看護協会と医政局看護課

少なくとも現在も含めて3代の看護課長は、密接なつながりがあるのは経歴を見ただけでわかります。とくに先々代の久常氏は現看護協会長ですから、医政局看護課と看護協会の関係は、医政局医事課と日医の関係とはまったく異質のものであることは容易に推測されます。いつからできた慣例かはわかりませんが、看護課のポストは看護師と言うより看護協会の意向の下に動かされていると見れます。

これについては日医が故武見元会長の下、厚生省との対立路線を歩んで利権確保を行なったのと対照的な動きで、看護協会は行政の中枢に食い込む事に腐心し、これに成功したとも見れます。日医にレバタラを言えば、権力絶頂の頃になぜそこに手を出さなかったのかが惜しまれます。その辺りの歴史的経緯、日医と看護協会の戦略の差の評価は難しいところです。

ただしあくまでも個人的な意見ですが、看護課は看護と言う専門職の管理部門であり、そこに看護師出身の者が就任する事自体は不自然ではありません。看護師の多くは看護協会に所属しており、専門職を求めた時、看護協会が供給源になるのも不思議とは言え無いかとも感じます。さらに看護課が看護政策を考える時に、ガリバー的な業界団体である看護協会の意向を尊重するのも当然といえば当然で、医療政策も衰えたりとは言え、日医の意見を形だけでも必ず聞くのと同様かと考えます。

むしろ医政局医事課に日医が関連していない方が不思議なくらいなんですが、旧厚生省が日医との厳しい対立路線であった時に守り抜いたのか、故武見元会長のときに日医の主導権が勤務医から開業医に移っただけではなく、勤務医が日医から抜け落ちたのも影響しているかと考えます。勤務医であればポストとして医事課長就任はあるでしょうが、開業医ならそうはいかないみたいなものです。

看護課課長の供給源として看護協会が機能すれば、必然的に両者は癒着していきます。看護政策は業界団体の看護協会の意向を尊重して行なう必要があり、日医と医事課みたいな対立関係でなければ、協調関係に進んでいくのは当然でしょう。協調関係が進めば、癒着から表裏一体になっても不思議ありません。対立する必要が無いのですからね。

ここで看護協会と末端看護師の関係を考えて置く必要があります。日医と末端医師会員の関係も直接意向を呈してない部分が多いのですが、看護協会と末端看護師の関係はもっと乖離していると考えています。看護協会は日医よりはるかに巨大な団体ですが、巨大すぎて権力は日医以上に中枢が一手に握る構造と推測します。

日医はそれでも是非は別にして、市町村医師会長→都道府県医師会長→ブロック医師会議員→日医と開業医の現場から出発しての強固な年功序列制が敷かれています。ところが看護協会の方はそうではなく、幹部候補生になる看護師を見つけ出し幹部養成を行なう方式を取っています。私の4/10付けのエントリーに先代の看護課長である田村氏の経歴について触れたものがあります。

  • 厚生労働省看護課長から国立看護大学校天下りした。
  • 看護婦の実務経験は2年半である。
  • 2年半の実務を基に看護学教育・研究を行なっていた。
  • 40歳頃(1998年頃)から聖路加看護大学大学院、東京大学大学院に進学。おそらく合わせて5年程度と考えられる。
  • 1993年に厚生省健康政策局看護課課長補佐に大学院終了後直ちに採用、6年後には看護課長となる。
  • 看護婦から看護師への名称変更では中心的役割を果たしていたと考えられる。
  • 内診禁止通達でもまた中心的役割を果たしていたと考えられる。
看護師の世界ではありふれた経歴なのかもしれませんが、実務2年半で教育・研究に従事したと言うのは、臨床実務がよほど肌にあっていなかったか、あまりにも能力が低くて現場から見放されたか、本人の教育・研究指向が強かったかのいずれかです。おそらくですが、実務2年半では実習現場の指導はしていなかったように思います。指導される方も実務2年半じゃ可哀そうですからね。

次に40歳頃から急に学歴に目覚め博士号を目指したのは何を意味するのでしょうか。普通に考えれば教育・研究現場でのさらなる出世を目指してのものと考えるのが妥当です。ああいうところは学歴が重視される事が多いからです。ところが博士号を取ると同時に厚生省看護課に入職しています。そうなるとこれは厚生省看護課に入職するためのステップであった可能性が出てきます。つまり40歳頃の田村氏に将来の看護課長としての白羽の矢が立ち、看護課長に相応しい学歴を身につけるために大学院に通ったと。考えすぎですかね。

野村氏についてもそうで、

野村氏は1973年に聖路加看護大学卒業後、その10年後に厚生省に入職しています。10年の間に米国エモリー大留学,法政大大学院修了とありますから、これもおおよそ5年程度をかけて博士号を取得したと考えるのが妥当かと考えます。残り5年のうち新宿区保健所および東京都神経科学総合研究所は臨床実務に縁が遠そうな職場ですから、実務経験は田村氏同様2〜3年程度と考えるのが妥当そうです。

田村氏も野村氏も現場からの叩き上げでなく、主に研究・教育分野で経歴を積み、厚生労働省に送り込まれています。これは看護課長だけではなく看護協会の中枢も同様の事が行なわれている可能性が強いと考えます。看護協会で権力を握る中枢は、現場経験の薄い、研究・教育畑の理論派が占めているのではないかということです。

研究・教育畑の人材が看護行政を動かしても全く構わないのですが、こういうものは現場の意見がバランスよく入る方が望ましいものです。看護協会を動かしている人間が何人いるかわかりませんが、組織を考えるとほんの一握りかと考えます。あくまでも仮定ですが、歴代3課長と看護協会推薦国会議員、あわせて10人足らずの可能性が強いと考えます。

日医はそれでも末端組織の突き上げはありえるところですが、おそらくですが看護協会の組織は日医よりはるかに一枚岩で、完全に中枢部が権力を握っている可能性が強いと考えます。もっと言えば末端は訳がわからないうちに看護協会に入会させられ、会費だけ払っている状態であり、中枢部は中枢部が選んだ人間だけで構成されているじゃないかということです。

少数の者が団体の権力を握る構図自体を悪いものとは言えませんが、権力を握っている中枢部は、これも当然ですが中枢部の思想に近いものだけをピックアップします。反対意見が入る余地が極めて乏しいという事になります。同じ思想の人間が集まり、なおかつ現場経験に乏しいとなれば、思想は偏り先鋭化するのは避けられないでしょう。

数日来、出されているオーク住吉産婦人科院長の「内診問題の真相」は、そうやって思想が先鋭化し、行政とも一体化した組織が、周囲が見えなくなって独善に陥り、暴走した結果起こったものと考える事は可能かと思います。もっとも私が知っている範囲では「そうかもしれない」ぐらいしか言えませんが。