい」ができないのだが、好奇心旺盛な真朱に引きずられるように、怪異な事件に捲き込まれて行く──

 

 作者の砂浦俊一は知る人ぞ知る電波(な人たちが主人公の)小説『僕の彼女はサイコさん』という傑作同人小説の作者でもあり、数年前からこの集英社スーパーダッシュ文庫でプロとして作品も発表している。

 ただ、これまでのメジャー作品では、彼の本来のカラーは出し切れてないような感じがあったのだが、本作ではいよいよ本領を発揮して、キャラ寄りのライトノベルのテイストと、電波に憑りつかれた人々への深い理解と哀切に満ちた世界観がいい感じに調和できてきているように感じられる。

 特に真朱の視ている「妖視(あやかし)」の世界を単純に「異世界」とせず、あくまで現実の延長線上として(今のところ)語っているバランス感覚も悪くない。一応、公式のあらすじでは「退魔ファンタジー」となっているのだが、藍姫の使う「つきはらい」の技は作中では形を変えた臨床心理療法の域を出ていないようにしか描かれていないのだ。

 また真朱と藍姫の百合百合な関係とか、アクションシーンのスピード感とか、エンターテイメントとしての洗練度も確実に増してきていて、実に喜ばしい。

 しかし、ここまで盛り上げて2巻ラストのアレは……どうするつもりだ、この後?

 本格的にファンタジーの世界観に突入してゆくのかしら。

 夏コミで本人に会ったら訊いてみようっと(笑)。

[]著者:エレナ・ジョリー/訳:山本知子『カラシニコフ自伝 世界一有名な銃を創った男 (朝日新書 106)23:16 著者:エレナ・ジョリー/訳:山本知子『カラシニコフ自伝 世界一有名な銃を創った男 (朝日新書 106)』を含むブックマーク

カラシニコフ I (朝日文庫)

カラシニコフ I (朝日文庫)

カラシニコフ II (朝日文庫)

カラシニコフ II (朝日文庫)

 本書の「カラシニコフ」とは、現代史のありとあらゆる場面で顔を出す自動小銃AK47の開発者のミハイル・カラシニコフ氏のことである。

 著者はこのカラシニコフ氏の孫娘の友人のフランス人ジャーナリストとのことで、カラシニコフ老人の立志伝中の物語を聞き書きで記したものだ。

 まぁ、低い工作精度の工場でも容易に作れ、荒っぽい戦場の戦塵にまみれてもきちんと稼動するというこの自動小銃の様々な伝説は、よくよくこの銃の基本設計が優れていることを示しているのだが、それは同時に中国の地方軍管区の系列下の工場だの、バンジシール渓谷の聖戦士(ムジャヒディーン)の武器工房でも作れるということであり、開発者や開発国の知らぬ間に膨大な数の銃を量産されてしまい得る、ということでもある。

 それがチェチェンやチベットの弾圧だの、ダルフールの虐殺だの、あちこちの内戦だの民族浄化(エスニック・クレンジング)だのの現場でこの銃が溢れかえっている原因となっているわけで、彼のしでかしたことは、言ってみればパンドラの箱を開けてしまったようなものだ。カラシニコフ老人本人は、この手のコピー製品から「自分は1コペイカも貰っていない」と胸を張るわけなのだが、それで済む話ではなかろう。

 とはいえ、人生の最後になって、こんな悪夢の責任を負えといわれるというのも、たいがい酷い話ではあるが……。

 

 その辺を除くと、よくある老人の立志伝中の昔話で、こういうのは洋の東西を問わないらしい。

 コーカサスの富裕農民の息子として生まれ、ロシア革命の余波でシベリアに追放され、そこから脱走して対独戦に従軍し、負傷して後方で療養中に機械発明の才能を見出され、軍の自動小銃開発コンペに参加してゆくという、彼の若い頃の出世物語は、単純な出世物語というだけでなく、当時のソ連の兵器開発のプロセスが意外とフレキシブルで民主的だった事を示しており非常に興味深い。

 特にコンペ中に各銃の主任設計者達が互いの銃を手に取って、自由に意見交換を行っていたというのは、西側では考えられない話である。

 それと後年、最高会議代議員に選ばれていた時代は、地元の細々とした要望を取りまとめて中央に持ち込むという点で、日本の代議士とやっていることがほとんど変わらない。勿論、この最高会議代議員への選出は共産党の慎重な事前審査を通過した者のみなので、その意味で民主度は低いのだが、社会主義、共産主義といった全体主義国家といえども、こうしたシステムを組み込んでおかないと機能しないということなのだろう。

 そういった意味で、私達が固定観念として捉えていた「旧ソ連」という国家像に、違った側面を見せてくれるという点で本書は非常に面白い。

 

 あとこの本の構成として、一通り老人がその人生が語り終えた後、「雑記」として時系列バラバラに語り残した様々な場面を断片的に語るのだが、何だがカートヴォネガットの『スローターハウス5 (ハヤカワ文庫SF ウ 4-3) (ハヤカワ文庫 SF 302)』を思わせるというか、老人の午睡の夢という感じで何だか微笑ましい。

 自分の母方の祖父も海軍の技研に勤めていた技術者だったので、読んでいて元気だった頃の祖父の昔語りを聞いているような気分になった。

 しかし、彼の開けた「パンドラの箱」は、原爆の発明に匹敵するほどの最悪なものであったのも事実である。

 と同時に、それを為したのは、どこにでもいるようなただのひとりの老人でもあるのだ。

 人間という生き物の「業」というものを、ちょっと考え込まさせる一冊でもある。

[]本田透『電波男 (講談社文庫)23:16 本田透『電波男 (講談社文庫)』を含むブックマーク

電波男 (講談社文庫)

電波男 (講談社文庫)

 立ち読みでざっと目は通していたのだけど、文庫に落ちたので改めて。

 

 この本は一部、誤解されている方もいるようなのだが、単純な女性憎悪の感情を綴った本ではないんだよね。

 著者の言う「恋愛資本主義」にかぶれた女性達へのルサンチマンに溢れているのでそう取られても已むを得ない面はあるのだけど、本質的には「孤独」や「絶望」とどう向き合うのかということをテーマとした本なのだと思う。

 

 この本で語られる「恋愛資本主義」については、実際に好きな女の子から目の前でまるで不動産物件のように値踏みされて、「結婚相手には役不足」と斬って捨てられるという経験(爆)が自分にもあるので、それなりの怨み辛みがなくはない。だが、同時にその娘は「自分の力で夢を掴む」ということに深い絶望感を抱いているような女の子だったことの方が当時の自分にはひどく気になった覚えがある。その絶望を前提に語る彼女の「恋愛資本主義」は確かに俗物(スノッブ)そのものではあったのだけど、自分の将来への不安感や今の自分が何の力もないことを、付き合う男の「資産価値」で埋め合わせようとしているかのようで、見ていて辛かった。

 まぁ、それから彼女とは何だかんだで5年くらい付き合った*1のだけど、その間に自分の「資産価値」が大して上がらなかったからか、彼女の「絶望」を埋め合わせられる度量が自分にはなかったからか、はたまたもっと身も蓋もない理由があったからなのか知らないが、半ば自然消滅するように振られてしまった。

 いや、そんなしょうもない自分語りはともかくとして。

 ある種の女の子たちにとって「恋愛資本主義」とは、何事かからの「解放の神学」として機能している(いた?)側面はきちんと拾ってやらないと、この話はただ男女で罵倒しあうだけで終わってしまいかねない気がするのだな。

 

 が、しかし、この本ではそこまで辿りつけてはいなくて、ともかく誰からも愛されない非モテの「喪男」がどうやってぎりぎりのところで自我を維持し、反社会的な狂気の世界に陥らずに現代社会をサバイブしてゆくか、という「緊急避難」の話をしている。それを念頭に置かないと、著者の提唱する「三次元を捨て、二次元に生きよ」という「護身」の理論は極端すぎて、その切実さを理解できないだろう。

 いや、確かにこれは「現実で手に入らないから、価値がないと決め付ける」という意味で「酸っぱいブドウ」なわけなんだけどさ、でも当の本人達としては一歩間違えれば秋葉原事件の犯人のように人外の境地に陥りかねないぎりぎりの瀬戸際感を皮膚感覚として持っているからこうした極端な話を言い出しているわけで、これはこれで極限状態で生まれたひとつの「解放の神学」なんだよね。

 それを「酸っぱいブドウ」で片付けてしまうのは、「恋愛資本主義」の言葉ひとつでその向こうにある女の子達の絶望感から目を逸らしてしまうのと同様、ちょっと冷たすぎるような気がする。

 

 実存の問題から少し目を逸らし、人口動態学的に見ると、元々、都市というのは「人口のアリジゴク」と呼ばれ、若い男女はなかなか結婚できず、子供は育ちにくく、疫病やストレスから死亡率も高いという空間であったとされている。現代の日本はそれが国全体に広がってしまっているような感がある。

 そうした状況の中で、いかに「実存」を喪わず、「人間」として生きてゆくのかというのは、都市生活者の永遠の命題だ。

「恋愛資本主義」も著者の提唱する「護身」も、そうした模索の中から出てきた思想のひとつで、社会環境の変動に耐えうるだけの強度があるなら次の時代まで生き残るでしょう。

 ……いや、まぁ、「生殖(セックス)」を否定する「護身」は、「人口のアリジゴク」の促進ファクターでしかないので、社会学的には非常に問題のある思想のような気がしないでもないけれど(爆)。

 ただ、何を信じているにせよ、誰もが「幸せになりたい」という祈りを抱く「人間」なのだというリスペクトさえ喪わなければ、それでいいと思うのだけどなぁ。

 

 そんなわけで、自分は決して「護身」など一切考えておりませんので、我と思わん女性は是非。

 ……いや、ま、「恋愛資本主義」に付き合える資本力もありませんけども。<ダメじゃん。

*1:まぁ、男女の仲ってのはいろいろあるのだ。

SuzukiSuzuki 2008/07/22 09:30 幸せって何でしょうか。人はそれを求めて、対局の不幸に至るのです。ご存じの通り不幸はわかりやすいのですが幸せと言うのはわかりにくいものです。幸せなんてどこにもないという事を本当に理解しない限り、ありもしない物に振り回される事になります(ちゃんと読んではいませんが「青い鳥」のオチは痛い程、私には突き刺さるのです)。恋愛資本主義がありもしない物そのものなのに対し酸っぱいブドウはそれに振り回された結果でしかありません−狐が未練たらたらなのが何とも意味深い。ありもしない物に振り回される、これが生きている事そのものなのでしょうか。無いんだから無視したいんだけどできない、スーダラ節の名句「わかっちゃいるけどやめられない」が骨身に染み通ります(いつのまにかバカボンパパと同い年になってしまいました)。

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