往復切符

この話はNylon先生のブログから触発を受けて、向こうのブログで論議したもののエントリーです。Nylon先生は医療問題を独特の切り口で考えておられて、時々ハッとさせられるような意見を楽しませてもらっているのですが、今回も考えなければならない問題提起をされています。

地方僻地の医師不足問題は深刻さを増しています。地方僻地からなぜ医師がいなくなるのかの原因はあちこちで盛んに論じられていますし、原因についても納得できる話が出揃っています。各所の議論については極論や暴論もあるにせよ、概ね同意しますし、実情として理解しています。

ただ医師としては地方僻地といえども本来はなんとかカバーするべきものであると考えます。「地方僻地からは医師は総撤退し、都市部のみで医師は医療を行なうべきだ」までの考えの方はまだ少数派だと思っています。少なくとも誰かが赴任してカバーすべきだの考えは十分残っていると信じています。

さすがに地方僻地の医師不足が深刻になってきたので、国や県もある程度の動きを見せています。国、県レベルで取り沙汰されているのは次の3つが代表的です。気の長い奨学金や定員増は今日は触れません。

  1. ドクターバンクによる募集


      正直なところ期待薄です。県により色合いが違いますが、誰が悲しくて僻地勤務への片道切符を買いに来る医師なんているものでしょうか。応募がゼロとは言いませんが、必要数に達する可能性は限りなくゼロに近いと考えます。こういう制度は医者が都市部に溢れ、食うに困る状態でも出現しない限り成立しません。


  2. 公的病院の医師への強制人事権


      厚生労働省が長年の夢であった医者の人事権を掌握する具体策の第一歩です。春ぐらいにマスコミに出ていましたが、その後は尻すぼみのようです。この動きの具体化が遅々として進まない原因として、医者が豊富にいる公的病院から足りないところへ融通する案だったはずが、医師不足の進み方が余りにも急激で、融通元になる医者が豊富にある病院がほとんど無くなった事です。さらにそんな状態で強権発動を行なえばさらに公的病院からの逃散が進むのは必定で、絵に描いた餅状態で棚上げになっています。


  3. 研修医や開業や院長になる医師の僻地勤務義務化


      開業医や院長は衰えたといっても日医が強力に反対します。この問題は憲法問題まで発展する可能性さえあり、現実的も実行するには大きな障壁が山のようにあります。そもそもどこが僻地から定義する必要さえ生じます。研修医の方が実現性はありますが、前期研修医は戦力としては論外ですし、後期研修医でも十分なサポートが必要で、戦力不足どころか、崩壊寸前の僻地病院にとってはかえってお荷物になる可能性さえあります。
本当に僻地医療の医師不足の解消を考えたのかと思うほど杜撰なものばかりです。まあこの程度の案に低レベルの批判をしても仕方がないのですが、机上の空案のオンパレードです。それでも現実に医療に困っている人は存在し、そこに医師が必要とされているのです。そういう状況も含めてNylon先生は次のように指摘しています。

 医師の不足と偏在を招いた最大の原因として、久坂部氏は「医師の自由」を指摘しています。旧弊な医局制度という暗黙の制限が無くなって、医師は大いなる自由を手に入れた。その結果、地域医療は崩壊してしまったというのです。その解決策として、何らかの手段を講じてでも医師の自由を制限する必要があるのでは…と述べています。医師にとっては嫌悪を感じてしまうような方策かもしれませんが、誰が行かなくてはならない僻地での診療。「俺は都会に住むから、お前は田舎に行けよ」…今の所考えないようにしていますが、近い将来医師同士で噛み合いになる事必至…その前に何とか我々医師の間で折り合いをつける必要があります。重要なことですが、これは「患者さん」や「国」に責任を転嫁して目を反らすことの出来ない、厳然たる医師の間の問題でもあると思います。

現在の医療情勢下で逃散せざるを得ない医師の事を批判する気持ちは毛頭ありません。逃散した医師が置かれた環境は凄絶です。地方僻地に医師が再配置するためには、当たり前ですが勤務環境を整える事が絶対の前提条件です。現在の医療環境を放置したままで、精神論だけで、蛇口を捻れば水が出るように医者は湧いてきません。

では勤務条件が整備されれば、医師は地方僻地に従来のように配置されるでしょうか。どうも難しいような気がしています。医師と言えども一皮剥けば普通の人間です。医師以外の人と同じように、僻地と都会の両方の勤務地が選べるのなら、圧倒的な割合で都会に医師は流れます。生活の利便性や子弟の教育という現実的な問題もそうですし、医師として技量の研鑽を積むには豊富な症例に恵まれますし、最新の情報に常に接する事が可能ですし、医師として案外重要な人脈作りにも有利だからです。

医師の意見として地方僻地に医師を呼びたいのなら十分な報酬を積めと言う意見があります。誠に正論で、地理的条件が悪い分を報酬でカバーしろと言う意見です。これは医師以外の業種では通常そうかと考えます。ただし医療危機に為政者が反応し、ある程度医師の要求が叶えられたとしても、医療訴訟対策や勤務時間の適正化と、適正に必要な医師の配置ぐらいが精一杯だと思います。報酬も僻地手当て的に2〜3割増程度はありえるかもしれませんが、2倍も3倍ものになるとは考え難いものがあります。

その程度の条件差であるなら、医師が自分の意思だけで勤務先を選ぶのなら都市部に偏在化するのは避け難い事だと考えます。申し訳ありませんが、地方僻地勤務はそれほど嫌がられているという事です。

それでも地方僻地への医師配置はこれまでなんとか出来ていました。なぜなんとか出来ていたかを考えるのが問題解決への糸口になるかと思います。医師が内心に不満を持ちながら地方僻地の勤務に赴いたかというと、何年かお勤めを果たせば都市部の病院に帰れたからです。一時の我慢さえすれば次は恵まれた職場に異動できる希望があったからです。この「必ず帰れるはずだ」と条件が無いと地方僻地への医師の循環は途絶えます。

医師が国や県の僻地医師対策を鼻で哂うのは、誰も喜んで僻地への片道切符を買うつもりは無いからです。僻地への切符は期限が明記された往復切符で無ければならないと言う事です。僻地医師不足の解消のためには往復切符を保障する機関が必要だと言う事です。

ではどうすれば往復切符を保障する機関が出来るかになります。往復切符を可能とするには、都市部と地方僻地にバランスよく往復できる病院の人事権を掌握する必要があります。そのうえで医師に往復切符を買わせる力が必要です。買いたく無いと思っても買わざるを得なくなるような権威とも言えますし、買うことによってその後の勤務医生活が有利になると思わせる信用性とも言えるるかもしれません。

実は私もNylon先生もその点について考えたのですが、現実的には新たに創設するのは不可能であろうで一致しています。またこのまま放置すれば、全勤務医の公務員化による医師人事厚生労働省一元化の悪夢さえ懸念されます。相当な力技ですが、医師不足の世論の追い風を受ければ、あながち戯言と言い切れない昨今の医療情勢です。

やはり医師が医師の手によって人事を行なうのを守る必要があります。先ほど新たに創設するのは不可能としましたが、新たに作るのが不可能であるなら従来の制度を再利用すればよいかと考えています。つまり医局人事の再生です。

医局人事には光と影があり、影の部分に泣かされ虐げられた医師は少なくないと思います。ただ結果として医師を広範囲に適正配置する機能は評価に値すると考えます。人事以外にも医局には負の部分はあり、そこを厚生労働省、マスコミが寄ってたかって叩き続けています。つまり医局人事の光の部分をまったく評価せず、影の部分、もしくは医局の負の部分のみをクローズアップして衰退させた一つの結果が地方僻地の医師不足です。

しかしどう考えても医局人事以外で地方僻地に医師を循環させる事は現実的には不可能で、医局人事が衰退した分だけ地方僻地の医療は衰弱し崩壊するのは正比例しています。現在ですら地方僻地の医師供給は医局におんぶに抱っこです。医局に見放されたら診療規模縮小から診療科閉鎖に直結します。

医局人事を再生すると書きましたが、復活でない点に留意していただきたいと思います。旧来の医局人事をそのまま復活させようとの考えではありません。そんな考えでは離れかけている医局への求心力は甦りません。医局人事の影の部分、医局の負の部分をなるべく押さえ込み、医局人事最大のメリットである医師の公平配置機能を活かす再生です。

幸か不幸か医局の権威は大いに揺らいでいます。医局員の発言力が増大し、旧来のように教授の鶴の一声ですべてが動く医局は数少ないかと思います。そういう状態であるからこそ再生への改革が可能だと考えます。医局の権威が揺らいでいるとしましたが、これが完全に失墜してしまったら、医局人事の再生は不可能となります。適当なところで折り合いをつけてそれなりの権威を保つ必要があります。

今なら主力の中堅層には医局への忠誠心がまだ残っていますから、医局再生は可能ですが、時宜を逸して医局崩壊となれば、医局人事も再生不可能となります。そうなれば医師の人事は政府の一機関に握られてしまいます。誰かが人事をしなければならないのですから、誰かは医師である事が望ましいと考えるのは私だけでしょうか。