福島事件の温故知新

逮捕報道があった頃の事を少し調べていました。逮捕があったのが2006.2.18でしたが、反応は正直鈍かったと思います。逮捕記事を当日なり翌日なりに読んだかどうかも記憶にありません。今に較べると平和なブログで時事ネタも多かったですし、「今日は医者のブログらしく医療関連のお話が出来ます」なんて書き出しがしばしばありました。もっと言いますとm3.comにも入っていませんでしたし、m3.com自体知らなかったぐらいです。2chも読んでいませんでした。どこでこの福島の「産婦人科逮捕事件が不当である」の情報を手に入れたかも記憶に残っていません。どこかのブログからだと思いますが覚えていません。可能性が高いのはS.Y's Blogさんなのですが自信がありません。

ようやく逮捕が不当らしいとして初めてエントリーに上げたのは事件から5日後の2/23になってからです。その時の素直な感想が残っています。

記事内容だけならこの医師は癒着胎盤の経験も無く、医師の技量不足、経験不足、判断ミスがこの事故を起したかのように印象付けられます。漠然と私もそんな印象を持ってしまったことは否定しません。医者とはいえ自分の専門領域以外の事は通り一遍の知識しかありませんので。

もちろん記事を書くために引用したのはhttp://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/2006/02/post_1b76.htmlある産婦人科のひとりごとのエントリーからです。ここでは2/19に早くもエントリーを立ち上げ、このエントリーが衝撃的なインパクトを持った事は医療崩壊史にいつまでも残されるでしょう。このエントリーに寄せられたコメント数が94個。当時の殺到するコメント数を考えると100を遥かに超えていたと思っていたのですが、当時の医療系ブログの関心度なんてそんなもので、94個ものコメントが殺到する事だけでも事件だったと思います。比較に出すのもお笑いなんですが、当ブログの2/23エントリーへのコメント数は4個でした。

「ある産婦人科のひとりごと」ではその後も何回も癒着胎盤がいかに稀なものであるか、術前に発見するのがいかに困難か、また一旦出血が始まればいかにその対処が困難を極めるかを繰り返し、詳しく、丁寧に解説されていましたが、読む医師のすべてを素直に共鳴させた最初のエントリーの解説を引用したいと思います。

癒着胎盤は非常にまれで、事前の予測は不可能なことがほとんどです。正常の妊娠経過で正常の経膣分娩後であっても、児の娩出後に胎盤が剥がれず大量出血が始まれば、そこで初めて癒着胎盤を疑い、緊急で子宮摘出手術を実施しなければなりません。その際には、大量の輸血も必要ですし、手術中に大量の出血により母体死亡となる可能性も当然あり得ます。

どの癒着胎盤の症例でも、児が娩出する前には癒着胎盤を疑うことすら不可能の場合が多いです。今回報道されている事例は、帝王切開ですから、当然、手術前には癒着胎盤の診断がついてなかったと思われます。手術中に、児を娩出した後、胎盤がどうしても剥離しないで大量の出血が始まり、初めて癒着胎盤とわかったと考えられます。大量の輸血の準備をして帝王切開に臨むことは通常ありえません。また、帝王切開は腰椎麻酔で実施されることが多いですが、大量の輸血の準備もなく、腰椎麻酔のままでは、帝王切開から子宮摘出手術に移行すること自体が非常に危険です。麻酔科医がその場にいなければ、手術中に腰椎麻酔から全身麻酔に移行することも不可能です。

ですから、今回の事例では、誰が執刀していても、母体死亡となっていた可能性が非常に高かったと思われます。帝王切開をしてみたら、たまたま癒着胎盤であったケースで、母体を救命できる可能性があるのは、いつでも大量の輸血が可能で、複数の産婦人科専門医が常勤し、麻酔科医も常駐している病院だけだと思います。そういう人員・設備が整った病院であっても、帝王切開中に突然大量の出血が始まれば、全例で母体を救命できるという保障は全くありません。

今回の事例は、術前診断が非常に困難かつ非常にまれな癒着胎盤という疾患で、誰が執刀しても同じく母体死亡となった可能性が高かったのに、結果として母体死亡となった責任により執刀医が逮捕されたということであれば、今後、同じような条件の病院では、帝王切開を執刀すること自体が一切禁止されたと考えざるを得ません。

産科診療に従事していれば、母体や胎児の生命に関わる症例に遭遇することは日常茶飯事です。我々は、この生命の危機に直面した母児の命を助けるために帝王切開などの危険な緊急手術を日常的に実施していますが、手術の結果が常に患者側の期待通りにいくとは全く考えていません。産科では、予測不能の母体死亡、胎児死亡、死産は、一定頻度でいつでも誰にでも起こり得るという事実を全く無視して、結果責任だけで担当医師が逮捕される世の中になってしまえば、今後は危なくて誰も産科診療には従事できません。今後の産科診療に非常に大きな影響を与える重大事件だと思います。

限られた報道記事しかない時に、ここまで正確かつ冷静に解説できる力量に感嘆の念を隠せなかったものです。あまりの力量の差に尻尾を巻いた私は、2/28にもう一度関連エントリーを書いた後は二度と正面から福島事件を取り扱っていません。現在でも同じです。福島事件の批評解説は「ある産婦人科のひとりごと」以上のものはなく、公判が始まった今でもそうだと考えています。

あれから1年足らずで医療系ブログ、BBSは見違えるほど充実しました。ブログ主として情報発信するものは数え切れないぐらいの数になり、コメントを寄せる医師の数も膨大です。もちろん第1回公判に対する解説批評もヤマのようにされています。それで良いと思っています。この日を福島事件の衝撃からネット医師は待ち続けたのです。私も待っていました。ただ私は福島事件に関してはあくまでも援護射撃に徹しようと考えています。主役は逮捕時に日本中のネット医師に火をつけた「ある産婦人科のひとりごと」である事に深い敬意を表してです。

それにしても「ある産婦人科のひとりごと」の2006.2.19エントリーの最後の一節がそのまま現実化している恐ろしさを今さらながらかみ締めています。

    産科では、予測不能の母体死亡、胎児死亡、死産は、一定頻度でいつでも誰にでも起こり得るという事実を全く無視して、結果責任だけで担当医師が逮捕される世の中になってしまえば、今後は危なくて誰も産科診療には従事できません。今後の産科診療に非常に大きな影響を与える重大事件だと思います。
これを読み返すたびに1年間のブログ活動がいかに実りがなかったを痛感します。あの日から何か良い事が医療にあったでしょうか。記憶に残っているのは悪い事ばかりしか残っていない、悲しさ、無力さを思いながらの温故知新でした。