新小児科医のつぶやき

2006-10-12 続厚労官僚は50年前がお好き

小児科医なもので高齢者医療とか介護保険にお世辞にも詳しくありません。考えてみれば診療科の中で介護保険にほぼ無関係なのは小児科医ぐらいですからね。昨日のエントリーで療養病床削減の事を取り上げましたが、考えてみれば「療養病床とは何をするところ」のごくプリミティブな疑問が出てきましたので、他の診療科の方には申し訳ないのですが今日はそこから入りたいと思います。

介護保険と医療制度を考える部屋療養病床についてとまとめられているものがあり、これを引用します。

平成4年の医療法改正で入院病床に一般病床と区別して「療養型病床群」という制度がスタートました。「療養型病床群」とは「病院または診療所の病床のうち、主として長期にわたり療養を必要とする患者を収容するための一群の病床で、人的・物的に長期療養患者にふさわしい療養環境を有する病床群」であると定義されていました。

その後暫くは病床の区分はこの区分で分類されていましたが、平成13年3月第4次医療法改正の結果、今後病院の入院ベッドは結核病床、精神病床、感染症病床のほかに、主に急性期の疾患を扱う「一般病床」と、主に慢性期の疾患を扱う「療養病床」の二つが新たに定義され、病床の区分を通じて病院の機能の違いが明確にされました。その上で、各病床(病棟)ごとの構造設備基準や人員基準があらためて決められました。「療養型病床群」は「療養病床」に名称変更されました。

一方、保険請求については平成12年4月の介護保険法の施行により、従来からの医療保険の対象となる病棟と、介護保険の対象となる病棟のいずれかに区分されることとなっています。 従って現在「療養病床」とは、医療保険の医療型療養病床と介護保険の介護療養型医療施設の2つの施設を指すことになります。

簡潔で分かり安い説明です。病気というものは急激に進行変化し積極的に医療を行なわなければならない時期と、病状がほぼ安定してから長期戦の姿勢で粘り強く治療を継続する時期があり、積極的に治療する時期の病床を「一般病床」、長期戦で粘り強く治療を行なう時期の病床を「療養病床」としているようです。

医療費も一般病床では十分な人手をかけて行なう必要があるので基本的に高めに、療養病床では一般病床に較べて病状の変化が遥かに少ないので基本的に低めに設定されています。療養病床の問題点は実際に従事されている方々が種々に論じられていますが、門外漢になりますのでその点は今日は触れません。

この制度から入院治療の流れが分かります。何か病気になったとします。病状が重いから入院となりますから、まず一般病床で治療が行なわれます。そこで全快治癒となれば目出度く退院となります。ところがとくに高齢者となれば、入院の原因となった病気で命を落とすような状態ではなくなったが、収まりきらない症状や後遺症が残る事は多々あります。そういう症状はある意味不治のものもあり、また不治とまで言わなくとも当面は有効な治療は無く、現状を維持するしか治療法が無いものがあります。そういう人がじっくり入院治療を行なうところが療養病床であるとイメージしても間違い無さそうです。

現実の問題点はともかく、定義だけを見ると入院患者の種類を一般病床で治療する患者と療養病床で治療する患者に分類する事はそんなに不合理で無い様に思います。ここで浮かび上がってくる問題は療養病床で治療が必要な患者と、療養病床で治療が不要になった患者の線引きです。療養病床で治療が不要となれば全快治癒かと言えばそうではありません。なんらかの治療不能で固定した症状が残っている事になります。そういう患者が療養病床では治療不要であるから退院帰宅せよと言われても、患者もその家族も非常に困るケースが多々あると思います。

そういう患者はどこに行くかといえば介護施設という事になります。介護施設の機能分類も詳しくはないのですが、昔で言う特別養護老人ホームみたいなところかと考えます。では療養病床→介護施設がスムーズに移行するかといえばそうではないと言われています。介護施設は介護保険運営下にあるのですが、介護保険は施設利用者が増えるほど負担が高くなるため建設は躍起になって抑制され、介護施設も手のかかる患者を受け入れると出費が増えるので歓迎しない構図にあるとの事です。

そのため一般病床→療養病床→介護施設への患者の流れは、上流から下流に流れ難いものになっているとの事です。小児科医なので伝聞形の表現ばかりで申し訳ありませんがお許しください。医療費は治療の必要性から上流の病床で治療するほど必要な物になっています。そこで厚生労働省は上流から下流に患者を押し流す政策を何度も行っています。押し流すといっても下流を十分整備充実させて流すのなら理解も出来るのですが、下流は不十分なまま医療費節約のためだけに押し流そうとしている感じられてなりません。

10/7の厚生労働省審議官の御高見で明言されている通り、今回の決定として一般病床→療養病床→介護施設の流れのうち、療養病床を約6割削減し、物理的に下流の介護施設に流そうとしています。具体的には次の通りの主張です。

    計画では、介護保険の療養病床約十三万床と医療保険の療養病床約二十五万床を六年かけて再編し、医療保険の十五万床に集約する。その際、療養病床は老人保健施設などに転換するので、患者が追い出されることは考えられない。

「ホイホイそうでっか」とこの帳尻合わせに釈然としないものを感じますが、すぐに次に素直な疑問が出てきます。今いる患者は療養病床から介護施設に机上のプランで移行するとして、今後は団塊の世代が高齢者入りする事により、現在よりさらに療養病床は本来必要になるんじゃないかという事です。もちろんさらに受け皿となる介護施設も同様ですし、もっと言えば一般病床もそうだと思います。これに対する主張は、

    現在、一年間に亡くなる人は百万人程度だが、団塊の世代(一九四七−四九年生まれ)が二十年後に亡くなると推定すると、死亡者は約170万人になる見通しだ。この人たち全員を療養病床で対応する事は不可能だ。受け皿として、老人保健施設などの介護施設だけではなく、有料老人ホームやケアハウス、安い高齢者賃貸住宅などに入ってもらい、外から在宅医療や介護サービスを利用できるようにする。

これも良く知られている通り、介護施設の建設は非常に抑制されています。今回の施策により療養病床から介護施設に転換される病床が計画通りに出来たとしても、従来療養病床で治療していた患者が減るはずも無く、介護施設になる分は最初から満員です。さらに厚労官僚も自ら言う通り、今後は鰻上りに需要は増えるはずです。この部分の主張では、介護施設以外の受け皿として「有料老人ホームやケアハウス、安い高齢者賃貸住宅」としていますが、これらの施設は介護施設より格段に患者の治療管理能力が落ちるのは当然です。

有料老人ホームはそれでも介護者が常駐しているかもしれませんが、高齢者賃貸住宅は独居です。有料老人ホームは資産のあるものしか入れず、高齢者賃貸住宅は自活できる患者しか入れません。それ以外はどうなるか、すべて在宅でみるしかありません。患者は確実に急増するのに対して、療養病床を大幅削減し、介護施設のパイも増やす事に消極的であれば物理的必然です。

人間の望みとして最後は自宅で死ぬ事は妙な願いではありません。できればそうありたいと思うのは自然ともいえます。調査をすれば6割の人間がそう望んだのもわかります。しかし望む事と現実は違います。「家で死にたい」望みにはもうひとつ必要条件があります。それは出来るだけ家族に迷惑をかけずにです。寝たきりに近くなり、用便の介助さえ家族に頼らなければならない状態になっても「家で死にたい」が絶対の希望かと言えばそうではないような気がします。

自分の身の回りの事が自分で出来なくなれば、家族でなく施設の介護を望む人間が一般的であるような気がします。家族の生活を犠牲にしてまで「家で死ぬ事」にどれほどの人間が執着するでしょうか。少なくとも私は執着したくありません。厚労官僚が主張する、

    できるだけ終末期は自宅で療養したいという人が約六割いるという調査結果もある。

これを家族に多大な犠牲を払ってもそうしたいかと質問を変えれば、どういう結果になるかは予想がつきます。さらに言えば今でもできるだけ終末期は家で過ごしています。体調が許す限り家で終末期を過ごし、家で過ごす事が家族の大きな負担になってくれば施設に移動しています。どこまで家で過ごせるかは、家庭環境で変わり、時代の常識としても変わります。

家庭環境で言えば、昨日も書きましたがかつては存在した無償の介護力はとうの昔に失われました。これを回復させるのは時計の針を逆に回すようなもので最早不可能な事です。また病院で死ぬ文化が定着した事により、日本人の死に対する意識は大きく変化し、家で見守りながら死亡させる事に大きな違和感を感じる時代になっています。この意識もそうは簡単に変わる物ではありません。言い方は悪いですが、日本人の死は「医者が手の下しようが無い」のお墨付が必要となっているのです。それも往診に来た医者でなく、病院で検査も治療もした上でないと納得し難いものになっています。それを押しきって家で見るとなると時に親戚から強い非難が出ることがあります。「病院なら何とかなったんじゃないか」という声です。この声は残された家族にとって辛いものになる事があります。

厚生労働省が推進する「家で死んでもらう」路線が介護力不足、日本人の死への意識の下で強行されるとどんな事態が予想されるかですが、NATROM先生が明快に解説しています。

診療報酬を削られ療養病床が減る。老健施設は現在以上に予約待ち。在宅で診ろと言われても家族は限界。ちょっと熱でも出たらこれ幸いと救急車で急性期病院へ受診し、入院させろとごねる。医師は入院の必要がないと思っても、帰宅させて万が一結果が悪ければ責任を問われるのでしょうがなく入院させる。もしかしたら、「診断の遅れにより死亡。家族は入院を希望するも主治医は帰宅させた」などと新聞沙汰になり、真面目だが運の悪い医師が犠牲になるかもしれない。かくして、急性期病院は、現在以上に、急性期医療の必要のない患者さんでいっぱいになるであろう。

老年期になり健康を害し、さらには終末期を迎えたときにどうするかをもう一度真剣に考え直す必要があると思います。考えなければならない視点は2つに絞られると思います。

  1. 患者本人の希望
  2. 患者本人を介護する家族の希望

この二つを満たすように設計すべきかと考えます。本人も家族も在宅を希望し、それが可能であるものにはそれを支援する体制を構築し、それが出来ないものには施設でも十分対応するシステムを考えるのが正論ではないかと思います。人間の尊厳に関わる事ですから、まず当事者の希望を最大限に尊重して考え、それを実現するように努めるべきではないかと言う事です。

これを医療費削減という観点のみから、厚労官僚が机上の算数で決めてしまうことに違和感を感じざるを得ません。もういちど厚労官僚の主張を出しておきます。

−治療と療養を目的とする療養病床を大幅に減らす理由は何か?

「三点ある。一つは病院ではなく、自宅などで療養したり、亡くなったりする環境を整える必要があること。約50年前までは自宅で亡くなる人が全死亡者の約八割を占めていたが、今は逆に約八割が病院や診療所でなくなっている。できるだけ終末期は自宅で療養したいという人が約六割いるという調査結果もある。二つ目は医療提供体制の変換が迫られていることだ。老人医療無料化の『副作用』として、本来、福祉で対応すべき高齢者を病院で対応してきた歴史的経緯がある。高齢者の長期療養を自宅で対応できるようにすれば、長すぎる平均入院日数を短くし、医師や看護師を人材不足が深刻な小児科や産婦人科に回すことができる。」

現在の人間の死生観を唐突に50年前に戻そうとしたり、高齢者を病院から追い出すことにより小児科や産婦人科の不足解消に結びつけたりする理論展開を容認するのですか。たった6年で療養病床の削減は完了させる計画のようですから、今生きている人のほとんどの人間の終末期に関わる大問題なのです。それをこんな厚生官僚のトンデモ理論のもとに粛々と進行する医療、社会にひたすら慄然とします。

ぽっぽくんぽっぽくん 2006/10/12 13:49  まず疑うこと、それを基に話し合うことが必要です。トンデモ理論と言われますが理論はほとんどが仮説です。仮説を検証しないことが問題だと思います。(リサーチリテラシーの勉強をしている人が少なすぎます)
 そしてコトバの持つ意味を理解しないまま使っています。EBMやインフォームドコンセントが作られた背景や意味を知らない医療関係者が多すぎませんか。(柳田邦男氏は流通しているインフォームドコンセントの本来の意味は、現在、日本語では説明しきれていないと最近の著書で述べています)
介護予防のため筋肉トレーニングを行おうとした老人が、検査のため片足立ちをしたら、大腿骨骨折したそうです。さっそく厚生労働省から通達がでたようです。足下しか見ないからころぶのですね。予防を行うことが簡単ではないことを知らなかったのでしょう。これから、通達細則がどんどん増えますね。
 提案ですが、医療や福祉に関する賞を作るのはどうでしょう。医療や福祉に関心を持ってもらうためには仕掛けが必要です。「恍惚の人」は痴ほう介護の現在を予測していました。「博士の愛した数式」は私のお気に入りの作品です。
あるいは、映画、評論、アニメ、漫画等大衆の触れやすいジャンルの作品を推薦する賞を作りマスコミに取り上げてもらう様にする。
「ジョンQ」を見られましたか?医療費を払えない人が個人破産する現在のアメリカの医療制度を告発しています。もっとたくさんの人に見てもらい映画です。
 ラジオ番組で武田鉄也が「語り部」の資格について話してました。政治を話すことが出来るのは年収500万以下の人でないと伝わらないと。医者が話しても、医者と言うイメージがその背景にくくり付けられるのですね。そして、現在、専門家の意見がこれほど軽くなったと言うのも事実ではないでしょうか。(有識者会議、専門家のコメント、それは何でしょうか、ある良心的な専門家は、テレビ、新聞では語らない、ラジオでなら語ると言っています。)
何故、今のことしか語れない人ばかりになってしまったのでしょうか。次の世代に何を伝えるか、それを考えている大人はどれほどいるのでしょう?。
 他のブログで世論調査のカラクリについて、調査のアルバイトをしていた人の話を読みました。設問そのものが答えを想起する様に出来ています。電話による調査では、携帯電話しか持たない人の意見は入りません。世論調査=調査結果発表による世論誘導だとその人が書いていました。
本当に困っている人は、自分のことで精一杯で、話すことが出来ないものです。難病連合会の会長さんが話すことばには、うなずくことしか出来ませんでした。信頼出来る代弁者、語る資格のある人が必要です。それを支えるひとがたくさん必要です。そして語る機会が必要です。言葉にチカラをも持ちたいものです。

YosyanYosyan 2006/10/12 15:09

>ぽっぽくん様

何か医療の危機に対しアピールする戦略が必要な事は認めています。賞を作るという提案も素晴らしいものだと思います。ただ作るといっても、私が個人的に賞を作っても世間的関心は非常に低いと考えます。賞の権威は授与する団体の権威に比例する部分があります。(もちろん賞金額も)

そうなればになるのですが、うちのブログでなんども蛸壺に落ちてしまう組織論になってしまいます。日医なら資金的に可能です。たしかそういう関連の賞をいっぱい作っていたと思います。私も会員ですから推薦依頼がしばしば舞い込みます。しかし世間的にはほとんど無名であり、影響力の無い賞です。また日医には現在のところ「医者の利益の擁護団体」というレッテルがべったりと貼られ、賞を作っても反感を抱く人間が少なくないと考えます。

医者の団体では他に学会があります。学会なら日医と違い「医者の利益擁護団体」のイメージが遥かに少なく有用かと考えます。しかしその反面、学術団体の性格が非常に強く、また分野ごとに細分化されているため、「どこが」の問題がでてきます。やるなら各学会の上に立つ日本医学会になるでしょうが、どうしたら動かせるかは私では雲をつかむような話です。

新たに作るとなればこれはこれで大問題です。医者の結束の悪さはご存知の通りです。新たな団体の動きとしてもっとも最近のものとして、自由連合の活動が挙げられます。あの運動は資金的には相当なものがつぎ込まれたかと思いますが、金主への反感からほとんど実を結んでいないのが実情です。あれほどの資金力と問題を含むとしても指導力を持つ、結集の核になる団体もしくは人材は私は今のところ見当たりません。

医療危機の問題は開業医も大きな影響がありますが、最前線で直面しているのは勤務医です。そういう状況で問題が複雑化、深刻化している背景に、勤務医には実質それをまとめる団体がないことがあげられます。団体が無いから厚労省が提案時でも、結果が出てからでも「おかしい」と考えられる政策が強行されても、医者からはまとまった声として抗議や協議をする事が出来ないためだと言われています。だから「団体の結成を」の声は少なからずありますが、線香花火以上の成果はあがっていません。

医療危機に対し「勤務医の新団体を作り、その上で・・・」議論は数多くあります。手順論としては言う事はないのですが、ここで前置きとして主張される新団体の設立法については誰も具体的な行動を起していない、もしくは起こし様が無い現実が横たわっていると感じています。

うちのブログでもかなり長い間、医療問題に対しああでもない、こうでもないと議論をこねていますが、ある程度の案にまとまると次はそれを実行に移す機関の問題に帰着します。どんなに優れた提案であっても、「それをやってくれる」機関ないし団体がないと絵に描いた餅から一歩も進まない現実です。この難関をブレークスルーしないと、こんなブログで愚痴をこねる以上の段階に進めないということなんです。

「お前は何もしないのか」と言われれば辛いですが、組織を具体的に作るとなれば正直なところ手に余りすぎる話です。しかたがないので、危機があることだけは出来るだけ伝え、新組織結成の気運醸成の一助にせめてなるように努力していると御理解頂ければ幸いです。

元田舎医元田舎医 2006/10/12 15:33
(僭越ながらほんのり軽く介護施設について説明します)
介護保険制度の下で病気持ちの老人が入る「施設」のほとんどは、次の2種類です。
・医者がいる「介護老人保健施設」(通称:ろうけん)
・医者がいない「特別養護老人ホーム」(通称:とくよう、とくろう)

どういう人がそこに入るかは、医者のいるいないで類推していただくとわかりやすいかと。
また特養は「ホーム」というだけあって「家」扱いされます。
なので老健に入るのは「入所」といいますが、特養の場合「入居」と呼ばれます。
住民票も移してしまうのが普通です。
つまり実質的に、老健は特養が空きが出るまでのつなぎ、として使われています。

例えば、脳卒中で寝たきりになってしまった方が諸事情で家に帰れない場合、たいてい下のようなルートを辿ります。
・(集中治療室→)一般病床→療養病床→老健→特養

迂回路はほとんどないルートですので、どこかが滞るとその上流がたちまち影響を受けます。
介護施設は老健、特養とも慢性的に満員です。
特養の「空き」とは、すなわち入居者がお亡くなりになることを意味します。
介護施設の定員が十分増える前に療養病床が減るとどうなるか。
病院である療養病床が「明日から介護施設に変わります」と看板を架け替えるだけで「転換」できるわけではありません。
近未来の日本にどんな状況が待ち受けているか、容易に想像ができますね。

ポイントは「療養病床の上流は老人だけが利用するところではない」というところでしょうか。

元田舎医元田舎医 2006/10/12 15:37
(念のため)
日本医学会は日本医師会の中の組織の一つです。

参考:
http://www.med.or.jp/jams/about/gairyaku.html

YosyanYosyan 2006/10/12 16:35

>元田舎医様

日本医学会への私の誤解への指摘ありがとうございました。

この療養病床大幅削減の問題は話題としては今のところ小さいですが、患者サイドと連携して大きな声を上げる一つのチャンスのような気がしています。減らせばどうなるかは算術的な分かりやすさですし、痛みを具体的に感じる人間が、ある意味産科危機問題より火がつき安いように思っています。どう見たって明日はわが身のせかいですからね、

ただし他の医療問題もそうですが、医療を変えるための最大の鍵である世論は、実際に目に見えて、自分も困るまで動かないのが難点です。当たり前といえば当たり前ですが、今元気な人には縁の無い、向こう岸の話で、理屈で理解したとしても、自分は何とかなるだろう、もしくは時分は関係ないだろうとぐらいにしか考えないものです。

療養病床削減の問題も実際に削られて、患者及び家族が在宅で困り果てるまで火がつかないような気はしています。火がついた時に真っ先に非難の矢面に立たされるのは、やっぱり医者でしょうね。火がつく前にも一般病床の入院扱いで、厚労省からの「退院させろ」の通達と、家族からの「居させてください」の板ばさみが激化するのもNATROM先生の予言は外れそうもない気がします。

NATROM先生のコメント欄を読んでいると、退院交渉時には弁護士同伴で「絶対大丈夫か」と凄まれる事態も出ているようなので、これもまた新たな崩壊因子になるような気がします。

勤務医勤務医 2006/10/13 11:38
慢性期の治療とはいうものの インスリン注射を必要とする糖尿病の患者さんは特養での管理は困難です。一方 長期臥床による 床擦れ(辱そう)、老人性肺炎、深部血栓性静脈炎などもいったん発症すれば 治療が困難で命取りとなります。病床数が削減されて 今後こういった病気を併発される高齢の患者さんは増加するのでしょう。急性期の疾患をあつかう一般病床も今以上に奪い合いになりそうです。療養型病床から介護型病床へいったん移っても また上流に戻らざるをえない患者さんも多数います。
戻っても 長期入院はもはや制限されています。
リハビリ期間の上限が決められ 退院させられると 関節の拘縮や麻痺も元にもどり
意味がありません。同じ事の繰り返しです。

地方自治体によって 介護の主治医意見書を提出しても介護の等級が異なったり 同じ人の意見書を出すたびに年を追って介護が軽くなったりと 介護の受け入れが困難になりつつあるようです。精神疾患を抱えてる高齢者でも 他の疾患を併発して当たり前と医師側は認識していますが、面倒なのか引き取ってくれるホームは稀です。
介護保健とはいえ 介護の内容は医師ではなく地方自治体が恣意的に決めてるのかなと思う事も多々あります。
介護が家族の方が希望されるほどには達してないのも 長期入院が出来なくて退院を余儀無くされるのも 全て医師が悪いと思ってらっしゃる人が多く すでに板挟み状態はあちこちで見かけます。
先日も 数カ月おきに病院を転々とするのも 老人の窓口負担が3割に上がったのも 医者の金もうけのためだろうと言われ 膝から力がぬけそうになりました。

YosyanYosyan 2006/10/13 12:35

>勤務医様

小児科医なので高齢者医療の実情に実感が乏しいのをお許しください。実感は乏しいですが聞くだけでも大変そうだぐらいはよく分かります。

コメントにあったリハビリ制限の件も、高齢自己負担増加の件もなぜかマスコミは熱心には取り上げませんね。取り上げても「これで医療費抑制なるか」みたいな論調が多く、そうでなければ「問題なんだが」ぐらいで小さく扱うぐらいです。関係団体の抗議のニュースも無視するかほんの片隅ぐらいで小さく報じる程度で、反対キャンペインみたいなものにするのはまだ見たことがありません。

やはり何か大きな力が動いているのでしょうかね。それとも「医療費は削減するものである」というプロパガンダの前にすっかり洗脳されて、それぐらいは当然であると考えているのでしょうか。

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