神戸空港

ついに開港です。さすがに開港前だけあって地元の新聞も精一杯前景気を煽っています。しかし幾ら煽っても採算ラインの予測は相当厳しく、絵に描いた餅が本当に食べられなかった時の影響を心配しています。

空港建設時には相当な反対運動があった事を覚えています。さすがに関空時代のような騒音公害を懸念してのものではなかったですが、まず採算問題でした。また採算問題も大きかったですが、それより震災の傷跡が生々しい時でしたので、「そんな金があるんだったら被災者救済にまわせ」の切実な本音が炸裂していたような気がします。

あの時に大規模な空港反対署名運動もあったはずです。その時に出された疑問点には結局「答え」は提示されなかったと記憶しています。ここ何十年も当たった試しの無い行政による需要予測を葵の御印籠にして「決定事項だから」の一点張りで押しきられたとも記憶しています。

政治家はモニュメントが大好きです。自分がカクカク実績を残したと後世に残るものです。本性がむき出しのなる独裁国家では奈良の大仏並みの為政者の銅像が国家予算を傾けて作られます。日本ではさすがに憚られますが、それでも等身大か胸像程度の銅像ならあちこちに散在します。

等身大の銅像程度なら被害も小さいですが、箱物に走る政治家による被害は甚大です。何十億、何百億の資金が費やされます。言うまでもなく税金です。箱物に走る手法はこれまたいつもながらワンパターンです。密室協議でいきなり決定項を出してきます。オール与党のボンクラ地方議会への利権による根回しも完璧です。精々反対するのは利権にありつけない共産党の議員ぐらいです。

いちおう「審議」という名の猿芝居は行われます。「財源は、需要予測は」と。財源は作れば溢れる泉のように収益が上がるはずなので、借金をします。儲かる根拠は需要予測を整然と数字を挙げて説明します。机上のレポートだけを見ていると「作らにゃ、損、損」となっています。ばら色の需要予測がこれでもかと列挙してあります。

需要予測はエリートが知恵を絞って書いているだけに漠然と読めば完璧です。しかしよ〜く読み直してみるとアラはゾロゾロ出てきます。行政と民間企業では需要予測の作り方が根本的に違います。民間企業が多大な資金を投入して事業を起す時には、「果たして採算が合うか、合わないか」を可能な限りの情報を集めて分析します。企業の命運がかかっているからです。行政は違います。「作る事は決定事項だから、黒字なるようにレポートを作れ」が命令です。

需要予測を黒字にするにはどうするか。経営は収入と支出の引き算です。支出分は年毎の借金返済分、人件費などの維持経費、税金などからほぼ予測できます。収入はと言うと乗客収入と広告収入です。だから支出分より収入分を増やすように書けばよいわけです。空港であれば支出分にあわせて乗客数を予測すれば終わりです。

行政の需要予測のたまらないところは、辻褄合わせで水増し予想をした乗客数が実際に運用して赤字が出るまで「絶対そうなるはず」で誰も再検討しない事です。再検討しないだけではなく赤字が出ても「想像も予測もつかない事態である」で誰一人責任を取らない事です。作った市長は空港前にでも立派な銅像でも作って引退していますし、需要予測を書いた連中も部署転換で「今は関係ない」とうそぶきます。

誰も責任を取らないシステムだから、どんなに無責任な需要予測をして無謀な事業計画を強行して市に多大な損害を与え、市民生活を圧迫しようがノウノウと手厚い退職金と年金を享受して暮らしていけるわけです。それだけではありません。巨大事業ほど建設後も利権事業は転がっていますし、それを誘導する事で引退後も濡れ手に粟の高収入が約束されているわけです。

神戸空港の赤字補填のための市税投入論議が起きるのは来年か、再来年か。前市長の功名心と引退後の利権確保のために作った空港の前途はばら色なんでしょうか、それとも市民幾世代にもわたる重い足かせになるんでしょうか。